父母の恩、友の恩、皆さまの恩に報いていく ― 2015年07月13日 08時31分07秒
★切り立った山道を落ちぬよう転ばぬように
慢性硬膜下血腫という病気は、頭を打ったことで、そのときは瘤が出来た程度でもじょじょに少しづつ頭蓋骨の中で、出血が始まりそれが溜まって、やかでは脳を圧迫して手遅れとなると死に至るのだという。
ただ、老人の場合、本人も周囲も含めてどこでいつ頭を打ったのか特定できないことも多く、症状も見逃されてしまい悪化してしまうようだ。
執刀した脳外科の医師のはなしだと、画像を見る限りこれだけの量が溜まるのは最近起きたものではなく、おそらく2,3週間前に起こったらしいが覚えはあるかと言われても思い当たらない。
ただ、告白すれば、このところ食事時などは抗う父ととっくみあいの喧嘩のようなこともしたこともあったから、もしかしたらそのときに起きたのかもしれない。もしこれで、父が死んだらばこの俺が殺したことになる。
その晩はベッドに入ってもほとんど眠れなかった。発見が早かったこともあり手術じたいは、頭に穴を開けて溜まった血を抜き取り、またふたをして後は本人の回復を待つだけという簡単なものであった。が、歳も歳なので、果たしてこれまでの生活が送れるかわからないし、一度圧迫された脳が元通りに戻るのか保障できないと。じっさい何が起こるかわからないとも。
最悪の場合、父の死を思い、ほんとうに困ると今さらだが思い至った。もう九十なのである。頑健な人だとしても本当は生きているだけだって難しいことだったはずだし、いつ死んだってちっともおかしくなかったのだ。
だのに、家族も含めてまったくそうした事態を想定も準備もろくにせずに、日々の生活だけにただ追われていた。すぐ傍らにいた「死」についてまつたく目もくれないで、一日ごと、ひと月ごと、一年ごとただ漫然に生き日常生活に追われていた。
父も母もいつ死んでもおかしくない状況なのに、愚かにもその準備もまして覚悟も何もできていなかった。かといって、彼らがあと何十年も生きるなんて思っていない。ただ、すぐそこにある危機についてあえて目をつむり、忙しさにかまけて考えないようしてきたのだ。
そしてむろんのことご当人たちは、自らが死ぬことについては、常に無自覚であった。さすがに癌再発が告知された母はともかく、父などは自分が死ぬなんてあの戦地から帰還して以来真剣に考えたことなどないに違いない。まあ、人はそうしたもので「死」は常に他人事なのだから。
自分にとって父に今すぐ急に死なれると困るのは、自分の生活設計が大きく変わることもあるし、喫緊の予定にも影響が出るなどということもあったが、それよりも父に対して何も返していないことが悔やまれた。
父の手帖には、息子である我が頭を打って病院に行ったことがメモされていた。何だかんだ不仲のようでも親ゆえの心配してくれていたのだった。有難いではないか。
そして、こうも考えた。自分が頭打って、脳神経外科でCTを撮り、無事を確認した翌日に父が同様にCTを撮り、この病気を確認したという事態は、父が息子の身代わりになってくれたのだと。
じっさいのところ、この二つの事件は時間も前後し無関係のはずだ。父の場合は、もう三週間も前にどこかで何科の原因で頭を打ったことに端を発している。そして自分は7月5日だ。
が、やはり、本来は頭打ってかなり危険な状況にあったはずの息子に代わって、老いた父が身代わりとなってこうした大変な事態を引き受けてくれたのだと。
その親の愛にちっとも気づかず、まだ何のお返しもしていない。振り返れば、介護の名を借りて、親の面倒、世話するといいながら時に激高し虐待のようなことすらしてきていた。男同士、若い頃から性格が合わず家庭内で主導権を握るべく、若いときからずっとケンカばかりしてきた。
彼も息子を否定し息子も彼をバカにし母が嘆くように顔つき合わせばケンカばかりの犬猿の仲であった。しかし、親は子を愛し常に案じ心配してくれていたのだ。
そして今回、愚かな息子に代わって父は倒れ頭の手術を受ける。これは、どういうはからい、メッセージであろうか。
もう泣きはしなかったが、ともかく悔いた。これまでの行いを呪った。そして神に祈った。どうかもう一度だけチャンスを与えてください。父が家に戻り、共にもう少しだけ生きられるようにと。
これからまた病院に行く。戻ったら書きたしたい。
慢性硬膜下血腫という病気は、頭を打ったことで、そのときは瘤が出来た程度でもじょじょに少しづつ頭蓋骨の中で、出血が始まりそれが溜まって、やかでは脳を圧迫して手遅れとなると死に至るのだという。
ただ、老人の場合、本人も周囲も含めてどこでいつ頭を打ったのか特定できないことも多く、症状も見逃されてしまい悪化してしまうようだ。
執刀した脳外科の医師のはなしだと、画像を見る限りこれだけの量が溜まるのは最近起きたものではなく、おそらく2,3週間前に起こったらしいが覚えはあるかと言われても思い当たらない。
ただ、告白すれば、このところ食事時などは抗う父ととっくみあいの喧嘩のようなこともしたこともあったから、もしかしたらそのときに起きたのかもしれない。もしこれで、父が死んだらばこの俺が殺したことになる。
その晩はベッドに入ってもほとんど眠れなかった。発見が早かったこともあり手術じたいは、頭に穴を開けて溜まった血を抜き取り、またふたをして後は本人の回復を待つだけという簡単なものであった。が、歳も歳なので、果たしてこれまでの生活が送れるかわからないし、一度圧迫された脳が元通りに戻るのか保障できないと。じっさい何が起こるかわからないとも。
最悪の場合、父の死を思い、ほんとうに困ると今さらだが思い至った。もう九十なのである。頑健な人だとしても本当は生きているだけだって難しいことだったはずだし、いつ死んだってちっともおかしくなかったのだ。
だのに、家族も含めてまったくそうした事態を想定も準備もろくにせずに、日々の生活だけにただ追われていた。すぐ傍らにいた「死」についてまつたく目もくれないで、一日ごと、ひと月ごと、一年ごとただ漫然に生き日常生活に追われていた。
父も母もいつ死んでもおかしくない状況なのに、愚かにもその準備もまして覚悟も何もできていなかった。かといって、彼らがあと何十年も生きるなんて思っていない。ただ、すぐそこにある危機についてあえて目をつむり、忙しさにかまけて考えないようしてきたのだ。
そしてむろんのことご当人たちは、自らが死ぬことについては、常に無自覚であった。さすがに癌再発が告知された母はともかく、父などは自分が死ぬなんてあの戦地から帰還して以来真剣に考えたことなどないに違いない。まあ、人はそうしたもので「死」は常に他人事なのだから。
自分にとって父に今すぐ急に死なれると困るのは、自分の生活設計が大きく変わることもあるし、喫緊の予定にも影響が出るなどということもあったが、それよりも父に対して何も返していないことが悔やまれた。
父の手帖には、息子である我が頭を打って病院に行ったことがメモされていた。何だかんだ不仲のようでも親ゆえの心配してくれていたのだった。有難いではないか。
そして、こうも考えた。自分が頭打って、脳神経外科でCTを撮り、無事を確認した翌日に父が同様にCTを撮り、この病気を確認したという事態は、父が息子の身代わりになってくれたのだと。
じっさいのところ、この二つの事件は時間も前後し無関係のはずだ。父の場合は、もう三週間も前にどこかで何科の原因で頭を打ったことに端を発している。そして自分は7月5日だ。
が、やはり、本来は頭打ってかなり危険な状況にあったはずの息子に代わって、老いた父が身代わりとなってこうした大変な事態を引き受けてくれたのだと。
