屈しない。闘いは続く~沖縄こそ歪んた日本の政治の縮図2015年07月27日 06時29分34秒

★ドキュメンタリー映画『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』必見!
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 暑い日が続くが今年の夏こそ日本の政治の歴史に大きく残る夏となるに違いない。
 7月頭から続いていた私事に関連する騒動はひとまず置いておくとして昨日、東中野ポレポレで観てきた映画『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』http://ikusaba.com/について書き記したい。
 誰もがいろいろ大変な情勢にあるかと思うが、我々日本人いま必見の映画である。ともかく面白くためになり、感動させられ勇気をもらった。そして恥じ入った。沖縄の熱く長い闘いについて実のところ我は何も知らなかったのだと。辺野古とはどういうところでそこで何が起きているのかと。

 人は生きているか、生かされているのかはともかく、死後裁きにあう、かは、死んでみないとわからない、
 が、ともかくこの現世、この身が生きて地上にあるとき、時と事においてどう生きていくか、その対処の仕方が常に問われていることは間違いない。
 絶対に許すべきではない不正や不義があるとして、それを前にし、生きていくためには肯定できなくても「黙認」し従う生き方もまたありえる。それは悪ではない。何故なら人はまず己、愛する家族が生きていくことが優先され、そのためには何をしてもかまわないからだ。
 しかしまたこうも思う。ならばこそ、常にその判断は問われ続けているのではないか。まして、自分が選び許した結果が、今だけでなく後のちの世代の命と平和や貴重な自然など地球環境にも大きく関わるとしたらその判断と結果責任は実に大きい。

 例えば、今いちばんの政治課題「新安保法制」だって、それが成立し軍事国家日本となったとき、徴兵された若者が望まずとも戦地に行かされる。殺し殺されるかもしれない。彼らはこう思うだろう。いったい誰がこんな仕組みを作ったのかと。こんな時代状況にしたのかと。
 それは我々、2015年の夏に生きていた大人たちである。この法案に関心持つ人も、まったく未だ何の知識もなく、無関心かつ無関係だと思っている人も、反対だと声を上げた人、賛成した人も全てに責任がある。そしてその「責任」を今こそ意識しないとならない。
 それは安倍政治を信任したとか、自公政権に一票を投じたか以前に、今の段階での判断と行動が問われている。


 前置きが長くなった。映画『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』は、70年前の太平洋戦争での沖縄戦から今日2015年までの沖縄の人たちの「戦い」と「闘い」を描いている。今も米軍基地と共に生きる彼らにとっては戦後など一度もなく、今も「戦争」はずっと続いている。

 そしてその「戦争」をどう受け入れ、あるいはどう抗うか、沖縄の人は常に判断を迫られている。基地を受容れ補償金や基地からの仕事で生きていくという生き方、あるいは沖縄戦の苦い記憶があるからこそ戦争は絶対に許さない、認めない、基地建設に協力しないと闘う人たちがいる。子々孫々の未来のためにも自然の宝庫辺野古の海に、高江のやんばるの森に米軍基地は新たにつくらせないと抗議活動、反対闘争を長年地道に続ける人たち。しかしそれは巨大な権力の前に、象に立ち向かう蟻のような非力な闘いである。

 基地のゲート前で座り込み、資材搬入を阻止しようとトラックの下に潜り込み機動隊にごぼう抜きにされ、、海上では抗議活動のカヤックは保安庁の船に次々拿捕されていく。武器も力もなくまさに非力な抵抗運動でしかない。観ていて胸が痛む。何でここまで痛めつけられても続けられるのか。
 しかし、彼らの行動は虚しく無意味かというと決してそうではない。人としてそこに義がある。辺野古に基地をつくることは自然破壊と同時に新たな戦争基地建設を許すことに他ならない。そしてそれは沖縄にとってさらなる負担と危険となっていく。ならばこそ絶対に許してはならないのだ。もう二度と殺し殺されない、戦争に協力しないためにも。

