母が死んで早や一年、やっと一年2017年09月08日 23時41分07秒

★父を連れて今日は町田へ墓参りだけは行ってきた。

 今日9月8日は、我が母の命日であった。
 母は、昨年の9月8日未明、末期癌で自宅で病臥していたところ容態が急変し我の手の中で息をひきとった。
 86歳という享年に文句は言えないが、母の母は百歳近くまで生きていたし、若い時から何の病気もせず八十過ぎても元気に日々動きまわっていた人だったので、癌にさえ侵されなければ九十過ぎまで生きていたはずだと今も思う。
 焼かれた骨はしっかり形も残っていてずっしり重くこんなに頑健な人だったのにとその重さがただ哀しかった。

 そしてそれから今日で一年。早やもう一年かと思う気もするが、それよりもやっと一年、何とか過ぎ終えたという感慨のほうが強い。それは父をこの一年どうにか死なさずにこれたという意味でだ。
 母、つまり彼にとって妻亡きあとその後を追うようにして死ぬ夫はかなりいると訊く。まして父は母より五つも年上で、この秋93歳となる。このところ体調崩すことも多く、この一年だけでも何度も急患扱いでかかりつけの立川の病院に連れて行ってあれこれ詳しく検査もされた。
 我としては母が先に逝き、残された我と父の親子二人だけの生活となったからこそ、何としてもまずこの母の命日までの一年、いわゆる一周忌まではまず父を死なさず生かしていくと目標を定めていたからその思いは成ったわけで、今はほっとしてやれやれという感慨がわいている。そう、何とかこの一年間、父を生かしておくことができた。この一年本当に辛く大変だったが亡き母にその報告が出来た。

 ただ一方、では来年の今日まではどうかと考えると、希望的観測は捨てて冷静に見れば、今の父の様子ではかなり難しいと断言せざる得ない。
 この一年、呆けもだが、全身の衰弱が進み、ほとんど歩けなく、そして食べられなく、さらには眠ってばかりとなってしまったからもう墓参りはまず無理だというだけでなく、存命してても介護病院施設でほとんど意識もなく死期を待つだけの身となっている可能性が高い。
 父本人も我もこの自宅で母のときと同じくその最期のときを迎えさせたいと願い考えるが、意識もなく寝たきりとなった大男を、息子が一人で看護できるはずもなく、このまま衰弱が進めば早晩、そういう人専用の病院施設に入れるしか手はなくなろう。
 それはこれ以上老衰が進めばの話であり、今のままならばさらにまた一年歳とれば、そのぶん衰弱は確実に進んでいく。

 我としては今さら父が筋トレなどしてくれるデイケア的施設に通うことはかなわないのだから、ショートステイに行ってる日以外、家にいるときはできるだけ家の中でも手すりバーに掴まって自力で歩くトレーニングなどさせようと思っている。
 ともかくこれ以上動けなくなってしまえば、寝たきりとなってしまうこと間違いない。いずれにせよ介護施設内で転倒したりしてそのまま寝たきりとなる可能性もすごく高い。
 今はその瀬戸際というか、我と父にとって正念場が来たという思いでいる。今ならまだギリギリで何とか少しは戻せるかもしれない。
 
 あと一年、来年の9月8日まで父を無事に生かせておけるか。それはものすごく難しい課題だとはっきり認識している。が、このままなし崩し的に、老化が進むのをみすみす放擲してしまえば、まず苦労するのは我であり、その先に来る父の死が早まるだけでしかない。

 お騒がせしたが、子猫たちのことはもう諦めもついた。賢くて飛び切り可愛い子猫たちに何があったのか、結局誰にもわからないままだろう。
 我にできることはとりあえず精いっぱいやったと思いたいし、彼らはそういう「運命」だったのだと思うしかない。それは痛恨というほどに残念だがそこにも人智が及ばぬ理由がまたあるのであろう。
 もっと大人になって野良猫的にまた戻ってくるかもしれないし、先のことはわからないからこそ、悲観的でなく楽観して希望は持ち続けたい。
 
 そう、気持ちを今日から切り替えて、ともかく今はまず父のことを最優先に、またこの先一年間、来年の母の命日まで、父をこの家で生かしておくべく我が人生を定めたい。今日母の墓前に泣きながら誓ってきた。

 今日の墓参りのことは、後ほど書き記しておきたい。