バロンの公演が浅草見番で9/9~12日あります。2011年09月01日 22時40分25秒

★バロンなかざわの新境地、ぜひぜひお越し下さい。

過去に学び、未来へ生かしていくこと2011年09月02日 22時45分41秒

★防災の日は過ぎたけれども

 ともかく蒸し暑くて参っている。今超大型台風が来ていて、このところ東京でも不安定な天気が連日続いている。
 晴れ間も見えたかと思うと、曇って突然滝のような豪雨が降って、またすぐに上がったり全く予想がつかない。
 そんなこんなで湿度が高く、まるで蒸し風呂のように蒸し暑い。というのも窓を開ければ風もありいくらかは涼しいのだが、突然の豪雨が吹き込んだりもするので窓は開けられない。締め切った冷房のない部屋の中で、パンツ一枚でガマの油とりのようになっている。扇風機はつけてもあまりの暑さに頭の芯がぼうっと痺れてくる。ブログも手短に。

 今これを記しているのは2日の夜。台風は四国に上陸したのかこちらまで今夕から急に風が強くなってきた。窓開ければ風も入って来るのだけど、不穏でそのまま眠るわけにもいかない。早く台風が通り過ぎるのを祈るだけだ。

 昨日は防災の日で、3.11を受けて、これまでになく全国的にどこも気合が入って真剣に訓練に臨んだようだ。また、今後の巨大地震に備えて、その対策がさらに急がれるとニュースでも報じていた。
 だが、思うのだが、どんなに万全と思われる対策をしたとしても未来永劫天変地異は必ず起こりうるし、果たしてどれほどの効果あるものか。万物は流転するのが必定なのだから対策や想定は必要だとしても、それと共に人の死と同じく必ず「来るもの、起こるもの」と覚悟を固めるしかないのではないか。

 覚悟というのは、この「今」の、現代の享楽的繁栄も永久のものではなく束の間のものだと認識することだ。どれほど高価なブランド物に囲まれて若さと美貌を誇る人もやがては老い醜態をさらしていく。同じく今の幸福、何でもある快適な暮らしだって永久に続くわけがない。人はやがて老い病み誰もが死に、そして何代か立たばそんな人がいたことすら忘れ去られてしまう。それはどれほどの栄華を誇った都ですら今は砂漠の中の遺跡になってしまうことと同じことだ。ならば金やモノに夢中になり固執し囚われている愚に気づかねばならない。

 3.11以降、過去の大地震や津波などを記した古文書や昔の地層を調べて過去の被害を確認して今後に生かしていく研究が脚光を浴びている。それはとても良いことで、そうした過去に目を向けて古い伝承に耳を傾けていたら今回の大津波のような「想定外」の事態はかなり防げていたかと思える。
 しかし、古いものに囲まれて、古い本を扱う生業の古物商、古本屋としては、そうして地誌学的に過去を知り学ぶ以上に、昔の人がどのように感じ考えていたかを知り、その心、スピリッツを今とこれからにいかしていくべきかと思う。
 論語や儒教にまで遡らなくても、兼好法師や貝原益軒の書いたものでも十分今読んでも面白く参考とすべき普遍的なことが記されている。方丈記などだって、そこにある精神性は、今の我々とほとんど違いはない。読めば必ず共感を呼ぶ。

 いつの時代でも戦などの動乱や天変地異は繰り返し起こり、そのなかで生きていった人々は無常感やもののあわれを感じ、嘆きもしたことだろうが、やがては開き直り諦観の域に達していった。それは一種の悟りであろう。
 科学がない時代だからそうなったと考えてはならない。原発安全神話も含めて科学は万能だと思うほうが間違いであろう。大地震も大津波も必ずまた近いうちに起こる。そして人は必ず死ぬ。ならば、だとしたらどのような覚悟で人は生きるべきか。その答えは、その「古典」とされる昔の人が書いた本の中にある。

生きている限り望まぬ災難や災害には必ず遭遇する。ならばその時どきの“心構え”を先人に学ぼうではないか。

 昔のもの、古いものからこそ真に学ぶべきことがある。何故なら何千年たとうと人の心は何も変わらないのだから。
 兼好法師も『徒然草』第十三段で「独りともし火のもとに文を広げて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。《略》いにしへのは、あはれなること多かり」と記している。今こそ、古人の言葉に耳を傾けるときなのだ。

