夢の続きを ― 2015年02月19日 22時45分12秒
★夢に亡き者たちが アクセスランキング: 150位
このところ夜になると頭が痛くなってきて起きてられず早く寝てしまう。そんなでブログもなかなか更新できないでいる。
理由はたぶん目から来ている。今いくつかの作業を抱えていてパソコンに向き合う時間が増えた。メガネの具合もよくないようで、右目が常に痛く、そんなで目を酷使しているので夜、夕飯時になると頭痛が激しくなって晩飯食べたらすぐに寝てしまう。
むろんいったん寝てまた起きてそれから作業するつもりで眠る。が、今の季節は寒く、真夜中に、それこそ午前2時、3時頃に目覚めるが、トイレ済ますとまた布団にもぐってしまい、しばらくは本を読んだりしてまたいつしか眠りに落ちてしまう。で、朝の6時過ぎ、夜が明ける頃やっと起きだす。
そんなで、やたら寝てばかりいる。その頭痛に対処するにはアルコールという手もある。が、それもまた頭痛は収まってもぼうっとしてきてやはり眠くなって寝てしまうので同じことだ。
まあ、亡き祖母の謂いではないが、「寝るより楽はなかりけり」で、ともかく眠ってしまえば、今抱えている難事や面倒なことも寝ている間は考えないで済む。そしてとりとめのない夢をだらだら見ている。
このところ見る夢には、死んだ犬たちやもう今は亡き人や昔付き合った女の子が出てきたりして目覚めて哀しくもなりはしないが、しばらくはその夢の意味をベッドで考え直したりもしている。
誰が言ったか、死んだ人たちが夢の中に出ればその人は成仏したと。つまり、その魂も天に昇り、夢の中でこちらに会いに来るのであろうか。
以前は、死んだ犬と夢で出会い楽しく過ごし、目覚めてからそれが夢だと悟り、泣きながら起きたこともあった。さすがに時間もたったことと、このところ死んだ犬たちはどれも天寿を全うさせたという満足感もあったからか彼らが夢に出てきても哀しみは覚えないことが多い。
また、あまりに近年は犬猫含めて死が続いたこともあって感情も鈍く麻痺してきたこともある。
ただ、昔のこと、夢の中で昔の彼らと会うと、ずいぶんあの頃はたくさんの犬や猫がいてそれなりに大変だったはずだが、賑やかにやっていたなあとしんみりした感慨がわく。ただ懐かしく感じる。
つい先だっても家の老猫が体調崩したと思ってたら医者に連れて行くまでもなく眠るようにあっけなく死んでしまった。
このところ何か自分の感情もおかしくなってしまったのか、哀しいとか淋しいという気持ちが実感として自らつかめず不思議な気分でいた。
そうしたわけで、今の我が家は、中年のメス猫が2匹、犬は高齢となってきた黒犬ブラ彦と若い嫁さんのベル子だけとなって、一時人間の数を犬猫とも軽く上回っていた動物人口は激減してしまった。
まあ、人間たちも動物の世話どころか自らの下の世話すらもできないような有様なので致し方ない。それに動物は人よりも早く歳をとる。今は何とかまだ犬猫飼えてはいるが、もっとボケと老化が進めば彼らの世話まで手が回らない。となると動物が減ったのことも良いことなのであろうか。
しかし、やがて老親たちがいなくなり犬猫すらそのとき周りに誰もいなかったならば自分はその孤独に耐えられようか。
江藤淳の自死を思うとき、つまるところ彼自らも不随となったこともあろうが孤独に耐えかねてだと見えてくる。彼は最愛の猫すらも手放してしまったのだ。
動物の世話はたいへんだ。まして自らが老いてきて動物より先に死ぬ可能性もあるときに動物は飼えない。しかし、あたかも童話「ドリトル先生」の家庭の如く、やたらたくさんの動物たちと暮らしていた者として今の数ですら淋しさと物足りなさを強く感じている。
彼らは実務的なことは何ひとつしないし1円の金も生み出さない。面倒かけるばかりでもある。ただそれ以上に、実に多くの無私の愛を返してくれる。辛いときは励まし慰めてくれた。その愛こそが我が力になっていた。そう気づくとき新たな動物をまた求めているわけだがそれはかなわない。ならばせめて夢の中で昔へと、あの頃に帰るしかないのか。
