戦後70年、再び「戦前」へ・1 ― 2015年07月22日 22時49分02秒
★東洋平和のためならば
「もはや戦後ではない」とは、終戦後10年が過ぎ、経済復興もほぼ軌道に乗った昭和31年、1956年の経済白書に出てくる言葉だ。
それからまたさらに「戦後」は続き、今年で70年の節目の年を迎える。そして今、新たな安保法制、いわゆる「戦争法案」が衆院を強行採決後通過し、与党自公政権は、この夏中の参院で可決、仮に否決されても衆院に差し戻し何がなんでも法案の成立を目指している。
この憲法違反の稀代の悪法が成立してしまえば、長く続いたこの国の、二度と戦争で誰も殺さず殺されることのなかった平和な「戦後」はまさに70年目で本当に終わり、以後再び「戦前」が始まることとなる。
というのは、積極的平和主義の名の下に、日本が直接攻撃されなくても同盟国が攻撃されたり、国家存立危機の事態だと時の政権が一方的に判断さえすれば、世界中のどこででも自衛隊を派遣し戦闘行為、つまり戦争が始められる法律が施行されるからだ。
そうなればいつ戦争が起きてもおかしくない。これまで我が国は戦争はしない、できないことを憲法に記し国際社会に誓ってきた。それを安倍政権は解釈を変えて投げ捨てる。ということは、戦争をしなかった「戦後」は今年2015年で終わって、まさしく、もはや戦後ではなく再び戦争前夜の「戦前」となっていく。
紛争地があって、国家の危機だと判断すれば「平和のため」に戦争を始めるのである。
私ごとだが、今年85歳となる我が母は、戦時中は女学生で、いわゆる軍国少女であった。今なら女子高生の年代、学徒動員で学校の授業そっちのけで、日々軍需工場でゼロ戦の羽根の一部を作らされていた。
その母がときおり今も口づさむ歌に「露営の歌」という軍歌がある。かなり当時も戦後も唄われて、今でも右翼の街宣車では定番の一曲だから若い人でも聞き覚えはあるかもしれない。
その歌詞を記しておく。
露 営 の 歌
作詩 藪内喜一郎 作曲 古関裕而
昭和12年
1 勝ってくるぞと 勇ましく
誓って故郷(くに)を 出たからは
手柄立てずに 死なりょうか
進軍ラッパ 聞くたびに
瞼(まぶた)に浮かぶ 旗の波
2 土も草木も火と 燃える
果てなき曠野(こうや) 踏み分けて
進む日の丸 鉄兜
馬のたてがみ なでながら
明日の命を 誰か知る
3 弾丸(たま)もタンクも 銃剣も
しばし露営の 草枕
夢に出てきた 父上に
死んで還れと 励まされ
覚めて睨(にら)むは 敵の空
4 思えば今日の 戦いに
朱(あけ)に染まって にっこりと
笑って死んだ 戦友が
天皇陛下 万歳と
残した声が 忘らりょか
5 戦争(いくさ)する身は かねてから
捨てる覚悟で いるものを
鳴いてくれるな 草の虫
東洋平和の ためならば
なんの命が 惜しかろう
昭和12年は、盧溝橋事件が起き、以後8年間の泥沼の日中戦争が始まった年である。
この歌詞もまさに戦意高揚のためもので噴飯ものであるけれど、特に注目すべきは、五番に出てくる「東洋平和のためならば」であろう。
安倍首相や側近の議員たちは、彼らが成立を目指す新安保法制は「戦争法案」ではないし、徴兵制に結びつかないと、国民の理解を得られていないことを認めつつも「これからも丁寧にわかりやすく説明を続けていく」と繰り返し述べている。
そして我が国の平和と安全のためにはこの法案が必要不可欠だと何度でも口にする。
しかし、かつてのこの15年戦争のときも戦争は「平和のため」に始まったのである。五族協和とか三原じゅん子議員がお好きな「八紘一宇」も皆スローガンとしては悪くない。が、じっさいのところ平和のためだとしても一たび戦争が始まってしまえば、敵味方多くの兵士のみならず民間人も殺され、国家総動員法は施行され、言論統制が強まり反戦運動は抑圧されていく。国民の自由は失われる。
「東洋平和のためならば なんの命がおしかろう」との言葉に踊らされ、平和を名目として大陸で、南の島のジャングルで死んだ兵士たちの霊に報いるためにももう二度と再び戦争をしてはならなかったのではないのか。
確かに緊張する東アジア情勢を思うとき、軍備に対しては軍備をアメリカと共に強化し対処するという方策も考えとしては理解できなくもない。しかし、ひとたび紛争が起きたときに、軍事力で解決をはかろうとすればイスラエルとパレスチナのように永遠に報復を繰り返すだけだろう。まして巨大国家を前にして小国日本がとるべきことは軍事力強化ではないはずだ。どれほどまた勇ましい軍歌が生まれようと勝てるはずがない。
ならばどうすべきか。日本国憲法の理念、中でも九条に立ち返るしかないではないか。平和のためだからこそ、絶対に軍事力を用いてはならないのである。それをかなぐり捨てて再び戦争国家としての日本に戻そうとする奴らの時代錯誤の妄動を絶対に許してはならない。
戦争とは、兵士は、にっこり笑って死ぬものでも、父が子に、手柄を立てて死んで還れ、と言うものではない。戦争は狂気の果ての殺し合いでしかない。人類にとって絶対悪だと断言する。
戦争を知らない子供たちならぬ、戦争を知らない政治家たちが身勝手にも今、70年の戦後を経て再び戦争をしようとしている。
戦争はいつの時代も「平和のため」と称してはじまることを忘れてはならない。
「もはや戦後ではない」とは、終戦後10年が過ぎ、経済復興もほぼ軌道に乗った昭和31年、1956年の経済白書に出てくる言葉だ。
それからまたさらに「戦後」は続き、今年で70年の節目の年を迎える。そして今、新たな安保法制、いわゆる「戦争法案」が衆院を強行採決後通過し、与党自公政権は、この夏中の参院で可決、仮に否決されても衆院に差し戻し何がなんでも法案の成立を目指している。
この憲法違反の稀代の悪法が成立してしまえば、長く続いたこの国の、二度と戦争で誰も殺さず殺されることのなかった平和な「戦後」はまさに70年目で本当に終わり、以後再び「戦前」が始まることとなる。
というのは、積極的平和主義の名の下に、日本が直接攻撃されなくても同盟国が攻撃されたり、国家存立危機の事態だと時の政権が一方的に判断さえすれば、世界中のどこででも自衛隊を派遣し戦闘行為、つまり戦争が始められる法律が施行されるからだ。
そうなればいつ戦争が起きてもおかしくない。これまで我が国は戦争はしない、できないことを憲法に記し国際社会に誓ってきた。それを安倍政権は解釈を変えて投げ捨てる。ということは、戦争をしなかった「戦後」は今年2015年で終わって、まさしく、もはや戦後ではなく再び戦争前夜の「戦前」となっていく。