『英国王のスピーチ』を観て考えたことなど。2011年09月03日 23時47分35秒

★怖れるな、全ての元凶は「不安」からなのだ。・前

 いったい台風はどうしてしまったのか、遅々として進まず、今日3日の日中もまだ上陸すらしていなかった。大型台風は西にそれたので、こちらは雨も風も断続的で大雨には見舞われていないが、不安定な天候に日本中が振り回されてしまったようである。今、日付が変わる頃だが、また突然ザーと音を立てて降ってきた。風はあるが大したことない。

 昨日2日は、あまりの蒸し暑さに家にもいられず、外の作業もできないので、昼から飯田橋のギンレイホールへ出かけた。金曜で上映最終日である。
 実は前週のプログラムは珍しく邦画2本立てで、やはり最終日に観るつもりで家を出たのだが、駅に着いたら東京行きが目の前で出たところで、実はその日は老親たちは二人ともやや体調崩していたこともあり、急に気が削がれて、出かけないほうが良いのかと考え直し行くの中止にしたのだ。その日も突然土砂降りの雨に降られた。
 そのときの映画は、三浦しおん原作の『まほろ駅前多田便利軒』と『津軽百年食堂』で、どちらも気になる役者と舞台設定に魅かれて気になっていたのだが、きっと近くテレビでもやるだろうと諦めることにした。
 そんなこんなで情けない話、このところ月に一日、都心に出られて映画を観れるかどうかなのである。
 
 幸いにして昨日は、台風近づく最中、家を空けられて、話題作『英国王のスピーチ』と『ジュリエットからの手紙』の二本立ては観れた。『英国王~』は映画としての出来はもう一つのような感じで面白いかどうかよくわからないのだが、このところずっと自分が考えていたことがそっくりそのまま描かれていて強い確信が持てた。
 それは何かというと、英国の王様に限らず、自分も含め多くの人が「怖れ」に囚われていて、怖れは不安を生み、不安は失敗や失態、ときに制約や拘束を生むという真理である。
 そしてその怖れはどこから来るか。それは幼少期に受けた心の傷、トラウマに発しているのである。ならば怖れなければ失敗に囚われることはないはずなのだが、そう簡単に怖れは心から去っていかないのである。《長くなるので続きます》

怖れるな、全ての元凶は「不安」からだ。2011年09月04日 07時13分52秒

★一人“どもりのジョージ”のみならず。

 ようやくのろまの大型台風は日本海へと、山陰沖に去ったようだ。
 朝7時前に起きた。東京多摩地区はまだ曇っていて時折カーテンをゆらす風も吹く。でもようやく涼しくなった。安堵している。

 今、これを書いている増坊が、性格的、人間的にかなりの問題ある人物、ダメで変であることは一度でも会い少しでも関わりを持った人なら誰でもわかる、知っていることであろう。よって常にトラブルを引き起こす。失敗ばかりの人生である。

 今風の言葉で言うならば、その「キャラ」は意図して、つまり意識して作り上げたのではなく、自分としては改めたい、矯したいと願うものだが、何故か常に同じ愚を引き起こす。医者にかかるほどではないけれど、いや、真剣に自分に向き合う人ならばとっくにそうしたであろうしすべきであっただろうが――悩みつつもだらだら50年以上も生きてきた。
 若いときはバカだからまずその「問題」に気づかなかったが、近年いろいろあってさすがに思うところがある。このところ同傾向の友人と電話で話す機会があり、いったい何が原因でそうななったのか、そうさせるのか考え続けている。
 
 映画『英国王のスピーチ』は第二次大戦時に即位したイギリス国王ジョージ6世の吃音症、つまりどもりの問題をテーマにした意欲作だ。むろんフィクションではあるが、実在した人物、それも現エリザベス女王の父上のことなのだから、これは「事実」なのであろう。

 彼は即位前からどもりに悩み苦しみ、様々な治療法を試したが効果なく、妻がみつけた新聞広告から風変わりなオーストラリア人言語療法師ローグのもとを訪れる。ローグは、吃音は機能障害ではなく、幼少期の心の傷が原因だという立場から、対等な関係を求め「過去」の出来事を語らせるところから「治療」を進めていく。
 王になる男と当時異端の言語療法士はときに反発しあいながらも立場を越えて親交を深め、ついにはドイツとの開戦の詔勅をラジオを通して国民に向け生放送で読み上げるときが来る。果たして王様はどもらずにスピーチを無事に終えることができるのか。ストーリーはざっとそうしたものだ。

