我も父も「まだ生かされている」のならば2017年09月23日 07時04分01秒

★またも九死に一生を得て思ったこと

 一昨日から昨日、この21~22日、父を連れて犬たちと山梨の倉庫と化した古民家へ行ってきた。無事帰って来たからこうしてブログを更新できるわけだが、毎度のことながらまたもや危機一髪、薄氷を踏む思いの状況、命を危険にさらす事態が起きた。

 行きの中央道で、車が突然エンストしてしまいギアも動かず制御不能となり、路肩にきちんと寄せることもできず後続車から追突されても仕方ない状況に陥った。しかも二度もエンスト起こした。
 詳しいことは、後ほど記すつもりだが、よく、人が言うように、あわや死ぬかと思った、というわけではない。そのときは必死で、ただ何とか動くよう祈りながら、車内で大騒ぎしていた。

 幸い車は再び動くようになり、韮崎の自動車修理工場でかんたんな点検してもらいオイルだけ足してもらって古民家のある里山へ上り、その晩は一泊して翌日は早々に一般道でゆっくり慎重に帰ってきた。一部高速道路も使ったが。
 無事着いた晩も父とあれこれあってその日のことを振り返って興奮してほとんど眠れなかった。帰宅できた昨晩は疲れ果ててぐっすり深く眠って今こうしてブログを記しているわけだが、冷静になればなるほど本当に危ういとこだったとつくづく思う。追突事故が起きても仕方ない事態であったのだ。
 
 運が良いとか強運だとか我はよく人から言われる。我は二年前の両国のでフォークイベントでも酔っぱらって、会場となっていた神社の回廊の座っていた手すりから頭から落下して、2mも高さあったのに、幸い入院することもなく後遺症も出ないですんだ。そのときは一時的に記憶喪失とはなったが。脳挫傷などで死ぬか障害が残ってもちっともおかしくはなかった。まあ、その晩は帰路何回も転んで頭も含めて身体じゅう擦り傷で血だらけで帰って来て翌日は一日寝込んだが。
 そして昨年、母を数か月在宅での看病の後、見送って思ったのは、その両国の事件でも我は奇跡的に何ともなかったのは、母を看取るという「使命」があったからだと思い至った。
 つまり果たすべき役割がまだあったから、天の計らい?によって守られ、死なずにすんだのである。そのことは確信がある。

 そして今回も、後から冷静になって振り返れば、高速道路内で父と犬共々、我らは走って来た車に追突されて投げ出され死んでいたかもしれないと気づく。エンジン停止中なのだからエアーバックも起動しなかっただろう。今頃になって冷汗三斗である。
 そうならずに無事またこうして自宅に帰れたのだから、確かに運が良かったわけだが、それだけですまして良いのだろうか。

 人は皆誰もが、自分で、自らの意思で考え動き選択し生きている。我もそう思っていた。が、実はそれは大間違いで、人は自ら生きているのではなく、常に「生かされている」のだと今はっきり強く感じる。
 生かしてくれているのは誰かそれは誰であろうか。

 我は、今回もまた生かされた。ならばその意味をもう一度深くじっくり考えてこれからの再び「与えられた」人生を有意義に使わねばならない。それは父もまた同様に、すべてのことには意味があるのだから。

 これからのこといろいろ悩み考え問題山積ではあるけれど、今回これで死んでしまっていたらそれらもまさに山積みのまま、手つかずにして我はあの世へとトンズラしてしまっていたわけで、唯一の肉親、妹が全人生を費やしてその後始末、兄や父たちの「実家」の後片付けに苦しむはめとなっただろう。
 幸いそうした事態に至らずにすんで良かった。こんなことで死んでなるものか。
 
 これからのこと、今さらながら真剣に考えて何を最優先にしてやっていくべきか考えなおしたい。
 繰り返す。生かされている意味は何なのか、何を成すためにまだ生きているのか。今さらだが自らにじっくり問い直すときが来た。