父のこと、これからのこと2017年12月06日 22時15分21秒

★前回の続きを
 
 父と我のことでいろいろご心配おかけして申し訳なく思う。そして実に情けなく恥ずかしいとも正直思う次第だ。
 が、今日、父がショートステイから戻る前に、担当のケアマネが来て、ぶっちゃけ現状を説明し、ならば来年からは順次お泊りの連続日を増やして、そのまま特養へと移行すべくプランを立てるということで話はついた。
 なので、父に何か異変や新たな深刻な事態が起きないかぎり、たぶんもうこうした愚痴めいたことは記さずに済むかと思う。

 今、その父を寝かしつけ、紙パンツの中に紙オムツとパッドを入れて、ちんちんももちろん巻いて、五重にセットしたので、明日の朝こそはベッド上まで小便が漏れ出す事態は回避できるかと期待している。といっても、こうして息子が苦労してお漏らし回避のセットしてもまた父が夜中に起きだし、うろうろ室内徘徊でもすればまたセットはずれてしまい万全の対策は水の泡となる。

 何が辛いって、毎朝小便で濡れたシーツやパジャマを洗い干しては、夜はまたベッドに吸水シートを両面テープで四枚貼り付け、その上にきちんとシーツを敷きなおして、何重にもまた紙パンツを履かせて父のお漏らしに備えて新たにセットをし直すことだ。
 毎日毎朝毎晩、失禁したシーツ類を洗濯してはまた夜には新たにベッドメーキングする。セッティングだけで一時間は必ずかかる。でもそれは一晩しかもたずまた毎日同じことを繰り返さねばならない。実に無意味で虚しい。まあ、ウンチが出てベッド上で、紙パンツからそのパッドを引き出してシーツから毛布までウンコまみれにされるよりは小便だけならまだ被害は少ないが。

 そして今こうした事態になって気がついたことがある。今、父は一週ごとに、二泊三日と一泊二日の週、それと一泊二日と一泊二日の週、という具合に、週末と週半ばにそれぞれ別の介護施設に通い預かってもらっているわけだが、行ってる間は、確かに我は楽でき、時間的にも自由にはなれているはずだが、我の負担はあまり軽減されていない。
 というのは、施設に行く日も朝起こして着替えさせ、朝食作り食べさせて薬や荷物一式まとめて連絡帳に状態記して、送り出すわけだが、ベッドから起こして送り出す玄関先までは、最低でも毎回2時間は常に要する。
 また、夕方施設から戻ってきた父を迎え入れ、まず着替えさせ、夕飯食べさせるわけだが、就眠に際しコタツから抱きかかえて洗面所で入れ歯洗ったり寝間着に着替えさせ紙パンツセットして寝かしつけるまでもやはり一時間以上時間はとられる。

  今日ケアマネ氏に状況説明するためカレンダー見て改めて確認してみたら、我は父が施設に行く日も行かない日も関係なく毎週、夜は5日から4日、そうした父の世話をし、朝もまた同様に4~5日、起こして着替えさせ食事の世話しているのである。
 けっこうデイサービスやショートステイに通っていると思っていたが、じっさいのところは、週のうち四日、五日の晩は父は家にいたのである。そしてその夜ごと大小便をしては翌朝また我は洗濯に追われるということを繰り返し続けていたのだ。これでは心身ともにへたばってくる。もういいかげんにしてくれ、である。
 今日、担当ケアマネと相談して出た方向としては、こうして一泊二日とかの短いショートステイを繰り返すのではなく、もっとロングで、例えば、土曜朝から水曜夕方まで連続で預かってもらうような日程を組むように調整していくということで、すぐさま来年一月からは難しいが、介護保険の点数との兼ね合いも見て、利用枠いっぱい使えるようまずできるだけその方向でプランをたててもらえることになった。

 繰り返し書いて来たが、我としては、できるだけ最後の日まで父を、母の時と同じようにこの家でしかと看取りたいという気持ちは強くあったし、父の方もそう希望していたけれど、今のように呆けと老衰がさらに進み、まず下の世話、糞便のほうまで手がかかるようになれば、息子一人ではもうとても面倒見きれない。これが我に妻子があったり、近くに子息、つまり我の兄弟姉妹がいて、交互に父の世話に来てくれるならまだしもだが、ともかく我だけでやってるのだからついに限界が来た。さすがに我もギブアップ宣言した。
 幸い父が今通っている二つの施設のうち、一つは正式な特養ホームでもあるので、このままさらに呆けと老衰が進めば、自然にそっちに段階的に移行することもできるかと思う。つまり父としては、自ら気づかないまま特養で介護されその最後のときを迎えるということだ。

 まあ、そんな悠長なことを予測したりする以前に、我が父はもう年齢的、肉体的には瀕死の状態、いつお迎えが来てもおかしくない歳なのだから、まずはこの冬を無事に風邪などひかずに越せるかどうかを案ずるべきであろう。
 彼にとって妻である、我の母が死んで二年目の正月が間もなく来る。まずはこの正月を迎えて、さらに次はこの冬を風邪などで入院せず無事に乗り切ってまた新たな春が迎えられるかどうかだ。

 イエスが説いたごとく、汝明日のことを思い煩うなかれであろう。だが、人は誰にとってもそのつらい「現実」を受け容れたうえで、乗り越えて行かねばならない。大事なのはその「意思」だと思う。
 それこそが、「ウイシャル・オーバーカム」のオーバーカムという意味なのではないか。小池都知事の好きな言葉、アウフーベン、「止揚」とも近しいのではないのか。人が生きるとはそういうことではなかろうか。

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