紛争地があって、国家の危機だと判断すれば「平和のため」に戦争を始めるのである。
私ごとだが、今年85歳となる我が母は、戦時中は女学生で、いわゆる軍国少女であった。今なら女子高生の年代、学徒動員で学校の授業そっちのけで、日々軍需工場でゼロ戦の羽根の一部を作らされていた。
その母がときおり今も口づさむ歌に「露営の歌」という軍歌がある。かなり当時も戦後も唄われて、今でも右翼の街宣車では定番の一曲だから若い人でも聞き覚えはあるかもしれない。
その歌詞を記しておく。
露 営 の 歌
作詩 藪内喜一郎 作曲 古関裕而
昭和12年
1 勝ってくるぞと 勇ましく
誓って故郷(くに)を 出たからは
手柄立てずに 死なりょうか
進軍ラッパ 聞くたびに
瞼(まぶた)に浮かぶ 旗の波
2 土も草木も火と 燃える
果てなき曠野(こうや) 踏み分けて
進む日の丸 鉄兜
馬のたてがみ なでながら
明日の命を 誰か知る
3 弾丸(たま)もタンクも 銃剣も
しばし露営の 草枕
夢に出てきた 父上に
死んで還れと 励まされ
覚めて睨(にら)むは 敵の空
4 思えば今日の 戦いに
朱(あけ)に染まって にっこりと
笑って死んだ 戦友が
天皇陛下 万歳と
残した声が 忘らりょか
5 戦争(いくさ)する身は かねてから
捨てる覚悟で いるものを
鳴いてくれるな 草の虫
東洋平和の ためならば
なんの命が 惜しかろう
昭和12年は、盧溝橋事件が起き、以後8年間の泥沼の日中戦争が始まった年である。
この歌詞もまさに戦意高揚のためもので噴飯ものであるけれど、特に注目すべきは、五番に出てくる「東洋平和のためならば」であろう。
安倍首相や側近の議員たちは、彼らが成立を目指す新安保法制は「戦争法案」ではないし、徴兵制に結びつかないと、国民の理解を得られていないことを認めつつも「これからも丁寧にわかりやすく説明を続けていく」と繰り返し述べている。
そして我が国の平和と安全のためにはこの法案が必要不可欠だと何度でも口にする。
しかし、かつてのこの15年戦争のときも戦争は「平和のため」に始まったのである。五族協和とか三原じゅん子議員がお好きな「八紘一宇」も皆スローガンとしては悪くない。が、じっさいのところ平和のためだとしても一たび戦争が始まってしまえば、敵味方多くの兵士のみならず民間人も殺され、国家総動員法は施行され、言論統制が強まり反戦運動は抑圧されていく。国民の自由は失われる。
「東洋平和のためならば なんの命がおしかろう」との言葉に踊らされ、平和を名目として大陸で、南の島のジャングルで死んだ兵士たちの霊に報いるためにももう二度と再び戦争をしてはならなかったのではないのか。
確かに緊張する東アジア情勢を思うとき、軍備に対しては軍備をアメリカと共に強化し対処するという方策も考えとしては理解できなくもない。しかし、ひとたび紛争が起きたときに、軍事力で解決をはかろうとすればイスラエルとパレスチナのように永遠に報復を繰り返すだけだろう。まして巨大国家を前にして小国日本がとるべきことは軍事力強化ではないはずだ。どれほどまた勇ましい軍歌が生まれようと勝てるはずがない。
ならばどうすべきか。日本国憲法の理念、中でも九条に立ち返るしかないではないか。平和のためだからこそ、絶対に軍事力を用いてはならないのである。それをかなぐり捨てて再び戦争国家としての日本に戻そうとする奴らの時代錯誤の妄動を絶対に許してはならない。
戦争とは、兵士は、にっこり笑って死ぬものでも、父が子に、手柄を立てて死んで還れ、と言うものではない。戦争は狂気の果ての殺し合いでしかない。人類にとって絶対悪だと断言する。
戦争を知らない子供たちならぬ、戦争を知らない政治家たちが身勝手にも今、70年の戦後を経て再び戦争をしようとしている。
戦争はいつの時代も「平和のため」と称してはじまることを忘れてはならない。
明日、谷保かけこみ亭での反戦フォークライブご参加を ― 2015年07月24日 09時30分27秒
★まずはこのイベントを成功させてまた次へ
暑い日が続く。
勤め人の方々のように、ネクタイ締め汗まみれになって通勤しないですむのは僥倖だと思うが、家にいても裸族同様の姿で過ごしていても暑いことは暑い。日に何度も水風呂に浸かり頭と体を冷やしている。
冷房もあるが、老親や老犬たちの部屋中心に入れて、基本、マイディスクの周辺は、扇風機だけで涼をとっている。
いろいろ書きたいことや今回あれこれご心配をおかけした友人知人方にはきちんと連絡メールせねばと考えているのだが、今はともかく明日のライブを滞りなく終わらせることが先決と心している。
明日会場で配布する、歌の歌詞の載った小冊子、「反戦歌集」も何とか昨日一日かけて印刷、完成させた。
そんなこんなでちっとも自分の練習できていない。企画する側がこりずにまたちょこっとでも出ることになるので、先だっての阿佐ヶ谷でのようなトラブルをしでかさないよう万全の手配をしないとならない。
まだまだ明日午前も含めて本番直前までやるべきこと、確認、準備すべきことが山積している。が、未だメマイも収まらず体調はベストと程遠いので、ともかく無理せず慎重にやっていくつもりだ。
明日、お時間のある方は、午後6時~9時過ぎまで、南武線谷保駅前の「かけこみ亭」で、やっています。投げ銭制ですので、お気軽にご参加ください。
現況の情勢に危機感を抱いているたくさんの方々のご参加をお待ちしております。
問:0425-574-3602 かけこみ亭
090-8175-8479 マスダ
暑い日が続く。
勤め人の方々のように、ネクタイ締め汗まみれになって通勤しないですむのは僥倖だと思うが、家にいても裸族同様の姿で過ごしていても暑いことは暑い。日に何度も水風呂に浸かり頭と体を冷やしている。
冷房もあるが、老親や老犬たちの部屋中心に入れて、基本、マイディスクの周辺は、扇風機だけで涼をとっている。
いろいろ書きたいことや今回あれこれご心配をおかけした友人知人方にはきちんと連絡メールせねばと考えているのだが、今はともかく明日のライブを滞りなく終わらせることが先決と心している。
明日会場で配布する、歌の歌詞の載った小冊子、「反戦歌集」も何とか昨日一日かけて印刷、完成させた。