 人間としては素晴らしく上質ながらどもりという屈託を抱えて常に憂鬱に苛まれ、ときにかんしゃくを起こす王様をコリン・ファレルが気品損なうことなく丁寧に演じている。この映画の成功はアカデミー主演男優賞をとった彼の演技にかかっている。いかにも王族らしい気高さと傲慢さを巧みに表現した彼の名演を観るだけでも足を運ぶ価値があった。

 王様は家庭内とか日常会話ではまずどもらない。大事なとき、公的な場で話さねばばならないとか重圧があると緊張して必ずどもってしまう。どもりに限らずそうした似た経験がある方も多いかと思う。

 増坊も常にそうしたもので、例えばギター演奏なども家で弾いているときは完璧で間違えることなど絶対ないはずなのに、人前で、しかも大事なライブの場だと100%失敗する。それは緊張するからであり、緊張はどこからくるかというと、不安があるからで、それは心の奥底にどす暗い「怖れ」が巣くっているからなのだ。そのパターンはいつも決まっている。

 昔、車の免許をとるため立川の自動車教習所にずいぶん歳とってから通っていたときのこと。今はあれもサービス業の一種だから無礼な教官は少ないかと信ずるが、とてもいやな威圧的かつ常に人を馬鹿にする教官が何人かいた。そいつらはこちらが運転に失敗するたびに、「あ~あ、またかよ」と溜息をついたり「俺も長いことこの仕事やっているけれとあんたみたいな人初めてだよ、呆れたよ」と率直な感想、それは放言であり暴言だと思うのだが――を述べた。

 自分は常に何事にも最初は緊張して臨む性格だしもとよりものすごい不器用だから、基本的にたいがい最初は失敗する。しかし、真剣になれば多少は学習するところもなくもないので、やがてはできるようにもなっていく。だが、そのイヤな教官たちが助手席に乗る番に当ってしまうと、運転の前から、ああ、ダメだ、また失敗すると覚悟して、案の定必ず失敗した。
 また逆に、こちらを誉めてくれる優しいタイプの教官に当ると、安心するからかミスも少なく、自分でも予想外に巧く運転できることもあった。つまり最初から緊張してしまい失敗するのではないか、きっと失敗するぞという「怖れ」があると結果はその通りに必ずなる。そして悪い教官は、こいつはまた失敗するぞ、ダメなやつだというプレッシャーを与え続けていた。

 不安など無しに、構えずにやれば失敗しないはずなのに、緊張して臨めばまず失敗してしまう。どもりもまた同じことで、自分もまたどもらずとも大勢の人前で何かきちんとしたことを話さねばと構えると、頭が真っ白になってわけのわからないことを口走っては慌てて早口になり尻切れトンボとなって終わってから悔やむ。いったい何でそうなるのか。何が原因なのか。

 ローグに限らず、現在の心理学の世界では、そうしたパニック的障害が起こる原因として、幼少期に受けた心の傷、トラウマが大きな影を落としているからだとしている。そこには家庭環境、特に親の存在が大きい。古本屋として数々のそうした心の病の本を手にしてきて、思い当たるところが多々あった。
 恥ずかしいが増坊の親たち、特に父の事を書かねばならない。自分のダメの原因、怖れは彼に拠るところが大きい。

《この話、ここまで書いたらもっと長くなるのでもう少し続く》

怖れるな、全ての元凶は「不安」からだ。続き・2011年09月05日 15時46分38秒

★自信を持つこと、自らを肯定していくこと。

 台風は通り過ぎたのに、昨日も今日も天気はどんより曇り空。時おり晴れ間も覗いたかと思うと、ザーとまた雨がふってくる。洗濯物が干せずに溜まる一方でどうしたものか。

 近年あちこちに出かけその地方ごとに新たな友ができると、台風の豪雨や地震など災害発生の都度、そこに住む友はどうしているか気に掛かる。今回の台風では、ついこの間、訪れた三重県でもかなりの被害が出たようだ。

 この日本、海沿いでなくとも絶対安全安心なところはない。都心には都心の、下町には下町の危険性が潜んでいる。増坊の住む町に沿って活断層が眠っている。防災対策を急ぐ前に、ここ日本は脆弱な地盤の上に乗っかった自然災害がやたら多発する国だと深く認識すべきであろう。特に近年、地球規模の異常気象により記録的、想定外の自然災害が頻発している。もはやどれほど対策をとろうと防ぐことはできやしないとまず認めるべきかと考える。
 そこに老朽化した原発が54基も存在している。ひとたび事故が起きたらもっとも被害が広く大きくしかも長期的に続く原子力発電所を一日でも早く一つづつでもなくしていくしかない。
 日本復興、再生と復活のためには電力が必要、原子力発電所が必要だという論はギャグでしかない。それもまったく笑えないギャグだ。相も変わらずバカは叫ぶ、進め、である。