その親の愛にちっとも気づかず、まだ何のお返しもしていない。振り返れば、介護の名を借りて、親の面倒、世話するといいながら時に激高し虐待のようなことすらしてきていた。男同士、若い頃から性格が合わず家庭内で主導権を握るべく、若いときからずっとケンカばかりしてきた。
彼も息子を否定し息子も彼をバカにし母が嘆くように顔つき合わせばケンカばかりの犬猿の仲であった。しかし、親は子を愛し常に案じ心配してくれていたのだ。
そして今回、愚かな息子に代わって父は倒れ頭の手術を受ける。これは、どういうはからい、メッセージであろうか。
もう泣きはしなかったが、ともかく悔いた。これまでの行いを呪った。そして神に祈った。どうかもう一度だけチャンスを与えてください。父が家に戻り、共にもう少しだけ生きられるようにと。
これからまた病院に行く。戻ったら書きたしたい。
全ては神の御心のままに ― 2015年07月14日 06時42分19秒
★幸いにして再びこの地に戻りて
この世に起こるすべてのことは、メッセージ、と歌ったのは若き荒井由実だったか。
このところつくづくそう思う。常にこの世にはモノゴトが起こる前には「先ぶれ」のようなものがあり、その前兆や予感に敏感でなくてはならないはずが、動物を離れて「人」となった生き物はそのアンテナが鈍くなってしまった。
そうしたメッセージどこ吹く風で、素知らぬ顔で驕り高ぶり過ちを繰り返し破滅への道を進んでいく。我もそうであった。
父の頭の血を抜く手術は無事終わり、退院の目安も着いた。母などはこの暑さだから、家に帰るよりもっと病院に寝かせておいたほうが安心だと言っていたが、当人は早く家に戻ることを切望し、病院側もあまりにあれこれ騒ぎ立て目の離せない手のかかる患者は早く退院させたほうが良いと急ピッチで話は進んだ。
ともかくほっとしている。むろん戻ってきても頭に穴を開け、まだその穴が塞がっていない九十歳の大男を世話するのは一苦労なのはわかっている。が、このまま退屈な病院に預けておくとさらにボケが進み、日常生活復帰もままならなくなる。後はいかに刺激を与えて圧迫された脳を元に戻せるかだ。
それこそが家族の務め、子の務めだと覚悟している。そしてそれは辛いどころか嬉しく光栄に思う。
若き友、岡大介からメールが届き、彼のライブ通知に付記して、頭を打ったのは大丈夫かと心配された。それでようやく、両国のそのコンサートの最中に頭を打った事実は確認できた。やはり夢ではなかったのだ。
病院に行ったことを報告したメールを送ったら、すぐに「下手すると死んでしまいます。何もなく良かったです」と再メールが返り、有難いなあとただただ友情に感謝した。しかしそれはおそらくこのブログをここまでお読み下さった方々も同様なお気持ちであろう。それを思い今はただ涙が出るほど有難い。そう、何もなくて良かったのだ。
自分には若いときから根源に自滅願望のようなものがあって、じっさいに自殺行為に及んだことはないが、ある限界点を過ぎると発作的に、衝動的にすべてを破壊、終結させてしまおうと自暴自棄となることがあった。頭に血が上ると言ってもいい。
しかし、それは我の特性というより、人はときたまそうした「魔」に襲われ冷静さを欠きとり返しの付かないことをしでかすのではないか。
先だってどこそかの子だくさんの自衛官が、妻と口論した挙句に衝動的に自宅に火を放ち、挙句我が子4人が焼死させた事件もそうした「魔」がさしたのだろう。おそらく今この父親は、悔恨の極みで心は地獄の業火に焼かれているに違いない。
聖書には、イエスを売ったイスカリオテのユダを「そのとき彼の心に悪魔が入った」と記しているがまさにその通りであったと思う。彼もまた愛する師が刑死となると知るや嘆き悔いて自ら命を絶った。こうした魔に囚われた人たちの心中を思う。
今までずっといつもどこかに忘れ物をしてきたような、不安と苛立つような気持ちが心の奥底にあった。常に焦りはやる気持ちがあった。が、今回の父のことをも含めた一件でそれがなくなっていることに気がつく。
ともかく人は生きてここに在るだけでよいのだと。そして生きているのだって自分の意志で好き勝手、自由に生きているのではなく、天のはからいによって生かされているのだと。
神の光を見たわけではないし天の声を聞いたわけではないが、そのことにはっきり確信を得た。
生かされているのならばそこには意味があり、与えられた役もあろう。なすべき使命があるはずだ。それにようやく気づいた。気づかされた。もう一時の感情に囚われて心に魔を入れないし、何も怖れない。そして何も望まない。
神はこんな愚かな身勝手で自暴自棄にあった男をも救い赦し生かしてくれた。ならばその恩に報いなくてはならない。そのことは我を取り巻く全てに対しても同様に。皆さまから受けた愛に報いるためにも過ちは繰り返さない。
これから何をすべきか。それは正しく義のあることならば必ずうまくいく。畏れるものはあれどもう何も怖れやしない。もう何も迷わない。
目をこらし耳をすまして天からのメッセージを素面で真摯に受け止めていく。そしてそれを語ろう。文字に綴ろう。
何もできないこの非力な我が身だが、もしどこかに悩み苦しむ人がいれば、行って話をきくし、手を握り励まそう。そして共に祈る。そんなことで現実問題は解決しないかもしれない。しかし、それぐらいはできるし決して無意味ではないと信ずる。人は人のために生きなくてはならない。
そして拙くとも自分の関わる音楽やうたで、愛の思いを他者に伝えたいと願う。多くの愛を頂いた。これからはその愛を皆さんにお返ししていく。
この世に起こるすべてのことは、メッセージ、と歌ったのは若き荒井由実だったか。
このところつくづくそう思う。常にこの世にはモノゴトが起こる前には「先ぶれ」のようなものがあり、その前兆や予感に敏感でなくてはならないはずが、動物を離れて「人」となった生き物はそのアンテナが鈍くなってしまった。
そうしたメッセージどこ吹く風で、素知らぬ顔で驕り高ぶり過ちを繰り返し破滅への道を進んでいく。我もそうであった。
父の頭の血を抜く手術は無事終わり、退院の目安も着いた。母などはこの暑さだから、家に帰るよりもっと病院に寝かせておいたほうが安心だと言っていたが、当人は早く家に戻ることを切望し、病院側もあまりにあれこれ騒ぎ立て目の離せない手のかかる患者は早く退院させたほうが良いと急ピッチで話は進んだ。
ともかくほっとしている。むろん戻ってきても頭に穴を開け、まだその穴が塞がっていない九十歳の大男を世話するのは一苦労なのはわかっている。が、このまま退屈な病院に預けておくとさらにボケが進み、日常生活復帰もままならなくなる。後はいかに刺激を与えて圧迫された脳を元に戻せるかだ。
それこそが家族の務め、子の務めだと覚悟している。そしてそれは辛いどころか嬉しく光栄に思う。
若き友、岡大介からメールが届き、彼のライブ通知に付記して、頭を打ったのは大丈夫かと心配された。それでようやく、両国のそのコンサートの最中に頭を打った事実は確認できた。やはり夢ではなかったのだ。
病院に行ったことを報告したメールを送ったら、すぐに「下手すると死んでしまいます。何もなく良かったです」と再メールが返り、有難いなあとただただ友情に感謝した。しかしそれはおそらくこのブログをここまでお読み下さった方々も同様なお気持ちであろう。それを思い今はただ涙が出るほど有難い。そう、何もなくて良かったのだ。
自分には若いときから根源に自滅願望のようなものがあって、じっさいに自殺行為に及んだことはないが、ある限界点を過ぎると発作的に、衝動的にすべてを破壊、終結させてしまおうと自暴自棄となることがあった。頭に血が上ると言ってもいい。