そんなこんなでちっとも自分の練習できていない。企画する側がこりずにまたちょこっとでも出ることになるので、先だっての阿佐ヶ谷でのようなトラブルをしでかさないよう万全の手配をしないとならない。
まだまだ明日午前も含めて本番直前までやるべきこと、確認、準備すべきことが山積している。が、未だメマイも収まらず体調はベストと程遠いので、ともかく無理せず慎重にやっていくつもりだ。
明日、お時間のある方は、午後6時~9時過ぎまで、南武線谷保駅前の「かけこみ亭」で、やっています。投げ銭制ですので、お気軽にご参加ください。
現況の情勢に危機感を抱いているたくさんの方々のご参加をお待ちしております。
問:0425-574-3602 かけこみ亭
090-8175-8479 マスダ
本日がんばります ― 2015年07月25日 09時47分59秒
ふらふらですが、ともかく精いっぱいやります。
ほんとに私は生きている ― 2015年07月26日 00時54分15秒
★反戦歌、労働歌コンサート無事大盛況のうちに終了す
日付が変わって翌日となったが、25日の深夜かけこみ亭から戻ってこれを記す。
おかげさまでとても良いライブの一夜となったと思う。感無量と言うか、ただ深い感慨がわく。全ての人たちに対しておかげさまで、ありがとうございましたと深く感謝いたしたい。
先にも記したが、去る7月5日の両国での隅田川フォークフェスの会場で、私はかなり高いところから下のコンクリートの地面に頭から落ち、その後の記憶がないことも含めてよくも一人で家に帰ってこれて今も無事だと改めて思う。
本日のライブ後、その瞬間を目撃したソウルブラザーズの五十嵐さん達からそのときの様子とその後の私のとった行動を詳しく聞いた。、下手すれば死んでいたはずだし、死ななくとも車イスの生活となっていたかもと聞かされ神のご加護があったのだとつくづく有難く思った。皆に多大な心配をかけていた。運が良いとかいう以前に奇跡としか言いようがない。こんな愚かな我にカミサマの恵み、ご加護があったのだ。
その神というのは、江島杉山神社でもあるから音楽の神さま、弁天様であろうか。
落下後の記憶は特に直後は完全に欠落していて、自分はそのまましばらく失神していたのかと思っていたら、その後もすぐ起きて狂ったように動き回り、掃除したり片づけしたりめまぐるしく一人で周りが止めるのもまったく聞かずフラフラしながらも半狂乱的に狼藉の限りを尽くしていたようだ。まさに一時的に発狂していたとしか自分でも思えない。頭が誤作動し当人に意識はないのにゾンビのように何か使命感だけで動いていたのだろう。実に恐ろしい。
何しろ自分が何をしたのか、今思い出せるのは、イベントが終わって誰もいなくなり、たった一人で神社からゴミ袋を抱えてフォークロアセンターに戻ってからなのだから。
そうした失態を恥ずかしくただ情けなく、場の皆さんにすまなく思うけれど、とにもかくにも今日まで何とか生き延びて、メマイ、ふらつきは残れども無事に本番を迎えられことは本当に良かった。下手すればマスダ追悼コンサートになっていたかもしれなかったと言われた。あるいは続いて硬膜下血腫に倒れた老父にも万一のことあらば正直なところこのイベントどころではなかったと思う。
いや、この企画があったからこそ果たすために生かされたのかとも思える。死んで当然のどうしようもない男だけれど成すべきことがあるので今回は生かされたのだと。
そしてそのコンサートだが、企画者側が言うのも何だが、出演した側も観客も、そして店や企画した我をも、三者全員が満足した素晴らしいライブとなったと断言する。
以前も書いたが、良いライブでも客が入らなかったり、客は入り企画側は満足しても演奏は今一つだったり、後から出演者から進行やギャラに不満が出たりもする。その双方が満足したとしても企画側にはまた別な不満が残ったりとその場の全員が納得、満足するコンサートはまずありえない。
が、今日は、この暑さのうえ、夕方5時45分から9時過ぎまで、ほとんど休憩なしの長丁場にも関わらず、お客も適度に満席となり、進行はやや遅れたもののほぼ全てが満足のいく、こちらの思い通り以上の素晴らしいコンサートとなった。皆さんしっかりこちらの期待に応えて我が思いをうたで返してくれた。こんなことはまず記憶にない。
お客様も何人もの皆さんから素晴らしい企画だとお褒め頂いたし、出演者たちもしっかりとした手応えを感じ、通して良いイベントとなったと満足もされたのではないか。
そして何より、今回のような反戦歌とか難しい括りのあるコンサートを企画し、歌い手たちに無理を強い勝手なお願いをしたのに、彼らはこちらの期待以上の素晴らしいうたを聞かせてくれたことだ。むろん気心知れた仲だったということもある。このメンツなら良い演奏は当然だとも思っていた。
しかし、予想をはるかに超えて、全員が素晴らしい演奏をしかと披露してくれた。それぞれが持ち味とその実力を存分に発揮してくれた。特に後半のみほこんのソロからソウルブラザーズ、フィナーレへの流れは感動的であった。天与の才みほこんの持ち味、その実力と魅力をこの日ついに100%観客に示せたのではないか。急きょ後半にソロを持ってきたことは正解であった。お世話になり迷惑かけっぱなし、少しは恩返しできただろうか。
最後は、70年前に、心ならずも皇軍兵士として招集され比島ルソン島で戦死し遺骨も帰らない詩人竹内浩三の残した詩に、五十嵐さんが曲をつけてCD化したアルバムから「三ツ星さん」を全員でうたってくれた。心から感動感激した。頬にじんわり涙が流れた。
そのうたのサビは、「生きることは楽しいね、ほんとに私は生きている」を繰り返すのだが、まさに我が身を思い心からそう思った。ああ、ほんとに俺は生きている、と。
この日の唯一の欠点、失敗は、また臆面なくも企画した身でしゃしゃり出た我がうたの部分だけであったが、言い訳しても悔いても仕方ない。もう、こうした場には出る器でないとまた幕の後ろ側に引っ込むだけだ。自分のうたと演奏だけを除けば、今回は本当に素晴らしいイベントとなった。大満足している。企画者として誇らしく思う。誰もがみんな素晴らしかった。
生きてこの日を無事迎えられただけでも有難いはずなのに、欲ばりな我にカミサマはこんな素晴らしいご褒美を与えてくれた。自分は果報者、幸福者である。怖いぐらいだ。
