これまでのこと、これからへの思い⑧2024年02月06日 10時44分19秒

庭の棟物たちの眠る墓にも積もる雪
★まとめ・追記2

 雪は、北国の人にしたら大雪どころか鼻先で笑われるほどの降りではあったが、湿った重たい雪が、関東・多摩地区でも本格的にそれなりに積もった。
 いまは、また冷たい雨が降っていて道や屋根に積もった雪を溶け流している。
 春の雪である。間もなく溶けて、何日も凍りつき残ることはないだろう。

 我が人生、最低、最悪だった去年、2023年についてだらだら書き続けている。誰かに読んでもらいたく、伝えるためにではない。
 記憶が続かない自分のために、備忘録として書き記している。
 おそらくまたさらに酷い大変なことが起きて辛い年も来るだろうが、大事なことはその都度、誰のためでもなく書き遺すことだと信ずる。

 増えすぎてしまった猫たちを巡るトラブルや、ご近所との諍い、無言電話などの嫌がらせ等についてはこれまでも書いた。
 また、その面倒な事態から当ブログも閉鎖、休止せざるを得なくなったわけで、そうした事案もツライことではあった。何より、書く場を失ってしまったことが。
 しかし、最も大変だったのは、我が身体のことで、そのことを書いて、「これまでのこと」を書き終わらせたい。

 それがいつから起こったのか、いま確認できないが、確か夏前のこと、ある朝突然、右腕が動かなくなった。
 激しい痛みと痺れ感で腕を上げることもできない。
 思ったのは、脳梗塞か何か起きたと思い、ついにそのときが来たか、と驚いた。
 が、冷静に身体をあちこち確認してみると、動かないのは、右の腕だけで、頭痛などはしないし、右足も含めて下半身もまったく異常はない。痺れも痛みもなく、痛くて動かないのは右手だけだとわかった。
 幸い、我は、生来は左利きで、むろん右利き社会では、文字を書いたりギター弾くのは、右利きでやっているが、左手でも箸とかは使えて食事などはさほど不便はない。
 しかし、右手が動かない、使えないのはやはり困った。
 結局、脳梗塞などの疑いは持ちつつも様子見て、医者にも行かないうちに、右腕はしだいに動くようにはなってきた。しかし、強い凝りのような痛みは消えずに、今もまだ残っている。
 今思うと、五十肩、いや、六十肩のようなものなのだろうか。思い当たる原因はなくもない。
 増えすぎた猫たちの餌にやるために、近くのスーパーにほぼ毎朝出向いては、凍ったマグロの血合いのアラのパックを買ってくる。
 それを、台所用のハサミで、細かく切って、安いドライフードに混ぜて腹をすかせた猫たちに与えている。
 それがほぼ日課であり、そのハサミによる右腕の筋肉の酷使が原因のようにも思える。
 本来は左利きなのだから、左手でその作業をやればいいのだが、ハサミというものは、右利き用にできているようで、左手でやるとどうにも捗らない。仕方なく右手を酷使し続けた。
 で、筋肉痛、筋肉疲労が悪化して、ある朝突然動かなくなったと今思える。

 医者に通うことも当然考えた。ただ、経験上我は待たされて、じっと診察まで座って待つことはできない性質であるのと、けっきょく湿布薬と、電気パットを当てるぐらいしか治療はないと思えたので、自力で何とかしようと、近くの銭湯に週一で通い、そこの電気風呂のマッサージを利用して何とかじょじょに回復させていった。
 ただ、何より困ったのは、日常生活もだが、パソコンのキーボード操作とギターが弾けないことで、特にギターは、コンサートの日程を、ずいぶん早くに12月に決めたものの、その一か月前まで練習どころかギターを手にすることまでいかなかった。
 そして、さらにそこに、我が愚かさ故に失態が起こる。

 11月の後半、先に書いたように、ゴミ屋敷と化した室内の、とっちらかった台所で、モノが積み重なったところを歩き、流しに行こうとしたら、何か刃物のようなものを裸足で踏んだ。
 思わず痛みに大声上げた。最初はガラスのコップなどが割れて、その割れた断面を踏んだと思った。
 が、踏んだのは、フードプロセッサーの螺旋状の刃だとわかった。
 右足の裏、土踏まずの上あたりに、ぐっさり深く刺さって、抜くのもかなり力が必要だった。
 そのプロセッサーなるものは、野菜などをみじん切りにしたりするミキサーのようものらしく、フリマか、リサイクルショップで未使用?の中古品を手に入れたと思うが、まだ使ったこともなかった。
 箱に入ったまま、台所の棚にほったらかしにしてあったのを、バカ猫が落として、中身が散乱していたのだ。
 実は、箱が落とされたことは気が付いていた。が、相変わらず我はそのままに、毎度のほったらかしにしてしてあったのだ。
 そして気づかぬままその鋭利な螺旋状刃物を体重かけて踏んづけたのだ。