このところ夜になると頭が痛くなってきて起きてられず早く寝てしまう。そんなでブログもなかなか更新できないでいる。
理由はたぶん目から来ている。今いくつかの作業を抱えていてパソコンに向き合う時間が増えた。メガネの具合もよくないようで、右目が常に痛く、そんなで目を酷使しているので夜、夕飯時になると頭痛が激しくなって晩飯食べたらすぐに寝てしまう。
むろんいったん寝てまた起きてそれから作業するつもりで眠る。が、今の季節は寒く、真夜中に、それこそ午前2時、3時頃に目覚めるが、トイレ済ますとまた布団にもぐってしまい、しばらくは本を読んだりしてまたいつしか眠りに落ちてしまう。で、朝の6時過ぎ、夜が明ける頃やっと起きだす。
そんなで、やたら寝てばかりいる。その頭痛に対処するにはアルコールという手もある。が、それもまた頭痛は収まってもぼうっとしてきてやはり眠くなって寝てしまうので同じことだ。
まあ、亡き祖母の謂いではないが、「寝るより楽はなかりけり」で、ともかく眠ってしまえば、今抱えている難事や面倒なことも寝ている間は考えないで済む。そしてとりとめのない夢をだらだら見ている。
このところ見る夢には、死んだ犬たちやもう今は亡き人や昔付き合った女の子が出てきたりして目覚めて哀しくもなりはしないが、しばらくはその夢の意味をベッドで考え直したりもしている。
誰が言ったか、死んだ人たちが夢の中に出ればその人は成仏したと。つまり、その魂も天に昇り、夢の中でこちらに会いに来るのであろうか。
以前は、死んだ犬と夢で出会い楽しく過ごし、目覚めてからそれが夢だと悟り、泣きながら起きたこともあった。さすがに時間もたったことと、このところ死んだ犬たちはどれも天寿を全うさせたという満足感もあったからか彼らが夢に出てきても哀しみは覚えないことが多い。
また、あまりに近年は犬猫含めて死が続いたこともあって感情も鈍く麻痺してきたこともある。
ただ、昔のこと、夢の中で昔の彼らと会うと、ずいぶんあの頃はたくさんの犬や猫がいてそれなりに大変だったはずだが、賑やかにやっていたなあとしんみりした感慨がわく。ただ懐かしく感じる。
つい先だっても家の老猫が体調崩したと思ってたら医者に連れて行くまでもなく眠るようにあっけなく死んでしまった。
このところ何か自分の感情もおかしくなってしまったのか、哀しいとか淋しいという気持ちが実感として自らつかめず不思議な気分でいた。
そうしたわけで、今の我が家は、中年のメス猫が2匹、犬は高齢となってきた黒犬ブラ彦と若い嫁さんのベル子だけとなって、一時人間の数を犬猫とも軽く上回っていた動物人口は激減してしまった。
まあ、人間たちも動物の世話どころか自らの下の世話すらもできないような有様なので致し方ない。それに動物は人よりも早く歳をとる。今は何とかまだ犬猫飼えてはいるが、もっとボケと老化が進めば彼らの世話まで手が回らない。となると動物が減ったのことも良いことなのであろうか。
しかし、やがて老親たちがいなくなり犬猫すらそのとき周りに誰もいなかったならば自分はその孤独に耐えられようか。
江藤淳の自死を思うとき、つまるところ彼自らも不随となったこともあろうが孤独に耐えかねてだと見えてくる。彼は最愛の猫すらも手放してしまったのだ。
動物の世話はたいへんだ。まして自らが老いてきて動物より先に死ぬ可能性もあるときに動物は飼えない。しかし、あたかも童話「ドリトル先生」の家庭の如く、やたらたくさんの動物たちと暮らしていた者として今の数ですら淋しさと物足りなさを強く感じている。
彼らは実務的なことは何ひとつしないし1円の金も生み出さない。面倒かけるばかりでもある。ただそれ以上に、実に多くの無私の愛を返してくれる。辛いときは励まし慰めてくれた。その愛こそが我が力になっていた。そう気づくとき新たな動物をまた求めているわけだがそれはかなわない。ならばせめて夢の中で昔へと、あの頃に帰るしかないのか。
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