ファイル解凍に頭痛めている2015年02月21日 23時46分55秒

★試練もまたチャンスなのだが              アクセスランキング: 183位

 私ごとを書く。
ようやく1本原稿は書き上げてゲラもチェックし送信した。もう明かしても良いかと思うが、「ルポ」という、とても面白くユニークなインディーズ誌である。
 で、次に、この数日来、友人から送られてきたギガファイル便での映像チェックのために時間さえあればパソコンに向かっている。が、ファイルがうまく解凍できず中身も見れず次々巷のフリーソフトを試し続けている。
 他にも〆切のことはいくつもあり急かされてもいるのだが、ともかくこの難題を処理しないことには先へ進めない。

 俗に、よくIT元年とか言われたりもしたが、思うにマスダ個人的には今年こそがそのITの本格参入の年で、今あれこれ自らスマホやパソコンソフトをいじるのにやたら時間とられている。
 正直、もう頭がおかしくなるほどパソコンに何時間も向き合っている。メマイして頭くらくらし目がものすごく痛い。おかげでいくらかはこの世界のことが見えてきた気もするが、今も問題は解決したわけでなくどうしたものか途方にくれている。

 考えてみれば、パソコンを何台も持っているといっても基本ビギナーに毛が生えたようなもので、せいぜい出来合いの音楽を取り込んだりそれをCDに焼くとか、年賀状を拵えてプリントしたり程度のことしかやっていなかった。その他のインターネットはこのブログとAmazonマーケットプレイスなどでのネット古本販売だけである。

 ミクシィなりフェイスブックなり、あるいは移動中でもあれこれ検索して発信したりというのが本来のITの使い方、あり方なのだろうが、せいぜい世界に向けての発信は、このブログ程度のことしかやっていなかった。
 あとは何をするのもきわめてアナログ的に、じっさいの「物」、つまりデータやファイルではなく、実物でやりとりをし続けていた。

 が、考えてみればそれは極めて前世紀的、旧時代的発想であり、音楽などはもともとカタチないわけで、レコードなりCDという物体にしないと流通しないものでもないゆえ、今はファイルのやりとりというネット上の通信で受け渡しができることをようやく学びつつある。

 じっさい原稿だって、昔は紙の原稿用紙の受け渡しであったのが、ファクシミリになり、今ではメールソフトの添付ファイルで事足りている。つまり今の時代は、データファイル化できるものはインターネットでやりとりすれば簡便であり何もまず問題ないのである。

 つまり、流通とは、食べ物や道具類などの実物がないと役立たないものだけを動かすことで、音楽や映像、画像のようなもの、本などの情報も含めて実体がそもそも存在しないものは、ネットでファイルだけのやりとりで済むのであった。それはまさに革命であろう。
 これでは本もCDも売れないのは当然である。紙やプラスチック、ビニール盤などの物体だって永遠不滅でないのだから、それは便宜的なものでしかなかったのだと気がつく。

 個人的には、そうしたネット上でのデータだけのやりとりに違和感は強くあるけれど、良いとか悪いではなくこうした時代に生きているからは、そうしてやっていくしかない。
 じっさい今プロジェクトを手伝ってもらっている友人からは、手がけたライブの映像や録音はそうしたファイルで届くのだ。今はギガファイル便とかいう便利な、何ギガサイズもの大きなデータファイルでも相手に送れるシステムがあることもそれで教わった。

 メールが届き、それに記されたサイトにアクセスしファイルをダウンロードをすれば自らのパソコンに大量の画像や文書でもライブ音源でも何時間もの映像でも居ながらに取り込めるのである。
 これなら人に渡すのにもいちいちCD‐RやDVDに何枚も焼いて郵送したりしないでも済む。つまりITとは、まさに流通革命でもあったのだ。

 しかし、しかし、ネット上でそのファイルの受け渡しが、Mac同士とかウインドウズ同士なら基本的に問題はまず起きないと思う。映像や音楽、マンガ制作などに携わっている方はMacのパソコンのユーザーが多いことは周知であろう。そうした側からウチのウインドウズにそのMacからのファイルで送られてくると何故か映像はうまく開けないのである。

 それは我の知識が足りない故か。フツーは問題なく届くのかこの数日あれこれ試行錯誤しながらずっと考え続けている。あるいは根本的原因はウチのパソコンにあるのか。
 何度やっても解凍できず本当に頭がおかしくなりそうだ。しかしおかげでずいぶんその知識は増えた。これもまた良い試練だと思うしかない。