「発狂」していく父と暮らしていくこと2017年06月10日 20時44分15秒

★明け方、父がハイカイし今日の集会は行けませんでした。

 このブログは、行きがかり上、我マスダの人生についてのことを現在進行形で書いている。
 ほんとうは、本のことや好きな音楽についてウンチクや解説を記したいのだけれど、いつの間にか我のしたこと、我に起きたことをつい愚痴をこぼすように日々書いてしまい、一度書いてしまえばまたそのことについては追加報告もせねばならなくなる。
 昨年の我が母の癌再発とその死も刻一書いてしまったし、ならば後に残されたその夫、我が父についても「その後」のことも書かねばならない。
 書くからにはできるだけ正直に包み隠さずありのまま書くことをモットーとしているので、不快な表現や描写もあるかもしれないがご容赦願いたい。

 先日のこと、いつもは我が起こさないと起きてこないのに何故か早朝、息子が目覚める前、一人で着替えて朝6時半頃から庭に出て、庭木をいじったり何やら作業をしていた。我が起きて下に降りたら玄関の戸が全開でドキッとした。
 幸い父の身体に異変などはなく、一人で勝手にウロウロして庭先で転んだりしてもそんな朝早くからは誰も助けに来てくれないのだから息子が起きるまで自室で大人しくじっとしていろ、とたしなめ、本人も納得理解したと思えた。
 今思えば、それは徘徊行動の一種であって、認知症の度がまた一段進んでしまった証だったのだ。

 先にも書いたが、今日10日は、国会周辺を取り囲む「反共謀罪、辺野古埋立て抗議」の集団行動が予定されていて、我も一人でもギター持って参加出来たらと考えていた。
 が、このところ体調ももう一つで、全身が怠く疲労感も強く、果たしてどうしたものかと迷っていた。森友学園、加計学園問題など、次々噴出する安倍友疑惑に対しても怒りの声を上げるべく、こうした抗議活動は一人でも多くの参加者が必要だ。我も体調がどうのこうの言う以前に、行けるならば何としても行かねばと考えていた。ついでに、8.11のコンサートの呼びかけも兼ねて、と。
 今日10日の土曜は、父がショートステイでお泊りに行ってくれる日でもある。父さえ送り出してしまえば、昼過ぎからの集会には十分間に合うと昨日の晩、我は出かける支度もして、父に食べさせる朝食用のフレンチトーストを用意して床に就いた。

 ところが、眠りについて少ししたら、父が、下から我を呼ぶ声がする。「てつや~てつや~(マス坊のことね)」と甲高い声で叫んでいる。何か起きたのかと慌てて飛び起き、二階の階段上がったところから下の玄関を見下ろすと、煌々と明るく電気が点き、父が今にも二階に上がって来ようとしている。
 いったい何が起きたのかと訊くと父曰く「猫に会いたよう、お願いだ、猫に会わせてくれ、心配だあ~、この戸を開けてくれと」泣き叫んばかりである。時間はまだ午前4時前であった。

 実はこれはまだブログできちんと報告していなかったが、先月の終わりにウチで子猫が二匹生まれた。まだ生後二週間で、ようやく目も開いてやっといくらか可愛くなってきたが、母親の黒猫は、初産でとても神経質で、父に子供たちを触られるのが嫌で、これまで二回咥えて連れて行き隠してしまい「発見」するのに一騒動を起こしていた。
 で、今は、一階の玄関わきの小部屋に、――そこは母が介護ベットを入れて死ぬまで過ごした部屋だが、鍵をとりつけてトイレも入れて親猫共々閉じ込めているのだった。
 猫好きの父には我立ち合いの元、母猫に餌与えて子猫に母乳を与えている落ち着いたときに対面させている。父一人に任せておくと、彼は戸を開け放して目を離した隙に、また子猫は親猫共々どこかに姿を消してしまうからだ。
 そうして昨晩も父を寝かせる前、子猫たちにさわらせもした。ところがまだ外は暗い明け方に、突然、息子を叩き起こして、「猫が心配だ、戸を開けて会わせてくれ!」と大騒ぎである。いったいどうしてしまったのか。
 父をなだめてともかくベッドに無理やり連れ戻し、今はまだ真夜中で、騒いでも猫たちも寝ているからもう少し我慢しろ、朝になったら会せるから」と言い聞かせて泣き叫ぶ父を何とか再び寝かしつけた。
 外はやっとうっすら白み始めてきたところだった。
 