企画者冥利に尽きよう。個々にお名前を上げられないが、このイベントに出演、裏方としてご協力、ご来場の方々、そしてこのブログをお読み頂いた人たちすべてにただただ感謝している。ただただ有難い。みんな良い人たちばかりであった。みんなやさしかった。
ほんとに私は生きている。そしてうたとは己の生き方でもあったのだと思い知らされた。「うた」をつかむためにもしっかりと生きなければならないのだ。
日付が変わって翌日となったが、25日の深夜かけこみ亭から戻ってこれを記す。
おかげさまでとても良いライブの一夜となったと思う。感無量と言うか、ただ深い感慨がわく。全ての人たちに対しておかげさまで、ありがとうございましたと深く感謝いたしたい。
先にも記したが、去る7月5日の両国での隅田川フォークフェスの会場で、私はかなり高いところから下のコンクリートの地面に頭から落ち、その後の記憶がないことも含めてよくも一人で家に帰ってこれて今も無事だと改めて思う。
本日のライブ後、その瞬間を目撃したソウルブラザーズの五十嵐さん達からそのときの様子とその後の私のとった行動を詳しく聞いた。、下手すれば死んでいたはずだし、死ななくとも車イスの生活となっていたかもと聞かされ神のご加護があったのだとつくづく有難く思った。皆に多大な心配をかけていた。運が良いとかいう以前に奇跡としか言いようがない。こんな愚かな我にカミサマの恵み、ご加護があったのだ。
その神というのは、江島杉山神社でもあるから音楽の神さま、弁天様であろうか。
落下後の記憶は特に直後は完全に欠落していて、自分はそのまましばらく失神していたのかと思っていたら、その後もすぐ起きて狂ったように動き回り、掃除したり片づけしたりめまぐるしく一人で周りが止めるのもまったく聞かずフラフラしながらも半狂乱的に狼藉の限りを尽くしていたようだ。まさに一時的に発狂していたとしか自分でも思えない。頭が誤作動し当人に意識はないのにゾンビのように何か使命感だけで動いていたのだろう。実に恐ろしい。
何しろ自分が何をしたのか、今思い出せるのは、イベントが終わって誰もいなくなり、たった一人で神社からゴミ袋を抱えてフォークロアセンターに戻ってからなのだから。
そうした失態を恥ずかしくただ情けなく、場の皆さんにすまなく思うけれど、とにもかくにも今日まで何とか生き延びて、メマイ、ふらつきは残れども無事に本番を迎えられことは本当に良かった。下手すればマスダ追悼コンサートになっていたかもしれなかったと言われた。あるいは続いて硬膜下血腫に倒れた老父にも万一のことあらば正直なところこのイベントどころではなかったと思う。
いや、この企画があったからこそ果たすために生かされたのかとも思える。死んで当然のどうしようもない男だけれど成すべきことがあるので今回は生かされたのだと。
そしてそのコンサートだが、企画者側が言うのも何だが、出演した側も観客も、そして店や企画した我をも、三者全員が満足した素晴らしいライブとなったと断言する。
以前も書いたが、良いライブでも客が入らなかったり、客は入り企画側は満足しても演奏は今一つだったり、後から出演者から進行やギャラに不満が出たりもする。その双方が満足したとしても企画側にはまた別な不満が残ったりとその場の全員が納得、満足するコンサートはまずありえない。
が、今日は、この暑さのうえ、夕方5時45分から9時過ぎまで、ほとんど休憩なしの長丁場にも関わらず、お客も適度に満席となり、進行はやや遅れたもののほぼ全てが満足のいく、こちらの思い通り以上の素晴らしいコンサートとなった。皆さんしっかりこちらの期待に応えて我が思いをうたで返してくれた。こんなことはまず記憶にない。
お客様も何人もの皆さんから素晴らしい企画だとお褒め頂いたし、出演者たちもしっかりとした手応えを感じ、通して良いイベントとなったと満足もされたのではないか。
そして何より、今回のような反戦歌とか難しい括りのあるコンサートを企画し、歌い手たちに無理を強い勝手なお願いをしたのに、彼らはこちらの期待以上の素晴らしいうたを聞かせてくれたことだ。むろん気心知れた仲だったということもある。このメンツなら良い演奏は当然だとも思っていた。
しかし、予想をはるかに超えて、全員が素晴らしい演奏をしかと披露してくれた。それぞれが持ち味とその実力を存分に発揮してくれた。特に後半のみほこんのソロからソウルブラザーズ、フィナーレへの流れは感動的であった。天与の才みほこんの持ち味、その実力と魅力をこの日ついに100%観客に示せたのではないか。急きょ後半にソロを持ってきたことは正解であった。お世話になり迷惑かけっぱなし、少しは恩返しできただろうか。
最後は、70年前に、心ならずも皇軍兵士として招集され比島ルソン島で戦死し遺骨も帰らない詩人竹内浩三の残した詩に、五十嵐さんが曲をつけてCD化したアルバムから「三ツ星さん」を全員でうたってくれた。心から感動感激した。頬にじんわり涙が流れた。
そのうたのサビは、「生きることは楽しいね、ほんとに私は生きている」を繰り返すのだが、まさに我が身を思い心からそう思った。ああ、ほんとに俺は生きている、と。
この日の唯一の欠点、失敗は、また臆面なくも企画した身でしゃしゃり出た我がうたの部分だけであったが、言い訳しても悔いても仕方ない。もう、こうした場には出る器でないとまた幕の後ろ側に引っ込むだけだ。自分のうたと演奏だけを除けば、今回は本当に素晴らしいイベントとなった。大満足している。企画者として誇らしく思う。誰もがみんな素晴らしかった。
生きてこの日を無事迎えられただけでも有難いはずなのに、欲ばりな我にカミサマはこんな素晴らしいご褒美を与えてくれた。自分は果報者、幸福者である。怖いぐらいだ。
企画者冥利に尽きよう。個々にお名前を上げられないが、このイベントに出演、裏方としてご協力、ご来場の方々、そしてこのブログをお読み頂いた人たちすべてにただただ感謝している。ただただ有難い。みんな良い人たちばかりであった。みんなやさしかった。
ほんとに私は生きている。そしてうたとは己の生き方でもあったのだと思い知らされた。「うた」をつかむためにもしっかりと生きなければならないのだ。
屈しない。闘いは続く~沖縄こそ歪んた日本の政治の縮図 ― 2015年07月27日 06時29分34秒
★ドキュメンタリー映画『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』必見!