しかし、それは我の特性というより、人はときたまそうした「魔」に襲われ冷静さを欠きとり返しの付かないことをしでかすのではないか。
先だってどこそかの子だくさんの自衛官が、妻と口論した挙句に衝動的に自宅に火を放ち、挙句我が子4人が焼死させた事件もそうした「魔」がさしたのだろう。おそらく今この父親は、悔恨の極みで心は地獄の業火に焼かれているに違いない。
聖書には、イエスを売ったイスカリオテのユダを「そのとき彼の心に悪魔が入った」と記しているがまさにその通りであったと思う。彼もまた愛する師が刑死となると知るや嘆き悔いて自ら命を絶った。こうした魔に囚われた人たちの心中を思う。
今までずっといつもどこかに忘れ物をしてきたような、不安と苛立つような気持ちが心の奥底にあった。常に焦りはやる気持ちがあった。が、今回の父のことをも含めた一件でそれがなくなっていることに気がつく。
ともかく人は生きてここに在るだけでよいのだと。そして生きているのだって自分の意志で好き勝手、自由に生きているのではなく、天のはからいによって生かされているのだと。
神の光を見たわけではないし天の声を聞いたわけではないが、そのことにはっきり確信を得た。
生かされているのならばそこには意味があり、与えられた役もあろう。なすべき使命があるはずだ。それにようやく気づいた。気づかされた。もう一時の感情に囚われて心に魔を入れないし、何も怖れない。そして何も望まない。
神はこんな愚かな身勝手で自暴自棄にあった男をも救い赦し生かしてくれた。ならばその恩に報いなくてはならない。そのことは我を取り巻く全てに対しても同様に。皆さまから受けた愛に報いるためにも過ちは繰り返さない。
これから何をすべきか。それは正しく義のあることならば必ずうまくいく。畏れるものはあれどもう何も怖れやしない。もう何も迷わない。
目をこらし耳をすまして天からのメッセージを素面で真摯に受け止めていく。そしてそれを語ろう。文字に綴ろう。
何もできないこの非力な我が身だが、もしどこかに悩み苦しむ人がいれば、行って話をきくし、手を握り励まそう。そして共に祈る。そんなことで現実問題は解決しないかもしれない。しかし、それぐらいはできるし決して無意味ではないと信ずる。人は人のために生きなくてはならない。
そして拙くとも自分の関わる音楽やうたで、愛の思いを他者に伝えたいと願う。多くの愛を頂いた。これからはその愛を皆さんにお返ししていく。
追記:慢性硬膜下血腫について ― 2015年07月14日 10時26分41秒
★手遅れになる前に 後学のために
今回父を襲った慢性硬膜下血腫という病気は、若い人もなくはないが特に老人に多い「病気」だという。
どこかで、転んだりして頭を打って、じわじわと頭蓋骨の中で、出血が始まり、頭に血が溜まり続け慢性化して、大概は意識がなくなってから周囲が気がつき病院に担ぎ込まれる。そのときはたいてい手遅れとなることも多いのだそうだ。
数週間前にどこかで、転んだかぶつけたかして頭を打っていたはずなのだが、当人も気づかず、そのときは痛かったはずだが忘れてしまい、周囲も老人は常にフラフラよたよたしていることもあり発見が遅れて大事に至るゆえ老人に多いとされるのであろう。
若い人なら自らの異常にすぐ気がつくし、強く頭を打つような事態が起これば念のために病院に出向く。年寄りは緩慢さから事態がよく認識できていない。
じっさいのところ、父は特に吐き気や頭痛などは訴えてなかった。ただ、このところ彼の言う「メマイ」がひどく、起きたときだけでなく常時それが続いていて苦しいとは言っていた。
そして母と外出したとき、いつもにましてヨタヨタ歩きが、左足がまったく上がらず引きづって何とか歩くという有様で、さすがに妻は異常に気がつき先の水曜日の夕方すぐに緊急外来で病院に行ったのだ。たぶん、軽い脳梗塞でも起こしたのかと。
病院に行ったものの、夜間当直の医師は問診程度では特に異常に気がつかず、念のためCTを撮ってくれという母の求めで、はじめて脳内に血がいっぱい溜まっていることがわかったのだ。
画像を見る限り、通常なら白く鮮明に映る脳のひだひだ、胡桃の実のようなシワが、二つに割った脳の左側部分はまったく潰れて映っていない。このままほっておけば、その出血は右側の脳にも達して意識はなくなる。あと2~3日発見が遅れたら命の保証はできないと担当医から言われる状態だった。
すぐにそのまま入院となり翌日午前からその溜まった血を抜き取る手術が行われた。
脳外科の医師から説明されわかったことは、じっさいのところ脳そのものに血がかかり脳は血の中に沈んでいるのではなく、じわじわとしみだしてきていた血は、血腫となり袋状のものとなって肥大し脳を圧迫していたのだった。その血の袋が脳を圧迫してメマイなど不調を引き起こしていた。
頭蓋骨に1cmほどの穴を開けて、その袋から溜まった血を抜き取る。そして生理食塩水で洗ってあとは、右側に押し付けられ圧迫されていた脳が自然に元の位置に戻るのをただ待つ。特に薬などは用いない。その穴はチタンで蓋をして自然治癒を待つ。その血の入っていた袋は手術が成功すればやがて自然に消えてなくなる。
抜き取られた血の量は医師の話だと180ccだった。つまり牛乳瓶1本もの血が頭の中に溜まっていたのだ。これでは誰だっておかしくなろう。よくそれでその日まで日常生活が送れたものだと感心してしまう。
若い人ならばすぐに脳は盛り返して元通りになるが父は歳も歳なので果たして元に戻るかは微妙なところであり、その隙間が残っているとまた出血が始まり再手術をしないとならない。その可能性は少なくないとも言われた。
手術自体は一時間もかからなかったと思う。全身麻酔ではなく部分麻酔で、父はベッドに横になったまま頭からチューブをつけ手術室から出てきた。頭の横にはそれに繋がって、生理食塩水が逆流しているのか、ピンク色の水が少し溜まったビニール袋があった。意識も一応はあった。
ただその日は絶対安静で、チューブが抜けるまで点滴とオムツでベッドに腕まで括り付けられていた。
幸いにして術後は良く、脳もすぐに血腫で満たされていた空間部分側に盛り返してきているとのことだったが、まだ翌日は一日、事態がよく呑み込めていないばかりでなく、せん妄が出てわけのわからないことを繰り返し口走り、このままボケが一気に進むのではと深く案じさせられた。
現在は、まだときどきトンチンカンなことは口にしてはいるが、病院に行った日と手術当日以外は、ほぼ以前の記憶も戻り、たぶん再発はしないのではと家族としては期待している。いずれにせよ木曜に再検査して退院となる予定であった。父曰く、あれからメマイはなくなった。気分は悪くないと。
自らも頭を打って意識失くしたこの自分に何も言う資格はないけれど、人間の体、中でも脳とは実に不思議だとつくづく思う。どういう仕組なのかたぶん医者でもまだよくわからない。
が、やはり何かしらの異常を感じてその前兆、前触れの様なものが少しでもあるのならのんびり後回しにせずにすぐさま医者にかかることをお勧めしたい。特に脳は、CTやMRIで画像撮ればすぐに異常は発見される。
父の一件も含めて、発見があと数日遅れたら果たして命あったか定かではない。今回は母の気づきがなければ、事態はさらに深刻となっていた。薄情な息子は大したことないと確信していたのだから。
本当にほんとうに、皆さまもご自愛ください。私もうっかり命を落とさぬよう悔い改め生きていくつもりです。
今、安保法制でこの国は、大変なときを迎えているが、人は誰も殺さず誰にも殺されず、与えられた命を全うする義務と権利があるのだと今さらながら声を大にして叫びたい。