 それから我も寝直そうとしたが、その騒動の後では気が高ぶって眠れない。父のこと、どうしてもあれこれ考えてしまう。仕方なく、連絡事項のある友人にメール書いて送ったりして朝になり、6時頃から一時間半ほど我も再びベッドに入った。ただ、今朝は父を9時すぎにはデイサービスに送り出さねばならないから、うっかり寝坊はできない。
 ほんの少しうとうとした気がしたら、セットした目覚まし時計が鳴り、7時半に起きだして犬たちを軽く散歩させて父を起こす。我も睡眠不足で頭がががんがんしている。朝食を摂らせながら、父に今朝がた早朝の騒動を覚えているかと訊いたら、「何となく」とのことだった。
 こうした騒動を夜中や早朝にまたしでかしたら、息子はもう体力続かず倒れてしまう。もう介護もできなくなる。ならば当人の意思とは関係なく介護施設や病院に入れるからと釘さして、迎えの車が来る前にちょこっとだけ猫に会わせて、やっとのことでデイサービスに送り出した。

 じっさいまだ夜間に家を抜け出して「行方不明」になってはいないが、真夜中に息子を叩き起こして「猫に会いたい、子猫が心配だ」と大声で騒ぐのは常軌を逸している。まっとうな人間なら、夜中にふと目覚め、気になることがあったとしても、起きだして騒いだりはしない。疲れて眠っている息子を叩き起こさない。
 この父の「狂気」、発狂がこれからどうなっていくのだろうか。体力が低下していくように、脳の能力、機能も低下していくのならば、こうした「徘徊」的騒動は見境なく今後も多発するだろう。いよいよもって辛酸佳境に入っていくのか。

 今日の国会包囲の集会、昼から出れば十分間に合った。が、12日引き落としのカードローンの支払いなどあって近くのコンビニから振り込んだりしてたら昼近くになってしまい、その帰り道、急に目の前が暗くなって失神しそうになった。そう、視界の周りからじょじょに黒いものが狭まってきて真っ暗になるあの感じである。これはやばい。道で倒れたら救急車で運ばれてしまう。
 家に何とか戻り、ベッドに入り、震える指でスマホで、今日集会に参加されると連絡が入っていた友人に、今日は無理だとお詫びの短いメールを返してそのまま我は短時間だが何も考えず深い眠りについた。

 実は今日、集会に行かないのならば別の用事を午後予定していて、身体はかなりしんどかったが、午後2時からのそれには行けた。そのことについてはまた後ほど記す。
 それから戻って、夕方からまた7時過ぎまで眠って、犬猫たちの世話して今これを記している。
 
 母のときは、頭はしっかりしていたが、癌のため身体がもたなくなって母は死んだ。父は、身体は、ろくに歩けずふらふらでも基本頑健で、頭のほうがダメになり、もはやこの家で共に暮らせなくなってきた。
 人が老い、長生きすると最後はこういう事態になるのであろうか。母のようにともかく最期のその時まで住み慣れたこの家で過ごせたのは、やはり幸福なことであったと今は思える。介護しているときは、我にとっても母当人にとっても大変な辛く苦しい時間であったが、この家に死ぬまでいられた、この家で死ねたのだから幸運な良いことだったのだ。

 父はこのままではどれほど猫を愛し、猫と暮らしたいとしてもこれでは息子はもはや介護できない。一緒に暮らせない。キチガイと暮らしているとこちらまでストレスで頭がおかしくなってくる。まったく気が休まらない。
 息子が自分のことが何もできなくともそれはどうでもいい。糞便の始末も別に辛くない。それよりも父の世話に加えて、昼夜問わず目が離せないとすれば、今日のように睡眠不足で体力が続かない。このままだと倒れてしまう。
 
 父に振り回されてこのところよくこう思う。すべては自分のしてきたこと。罪に対しての罰だとは考えないが、この現実は我の自業自得なのだと。
 結婚もせずに子供もつくらずに若い時からきちんと働かず身勝手に遊びほうけてきたワガママな無責任人生のツケなのだと。そして今そのツケを我は払っているのだ。ならばそれも仕方あるまい。人生とは誰にとっても同様にそれぞれがそれぞれのツケを応分に払っているものなのだから。そう、絶対的に公平なものなのだ。

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