アクセスランキング: 95位
暑い日が続くが今年の夏こそ日本の政治の歴史に大きく残る夏となるに違いない。
7月頭から続いていた私事に関連する騒動はひとまず置いておくとして昨日、東中野ポレポレで観てきた映画『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』http://ikusaba.com/について書き記したい。
誰もがいろいろ大変な情勢にあるかと思うが、我々日本人いま必見の映画である。ともかく面白くためになり、感動させられ勇気をもらった。そして恥じ入った。沖縄の熱く長い闘いについて実のところ我は何も知らなかったのだと。辺野古とはどういうところでそこで何が起きているのかと。
人は生きているか、生かされているのかはともかく、死後裁きにあう、かは、死んでみないとわからない、
が、ともかくこの現世、この身が生きて地上にあるとき、時と事においてどう生きていくか、その対処の仕方が常に問われていることは間違いない。
絶対に許すべきではない不正や不義があるとして、それを前にし、生きていくためには肯定できなくても「黙認」し従う生き方もまたありえる。それは悪ではない。何故なら人はまず己、愛する家族が生きていくことが優先され、そのためには何をしてもかまわないからだ。
しかしまたこうも思う。ならばこそ、常にその判断は問われ続けているのではないか。まして、自分が選び許した結果が、今だけでなく後のちの世代の命と平和や貴重な自然など地球環境にも大きく関わるとしたらその判断と結果責任は実に大きい。
例えば、今いちばんの政治課題「新安保法制」だって、それが成立し軍事国家日本となったとき、徴兵された若者が望まずとも戦地に行かされる。殺し殺されるかもしれない。彼らはこう思うだろう。いったい誰がこんな仕組みを作ったのかと。こんな時代状況にしたのかと。
それは我々、2015年の夏に生きていた大人たちである。この法案に関心持つ人も、まったく未だ何の知識もなく、無関心かつ無関係だと思っている人も、反対だと声を上げた人、賛成した人も全てに責任がある。そしてその「責任」を今こそ意識しないとならない。
それは安倍政治を信任したとか、自公政権に一票を投じたか以前に、今の段階での判断と行動が問われている。
前置きが長くなった。映画『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』は、70年前の太平洋戦争での沖縄戦から今日2015年までの沖縄の人たちの「戦い」と「闘い」を描いている。今も米軍基地と共に生きる彼らにとっては戦後など一度もなく、今も「戦争」はずっと続いている。
そしてその「戦争」をどう受け入れ、あるいはどう抗うか、沖縄の人は常に判断を迫られている。基地を受容れ補償金や基地からの仕事で生きていくという生き方、あるいは沖縄戦の苦い記憶があるからこそ戦争は絶対に許さない、認めない、基地建設に協力しないと闘う人たちがいる。子々孫々の未来のためにも自然の宝庫辺野古の海に、高江のやんばるの森に米軍基地は新たにつくらせないと抗議活動、反対闘争を長年地道に続ける人たち。しかしそれは巨大な権力の前に、象に立ち向かう蟻のような非力な闘いである。
基地のゲート前で座り込み、資材搬入を阻止しようとトラックの下に潜り込み機動隊にごぼう抜きにされ、、海上では抗議活動のカヤックは保安庁の船に次々拿捕されていく。武器も力もなくまさに非力な抵抗運動でしかない。観ていて胸が痛む。何でここまで痛めつけられても続けられるのか。
しかし、彼らの行動は虚しく無意味かというと決してそうではない。人としてそこに義がある。辺野古に基地をつくることは自然破壊と同時に新たな戦争基地建設を許すことに他ならない。そしてそれは沖縄にとってさらなる負担と危険となっていく。ならばこそ絶対に許してはならないのだ。もう二度と殺し殺されない、戦争に協力しないためにも。
この映画は、新たな基地建設に揺れ動く辺野古のある大浦湾の人たちの姿をていねいに追いつつ、大戦中からの沖縄の人たちがどう生きてきたか、その歴史を的確に描いている。中でも沖縄戦の生き残りであり、反対闘争のシンボルであるおばあの言葉に胸打たれる。
この我も米軍横田基地に隣接する町に住み、オスプレイ配備に恐れおののき沖縄の闘いと連帯している気分でいたのだが、実のところほんとうのことは何も知らずわかっていなかったのだと気づかされた。そして気がつく。沖縄こそ、この歪んだ日本の縮図だったのだと。
今、衆院での強行採決後、参院に移り、マスコミ予測ではこの秋には成立確実とされる「戦争法案」に、国民の多くがよくわからない、不安がある、として今国会で成立すべきでないと各世論調査でも反対が過半数を大きく越えている。
また、野党の政治家のみならず法律の専門家、弁護士、学者、知識人、宗教家、そして政治に無関心だった学生たちまでもこの法案は憲法違反だと抗議の声を大きく上げ始めている。
しかし巨大与党自公を率いる安倍強権、独裁政権は、そんな国民多数の声にはいっさい耳を傾けずに、御用マスコミを従え、何がなんでもこの稀代の悪法今国会成立に暴走を続けている。何でこんなに傲慢かつ横暴なのか。これが国家権力というものか。誰もが憤る。そして実はこれはそのまま沖縄で戦後ずっと起きていた、続いていたことだったと気がつく。
何度も選挙で、米軍基地はもういらない、新たな基地は作らせないと民意を示しても、政府はこれは国策、アメリカとの約束、アジアの安定と平和のためにと、沖縄の人たちの声には一切耳を傾けず、選挙の結果にとわれずに「粛々と基地建設を進めていく」と明言、貴重な自然の宝庫、辺野古を海をボーリングで傷つけ巨大なブロックを次つぎと海に投入していく。住民は泣き叫び抗議の声を叫ぼうとおかまいなしに。
政治とはそうしたものかと憤る。国民の、有権者の声を聞かずいったい誰のための政治なのであろうか。どうしたら民意が政治に反映されるか。いくら反対だと声を上げても安倍晋三には民の声は届かない。彼はもとより聞く耳は持たない。祖父から受け継いだ遺伝子であろうから。ならば政権から引き下ろすしかない。
ともかくこの映画を日本人一人一人が観てほしい。沖縄こそこの日本の歪んだ政治の縮図なのだと気づくはずだ。
また何よりもこの映画は実に面白い。下手な娯楽映画が色あせてみえるほど、出てくる人たちは皆とても素晴らしく魅力的でカッコいい。虚しい闘いでも決して諦めず常に明るい。そして監督の向けるカメラは彼らのみならず権力の手先として生きるしかない人たちにもやさしい。沖縄に住む人たちには本来敵味方などない。ただ理不尽も常に戦地にさらされ、戦争基地を押し付けられている。そこで必死に生きていかねばならない。そこに沖縄の哀しみ、苦しみがある。だからこそ闘いは続く。そして彼らは叫ぶ。絶対に屈しない、闘い続けると。
そしてアメリカに請われ再び戦争国家としての道を進もうとしているこの愚かな日本国。沖縄の抱える問題とは日本そのものの問題だと気づく。我々は沖縄で今何が起きているかもっと知らねばならない。そして我々は何を今すべきか。
この映画を観て沖縄の人たちから強い確かなメッセージと絶対に屈しない、諦めない勇気をもらった。
映画はこれから全国で上映されるはずだ。どうか一人でも多くぜひ今こそ、戦争法案を前に大変な情勢だからこそ、この映画を知って観て、沖縄と日本を考え、歴史の岐路にあるとき人はどう生きるか、今なにをなすべきか考えてほしい。