そしてそれこそが人が人として生きていくことなのだと。日本国憲法はそうはっきりと記している。
今回父を襲った慢性硬膜下血腫という病気は、若い人もなくはないが特に老人に多い「病気」だという。
どこかで、転んだりして頭を打って、じわじわと頭蓋骨の中で、出血が始まり、頭に血が溜まり続け慢性化して、大概は意識がなくなってから周囲が気がつき病院に担ぎ込まれる。そのときはたいてい手遅れとなることも多いのだそうだ。
数週間前にどこかで、転んだかぶつけたかして頭を打っていたはずなのだが、当人も気づかず、そのときは痛かったはずだが忘れてしまい、周囲も老人は常にフラフラよたよたしていることもあり発見が遅れて大事に至るゆえ老人に多いとされるのであろう。
若い人なら自らの異常にすぐ気がつくし、強く頭を打つような事態が起これば念のために病院に出向く。年寄りは緩慢さから事態がよく認識できていない。
じっさいのところ、父は特に吐き気や頭痛などは訴えてなかった。ただ、このところ彼の言う「メマイ」がひどく、起きたときだけでなく常時それが続いていて苦しいとは言っていた。
そして母と外出したとき、いつもにましてヨタヨタ歩きが、左足がまったく上がらず引きづって何とか歩くという有様で、さすがに妻は異常に気がつき先の水曜日の夕方すぐに緊急外来で病院に行ったのだ。たぶん、軽い脳梗塞でも起こしたのかと。
病院に行ったものの、夜間当直の医師は問診程度では特に異常に気がつかず、念のためCTを撮ってくれという母の求めで、はじめて脳内に血がいっぱい溜まっていることがわかったのだ。
画像を見る限り、通常なら白く鮮明に映る脳のひだひだ、胡桃の実のようなシワが、二つに割った脳の左側部分はまったく潰れて映っていない。このままほっておけば、その出血は右側の脳にも達して意識はなくなる。あと2~3日発見が遅れたら命の保証はできないと担当医から言われる状態だった。
すぐにそのまま入院となり翌日午前からその溜まった血を抜き取る手術が行われた。
脳外科の医師から説明されわかったことは、じっさいのところ脳そのものに血がかかり脳は血の中に沈んでいるのではなく、じわじわとしみだしてきていた血は、血腫となり袋状のものとなって肥大し脳を圧迫していたのだった。その血の袋が脳を圧迫してメマイなど不調を引き起こしていた。
頭蓋骨に1cmほどの穴を開けて、その袋から溜まった血を抜き取る。そして生理食塩水で洗ってあとは、右側に押し付けられ圧迫されていた脳が自然に元の位置に戻るのをただ待つ。特に薬などは用いない。その穴はチタンで蓋をして自然治癒を待つ。その血の入っていた袋は手術が成功すればやがて自然に消えてなくなる。
抜き取られた血の量は医師の話だと180ccだった。つまり牛乳瓶1本もの血が頭の中に溜まっていたのだ。これでは誰だっておかしくなろう。よくそれでその日まで日常生活が送れたものだと感心してしまう。
若い人ならばすぐに脳は盛り返して元通りになるが父は歳も歳なので果たして元に戻るかは微妙なところであり、その隙間が残っているとまた出血が始まり再手術をしないとならない。その可能性は少なくないとも言われた。
手術自体は一時間もかからなかったと思う。全身麻酔ではなく部分麻酔で、父はベッドに横になったまま頭からチューブをつけ手術室から出てきた。頭の横にはそれに繋がって、生理食塩水が逆流しているのか、ピンク色の水が少し溜まったビニール袋があった。意識も一応はあった。
ただその日は絶対安静で、チューブが抜けるまで点滴とオムツでベッドに腕まで括り付けられていた。
幸いにして術後は良く、脳もすぐに血腫で満たされていた空間部分側に盛り返してきているとのことだったが、まだ翌日は一日、事態がよく呑み込めていないばかりでなく、せん妄が出てわけのわからないことを繰り返し口走り、このままボケが一気に進むのではと深く案じさせられた。
現在は、まだときどきトンチンカンなことは口にしてはいるが、病院に行った日と手術当日以外は、ほぼ以前の記憶も戻り、たぶん再発はしないのではと家族としては期待している。いずれにせよ木曜に再検査して退院となる予定であった。父曰く、あれからメマイはなくなった。気分は悪くないと。
自らも頭を打って意識失くしたこの自分に何も言う資格はないけれど、人間の体、中でも脳とは実に不思議だとつくづく思う。どういう仕組なのかたぶん医者でもまだよくわからない。
が、やはり何かしらの異常を感じてその前兆、前触れの様なものが少しでもあるのならのんびり後回しにせずにすぐさま医者にかかることをお勧めしたい。特に脳は、CTやMRIで画像撮ればすぐに異常は発見される。
父の一件も含めて、発見があと数日遅れたら果たして命あったか定かではない。今回は母の気づきがなければ、事態はさらに深刻となっていた。薄情な息子は大したことないと確信していたのだから。
本当にほんとうに、皆さまもご自愛ください。私もうっかり命を落とさぬよう悔い改め生きていくつもりです。
今、安保法制でこの国は、大変なときを迎えているが、人は誰も殺さず誰にも殺されず、与えられた命を全うする義務と権利があるのだと今さらながら声を大にして叫びたい。
そしてそれこそが人が人として生きていくことなのだと。日本国憲法はそうはっきりと記している。
安倍政治を許さない ― 2015年07月15日 12時38分06秒
父の退院など報告のみ ― 2015年07月16日 01時09分43秒
★改めてご心配おかけしました。ごめんなさい。
私の父は無事、昨日退院できました。
本当は、手術後の抜糸終えての木曜の予定でしたが、病院もベッドがいっぱいなのと、点滴も外され口から食事も摂れるようになったので、うっかり目を離すと転ぶ危険ありながらすぐにうろうろ徘徊してしまう患者はやたら手がかかることもあり、半ば強制的に退院となりました。やれやれです。
むろん当人の強い希望もあり、家族としてもこのまま預けておくと刺激がないためボケがさらに進む心配もありました。頭に穴開けて牛乳瓶1本もの血を抜いた人がそんなすぐ家に戻って平気かいなという気もしましたが、ともかく無事我が家に戻ってきたという次第です。
ただ足がかなり弱り、これ以上、ベッドに寝ていたら歩けなくなったとも思いました。
当人も今、枕を高くして爆睡しております。むろん記憶はまだあいまいで、完全に元に戻ったわけではないし、果たして圧迫されていた脳はどこまで戻ったのかかなり疑問ですが、ともかく元通りの生活が始まりました。感慨深いものがありました。すべてにただただ感謝です。
雲の合間から、ヤコブの梯子が見えました。
「抜糸」と書きましたが、父の頭には、穴開けて蓋をしたところ、約3センチほどの切り傷が、何とホチキスで5ミリ間隔でまるでファスナーのチャックのごとく接合されていて、明日木曜に、それを取り除いてCTとって術後の経過拝見となります。それで痛くないのか?当人は「別に」。
当人は、手術以後、メマイすることはなくなり「さわやか」だとのことで、後はまた転んで頭打たないよう、周囲がよく注意してじょじょに歩行訓練など家で始めていく予定です。
私事ですが、今日水曜は、頭痛とふらつきがひどく、午後は一日寝込んでしまいました。明日は、父のその診察がてら自分もメマイで受診してきます。薬を変えてもらうつもりです。
安保法制で緊迫する国会情勢、問答無用の強行採決。友人知人の多くは国会周辺に今日もかけつけてくれたのですが、我は情けなくもベッドの中で穏やかざる心中抱えておりました。
♪闘いはここから、闘いは今から ~荒木栄の遺した名曲「がんばろう」が、今日はずっと頭の中で鳴り響いています。
そう、すべてはここから、今からだと、諦めることなく声を上げあらゆる手をつくしていきましょう!