 さて、本題。

 増坊の親父は、自分が知る限りこの世で一番ヘンな人で、子どもの頃から悩まされふりまわされてきた。自分もそうとうヘンだと自認しているがそれに輪をかけて変である。格闘マンガで言えば、範馬バギとその父勇次郎ほど力の差がある。

 その性格を一言で言えば、超利己主義的不安神経症と呼ぶべきで、友人は若いときから一人もいないし、彼の関心は家族と猫以外に存在しない。そして何より問題なのは、かつては六尺男と呼ばれたほどの昔にしては珍しい大男なのに、ともかく気が小さく、取るに足りないことでも常に大騒ぎして夜も眠れなくなる。
 
 彼の口癖は、「大変だ、問題だ、心配だ」であり、小銭入れが室内に置き忘れてみつからない、猫が一晩帰って来ないというだけでも夜通し探し回ったり、「心配だ、大変だ!」と騒ぎたて朝起きると目が真っ赤なので訊くと、そのことが気になり一晩眠れなかったと言う。
 万事に渡ってそんな調子で、こちらも若いときから悩みうんざりもした。昔は自分も勤めに出たりして不在なことが多かったので、今ほど騒ぎにはならなかったが、近年二人して親子は日々長時間顔をつき合わしている。だから常にそうしたことは、ケンカの種にもなってきた。

 そんな小心でよく自殺も発狂もせずに八十年以上も生きてこれたと不思議だが、何のことはない、要するに彼にとって不安だと騒ぎ立てることこそが彼の生き甲斐、存在理由のようなもので、それが楽だから騒ぐのである。でも周りはたまらない。振り回されて怒りうんざりもしてくる。そもそも他者の気持ちなど眼中に無い。心底自分勝手なのである。
 彼には「世間」というものは一切存在しないから、外の世界のことは全く関心がない。ゆえに政治からスポーツから何から何まで一切合財全て他人のすることは馬鹿らしく、下らない、無駄だ無駄だと軽蔑している。自分だけが常に正しく、他はすべて否定してしまう。呆れるほどのネグレクトなニヒリストである。増坊も昔からずっと否定され続けてきた。お前はダメだダメだ、お前には無理だと頭ごなしに扱われた。

 そういう異常な利己主義者を親に持つと、子供はどう育つか。告白すれば自分もまた親父ほどではないがずっと不安神経症であった。人前で緊張するどころか、外に出ると常に忘れ物はないか、落としたものはないかドキドキしている。また、他人が陰で非難したり、怒っているのではないかとあれこれ考え出すとその考えに囚われてしまう。そして何よりも問題は自らを、ダメだダメだと責め続けてきた。

 実は、問題の根は父親から発しているのてはなく、彼を育てた彼の母、つまり自分にとっての祖母がまた問題であった。小学校に上がる前に亡くなったからはっきりとした記憶はないのだが、やはり相当変わった人で、幼児である増坊を頭ごなしにがみがみ叱り続け抑圧してきたと聞いている。「だからてつ(増坊の幼名)は、あんなにビクビクおどとおどした性格になってしまったんだ」と親戚からよく聞かされた。

 つまり、その祖母が原因で、三代にわたり、異常な性格の子々孫々が続いたということになる。今思うと、その祖母も若いときに里子に出されよそ様の家で育てられたそうだから気苦労は耐えなかったのだろう。あれこれガミガミと上から口うるさく叱られて育ったに違いない。
 そういう人は常に心の奥底に底知れぬ不安を抱えている。そして虐待を受けて育った子が親になるとまた自らの子を虐待するのと同じく、息子に不安の種を植え付けたのだろう。だから親父は自分のこと以外一切外のことには関心を失い、友達もつくろうとはしなかった。何故なら彼の心は不安の海で満杯であったからすべてに余裕がない。自分の不安で手一杯だったのだ。

 映画『英国王のスピーチ』から思いついたことを書き始めたらつい私ごとにまで繋がってしまった。映画の王様は幸いにして、心から信頼のおけるローグという平民の親友を得ることができ、彼の怖れがもたらしていた幼少時からの「どもり」を克服することができた。