いまできることがある。闘いは続く。闘いはここから、これからだ。沖縄の闘いに学べ。
アクセスランキング: 95位
暑い日が続くが今年の夏こそ日本の政治の歴史に大きく残る夏となるに違いない。
7月頭から続いていた私事に関連する騒動はひとまず置いておくとして昨日、東中野ポレポレで観てきた映画『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』http://ikusaba.com/について書き記したい。
誰もがいろいろ大変な情勢にあるかと思うが、我々日本人いま必見の映画である。ともかく面白くためになり、感動させられ勇気をもらった。そして恥じ入った。沖縄の熱く長い闘いについて実のところ我は何も知らなかったのだと。辺野古とはどういうところでそこで何が起きているのかと。
人は生きているか、生かされているのかはともかく、死後裁きにあう、かは、死んでみないとわからない、
が、ともかくこの現世、この身が生きて地上にあるとき、時と事においてどう生きていくか、その対処の仕方が常に問われていることは間違いない。
絶対に許すべきではない不正や不義があるとして、それを前にし、生きていくためには肯定できなくても「黙認」し従う生き方もまたありえる。それは悪ではない。何故なら人はまず己、愛する家族が生きていくことが優先され、そのためには何をしてもかまわないからだ。
しかしまたこうも思う。ならばこそ、常にその判断は問われ続けているのではないか。まして、自分が選び許した結果が、今だけでなく後のちの世代の命と平和や貴重な自然など地球環境にも大きく関わるとしたらその判断と結果責任は実に大きい。
例えば、今いちばんの政治課題「新安保法制」だって、それが成立し軍事国家日本となったとき、徴兵された若者が望まずとも戦地に行かされる。殺し殺されるかもしれない。彼らはこう思うだろう。いったい誰がこんな仕組みを作ったのかと。こんな時代状況にしたのかと。
それは我々、2015年の夏に生きていた大人たちである。この法案に関心持つ人も、まったく未だ何の知識もなく、無関心かつ無関係だと思っている人も、反対だと声を上げた人、賛成した人も全てに責任がある。そしてその「責任」を今こそ意識しないとならない。
それは安倍政治を信任したとか、自公政権に一票を投じたか以前に、今の段階での判断と行動が問われている。
前置きが長くなった。映画『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』は、70年前の太平洋戦争での沖縄戦から今日2015年までの沖縄の人たちの「戦い」と「闘い」を描いている。今も米軍基地と共に生きる彼らにとっては戦後など一度もなく、今も「戦争」はずっと続いている。
そしてその「戦争」をどう受け入れ、あるいはどう抗うか、沖縄の人は常に判断を迫られている。基地を受容れ補償金や基地からの仕事で生きていくという生き方、あるいは沖縄戦の苦い記憶があるからこそ戦争は絶対に許さない、認めない、基地建設に協力しないと闘う人たちがいる。子々孫々の未来のためにも自然の宝庫辺野古の海に、高江のやんばるの森に米軍基地は新たにつくらせないと抗議活動、反対闘争を長年地道に続ける人たち。しかしそれは巨大な権力の前に、象に立ち向かう蟻のような非力な闘いである。
基地のゲート前で座り込み、資材搬入を阻止しようとトラックの下に潜り込み機動隊にごぼう抜きにされ、、海上では抗議活動のカヤックは保安庁の船に次々拿捕されていく。武器も力もなくまさに非力な抵抗運動でしかない。観ていて胸が痛む。何でここまで痛めつけられても続けられるのか。
しかし、彼らの行動は虚しく無意味かというと決してそうではない。人としてそこに義がある。辺野古に基地をつくることは自然破壊と同時に新たな戦争基地建設を許すことに他ならない。そしてそれは沖縄にとってさらなる負担と危険となっていく。ならばこそ絶対に許してはならないのだ。もう二度と殺し殺されない、戦争に協力しないためにも。
この映画は、新たな基地建設に揺れ動く辺野古のある大浦湾の人たちの姿をていねいに追いつつ、大戦中からの沖縄の人たちがどう生きてきたか、その歴史を的確に描いている。中でも沖縄戦の生き残りであり、反対闘争のシンボルであるおばあの言葉に胸打たれる。
この我も米軍横田基地に隣接する町に住み、オスプレイ配備に恐れおののき沖縄の闘いと連帯している気分でいたのだが、実のところほんとうのことは何も知らずわかっていなかったのだと気づかされた。そして気がつく。沖縄こそ、この歪んだ日本の縮図だったのだと。
今、衆院での強行採決後、参院に移り、マスコミ予測ではこの秋には成立確実とされる「戦争法案」に、国民の多くがよくわからない、不安がある、として今国会で成立すべきでないと各世論調査でも反対が過半数を大きく越えている。
また、野党の政治家のみならず法律の専門家、弁護士、学者、知識人、宗教家、そして政治に無関心だった学生たちまでもこの法案は憲法違反だと抗議の声を大きく上げ始めている。
しかし巨大与党自公を率いる安倍強権、独裁政権は、そんな国民多数の声にはいっさい耳を傾けずに、御用マスコミを従え、何がなんでもこの稀代の悪法今国会成立に暴走を続けている。何でこんなに傲慢かつ横暴なのか。これが国家権力というものか。誰もが憤る。そして実はこれはそのまま沖縄で戦後ずっと起きていた、続いていたことだったと気がつく。
何度も選挙で、米軍基地はもういらない、新たな基地は作らせないと民意を示しても、政府はこれは国策、アメリカとの約束、アジアの安定と平和のためにと、沖縄の人たちの声には一切耳を傾けず、選挙の結果にとわれずに「粛々と基地建設を進めていく」と明言、貴重な自然の宝庫、辺野古を海をボーリングで傷つけ巨大なブロックを次つぎと海に投入していく。住民は泣き叫び抗議の声を叫ぼうとおかまいなしに。
政治とはそうしたものかと憤る。国民の、有権者の声を聞かずいったい誰のための政治なのであろうか。どうしたら民意が政治に反映されるか。いくら反対だと声を上げても安倍晋三には民の声は届かない。彼はもとより聞く耳は持たない。祖父から受け継いだ遺伝子であろうから。ならば政権から引き下ろすしかない。
ともかくこの映画を日本人一人一人が観てほしい。沖縄こそこの日本の歪んだ政治の縮図なのだと気づくはずだ。
また何よりもこの映画は実に面白い。下手な娯楽映画が色あせてみえるほど、出てくる人たちは皆とても素晴らしく魅力的でカッコいい。虚しい闘いでも決して諦めず常に明るい。そして監督の向けるカメラは彼らのみならず権力の手先として生きるしかない人たちにもやさしい。沖縄に住む人たちには本来敵味方などない。ただ理不尽も常に戦地にさらされ、戦争基地を押し付けられている。そこで必死に生きていかねばならない。そこに沖縄の哀しみ、苦しみがある。だからこそ闘いは続く。そして彼らは叫ぶ。絶対に屈しない、闘い続けると。
そしてアメリカに請われ再び戦争国家としての道を進もうとしているこの愚かな日本国。沖縄の抱える問題とは日本そのものの問題だと気づく。我々は沖縄で今何が起きているかもっと知らねばならない。そして我々は何を今すべきか。