私の父は無事、昨日退院できました。
本当は、手術後の抜糸終えての木曜の予定でしたが、病院もベッドがいっぱいなのと、点滴も外され口から食事も摂れるようになったので、うっかり目を離すと転ぶ危険ありながらすぐにうろうろ徘徊してしまう患者はやたら手がかかることもあり、半ば強制的に退院となりました。やれやれです。
むろん当人の強い希望もあり、家族としてもこのまま預けておくと刺激がないためボケがさらに進む心配もありました。頭に穴開けて牛乳瓶1本もの血を抜いた人がそんなすぐ家に戻って平気かいなという気もしましたが、ともかく無事我が家に戻ってきたという次第です。
ただ足がかなり弱り、これ以上、ベッドに寝ていたら歩けなくなったとも思いました。
当人も今、枕を高くして爆睡しております。むろん記憶はまだあいまいで、完全に元に戻ったわけではないし、果たして圧迫されていた脳はどこまで戻ったのかかなり疑問ですが、ともかく元通りの生活が始まりました。感慨深いものがありました。すべてにただただ感謝です。
雲の合間から、ヤコブの梯子が見えました。
「抜糸」と書きましたが、父の頭には、穴開けて蓋をしたところ、約3センチほどの切り傷が、何とホチキスで5ミリ間隔でまるでファスナーのチャックのごとく接合されていて、明日木曜に、それを取り除いてCTとって術後の経過拝見となります。それで痛くないのか?当人は「別に」。
当人は、手術以後、メマイすることはなくなり「さわやか」だとのことで、後はまた転んで頭打たないよう、周囲がよく注意してじょじょに歩行訓練など家で始めていく予定です。
私事ですが、今日水曜は、頭痛とふらつきがひどく、午後は一日寝込んでしまいました。明日は、父のその診察がてら自分もメマイで受診してきます。薬を変えてもらうつもりです。
安保法制で緊迫する国会情勢、問答無用の強行採決。友人知人の多くは国会周辺に今日もかけつけてくれたのですが、我は情けなくもベッドの中で穏やかざる心中抱えておりました。
♪闘いはここから、闘いは今から ~荒木栄の遺した名曲「がんばろう」が、今日はずっと頭の中で鳴り響いています。
そう、すべてはここから、今からだと、諦めることなく声を上げあらゆる手をつくしていきましょう!
亡国の徒の蛮行を絶対に許さない。受け入れない。認めない。忘れない。 ― 2015年07月16日 17時28分31秒
★日本人全員に今こそ問われていること~今、無力感に囚われている貴方へ
いついかなるときでも、人としてなすべきこと、してはならないことがあろう。例えば、国家の命令だとしても人が人を殺めることは許されないし、そうした状況、事態を認めてはならない。当たり前のこととして受け入れてはならない。どんな時代が来たとしてもだ。
ならば戦争ができる法案が通り、戦時体制となったとしても日本人である前に、人としての生き方、判断が問われよう。そういうご姿勢なのだ、仕方ない、新たな時代に乗り遅れてはならないと考える者は、悪に与した者としてその責を負うはずだ。
病院の薬局の待合室へ行ったら、国会中継が流れていて、衆院での安保関連法案、いわゆる戦争法案が自公らの賛成多数で可決されたところであった。これから参院に送られるが、(自民党の皆さんのための)NHKは早くも法案成立へ公算大とテロップを流していた。
安倍首相をはじめ、政権首脳たちは麻生、岸田他皆、会心の笑みを浮かべ、握手したり肩を叩いたり、ニコニコ顔で言葉を交わしたり喜びの絶頂という様子であった。国民の大部分が理解も納得もしていないまま、台風の豪雨の中、国家周辺には何万人もの国民が衆院通過に対して大声で反対を叫んでいたのに。国会の中には届かない。
今日の日のこととこいつらのことは死ぬまで忘れないと拳を握りしめ誓った。そして全てはここからだし、何一つ諦める必要はないと高揚するものがあった。たとえその悪法が成ったとしても絶対に許さない、認めなければ良いだけの話ではないか。NO!と叫び国家や政府の方針に抗う者が一人でもいる限り、情勢は変わるし、人も世界も必ず変わっていく。
どんな時代が来ようとも人は揺るがぬ信念を持って、悪に与するのではなく、義に生きていけば良いだけではないか。
※もう少し書きたします。お付き合いください。
いついかなるときでも、人としてなすべきこと、してはならないことがあろう。例えば、国家の命令だとしても人が人を殺めることは許されないし、そうした状況、事態を認めてはならない。当たり前のこととして受け入れてはならない。どんな時代が来たとしてもだ。
ならば戦争ができる法案が通り、戦時体制となったとしても日本人である前に、人としての生き方、判断が問われよう。そういうご姿勢なのだ、仕方ない、新たな時代に乗り遅れてはならないと考える者は、悪に与した者としてその責を負うはずだ。
病院の薬局の待合室へ行ったら、国会中継が流れていて、衆院での安保関連法案、いわゆる戦争法案が自公らの賛成多数で可決されたところであった。これから参院に送られるが、(自民党の皆さんのための)NHKは早くも法案成立へ公算大とテロップを流していた。
安倍首相をはじめ、政権首脳たちは麻生、岸田他皆、会心の笑みを浮かべ、握手したり肩を叩いたり、ニコニコ顔で言葉を交わしたり喜びの絶頂という様子であった。国民の大部分が理解も納得もしていないまま、台風の豪雨の中、国家周辺には何万人もの国民が衆院通過に対して大声で反対を叫んでいたのに。国会の中には届かない。
今日の日のこととこいつらのことは死ぬまで忘れないと拳を握りしめ誓った。そして全てはここからだし、何一つ諦める必要はないと高揚するものがあった。たとえその悪法が成ったとしても絶対に許さない、認めなければ良いだけの話ではないか。NO!と叫び国家や政府の方針に抗う者が一人でもいる限り、情勢は変わるし、人も世界も必ず変わっていく。
どんな時代が来ようとも人は揺るがぬ信念を持って、悪に与するのではなく、義に生きていけば良いだけではないか。
※もう少し書きたします。お付き合いください。
大変な時代に生きている私たちができること、すべきこと ― 2015年07月17日 08時53分23秒
★国会の「外」の声をさらに拡大拡散させていこう!
このところ体調が悪いときやあれこれ気が昂ぶり寝つけない夜に、ベッドの中でよく考えることがある。
何故、自分は今、この時代に生きてここにいるのだろうかと。
そんなことは全くの偶然だと嗤うかもしれない。しかし、戦後史が変わる時代の転換点というべき今のこの日本、地球規模で眺めても環境破壊と異常気象多発、人口爆発という危機の時代に何故自分は遭遇しているのか。そこに何の意味もないのか。
人は偶然その時代にたた生まれてくるとしたらまた別な時代であった可能性もあろうが。なぜ今、2015年、戦後70年目の夏に我々は生きているのであろうか。
では、もし神様が、お前はどんな時代に生きたいのか、かなえてやろうと問われたらいつにするか。
古代ギリシャは憧れだが、支配層でなく奴隷に生まれたら人権など全くないわけだし、江戸の頃でさえ身分格差ははっきりあった。
大正のデモクラシーの頃もいいように思うが、その後に来る灰色の時代を思えばまっぴら御免だし、生きていくのに良い、気楽な時代などいつだってないことに気がつく。まだ知らない「未来」など50年先ですら恐ろしくて絶対に嫌だ。その頃は人類は死に絶えているかもしれないではないか。
結局、神様に、戦前や戦中は嫌だから、貧しくても戦後復興の頃に、そして戦争を絶対しないと誓った戦後の、やはり今の時代に生まれさせてくださいと願うだろう。
そして今、その平和が続いた戦後が終わろうとしている。不戦を誓った憲法はぼろぼろにされ安倍晋三に踏みにじられている。
大変な時代に我々は生きているとつくづく思う。国家の未来のあり方が、国民にはかられることなく、「景気回復」で信任を与えた自公政権により数の多数で、まさにクーデターとして大きく変えられようとしている。
そしてその事態を大新聞はともかくもNHKも各種週刊誌もほとんど取り上げない。かろうじて心ある女性誌が数誌記事として扱ったが、あの週刊文春も新潮、週刊現代、ポストら普通なら世相をにぎわした話題に目ざとい、電車内中吊りで知られる有名週刊誌こそ戦争法案とその国会審議を全く扱わない。政府から各マスコミに対してお達しが来ているのであろう。政権に批判的記事を書くメディアは「つぶさなあかん」ぞと。
