書くこと、特にブログに書くことについて。2015年02月16日 19時13分18秒

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 ブログに何を書くべきか。このところずっと考え続けている。書くことがないのではなく、迂闊に、考えなしに書くとそのことで関係者方を結果として怒らせたり呆れさせたり、かつ迷惑をかけることになる。

 今さらだが、そのことに気がついた。まあ、前からそうした「トラブル」は常にしでかしていて、ブログに書いたことで友人を失望させ失ったこともあったわけで、やはり書くことは世に広く出回り残ることだから誰が読むかわからないことを肝に銘じて慎重に考慮して書かねばならない。
うっかり考えなしに書いた記事で人様に多大な迷惑をかけたこともある。

 じっさい、ろくに読まれていないと自認していても、先日も某テレビ局から、ある書いた記事に関して電話で取材依頼があり、そのニュース番組内に出てくれと請われた。むろん丁重に断ったが、今は検索で何でもひっかかる時代だから迂闊な見出しはつけると望まぬ注目を集めるのだと自戒した。くわばらくわばらである。

 つまるところ書くとしたら自分のことしか書けない。自分の関わったこと、イベントでさえも一方的に良くも悪くも「評価」や我が思いを書き記してしまうと関係した方々それぞれの思いと齟齬を生じ失望やお怒りを招く結果となる。

 バカだから常に正直に、そのときどきの思いを即そのままこのブログに書き続け来た。そう、それが「正直」とか「誠実」だと思い込んでいた。だが、それは今でいう中二病的勝手な拘りに過ぎず、真の大人であれば、そこをぐっと飲み込んで、果たして即その思いを吐き出してよいのかと自問し検討すべきであった。

 有難くも心ある友人からそうした我が愚かさ、考えのなさについて鋭くもご指摘を受けて確かにそうだと思い至った。何かが起きたとして、苦しいからといって、それをそのまま思いのまま吐き出す、ここに書き記すのは誠実でも正直でもなく単なる自己満足でしかない。
 結果としてそのことでまた他者を傷つけ失望させ呆れ果てさせてしまう。書くことには常に責任が伴う。その責任を負えないのなら書くべきではないし、何はともあれ書いた後のことも想像しないとならない。

 今の世界情勢を受けて、書きたいことや書くべきことだと考えることはいくらでもある。しかし、正直怖い世の中でもある。うっかり宗教の批判など覚悟もなしに書いたりするとどういう事態を招くかわからない。
 自分はともかくそのことで関係を持って頂いた方々にまで迷惑がかかることすらあろう。何であれこうした世界中の誰でも読む可能性のある書く行為は、こんな時代だからこそ改めて慎重に深く考えてすべきだと認識している。

 いきおい自分のこと、自分が考えたことだけを書いていくこととなろう。あとは宣伝告知などは載せて行く予定だが、たぶんテイストは変わる。それを自制ととられてもかまわない。が、強いモノに屈したり長いものに巻かれる気持ちはない。日和見もしない。が、どうかご理解願いたい。