 自分はまだ怖れから脱却ができていない。が、その不安の正体は何か、どこから来るかはもうわかった。残念なことに親父に限らず、この世には、常に自らだけが正しく、他者を常に批判、否定することでしか接することができない人が多々いる。その理由もまた心中に巣くう「怖れ」からだと今は理解できる。親父と同じく可哀相な人だと思う。

 この前読んだ本で初めて知ったことだが、聖書の中で一番多く記されている言葉は、信じよ、でも、愛せ、でもなく、怖れるな、なのだという。それを知って、ああなるほどと得心、感心した。
 そう、全ては怖れから起こる。怖れてならない。怖れは不安を生む。そしてその不安は失敗を、さらに他者への攻撃にさえ繋がっていく。

 まずは怖れずに、自らを信ずること。自らを信ずることこそが「自信」であり、すべてのことがうまくゆく。皆さんにも神のご加護がありますように!

久々に晴れて秋めいていく2011年09月06日 22時10分36秒

★少しづつ全ては良い方向に進んでいくと信じて。

 今日は久しぶりに朝から晴れた。日本全国に記録的豪雨を降らせ甚大な被害をもたらした大型台風のおかげで、一週間以上も雨や曇りの日が続いていたのだ。いったい何度「記録的」とか「想定外」という言葉が繰り返されるのであろうか。
 といっても多摩地方は明け方までしとしと雨は降っていたし、今日も朝方は晴れたものの曇りがちで夕方には小雨がぱらついた。完全な秋晴れはまだ先と思える。

 それでも今日はカラッとして涼しく、とても気持ちの良い朝だった。そうした日は、生きていて良いんだよ、と見えない誰かに言われているような気がしてうきうきして心が騒ぐ。いろいろ大変なのはお互い様だが、生きていることは生かされていることだとするならば、そのことに感謝して自分の役割を果たしていくしかない。

 人の気持ちというのは意外に単純で、環境、特に気温や天候に大きく左右されるものだと思う。雨の日が好きでじとじとした梅雨時のような高温多湿を好む人はまずいまい。猛暑も辛いが、人が生きていくのに適した温度や湿度というものは確かにあり、しかも晴れて気持ちの良い天気だとそれだけで気分は昂揚して前向きになる。
 だから春と秋はいちばん楽で快適であり、そのどちらも辛い季節を乗り越えた後にようやく訪れるものだからよけいに有り難い。

 私ごとであるが、老人、それも病後の老親を抱えた者として、今年の夏を無事に乗り切れたことに今心から安堵している。今年の猛暑、実感としては去年ほどのではないが、二人とも高齢であり、まして母は手術後の回復途中でもあったので、体力も戻っていないこの夏が山だと考えていた。
 まだ先のことはわからないし気をゆるしてはならないと心するが、ともかく猛暑を今年もまた乗り越えられたのだ。それは本人の努力でもあり家族や隣近所、知人友人そしてヘルパーの人たちの力に負うところもあるが、それだけではないと思える。見えない何かに生かされているのだと感じる。

 今年の俳句甲子園で、被災地岩手の高校生が詠んだ句で、優秀賞に選ばれた『夏雲や生き残るとは生きること』がある。このところこの句を噛み締めている。シンプルにして実感を詠みこんだ名句だと思う。
 沢山の死んでいった者たちと生き残りまだ生きている者。その境い目は何だったのか。そして生き残った者は生きていかねばならない。
 大震災や豪雨に限らず不慮、死んでいった者の無念は余りあると思うが、生き残り生きていく者もまた大変なのだ。でも生かされた命、大切にして一日でも長く生きていかねばならない。

 生きていくことはいろいろ何かと大変だ。しかし全ては良い方向に少しづつでも進んでいく、きっと駆らず良くなっていくと信じて生きていこう。今そのことを自分にも課している。

バロン浅草公演のお知らせ2011年09月06日 23時03分40秒

★喜劇「バロン七つの大罪」〜ボードビルフォーエバー〜

バロンです。

今週末、9日から12日まで浅草で舞台をやっております。かなり作り込みました。お時間あれば是非お越しいただければと思います。

昨年に引き続き「したまち演劇祭 in 台東」に出演させて頂きます。

夏を満喫したよ〜というあなたも、夏らしいことひとつもしてないよ〜というあなたも、9月は浅草へGO!行けばそこにはボードビルがある!
バロン&ジョーダンの凸凹・へんてこコンビは健在ですが、素敵で無敵なメンバー2人を新たに迎え、エンターテイメントの世界に皆様を誘います。

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第2回したまち演劇祭 in 台東

 喜劇「バロン七つの大罪」〜ボードビルフォーエバー〜

昨年の演劇祭に参加したバロンと世界一周楽団。

今回はバロンのソロ舞台を音楽喜劇でお届けします。

場所は浅草・見番(けんばん)。

音楽から生まれる喜劇、喜劇から生まれる音楽、歌、マイム、コント、ダンス。

ザッツボードビル!

