明後日29日、無頼庵新年会へどなたでも2017年01月27日 13時50分48秒

★もう一度人生を再構築していくために

 このところ家にこもって必死に、二階の広間を片づけている。というのも30日の日曜に、久々に拙宅で「新年会」のイベントを企画したので、スペースをつくっておかねばならないのだ。

 しかし、昨年暮れ、23日に予定していたそれを一か月先に延ばしてもまだちっとも片付けは進んでいない。この半年間の、いや、ほぼ昨年一年間の溜まった広告チラシ等の紙ゴミや雑誌、新聞雑古紙、届いた手紙・郵便類、レシートなどを要不要を基準に分別整理しているわけだが、つい母関連のものが出てくると感慨にふけって手は止まってしまう。何回か泣いたりもした。

 母の治療費などの書類は、確定申告などに必要なので残すのは当然として、そのときどきの診療計画書の類だってなかなか捨てるのがしのび難い。
 また、何よりも母が書き残した、母の筆跡の拙いメモ類だって、今は母がいたことを残すよすが、遺品なわけで、我は大事にとっておきたいと思う。
 ああ、この頃はまだ母は生きてこの世にいたのだと、つい昨日のように「その頃」が思い出されいたたまれなくなってしまう。

 そんなでこの片付け作業は、正直辛いものがあるが、ともかく場所を作らないことには人も招けないだけでなく、我も身動き取れず、不自由でならず次の事、新たなことが始められないのだ。がんばらねば。

 ただ、もう今回はたぶん気心知れた旧知の人ばかりかとも思うので、綺麗すっきり場所を整えることがかなわずともお許し頂こうと思っている。
 開き直るわけではないが、もう今は、すべて無理せずにあるがまま、に生きていきたいと思っている。取り繕って、本当の自分でない姿を見せてもうまくいくはずもない。
 こうしただらしのない、自らでは律することができない人間だと知ってもらったうえで、お付き合い願いたいと思う。むろん、キレイ好きで、そんなだらしのない人と付き合うのも関わるのも御免だと思う方もいるだろうから、それはそれでかまわないし、逆に有難い。そう、俺はこんな人間なのだ。自分でもうんざりするが仕方ない。

 長く生きて来て、ようやくのところわかったのは、この世にはどうしてもウマが合わない人もいるということだ。原因も理由もないのに、何故かトラブルになり、どちらか一方、もしくは双方が相手を赦せない。むろん何か要因は必ずある。しかし、オオゴトに発展するほどのことではないはずなのに、その人と、あるいはその人にとって我は、赦しがたい関係になってしまうのだ。
 我と父もまた同様で、おそらく前世では不倶戴天の敵の関係であったのだと想像したくなる。そして、この世で親子として生まれて、その憎しみのカルマを互いに努力して解消すべく仕組まれたと考えるしかない。

 さておき、新しい年も一か月が過ぎようとしている。我としては、母の死という不慮の事件によって「破綻」してしまった人間関係をもう一度再編せねばと思うし、もっと外の世界を広げて新たに外の世界を再構築したいと考えている。
 そのためにもまず人に会い、語らい、話をお聞きしてこれからのこと、我が出来る、すべきことの計画をきちんと立てて行きたい。

 そう、今年の課題は、人生を再編、再構築である。それは元に戻すのではなく、母はもういないのだから、我一人で老い手のかかる父を抱えてどう生きていくかという新たなライフスタイルの構築と言っても良い。
 今も未だ手探り状態で、ちっとも方向も定まらないが、まずその答えは人と語らい、我が考え、覚悟をまず定めることからだと思う。

 どなたでもお気軽にお越しください。30日午後3時、4時頃からお待ちしております。会費無料です。拙宅の場所など不明の方は、コメント欄に連絡先記しておいてください。夜は9時~10時頃までだらだらやってます。
 あるいはマスダの携帯 090-8175-8479 まで。

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