明らかに憲法違反の「戦争法案」を大多数の国民の声を無視して何が何でも成立に突き進むのは、先だって訪米の折アメリカ側に約束してきたからで、いったいこの国の首相は誰の手先のなのであろうか。
こんな男と自公政権に大きすぎる力を与えてしまったことのツケを国民は自らの血で支払うしかないのか。愚かな国民の自業自得だという声も聞かれる。
しかし、だからこそ、今生きている私たちは、この暴挙を許し受け入れてはならないのだ。ならば、諦めも失望もする必要はない。絶対に従わない、認めないと誓って。
いつの時代だって楽な時代なんてない。人類の歴史とは、常にそのときどき、民衆が支配者層・官憲の支配や横暴に抗い、自由と平和を求めて闘ってきたことではなかったか。そして様々な闘いのうえに勝ち得た権利がある。
我々が今生きて、この局面に対峙させられているのは、人としてなすべきことをしろと、その機会を与えられているのである。いわば危機を前にしてどう行動をとるかが問われている。
黙り込むこと、見て見ぬふり、知らぬ存ぜぬは許されない。まして時節に乗じて波に身を任せては絶対にならない。
我々は今このとき、この時代に生まれて良かったと思う。まだまだできることはいくらでもあるし、こうして声上げて呼びかけることだって可能だ。
安倍晋三は臆面なく、この法律で戦争を未然に防げるようになる、と胸張っていたが、火事場に水ならぬ油持ってかけつければどのような事態が起きるか、このバカは思い至らぬらしい。戦争で死ぬのは政治家ではない。自衛隊員のなり手はさらに減れば徴兵制復活となっていく。
戦争という人類最大の犯罪、狂気の時代に再び戻らぬよう、今生きている私たちは堂々とNO!を叫ぶ義務がある。
まだ事態をよく認識していない人たちに、わかりやすく丁寧に、この法案の危険性を説いていこう。ひとたび戦争が始まれば後戻りできないのだから。
このところ体調が悪いときやあれこれ気が昂ぶり寝つけない夜に、ベッドの中でよく考えることがある。
何故、自分は今、この時代に生きてここにいるのだろうかと。
そんなことは全くの偶然だと嗤うかもしれない。しかし、戦後史が変わる時代の転換点というべき今のこの日本、地球規模で眺めても環境破壊と異常気象多発、人口爆発という危機の時代に何故自分は遭遇しているのか。そこに何の意味もないのか。
人は偶然その時代にたた生まれてくるとしたらまた別な時代であった可能性もあろうが。なぜ今、2015年、戦後70年目の夏に我々は生きているのであろうか。
では、もし神様が、お前はどんな時代に生きたいのか、かなえてやろうと問われたらいつにするか。
古代ギリシャは憧れだが、支配層でなく奴隷に生まれたら人権など全くないわけだし、江戸の頃でさえ身分格差ははっきりあった。
大正のデモクラシーの頃もいいように思うが、その後に来る灰色の時代を思えばまっぴら御免だし、生きていくのに良い、気楽な時代などいつだってないことに気がつく。まだ知らない「未来」など50年先ですら恐ろしくて絶対に嫌だ。その頃は人類は死に絶えているかもしれないではないか。
結局、神様に、戦前や戦中は嫌だから、貧しくても戦後復興の頃に、そして戦争を絶対しないと誓った戦後の、やはり今の時代に生まれさせてくださいと願うだろう。
そして今、その平和が続いた戦後が終わろうとしている。不戦を誓った憲法はぼろぼろにされ安倍晋三に踏みにじられている。
大変な時代に我々は生きているとつくづく思う。国家の未来のあり方が、国民にはかられることなく、「景気回復」で信任を与えた自公政権により数の多数で、まさにクーデターとして大きく変えられようとしている。
そしてその事態を大新聞はともかくもNHKも各種週刊誌もほとんど取り上げない。かろうじて心ある女性誌が数誌記事として扱ったが、あの週刊文春も新潮、週刊現代、ポストら普通なら世相をにぎわした話題に目ざとい、電車内中吊りで知られる有名週刊誌こそ戦争法案とその国会審議を全く扱わない。政府から各マスコミに対してお達しが来ているのであろう。政権に批判的記事を書くメディアは「つぶさなあかん」ぞと。
明らかに憲法違反の「戦争法案」を大多数の国民の声を無視して何が何でも成立に突き進むのは、先だって訪米の折アメリカ側に約束してきたからで、いったいこの国の首相は誰の手先のなのであろうか。
こんな男と自公政権に大きすぎる力を与えてしまったことのツケを国民は自らの血で支払うしかないのか。愚かな国民の自業自得だという声も聞かれる。
しかし、だからこそ、今生きている私たちは、この暴挙を許し受け入れてはならないのだ。ならば、諦めも失望もする必要はない。絶対に従わない、認めないと誓って。
いつの時代だって楽な時代なんてない。人類の歴史とは、常にそのときどき、民衆が支配者層・官憲の支配や横暴に抗い、自由と平和を求めて闘ってきたことではなかったか。そして様々な闘いのうえに勝ち得た権利がある。
我々が今生きて、この局面に対峙させられているのは、人としてなすべきことをしろと、その機会を与えられているのである。いわば危機を前にしてどう行動をとるかが問われている。
黙り込むこと、見て見ぬふり、知らぬ存ぜぬは許されない。まして時節に乗じて波に身を任せては絶対にならない。
我々は今このとき、この時代に生まれて良かったと思う。まだまだできることはいくらでもあるし、こうして声上げて呼びかけることだって可能だ。
安倍晋三は臆面なく、この法律で戦争を未然に防げるようになる、と胸張っていたが、火事場に水ならぬ油持ってかけつければどのような事態が起きるか、このバカは思い至らぬらしい。戦争で死ぬのは政治家ではない。自衛隊員のなり手はさらに減れば徴兵制復活となっていく。
戦争という人類最大の犯罪、狂気の時代に再び戻らぬよう、今生きている私たちは堂々とNO!を叫ぶ義務がある。
まだ事態をよく認識していない人たちに、わかりやすく丁寧に、この法案の危険性を説いていこう。ひとたび戦争が始まれば後戻りできないのだから。
思いあらば示せ ― 2015年07月18日 22時43分09秒
★それはカッコが悪いけど
今日の午後1時に、澤地さんの呼びかけである、「アベ政治を許さない」のポスターを掲げた人はどれだけいただろうか。
自分は午前中に五日市に行く用事があったので、出かける前、車の後ろのハッチバックのガラスに内側から三枚そのポスターを貼って走った。ついでに家の木戸と塀のフェンスにも貼っておいた。
じっさいのところ、ここ三多摩の田舎町では、他にそのポスターを掲げている人や車は見かけなかった。駅前での行動ならば、何人か共に参加する仲間もいたかと思うが、個人では我一人であった。
正直に書けば、最初は走っていて恥ずかしい気持ちもした。後ろの車は、間違いなく、それを目にする。どう思うだろうか。同意や共感してくれる人ならともかく、保守農家が多く、学会の大学もあり、自公両党がやたら強いこの地域では、逆に攻撃すらされるかもしれない。※後ろのほうで何回かクラクション鳴らされたが、それはこの車に対してだったのか。
しかし走っているうちに、バックミラーに映るその意思表示のポスターに対して誇らしい気持ちがわいてきた。何を怖れ恥ずかしがる。これがオレの心からの気持ちなのだ。それを自分の車に貼って堂々と表明して何が悪い。
日本の社会では、俗に、人間関係においては政治と宗教の話はしてはならないとよく言われる。双方が同じであれば何も問題ないが、学会員と共産党員であったりすれば、それまでうまく行っていた関係も一瞬にして冷えて破綻してしまう。選挙で誰を支持し誰に票を入れるかだってなかなか日常会話では難しい。
日本の社会では、皆誰もがその内心の部分、内面の思想信条は極力隠して人に見せないようにして生きている。しかし考えてみればそれこそがその人の本音であり、根幹であるわけで、それを必死に包み隠さねばならない社会、そうした関係がおかしいと気づく。