この映画を観て沖縄の人たちから強い確かなメッセージと絶対に屈しない、諦めない勇気をもらった。
映画はこれから全国で上映されるはずだ。どうか一人でも多くぜひ今こそ、戦争法案を前に大変な情勢だからこそ、この映画を知って観て、沖縄と日本を考え、歴史の岐路にあるとき人はどう生きるか、今なにをなすべきか考えてほしい。
いまできることがある。闘いは続く。闘いはここから、これからだ。沖縄の闘いに学べ。
『戦場ぬ止み』チラシ裏面 ― 2015年07月27日 06時39分42秒
良いライブを成し終え思うこれからのこと ― 2015年07月28日 04時25分03秒
★「政治」のことはひとまずおいて アクセスランキング: 96位
おかげさまで去る7/25日の我マスダが企画したコンサートは盛況のうちに無事終了した。改めて今落ち着いて振り返っている。
出演者も含めて観客の他、関わり参加された人たち全員の感想を確認したわけではないが、かなり皆の達成度、満足度の高い良いイベントになったのではないかと思う。
まず企画した自分が久々の満足かつ納得できるライブとなった。ひとつ夢がかなった。思いが現実になったという感慨と喜びがある。
はからずも打ち上げの場で告白したが、我は7月5日に、両国のイベントで不慮の失態から頭を打ったり転んだりして以後、体調がおかしくなって、メマイ、ふらつきがひどく何度も病院に行き検査した。脳に特に異常はみつからなかったが、体の不調は収まらず、あろうことかさらにそこに我が老父も脳の異常がみつかり緊急入院。直ちに頭蓋骨に穴開ける手術となり、約一週間で無事退院できたものの予期せぬ大騒動も重なった。情けなくも親子で病院通いが続いていた。
場合によっては、企画したものの自分は当日このコンサートに行けない、関われないかもとあれこれ何度も考え大いに不安であった。
それが何とか当日を迎えられ無事盛況となり良いライブを終えられた。しかも満足のいく出来となった。まさに夢がかない夢のようであった。そう、そもそも5日の「事故」で、打ち所が悪ければ死ぬこともあったし、死なずとも大怪我して入院、治療、後遺症という大変な事態もありえたのだから体調不良程度で済んだのは僥倖であったのだ。まさに有難いことであろう。
嗤う人もいるだろうが、神様はいて守ってくれたと信じただただ深く感謝している。
それはさておき、自分はつくづくプロデューサー、プランナー的人間なのだと改めて気づく。その才があるかは別として、そうした「企画」を立てること、いやそもそも企画を考えることが好きなのだと思う。
「思いつき」と言っても良い。これは音楽に限らず、昔やってた自主映画でもミニコミでも同様なのだが、あるとき突然何かしているとき、ふいにアイディアというのか、面白そうなことが頭に浮かぶ。
そしてそれをあれこれ考え細部をつめていく。そうしていくとやがてカーと頭に血が上り、その面白そうなことを現実化、じっさいに実現させたいと強く思い、それに囚われて頭がいっぱいになってしまう。
むろん、それは現実になるどころかたいていは「思いつき」の段階で何も動かずやがて冷めてしまうことばかりだが、また次々と新たな思いつきは湧くというべきか、突然天啓のように降りてくる。
昨年秋の、阿佐ヶ谷での詩人有馬敲氏とフォークシンガーのコンサートもそうであったし、あちこちで人に告知したもののまだ果たせぬ「思いつき」も多々残っている。それを恥ずかしく情けなく思う気持ちも当然あるけれど。
今回の「反戦歌、労働歌コンサート」もそうであった。まだ先の阿佐ヶ谷でのイベントの後始末も終えていないのだから、本来新たなイベントは控えるべきであったとも思うが、ともかくそろそろまた音楽ライブを企画したいという虫がうづき出してきたのだった。
しかし、そうしてある思いつきが「企画」として動き出し、やがてはついに現実化したとしても自分の場合、たいていは苦い思いの結末となって終わる。興行的失敗もあったし、スタッフ間の軋轢やトラブル、あるいは出演者たちからの不満と突き上げに苦しみ、さらに自らの資質について思い悩むはめとなる。
昔あるとき、大学の後輩で、今はマンガの原作や映画のシナリオを書いている友人と話したが、彼曰く、一番楽しいのは何かを思いついたときで、あれこれ思い描くのはとても楽しい。が、それがしだいに現実化していくにつれ大変になるばかりでどんどんつまらなくなっていく、と。全く同感だ。
まあ、それが現実化ということで、マルクスにせよレーニンにせよ、孫文にせよ、思いつきではないだろうが、当初の「理念」は崇高で素晴らしい。が、実際の革命闘争が起こるにつれてそれは変質しやがてはスターリンや晩年の毛沢東がしたことのようにヒドイ、変質・変節したものとなってしまう。
思いつきの楽しさ、面白さがそっくりそのまま残り、現実になることなど本来はありえないことであろう。特にそれが多くの人を伴い規模が大きくなるにつれより難しくなる。
思いつきをそのまま現実化するに一番なのは、人など巻き込まずにできるだけミニマム化し究極は自分一人でシコシコとやっていくしかない。さすれば出来はともかく思い通りのものができるはずだ。
じっさいそうして陶芸や工芸、絵画やアート作品を一人でこつこつ制作し世に示している友人知人もたくさんいる。音楽だって一人で活動しアルバム制作までやっている人も多い。我もそうすべきではないか。
が、自分でも不思議なのだが、それほど人間好きでもお祭り好きでないと自認しているこの男が「思いつく」のは、多くの人と関わる企画なのである。しかも人間関係が下手で、調整も含めて不器用かつ配慮の足りない人間がライブイベントなどの企画を思いつく。
だから当然のことたいてい失敗してしまう。何しろ本来その才がないのだから結果は常に見えている。成功するイベント企画には適した才覚が必要のはずだ。そもそも結婚や家庭とか小さな人間関係さえうまく築けない者が大きなイベントなどつつがなくやれるはずがない。過去をふりかえってつくづくそう思う。
※これほどヘンクツかつ人嫌いなのに何故、他者と関わることを企画するのか自ら不思議でならない。自己認識が出来ていない故か。このこと再考してみたい。
自分のケツさえきちんと拭けない人間がどうして大きなことを無事成し終えられるのか。誰が考えたってわかる。そして利口な人間はそうならばそんなバカなことはしない。結果は見えている。しかし、たぶんバカだから、考えなしだから、一度頭に浮かんだ「思いつき」に固執して失敗のたびに悔むが学ばず何度でも繰り返すのだ。そしてそれが生き方、習い性としてこれまで生きてきたのだ。
今回の谷保かけこみ亭でのコンサートが成功したと言えるとしたら、それは店主も含めてまず良きスタッフと気心知れた良い出演者に恵まれたからに尽きよう。当たり前のことだが、我マスダだけでは思いつきはできてもそれを現実化させ、しかもトラブルなく成功させる能力は皆無に等しいといっていい。
今回はマスダとはさういう人間だと多くの皆がよくご理解のうえで、総力戦で協力して非力な我を支えてくれたから結果としてイベントとしても成功したのだと今思う。
当たり前だが、「成功」というのは個人の力では成しえない。多くの人たちに支えられその協力があって初めてそれに近づける。そしてそのことは何事も同じであり、思いつきであろうと、もしそれが良い、成すべき価値あることならば、賛同し皆で支えていかねばならない。