「歌えば心が踊りだす。踊ればお酒も抜けていく〜。」

9月9日(金)〜12日(月) 全6ステージ

■日程■

 9/9 (金)19:30〜

 9/10(土)14:00〜/18:30〜  (昼/夜2ステージ)
 9/11(日)14:00〜/18:30〜  (昼/夜2ステージ)
 9/12(月)14:00〜      

■場所■

浅草見番

 台東区浅草3-33-5 TEL:03–3874–3131

 http://www.asakusa-kenban.com/

■料金■

前売り・予約2,500円 当日3,000円(全席自由)

 ※区民割引:2,000円(枚数限定)

■出演■

 バロン(唄・ウクレレ芝居)  

ジョーダン(歌・トランペット・芝居)

 田ノ岡三郎(アコーディオン) 

宮坂洋生(ベース)

■スタッフ■

 舞台監督  亘理千草

照明    若井道代(ライティングユニオン)

音響    高橋ヒロシ(雷サウンド)

衣装    武田繭(着物製作)

■チケット予約・お問い合わせ先■ 

 ・メール予約 オフィス・ムベ office_mube@yahoo.co.jp

 ・WEB予約 イープラス http://eplus.jp/sys/main.jsp(お近くのコンビニでお求めになれます)

 ・電話予約  世界一周楽団 090–5446–5711

 ※ご予約の際は、ご希望日時、枚数、お名前、ご連絡先をお伝え下さい。

■企画■ 世界一周楽団

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●バロンと世界一周楽団 オフィシャルウェブサイト●
http://www.aroundtheworldorchestra.com/

●メールマガジン専用メールアドレス●
sekai.ticket@gmail.com

バロン
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Baron&Jordon
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在庫整理の前に在庫管理だ。2011年09月07日 11時56分56秒

★商売のことあれこれ・前

 今日こそはカラッと晴れた。スッキリ爽やか、気分も爽快である。
 このところどうしたことかやたら忙しくなって、懸案事項が目白押しである。だのに涼しくなって夏の疲れが出たのか、今日は午前も午後も昼寝を貪った。疲れも溜まっていることもある。が、この快楽からなかなか抜け出せない。昼寝こそ、居職の楽しみであろう。ボーナスとかないけれど、昼間でも眠れるのは自営業ならではである。

 家庭の都合上、起きる時間は決まっていて、早いときは6時台には起きる。食事の時間もいちおう決めて親達に食べさせるから、朝食後、昼食までの間に1時間、昼食後少し作業して夕方の犬たちの散歩までの間に1時間と、空き時間をみつけては合間合間に昼寝している。

 夜は夜で早く寝たいのだが、親たちが寝たのを確認してからパソコンに向かったりギター爪弾いたりしているとすぐに午前零時を回り、1時過ぎとなってしまう。このところ全てが分散し片手間で少しづつやっていくしかない。

 疲れが溜まっているのは、このところ新館のほうではなく、裏側の旧館の今や本の倉庫と化した自室の本の山を整理していたからだ。本棚もいくつも壁一面にあるのだが、入りきれずその前に積み上げられた本の山を崩しては一冊一冊確認して仕分けしまた別の場所に積み上げていた。処分する本もかなり出たし、探していた本も一冊だがみつけられた。

 そうそう、何でそんな作業を始めたかというと、先にちょっと書いたが、自店舗の方に注文が入り、美術関連図書を二冊お求めの方があった。ところがそれがみつからない。少し探したが原稿書きなどで忙しかったこともあって、正直に、ウチにあるはずだけれど見つけることができなかったと連絡した。しかし、その方は、奇特にも一週間ほどお待ちくださるとのことで、それから必死になって探してみた。

 不思議ことにそれら自店販売用の美術書を入れた箱があるはずなのにみつからない。その箱のデータも出てこない。まさか青梅の倉庫に持っていっていないはずだと自問自答しつつ、あるとしたらこの部屋の中しかないと、本の山を崩してはまた積み上げ、確認作業に励んだ。

 注文の本は一冊だけとりあえず発送した。果たしてもう一冊のほうは出てくるかやや絶望的な気もしている。本棚の中も本の山もありそうなところは一通りほぼ確認は終わったのだ。