人の顔かたち、身長、性格がすべて異なるように、思考と嗜好も当然違う。マス坊は、うんと若い頃フランスにいたときがあったが、彼ら、特に男たちは集まるとやたら口角泡とばして議論していた。そのときの語学力では詳しくはわからなかったが、要するに政治の話がテーマで、保守派も革新派もワインやアルコール片手に政治の話に熱中してお互いにまったく引かなかった。
が、最後は罵り合いや、じっさいに手を出したりの喧嘩になるかというと全くそんなことはなく、後腐れなく議論は終わってまた明日、と普段通りに別れる。そして会って時間あればまた議論となるのである。感心すると同時に不思議であった。それがフランス人気質なのであろうか。
ただ逆に、そうして内心の全てを曝け出してしまえば、彼は常に何を考えているか、どんな思考回路、性分か、趣味嗜好までわかってもらえる。人間関係も深まるはずだし、お互いのことをよく理解したうえで交際が始まる。つまるところそれは良いことだろう。
日本人社会では、「自分」をいかに出さないか、特に思想信条を知られまいと隠すことが奨励されるが果たして良いことなのだろうか。
まして、今の不穏なご時世において自公政権に不安や不満を抱く者こそが、安倍政権NO!絶対に許さないとその思いを外に示すことこそが大事だと考える。
ツィッターなどで、気の合う仲間たちと晋三の悪口を書きまくってスッキリしている人も多いかと思う。それは間違っていない。立派な意思表示の一つである。が、もっと大切なことは、そうした身内、仲間内だけに留まらず、考えも異なる、まったくの他人に向けて、つまりこの社会全般に向けて、我が思い、その意思を示すことではないか。
その思いを目にした人が、おやっと思い、何だコイツはと訝り、あるいはまったく同感だと共感賛同する人もいるかもしれない。少なくともそのアクションは見た人に何らかの刺激を与え、その意思表示をしている人、そう思っている人がいることが世に出現する。それこそが第一歩であろう。
日本社会では、そうした意思表示、自己主張はカッコが悪いとされてきた。大勢でのデモ行進でさえ何アレ!?と白眼視する人もまだいよう。それはカッコが悪いと。
しかし、米国の公民権運動を見れば、社会を動かしていくその発端となるのはいつだって常にたった一人の勇気ある行動からだと信ずる。おかしいことはオカシイ。間違っていると思うことに対しては抗議の意思を示さねばならない。
次の選挙で民意を示そうなんて悠長なことは言ってられない。政治家先生に頼り任していたら、この日本どうなってしまうか誰もが不安になる。
ならば、個々の個人が、どのような形であれ、自らの考え、気持ち、思想信条を世に示そう。そしてその個々の「思い」がいつしか集まれば、世界だって変えられるのではないか。
そのためにも不満や思いあらば、世に示していこう。アクションを起こそう。密かに内心に抱えているだけでは誰にも届かず伝わらず社会は変わらない。暴走極悪政治が長続きするだけだ。
今日の午後1時に、澤地さんの呼びかけである、「アベ政治を許さない」のポスターを掲げた人はどれだけいただろうか。
自分は午前中に五日市に行く用事があったので、出かける前、車の後ろのハッチバックのガラスに内側から三枚そのポスターを貼って走った。ついでに家の木戸と塀のフェンスにも貼っておいた。
じっさいのところ、ここ三多摩の田舎町では、他にそのポスターを掲げている人や車は見かけなかった。駅前での行動ならば、何人か共に参加する仲間もいたかと思うが、個人では我一人であった。
正直に書けば、最初は走っていて恥ずかしい気持ちもした。後ろの車は、間違いなく、それを目にする。どう思うだろうか。同意や共感してくれる人ならともかく、保守農家が多く、学会の大学もあり、自公両党がやたら強いこの地域では、逆に攻撃すらされるかもしれない。※後ろのほうで何回かクラクション鳴らされたが、それはこの車に対してだったのか。
しかし走っているうちに、バックミラーに映るその意思表示のポスターに対して誇らしい気持ちがわいてきた。何を怖れ恥ずかしがる。これがオレの心からの気持ちなのだ。それを自分の車に貼って堂々と表明して何が悪い。
日本の社会では、俗に、人間関係においては政治と宗教の話はしてはならないとよく言われる。双方が同じであれば何も問題ないが、学会員と共産党員であったりすれば、それまでうまく行っていた関係も一瞬にして冷えて破綻してしまう。選挙で誰を支持し誰に票を入れるかだってなかなか日常会話では難しい。
日本の社会では、皆誰もがその内心の部分、内面の思想信条は極力隠して人に見せないようにして生きている。しかし考えてみればそれこそがその人の本音であり、根幹であるわけで、それを必死に包み隠さねばならない社会、そうした関係がおかしいと気づく。
人の顔かたち、身長、性格がすべて異なるように、思考と嗜好も当然違う。マス坊は、うんと若い頃フランスにいたときがあったが、彼ら、特に男たちは集まるとやたら口角泡とばして議論していた。そのときの語学力では詳しくはわからなかったが、要するに政治の話がテーマで、保守派も革新派もワインやアルコール片手に政治の話に熱中してお互いにまったく引かなかった。
が、最後は罵り合いや、じっさいに手を出したりの喧嘩になるかというと全くそんなことはなく、後腐れなく議論は終わってまた明日、と普段通りに別れる。そして会って時間あればまた議論となるのである。感心すると同時に不思議であった。それがフランス人気質なのであろうか。
ただ逆に、そうして内心の全てを曝け出してしまえば、彼は常に何を考えているか、どんな思考回路、性分か、趣味嗜好までわかってもらえる。人間関係も深まるはずだし、お互いのことをよく理解したうえで交際が始まる。つまるところそれは良いことだろう。
日本人社会では、「自分」をいかに出さないか、特に思想信条を知られまいと隠すことが奨励されるが果たして良いことなのだろうか。
まして、今の不穏なご時世において自公政権に不安や不満を抱く者こそが、安倍政権NO!絶対に許さないとその思いを外に示すことこそが大事だと考える。
ツィッターなどで、気の合う仲間たちと晋三の悪口を書きまくってスッキリしている人も多いかと思う。それは間違っていない。立派な意思表示の一つである。が、もっと大切なことは、そうした身内、仲間内だけに留まらず、考えも異なる、まったくの他人に向けて、つまりこの社会全般に向けて、我が思い、その意思を示すことではないか。
その思いを目にした人が、おやっと思い、何だコイツはと訝り、あるいはまったく同感だと共感賛同する人もいるかもしれない。少なくともそのアクションは見た人に何らかの刺激を与え、その意思表示をしている人、そう思っている人がいることが世に出現する。それこそが第一歩であろう。
日本社会では、そうした意思表示、自己主張はカッコが悪いとされてきた。大勢でのデモ行進でさえ何アレ!?と白眼視する人もまだいよう。それはカッコが悪いと。
しかし、米国の公民権運動を見れば、社会を動かしていくその発端となるのはいつだって常にたった一人の勇気ある行動からだと信ずる。おかしいことはオカシイ。間違っていると思うことに対しては抗議の意思を示さねばならない。
次の選挙で民意を示そうなんて悠長なことは言ってられない。政治家先生に頼り任していたら、この日本どうなってしまうか誰もが不安になる。
ならば、個々の個人が、どのような形であれ、自らの考え、気持ち、思想信条を世に示そう。そしてその個々の「思い」がいつしか集まれば、世界だって変えられるのではないか。
そのためにも不満や思いあらば、世に示していこう。アクションを起こそう。密かに内心に抱えているだけでは誰にも届かず伝わらず社会は変わらない。暴走極悪政治が長続きするだけだ。
神の大きな愛に抱かれて ― 2015年07月19日 23時46分20秒
★生かされて今があるのだと。
すごろくなどに、振り出しに戻る、という言葉がある。このところの私マスダ周辺のもろもろの出来事はともかく終わったという気持ちになった。大変なときはやっと過ぎたという気がしている。
そして元通りというか、振り出しに戻った。我についてはまだふらつきは残っててやや身体的には辛いが、無理しなければこれからもやっていけると思えてきた。その自信のようなものも戻った。