一人は皆のために、皆は一人ために。どんな運動でも長続きさせるためには、皆で助け合い支えあうことだ。
改めてこの場で、個々のお名前は出さないが、参加者、協力者の皆さん全員に深く心から感謝したい。そしてこの恩返しをしていきたい。同労者の皆々に神のご加護がありますように。
おかげさまで去る7/25日の我マスダが企画したコンサートは盛況のうちに無事終了した。改めて今落ち着いて振り返っている。
出演者も含めて観客の他、関わり参加された人たち全員の感想を確認したわけではないが、かなり皆の達成度、満足度の高い良いイベントになったのではないかと思う。
まず企画した自分が久々の満足かつ納得できるライブとなった。ひとつ夢がかなった。思いが現実になったという感慨と喜びがある。
はからずも打ち上げの場で告白したが、我は7月5日に、両国のイベントで不慮の失態から頭を打ったり転んだりして以後、体調がおかしくなって、メマイ、ふらつきがひどく何度も病院に行き検査した。脳に特に異常はみつからなかったが、体の不調は収まらず、あろうことかさらにそこに我が老父も脳の異常がみつかり緊急入院。直ちに頭蓋骨に穴開ける手術となり、約一週間で無事退院できたものの予期せぬ大騒動も重なった。情けなくも親子で病院通いが続いていた。
場合によっては、企画したものの自分は当日このコンサートに行けない、関われないかもとあれこれ何度も考え大いに不安であった。
それが何とか当日を迎えられ無事盛況となり良いライブを終えられた。しかも満足のいく出来となった。まさに夢がかない夢のようであった。そう、そもそも5日の「事故」で、打ち所が悪ければ死ぬこともあったし、死なずとも大怪我して入院、治療、後遺症という大変な事態もありえたのだから体調不良程度で済んだのは僥倖であったのだ。まさに有難いことであろう。
嗤う人もいるだろうが、神様はいて守ってくれたと信じただただ深く感謝している。
それはさておき、自分はつくづくプロデューサー、プランナー的人間なのだと改めて気づく。その才があるかは別として、そうした「企画」を立てること、いやそもそも企画を考えることが好きなのだと思う。
「思いつき」と言っても良い。これは音楽に限らず、昔やってた自主映画でもミニコミでも同様なのだが、あるとき突然何かしているとき、ふいにアイディアというのか、面白そうなことが頭に浮かぶ。
そしてそれをあれこれ考え細部をつめていく。そうしていくとやがてカーと頭に血が上り、その面白そうなことを現実化、じっさいに実現させたいと強く思い、それに囚われて頭がいっぱいになってしまう。
むろん、それは現実になるどころかたいていは「思いつき」の段階で何も動かずやがて冷めてしまうことばかりだが、また次々と新たな思いつきは湧くというべきか、突然天啓のように降りてくる。
昨年秋の、阿佐ヶ谷での詩人有馬敲氏とフォークシンガーのコンサートもそうであったし、あちこちで人に告知したもののまだ果たせぬ「思いつき」も多々残っている。それを恥ずかしく情けなく思う気持ちも当然あるけれど。
今回の「反戦歌、労働歌コンサート」もそうであった。まだ先の阿佐ヶ谷でのイベントの後始末も終えていないのだから、本来新たなイベントは控えるべきであったとも思うが、ともかくそろそろまた音楽ライブを企画したいという虫がうづき出してきたのだった。
しかし、そうしてある思いつきが「企画」として動き出し、やがてはついに現実化したとしても自分の場合、たいていは苦い思いの結末となって終わる。興行的失敗もあったし、スタッフ間の軋轢やトラブル、あるいは出演者たちからの不満と突き上げに苦しみ、さらに自らの資質について思い悩むはめとなる。
昔あるとき、大学の後輩で、今はマンガの原作や映画のシナリオを書いている友人と話したが、彼曰く、一番楽しいのは何かを思いついたときで、あれこれ思い描くのはとても楽しい。が、それがしだいに現実化していくにつれ大変になるばかりでどんどんつまらなくなっていく、と。全く同感だ。
まあ、それが現実化ということで、マルクスにせよレーニンにせよ、孫文にせよ、思いつきではないだろうが、当初の「理念」は崇高で素晴らしい。が、実際の革命闘争が起こるにつれてそれは変質しやがてはスターリンや晩年の毛沢東がしたことのようにヒドイ、変質・変節したものとなってしまう。
思いつきの楽しさ、面白さがそっくりそのまま残り、現実になることなど本来はありえないことであろう。特にそれが多くの人を伴い規模が大きくなるにつれより難しくなる。
思いつきをそのまま現実化するに一番なのは、人など巻き込まずにできるだけミニマム化し究極は自分一人でシコシコとやっていくしかない。さすれば出来はともかく思い通りのものができるはずだ。
じっさいそうして陶芸や工芸、絵画やアート作品を一人でこつこつ制作し世に示している友人知人もたくさんいる。音楽だって一人で活動しアルバム制作までやっている人も多い。我もそうすべきではないか。
が、自分でも不思議なのだが、それほど人間好きでもお祭り好きでないと自認しているこの男が「思いつく」のは、多くの人と関わる企画なのである。しかも人間関係が下手で、調整も含めて不器用かつ配慮の足りない人間がライブイベントなどの企画を思いつく。
だから当然のことたいてい失敗してしまう。何しろ本来その才がないのだから結果は常に見えている。成功するイベント企画には適した才覚が必要のはずだ。そもそも結婚や家庭とか小さな人間関係さえうまく築けない者が大きなイベントなどつつがなくやれるはずがない。過去をふりかえってつくづくそう思う。
※これほどヘンクツかつ人嫌いなのに何故、他者と関わることを企画するのか自ら不思議でならない。自己認識が出来ていない故か。このこと再考してみたい。
自分のケツさえきちんと拭けない人間がどうして大きなことを無事成し終えられるのか。誰が考えたってわかる。そして利口な人間はそうならばそんなバカなことはしない。結果は見えている。しかし、たぶんバカだから、考えなしだから、一度頭に浮かんだ「思いつき」に固執して失敗のたびに悔むが学ばず何度でも繰り返すのだ。そしてそれが生き方、習い性としてこれまで生きてきたのだ。
今回の谷保かけこみ亭でのコンサートが成功したと言えるとしたら、それは店主も含めてまず良きスタッフと気心知れた良い出演者に恵まれたからに尽きよう。当たり前のことだが、我マスダだけでは思いつきはできてもそれを現実化させ、しかもトラブルなく成功させる能力は皆無に等しいといっていい。
今回はマスダとはさういう人間だと多くの皆がよくご理解のうえで、総力戦で協力して非力な我を支えてくれたから結果としてイベントとしても成功したのだと今思う。
当たり前だが、「成功」というのは個人の力では成しえない。多くの人たちに支えられその協力があって初めてそれに近づける。そしてそのことは何事も同じであり、思いつきであろうと、もしそれが良い、成すべき価値あることならば、賛同し皆で支えていかねばならない。
一人は皆のために、皆は一人ために。どんな運動でも長続きさせるためには、皆で助け合い支えあうことだ。
改めてこの場で、個々のお名前は出さないが、参加者、協力者の皆さん全員に深く心から感謝したい。そしてこの恩返しをしていきたい。同労者の皆々に神のご加護がありますように。







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