 先にも書いたが気持ちとしてはすべてのことをきちんとしていきたい。が、本だけでもこ家にはボーダイにあり、それが全て売れる本、売り物ではないし、売れない本だからといってすぐに処分できるものでもない。リアルなお店があれば、店頭で、一冊100円、いや、三冊200円、それ以下の値だっていい。欲しい人があれば持っていってもらっても良い。でもバーチャルな店だからそれもできない。

 今内にある本を大別すると、Amazonマーケットプレイスに出品中の本が千数百冊、ごく少しとなったが自店舗販売中の本、自分の蔵書及び未読の本、まだ未検索、未分類の本、そしてそれらの何倍?かの、検索してみて商品として値がつかないがゴミとして即処分できない本が山積みとなっている。

 それらの中には、専門書も多数あるし、状態もよくまだまだ本として役立つ本も沢山ある。単に古本市場でニーズもなく安い値で売り物にならないというだけで紙ゴミとすべきか迷うものばかりだ。
 プロの古本屋、つまり組合に入っている業者ならば、そうした本でも市に出して動かすことができるかと思う。以前はフリマなどでシート広げて並べて売ったこともあるが、今、本はそうした場では安くしてもほとんど売れることはない。今の人は話題のベストセラー以外に本は読まないし、だいいち重いので敬遠される。せっかく運んで持っていってもまた持ち帰るのもいやになる。

 自らの古本に限らず、本の行き先について、いったいどうなるかどうすべきかこのところずっと考え続けている。

本日はバロンの公演で浅草へ。2011年09月09日 15時34分07秒

★喜劇「バロン七つの大罪」〜ボードビルフォーエバー〜

たぶん戻るのは遅くなると思うので。

 ………………………………………
 と、出かけに頭だけ書いて浅草に向った。
 で、案の定、遅くなり終電の最終青梅行きにギリギリ間に合った。まったくついている。毎度の事ながら危機一髪であるが午前1時には自分の駅に着けた。ほっとした。

 公演については別項で書き記すとして、興味深かったのは、会場となた浅草見番である。浅草はかつての東京随一の歓楽街であり、二橋、新橋と柳橋に及ばずとも芸者さんも多くいたのであろう。昔はそうした所には芸者置屋もあったし、三業地としての組合、芸妓さんのための歌舞練場を兼ねた見番もあった。
 他の街は知らないが、ここ浅草には今もその「見番」は健在で、なんと今回の舞台はそこの畳の大広間であった。普段は一般人はまず立ち入ることはかなわない見番の中に入れただけでもカンドーものであった。
 今回のバロンの公演、場所だけでも足を運ぶ価値がある。芸者さんたちが行きかう和の異空間でのボードビルショー必見である。

 スタッフや出演者の皆さんと、このところ浅草に行けば必ず入るバカ安かつボリュームある中国人のやっている中華の店で打ち上げをやった。
 で、皆でたくさん食べて呑んで話して、気がついたら11時。会計だけ済ませて自分は先に一人こりゃかなりヤバイと慌てて店を出た。そしたら、今晩の公演に来ていた岡君、今や超売れっ子岡大介とバッタリ出くわした。彼はホッピー通りの方で別の人たちと呑んでいたのだ。
 彼の案内で田原町から地下鉄に乗った。神田で中央線に乗り換えるのだが、ホームに上がったらちょうど青梅行きが来るところで、それが青梅線直通の最終電車だった。たぶん岡君と会わず、浅草駅に向っていたらその電車には乗れなかったであろう。まったく運が良い。

 このところお互い忙しくて、携帯では連絡取り合っていたのだけれど、なかなか彼のライブに顔出すこともできなかった。誘われても行けなくてずっと不義理をはたらいて心苦しくも思っていた。
 帰り道、中央線吉祥寺までだったけれど、近況を語り合えて本当に良嬉しかった。彼と出くわしてなければ、終電に乗り遅れて、きっとまだ立川からトボトボ歩いていただろうし歩くのにも疲れて自らの迂闊さを呪いウツウツとしていたことだろう。