 この映画は、新たな基地建設に揺れ動く辺野古のある大浦湾の人たちの姿をていねいに追いつつ、大戦中からの沖縄の人たちがどう生きてきたか、その歴史を的確に描いている。中でも沖縄戦の生き残りであり、反対闘争のシンボルであるおばあの言葉に胸打たれる。
 この我も米軍横田基地に隣接する町に住み、オスプレイ配備に恐れおののき沖縄の闘いと連帯している気分でいたのだが、実のところほんとうのことは何も知らずわかっていなかったのだと気づかされた。そして気がつく。沖縄こそ、この歪んだ日本の縮図だったのだと。

 今、衆院での強行採決後、参院に移り、マスコミ予測ではこの秋には成立確実とされる「戦争法案」に、国民の多くがよくわからない、不安がある、として今国会で成立すべきでないと各世論調査でも反対が過半数を大きく越えている。
 また、野党の政治家のみならず法律の専門家、弁護士、学者、知識人、宗教家、そして政治に無関心だった学生たちまでもこの法案は憲法違反だと抗議の声を大きく上げ始めている。

 しかし巨大与党自公を率いる安倍強権、独裁政権は、そんな国民多数の声にはいっさい耳を傾けずに、御用マスコミを従え、何がなんでもこの稀代の悪法今国会成立に暴走を続けている。何でこんなに傲慢かつ横暴なのか。これが国家権力というものか。誰もが憤る。そして実はこれはそのまま沖縄で戦後ずっと起きていた、続いていたことだったと気がつく。

 何度も選挙で、米軍基地はもういらない、新たな基地は作らせないと民意を示しても、政府はこれは国策、アメリカとの約束、アジアの安定と平和のためにと、沖縄の人たちの声には一切耳を傾けず、選挙の結果にとわれずに「粛々と基地建設を進めていく」と明言、貴重な自然の宝庫、辺野古を海をボーリングで傷つけ巨大なブロックを次つぎと海に投入していく。住民は泣き叫び抗議の声を叫ぼうとおかまいなしに。

 政治とはそうしたものかと憤る。国民の、有権者の声を聞かずいったい誰のための政治なのであろうか。どうしたら民意が政治に反映されるか。いくら反対だと声を上げても安倍晋三には民の声は届かない。彼はもとより聞く耳は持たない。祖父から受け継いだ遺伝子であろうから。ならば政権から引き下ろすしかない。

 ともかくこの映画を日本人一人一人が観てほしい。沖縄こそこの日本の歪んだ政治の縮図なのだと気づくはずだ。

 また何よりもこの映画は実に面白い。下手な娯楽映画が色あせてみえるほど、出てくる人たちは皆とても素晴らしく魅力的でカッコいい。虚しい闘いでも決して諦めず常に明るい。そして監督の向けるカメラは彼らのみならず権力の手先として生きるしかない人たちにもやさしい。沖縄に住む人たちには本来敵味方などない。ただ理不尽も常に戦地にさらされ、戦争基地を押し付けられている。そこで必死に生きていかねばならない。そこに沖縄の哀しみ、苦しみがある。だからこそ闘いは続く。そして彼らは叫ぶ。絶対に屈しない、闘い続けると。

 そしてアメリカに請われ再び戦争国家としての道を進もうとしているこの愚かな日本国。沖縄の抱える問題とは日本そのものの問題だと気づく。我々は沖縄で今何が起きているかもっと知らねばならない。そして我々は何を今すべきか。
 この映画を観て沖縄の人たちから強い確かなメッセージと絶対に屈しない、諦めない勇気をもらった。

 映画はこれから全国で上映されるはずだ。どうか一人でも多くぜひ今こそ、戦争法案を前に大変な情勢だからこそ、この映画を知って観て、沖縄と日本を考え、歴史の岐路にあるとき人はどう生きるか、今なにをなすべきか考えてほしい。
 いまできることがある。闘いは続く。闘いはここから、これからだ。沖縄の闘いに学べ。

『戦場ぬ止み』チラシ裏面2015年07月27日 06時39分42秒

★ぜひぜひ劇場に足を運んでください。