 去年は晩秋になっても温かい汗ばむような陽気が長く続き、とうぜん我は、室内では常に素足のままだった。
 それで、そのまま落ちていた螺旋状の刃を踏んだのだ。
 何とか抜いたら、自分でも驚くほどの血が噴き出した。
 痛みより以前に、その血を止めないとならない。が、足の裏である。病院に行くにしてもまずその出血を抑えてからだ。
 幸い手近にあったキッチン用ハンドペーパーで、その傷口を抑えて、その足をつかないようにして二階に上がり、トイレ前のシンクで、足を上げて足の裏に水道の水を流して傷口を洗い流した。しかし血は止まらない。
 よくケガしたときは、傷口を心臓より上に上げないと血は止まらないと言われる。が、足の裏なのだ。どうしたらいい?

 けっきょく、ペーパーをを何枚重ねにして、血が出たままの傷口を押さえつけベッドに行き、横になって足を上げることにした。むろんガムテープで、ペーパーで抑えた傷口はグルグル巻きにした。
 しかし血がかなり出たものの、痛みはほとんどない。足を上げたまま少しだけうつらうつらしただろうか。巻いていたペーパーを交換したら血は止まり始めていた。
 医師に診てもらうことも考えたが、ズキズキした強い痛みもなく、足の裏だから、縫合もできないと考えて様子見ることにした。
 むろん腫れてきたり化膿して痛みが強くなったら医者に行くつもりだった。
 ただ、じっと傷口をかばって横になってはいられない。犬の散歩や、猫たちの餌を買いに外に出ないとならない。
 我が父は、我より大きな大男だったから、父の靴は、我の足より当然大きい。その父の遺したサイズの大きな靴と靴下を履いて、傷口は厚紙を巻いて、右足をかばいつつ、傷口で踏まぬよう踵で歩くようにして、最短の距離で買い物と散歩などの用を済ませて、数日様子見ていた。
 当初は、コンサートのときも歩くことは難しいだろうと思えたが、幸い化膿することもなく、ほぼ一週間程度で、傷の痛みも消えて日常生活は、10日ほどで戻ることができた。
 その刃物自体は新品で雑菌などなかったのと、切れのいい細い刃だったから、深くても傷口もすぐにくっついたのだと思える。
 ただもっと太い血管とか切れてしまっていたら失血死していたかもしれないわけで、相変わらず運が良いというか、毎度のことながら神のご加護があったというとかない。
 今も階段には、そのとき我が流した血があちこち垂れたまま残っている。見る都度、自らの愚かさ、だらしなさを噛みしめ、ほんとうの大事に至らなかったことの僥倖を思う。

 そんなこんなで、右手の不具合と足裏のケガ、さらには記憶断絶などで、久しぶりの我が企画するコンサートは、当日までの時間は多々あったのに、ほとんど練習も準備も満足にできぬまま、本番を迎えた。
 ※今回は、Amazonでの古本稼業も11月末から休止して、コンサートのみに向き合ったつもりだったが・・・そこにパソコンの不具合まで加わった。
 結果は、何とかなるかと思ったものの、コンサート自体は成功だとしてもやはり自らの出来については、これまでで一番情けないものとなり、苦い悔いの思いだけで終わった。

 そして今思う。これまでの人生で最も多事多難で、ケガやトラブル、病気も含めていろいろあった年だったが、ともかくまだ生きて我はここに在る。
 先のことを思うと経済的な事から、一人でやっていくことはあれこれ次々不安にもなるが、まだもう少し人生は残っている、続くだろうと信じて、その残りの人生を丁寧に大事にしていこうと思う。
 もう本当に、自分のようなバカで愚かな、どうしようもない人間は、とうに死んでもおかしくなのいのである。
 それでもまだ性懲りもなく生きているのは、まさに生かされているわけで、その意味を深く考え、有難さを噛みしめて、その恩に応えていかねばならない。
 死ぬまでにまだやるべきことが我にはある。嘲笑うものは笑え。もう何にも屈しない。

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