できなかったこと、わからなかったこと、知らなかったこと2015年02月22日 17時45分34秒

★人生はそれらを克服した先にある ~前回の続き。

 エラソーなことを書くつもりはない。
 人生とは何かと問われれば、迷うことなく、「できなかったことができるように、わからなかったことがわかるようになること」だと答える。
 それはつまり知らなかったことがなくなる、つまり新たに知ること、わかることに他ならない。

 勉強に限らない。自転車の運転だって誰だって最初はできない。お箸の持ち方だって外人はできない。字だって読めない。簡単な計算だってできやしない。ただ、人はちょっとした練習や学習でたいがいそれがいつしかできるようになっていく。

 学校教育の意味、目的とはまずは本来のそうした基本学習の場としてだ。これが親や近所の老人たちが子どもに文字から算数まで教えていたら面倒かつ大変で、いつしか人間は「学校」と「教師」という専門の場と人を得た。
 日本は昔は寺小屋や藩や個人の私塾のようなものしかなかった。また庶民は生活だけで手いっぱいだったからきちんとした教育は受けられなかった。それが今ではありとあらゆる高等、専門的教育の場がそこかしこにある。金と時間とその気持ちだけあれば誰だって何だってとことん学べる。放送大学や通信教育のようにどこでも学べる。良い時代であろう。

 しかし、現実のはなし、世界にはわからないことがいっぱいで、個人的にも結果として今わからないがゆえにできないことが山ほどある。
 知らないモノゴトを知識として知ることはさほど大変ではない。テレビや新聞で、今はネットで何だって知ることはできる。それとは別に、頭での知識ではなく、じっさいに何かをできるようになることはかなり難しい。

 例えば、ギターが弾けるとかを考えてみると、弾いている演奏などみれば理屈や構造はわかる。が、じっさいにそれが誰でもすぐできるかというとまず誰でもできやしない。
 技能と呼ぶべきことはピアノでもバレエダンスでも木工、職人的手仕事、料理でも、基本や初歩、簡単なところから少しづつ繰り返し上達していくしかない。独学でも先生に習ってもともかく練習あるのみだ。しかしそうしたことは続けていれば誰でも必ず上達する。むろん才能の多寡はあるがそれはまた別の話。

 では、パソコンでの技能や知識はどうなのか。前から不思議に思うのだが、今のハイテク機器はスマホにしろテレビやオーディオにしろともかく使いこなすは至難の業だ。
 なのに、そのマシンが届いても同封されている解説書は、電源の入れ方程度しか使用法は記されていなく、じっさいに使いこなす方法は自らが調べたり先行した知人に訊くしかない。メーカーのサポートも電話がまず繋がらないし1年で終わってしまう。まあ、昔のブラウン管テレビやラジオなどの家電と違い、今の機械はあまりに多種多機能で、とても取説ガイド一冊に詳細は収まらない。
 だからこの世には多種多彩な「解説、ガイド本」が出回るようになっていく。

 しかしそれを読み、あるいはネットであれこれ検索して調べてもなかなかわからない。理解できないこともたくさんあるが、ともかく使い方ひとつとってもなかなかわからない。結果としてできないことばかりとなっていく。※まあ、何かをやろうと考えなければできないことも「ない」のである。つまり知らないことがあることを知らないが故知らないことがない人のように。
 特にパソコンなどのハイテク機器は、機械は動かせても思い通りに使いこなすのはまた別の話となる。

 今の人は皆親切で、人はもともと知識を共有したいと考える。だから、ネット上では、わからない、できないで何かに困った、と書き込んだり、そうした言葉だけをランダムに打ち込んでも検索かければ、同様の悩みと「回答」に行き当たる。
 そうしていろいろ試してみた。今もあれこれやってみている。それでもなかなかうまくいかない。しかし、しだいにその世界の仕組みはわかるようになっていく。
 できないことはできないままだとしてもわからないことはなくなっていく。それだけでも素晴らしい。

 我、マス坊はほんとうに怠け者で、自分の好きなことやその分野なら寝食忘れて没頭できるが、そうでない関心外の面倒なこと、不要不急と思われることはとことん放擲しユルくし人任せにしてしまう。まさにB型人間だとよく言われる。
 これまで物心ついてから半世紀生きてずっとそれを繰り返してきたと気づく。だが、それはもう許されない。

 しかし自動車の運転もだが、嫌いなことでも他に代行してくれる人が身近にいないのなら自らでやらねばならないのと同様、今パソコンの世界も、広くITワールドとでも呼ぶモニターの中での面倒なこともわかるように、そしてできるように少しづつでも勉強していくしかない。
 正直なところ本当にツライ。試行錯誤してると時間があっという間に過ぎていく。身近にこうしたことは何でもわかる神のような達人がいればと願うが、この世界にはそんな人はまずいない。

 メーカーやプロバイダーのサポートに電話かけて相談しても専門職である彼らにもわかることとできることは限界があり、プロでもかなり苦労している。金さえあればお任せ設定のようなこともできるのかもしれないが、それでも「できないことはできないとわかる程度の結果」となるかもしれない。

 いずれにせよ、できるようになるためにもまずは知ること、わかることからなのだと、萎える気持ちにはっぱをかけている。何はともあれ、人生とは、生きるとはそうしたことの繰り返しではないのか。