そして父についても脳もほぼ元通りに回復した。前よりややロレツが回らず言葉は不明瞭だったり、記憶があいまいなところは多々あれどもまあ、以前の認知症のレベルに戻った。九死に一生を得たという程ではないが、九十歳という年齢を思えば驚異の回復力だと感心した。やはり戦地に行って無事帰国できた帝国軍人は根本が頑健なのだろう。
7月25日の谷保かけこみ亭でのマスダ企画のコンサート成功に向けて、出演者と会い、打ち合わせしたり、メールでのやりとりが慌ただしい。主催側が言っても効力ないかもしれないけれど、このイベント、実にユニークで間違いなく面白くなる予感がしてきた。
というのは、コンサートのコンセプトに沿い、各実力派ミュージシャンたちがこの日のために、反戦歌、労働歌の名曲の数々をそれぞれ練習し唄いこみ当日披露してくれることとなった。
「死んだ男の残したものは」「死んだ女の子」「ベトナムの空」「がんばろう「戦争は知らない」」他、今ではもうあまり唄われることの少ない、反戦フォーク、労働歌の名曲が、25日のそのコンサートで新たな解釈で蘇ることとなる。
企画者冥利に尽きよう。後は先の阿佐ヶ谷でのイベントのように、仕切りを誤ることなく、当日もたついたり混乱することのないよう、万全に事前の手配をしておくことと、観客の入りだけが気にかかる。
さておき、今回のイベントのトリを務めて頂くことになっている、ソウルブラザーズの五十嵐氏のメールにも、私マス坊の頭のことを心配している旨があった。
彼からの情報によると、我マス坊は、あの両国江島神社の社殿廊下の「らんかん」に座っていてバランスを崩し?頭から?下の石敷いた地面に落ちたらしい。高さは2メートルあるかもしれない。思い浮かべただけで怖くなる。ぞっとする。
当人が言うのもおかしいが、それでよく生きているというか、無事なのが不思議でならない。死なないまでもそのまま救急車で搬送すべきであろう。だからそれ以降、まったく記憶が空白の部分がかなりあるのである。一時的でも記憶喪失となっていたのだろう。だから「発狂」したとは言い訳にしてはならないが。
本当は死んでいても、あるいは半身不随となったとしてもちっともおかしくない。つくづく運がいいというべきか、強運、幸運に違いない。
いや、そう考えてそれだけのこととしてはならない。死ぬべきところをそうならず助けてくれたのは誰で、どういう意図があってのことか深く考えねばならないと思う。
病んだ老親を抱え、さらにまだ果たせぬたくさんの思いと中途半端なけんあんのことを山積みにしていた我が、ここでそのまま死ぬのはあまりにも忍び難い、哀れと思ってくれた神さまがいたのだ。そう信ずる。
今ただただ有難く思うのは、神のその大きな愛であり、ご加護あったという喜びだ。そしてこんな愚かな男をも生かして頂いたならば、その愛に報いなくてはならぬ。もうこの先はないと思え。
有難い、有難いと何度も書くが、この有難いとは、まさに字そのままに、有ること、在ることが難い、つまり難しいとか困難だという意味で、本来なくて当然なのに有難いこと、をして頂いたという思いで記している。ゆえに有難いと思うのだ。
ほっとしている。深い感謝の念がわいてくる。
だらしなく、のほうずに、まさに破滅的に半世紀以上、無頼漢のように生きてきた。考えみれば何度も自らも死に瀕し、他者を死なす一歩手前のこともしてきた。まさに罪深い人生だとつくづく思う。
が、見捨てずに常に見守りときにおいて救い助けてくれた方がいたのである。人はその方の姿に似せて作られたと創世記に記してある。ならば、その愛に報わねばと今更だが思う。全てを委ねて生きていく。我欲に満ちていた自分の人生なんてもうどうでもいい。
振り出しに戻った。もう何も怖れない。大きな愛に抱かれ迷わずに生きていきたい。
すごろくなどに、振り出しに戻る、という言葉がある。このところの私マスダ周辺のもろもろの出来事はともかく終わったという気持ちになった。大変なときはやっと過ぎたという気がしている。
そして元通りというか、振り出しに戻った。我についてはまだふらつきは残っててやや身体的には辛いが、無理しなければこれからもやっていけると思えてきた。その自信のようなものも戻った。
そして父についても脳もほぼ元通りに回復した。前よりややロレツが回らず言葉は不明瞭だったり、記憶があいまいなところは多々あれどもまあ、以前の認知症のレベルに戻った。九死に一生を得たという程ではないが、九十歳という年齢を思えば驚異の回復力だと感心した。やはり戦地に行って無事帰国できた帝国軍人は根本が頑健なのだろう。
7月25日の谷保かけこみ亭でのマスダ企画のコンサート成功に向けて、出演者と会い、打ち合わせしたり、メールでのやりとりが慌ただしい。主催側が言っても効力ないかもしれないけれど、このイベント、実にユニークで間違いなく面白くなる予感がしてきた。
というのは、コンサートのコンセプトに沿い、各実力派ミュージシャンたちがこの日のために、反戦歌、労働歌の名曲の数々をそれぞれ練習し唄いこみ当日披露してくれることとなった。
「死んだ男の残したものは」「死んだ女の子」「ベトナムの空」「がんばろう「戦争は知らない」」他、今ではもうあまり唄われることの少ない、反戦フォーク、労働歌の名曲が、25日のそのコンサートで新たな解釈で蘇ることとなる。
企画者冥利に尽きよう。後は先の阿佐ヶ谷でのイベントのように、仕切りを誤ることなく、当日もたついたり混乱することのないよう、万全に事前の手配をしておくことと、観客の入りだけが気にかかる。
さておき、今回のイベントのトリを務めて頂くことになっている、ソウルブラザーズの五十嵐氏のメールにも、私マス坊の頭のことを心配している旨があった。
彼からの情報によると、我マス坊は、あの両国江島神社の社殿廊下の「らんかん」に座っていてバランスを崩し?頭から?下の石敷いた地面に落ちたらしい。高さは2メートルあるかもしれない。思い浮かべただけで怖くなる。ぞっとする。
当人が言うのもおかしいが、それでよく生きているというか、無事なのが不思議でならない。死なないまでもそのまま救急車で搬送すべきであろう。だからそれ以降、まったく記憶が空白の部分がかなりあるのである。一時的でも記憶喪失となっていたのだろう。だから「発狂」したとは言い訳にしてはならないが。
本当は死んでいても、あるいは半身不随となったとしてもちっともおかしくない。つくづく運がいいというべきか、強運、幸運に違いない。
いや、そう考えてそれだけのこととしてはならない。死ぬべきところをそうならず助けてくれたのは誰で、どういう意図があってのことか深く考えねばならないと思う。
病んだ老親を抱え、さらにまだ果たせぬたくさんの思いと中途半端なけんあんのことを山積みにしていた我が、ここでそのまま死ぬのはあまりにも忍び難い、哀れと思ってくれた神さまがいたのだ。そう信ずる。
今ただただ有難く思うのは、神のその大きな愛であり、ご加護あったという喜びだ。そしてこんな愚かな男をも生かして頂いたならば、その愛に報いなくてはならぬ。もうこの先はないと思え。
有難い、有難いと何度も書くが、この有難いとは、まさに字そのままに、有ること、在ることが難い、つまり難しいとか困難だという意味で、本来なくて当然なのに有難いこと、をして頂いたという思いで記している。ゆえに有難いと思うのだ。
ほっとしている。深い感謝の念がわいてくる。
だらしなく、のほうずに、まさに破滅的に半世紀以上、無頼漢のように生きてきた。考えみれば何度も自らも死に瀕し、他者を死なす一歩手前のこともしてきた。まさに罪深い人生だとつくづく思う。
が、見捨てずに常に見守りときにおいて救い助けてくれた方がいたのである。人はその方の姿に似せて作られたと創世記に記してある。ならば、その愛に報わねばと今更だが思う。全てを委ねて生きていく。我欲に満ちていた自分の人生なんてもうどうでもいい。
振り出しに戻った。もう何も怖れない。大きな愛に抱かれ迷わずに生きていきたい。



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