当たり前のことを、当たり前に2021年12月13日 22時46分14秒

★まだ人生が続くのならば

 人生の危機というか、一つの大きな転機となる時期は誰にも起こるのだと思う。その危機というか、転機になる時を乗り越えないと次に進めないし、時にはそこで息絶える。
 我、マス坊にとって、今さらだがこの歳でこんなときが来るとは思ってもいなかった。しかし、それは起こるべくして起きたことで、今まで、恥ずかしい話だが、本当に一人の社会人としてしっかりきちんと生きていなかったのだから仕方ない。
 ずっと親の庇護の元、愛され守られてこちらは依存し、のうのう楽々と生きてきていた。そして5年前まず母が逝き、今また父が呆けて衰弱して余命間もない状況となって、いま我は、やっと一人で初めて陸に戻った浦島太郎のように現実に向き合い呆然としている。
 しかし、ここで玉手箱をすぐさま開けるわけにはいかないのである。そう、老いて死ぬにはまだ早すぎる。

 これがもう少し若く、せめて40代ぐらいならば、結婚も含めてもう一度人生をやり直し社会復帰も可能だったかもしれないが、もう人生も残り少ない60代半ばでは、あとはいかに残り人生をうまくやり過ごし撤収に向かうかだけであり、断捨離などしなくとも、せめて我が唯一の肉親である妹に死後の迷惑はかけぬよう、立つ鳥後を濁さぬよう、どこまで清算できるかだけだとようやく気がついた。
 しかし、気がついただけでも良いことであり、今ようやく人生に自らきちんと向き合うこととなったのは、遅ればせながら自分にとっては大きな進歩、向上であろう。
 じっさい、父母が今もまだ元気で生きていたら、我はずっと変わらずに何も考えず気づかず、今まで同様、お気楽に趣味道楽にうつつ抜かす極楽とんぼのままであったことは間違いない。そして親たちは逝き、何一つできないままさらに老人となっていた我は、体も動かず真に途方に暮れて呆然自失のまま自滅していくしかなかっだだろう。
 いま、幸いにして体調不良といえども、我はまだ自由に動けるし進行性の死に至る病には罹っていない。鏡に映る顔はずいぶんしょぼくれた白髪まじりのオヤジだけれど、気持ちだけは十代の頃と何一つ変わっていない。
 そう、性格も気質も嗜好も思考もあの頃とほとんど何も変わっていない。ただ時間がたち、街も周囲の人もすべてが移り変わってしまっただけで、自分だけは結婚もしなかったし子もいないから何一つ変わっていない。同じ町で同じ家でただ同じことをずっとしているのである。
To be continued.