戦後70年の安倍談話を読んで2015年08月15日 09時04分37秒

★世界に向けてあまりにもお粗末な作文で恥ずかしい。   アクセスランキング:112位

 8月15日である。朝からまた晴れて暑くなり、夜半に雨も少し降ったからか蒸し暑い。庭では蝉がうるさいほど鳴いている。戦後70年目の朝、生きてこれを記している。

 昨日は一日出掛けていたので、朝起きて朝刊で安倍談話をざっと今読んだ。
 文は人なり、書も人なりという言葉があるが、この談話、いかにも彼らしいと思った。毎度の美辞麗句を連ねているが冗長なばかりで中身がない。一見すると良いことばかり、ある意味当然すぎることばかり一般論として書いてある。言葉を大切にしない、責任を持たない実に彼らしい。

 もっと正々堂々、村山談話など過去の談話を否定して内外に挑戦的に彼独自の歴史観を持ちだすかと思ったが、反発を恐れて「踏襲」に終始している。そして肝心なこと、問題の「謝罪」「反省」も「(過去に)我が国は痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきた」として彼の口からは直接謝罪の言葉は発しなかった。さらに「慰安婦」も巧妙に言葉を避けて一度も登場しない。よってあれこれ言葉数は多いのに中身は世界の一般論、常識ばかりでそこから日本の歴史認識は見えてこない。

 自らも文を書いて世に表わしている者として思うのは、言葉というものはたくさんあれこれ用いればその書き手の意が通ずるかと言えば逆で、できるだけ削いで言葉を選んで相手に届くようしっかり推敲しないとならない。
 これは談話ではあるが、むろん原稿があり、まずそれを安倍首相の意に沿うよう書いた者がいるはずだ。ならばこの出来は総花的支離滅裂でひどいものだ。個別の文章の意味は通ずるが、全体を通して読むとだから何が言いたいのか冗長過ぎて読むほどにわからなくなる。

 できるだけこの談話が周辺諸国との軋轢の種とならないよう従来の見解を散りばめ腐心しつつ、しっかり彼の歴史観も盛り込んだあれこれ折衷の創作料理的苦心の出来だと感心はした。それゆえ味がぼけてしまい、だからいったい何が真意かはよく伝わってこない。いや、あえてあいまいにして一般論に終始することで問題に真摯に向き合うことから逃避している。その意味では非常に巧妙な良い出来だと公明党あたりからは評価されよう。

 ただ随所随所に、魚の小骨のように引っかかる部分がある。
 最初のところで、欧米の植民地支配にふれ「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアの人々を勇気づけた」とある。彼にとっては日露戦争は良い戦争、正義の闘いであったということを言いたいのであろう。、談話の中ほどで「二度と戦争の惨禍はくりかえしてはならない」と述べているのと矛盾相反する。
 また、もしその戦争が仮に他の植民地支配の元にいた人々を勇気づけたとしても、彼らが日本を讃えるならまだしも自ら口にするとは自画自賛でしかなく世界に向けても異常である。彼流の言葉を借りれば、「評価」は歴史家に委ねるべきではないのか。
 日露戦争を先の理由で是とすれば、太平洋戦争も欧米列強の支配下にあったアジア諸国を解放するためだとの論もまた成り立つに違いない。果たして中韓をはじめとするその国々の人々にその論理が受け入れられるだろうか。

 またもう一つ、大きく気になるのは、中国人の皆さんの寛容さをはじめ和解のために力を尽くしてくれた全ての国々の方々に心から感謝を述べたすぐ後に、「日本では今や戦後生まれの世代が八割を超えている、あの戦争には何の関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」という文章である。
 その後にすぐ、それでもなお、私たち日本人は、世代を越えて過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません、と殊勝なことを言っている。
 ふと、プロミスのCMの芸能プロの社長を思い出した。言ってることが突然話してる途中で180度豹変する男である。ついていけない・・・と傍らのマネージャーは嘆く。
 
 戦後生まれがほとんどで、じっさい彼らはあの戦争とは無関係無責任だから謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない、という単純な理屈なのであろうか。過去の歴史に真正面から向き合わなければならないとするならば、当然過去の日本人のしでかした過ちに対しては、子々孫々日本人として責任を持つべきでないのか。ならば我も含め誰もが謝罪の気持ちはこの先もずっと変わらず持ち続けなくてはならないはずだ。
 「謝罪を続ける宿命」とは何かそもそもどういうことか語られていないし、それが悪しきことと言いたいようだが、理由が語られていないが故何のことかよくわからない。この部分特に奇異に誰もが感じるはずだ。

 そして世界各国に向けて、さんざん一見殊勝なあたり障りのない低姿勢な文言が続いた後に、突然のように「我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献していく」と結んでいくのである。

 要するに、この談話は、彼の十八番「積極的平和主義」を戦後70年の年に世界に向けてアピールするためのタメにするものでしかない。
 自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持すると言うならば、安倍晋三は、まず沖縄県民の総意をくんで、移設と称して辺野古に新たな軍事基地をつくる計画は中止撤回すべきであるはずだし、今参院で審議中の戦争法案も国民の多くが成立を望んでいないのだから即廃案にしろと声を大にして叫びたい。

 まったくよく言うよ、である。こんな空疎な中身のない真剣さを欠いたものが70年目の談話なのである。情けない。
 アメリカの戦争に加担して世界のどこでも戦争に参加していく「積極的平和主義」は日本人の民意でも総意でもない。勝手に旗を掲げるな。日本人の一人として心から恥ずかしい。
 日本が世界に誇って掲げるのは、日本国憲法、中でも第九条の理念ではないのか。