 少しづつ少しづつでも良くなる、きっと必ず良くなっていく。そう自らに言い聞かせて怖れや不安に囚われることないよう前向きにやっていこう。

9.11と3.11の「体験」を人類はどういかすか。2011年09月11日 01時39分43秒

★永遠と一瞬、偶然と必然。

 いまこれを記すのは10日の深夜遅く、日付が変わり11日となってしまった。
 このところ連日やたら忙しくて、出かけては終電間近の電車で帰宅している。家を空ければ親達のことも心配で正直気が気ではないのだが、盟友バロンのために何かできることはあるかと思うし、人生は出会いそのものなのだから、自ら殻を閉ざして引きこもる理由は無い。
 こんな人間でも受け入れてくれる場があり、多少でも何かお役に立つことあらば外の世界、つまり世間や社会、人間関係を深め自らの世界を広めていきたいと切に願う。
 それは今年の大阪での苦い体験を踏まえて、このところ強く思うことだ。
 世の中にはまず最初から敵を想定し、狭量な心から相容れないと判断した「敵」を憎み排除することに躍起になる輩がいる。それは共同体の秩序を乱すものでもかまわないし、異宗教を信仰する者、異なる人種でもかまわない。ともかくまず気にくわない「敵」を作り上げては、共同体の利益と安全のためにそれら「敵」を排除し攻撃し排斥していく。

 それはかつてナチスドイツがユダヤ人に対してやったことであるし、今ではユダヤ人の国イスラエルがパレスチナの人たちにやっていることでもある。そしてその「心境」は実は誰の心にもあるもので、否定しても仕方ない当たり前のことだと考える。

 アメリカを襲った同時多発テロの9.11からちょうど10年になるという。そして奇しくも東日本をおそった3.11から半年となる。一方はテロリスト達に拠る人為的大災害、そして日本は自然の大災害であり何も関係ないと常識では考えよう。しかし自分にはこの二つの11日は、深層のところで共通する人類にとっての大きなメッセージだと思える。この重なりは偶然ではあるが、人類が忘れてはならないための必然でもある。

 それはどちらも常識外、想定外の不慮の悲惨な出来事であり、体験した人々に全人的に大きな負荷を与えたことだ。じっさいリアルな直体験がない者にまでも映像などから、及び後からその地を訪れた人にまで生涯忘れる事のできない衝撃を与えるほどの大事件であった。それは一言でいえば表現しようもない怒りと哀しみ、憤りでさえあった。その一瞬の出来事が心には永遠の出来事となってしまった。

 アメリカの場合はその怒りと哀しみ、憤りの矛先が、かねてよりアメリカに反抗し敵対していたタリバンらアフガン、「テロリスト」たちやイスラム、イラク人たちに向けられた。ビン・ラディンらが真犯人なのか何一つ判明しないのにブッシュの「正義の戦争」は、9.11の犠牲者の何十倍もの民間人を多く含む死者を生み、世界中を混乱に落としいれた。憎きサダム・フセインやビン・ラディンは殺害できたものの、10年後の結果として今アメリカは経済も国も疲弊し凋落の一途をたどっている。

 テロに拠る大惨事と天災による大災害を同一視すべきではないとの声は当然あろう。しかし、天災は起こる、が天災による死者は多くが人災である、と言われているように、福島原発の事故を見るまでもなく今回の大津波の被害は甘い想定が引き起こした人災でもある。
 それが未然に防げたかという論は意味がない。問題は起きてしまった惨事を、人はどう受け止め受け入れてこれからもどのような心で生きていくかであろう。
 やり場の無い悲痛や哀しみ、憤りを怒りや憎しみに転化することはたやすい。誰それのせいで、誰々が悪いからこんなことが起きたと人は仮想敵をつくり上げる。

 今回の大震災において日本人は、国家としては醜態を晒したとしても国民、つまり特に被災に関係した人たちのレベルでは世界に範を示せたのではないか。大正末の関東大震災の時は、全国的にパニックが起きて何の罪もない朝鮮人ら外国人が多く虐殺された。しかし今回の被災地では人々は助け合い譲り合い秩序を保って事態を受け止めた。むろん復興は未だ緒についたところで、先のことは全く見えてはいない。生き残ったものの今も絶望の淵に立ち尽くしている人も多くいると案ずる。

 しかし人は起こってしまった惨事を受け入れて、前へ前へと少しでも良くなっていくと信じ希望を持つことができる。起きてしまったことを怒り憎しみ、不安にかられることではなく、哀しみを抱えながらも人を信じ赦し助け合って生きていくこと。
 9.11と3.11は、これからも半年ごと、一年ごと、10年ごと節目節目に我々すべての人類に問いかける。大惨事において人はどう生きていくべきか。何を人はすべきなのか。その教訓から何を学ぶのか。そして記憶を風化させていないかと。