前歯を抜かれてギターを買った話2011年09月29日 22時07分28秒

★歯医者に歯を抜かれた記念のギター

 つくづく自分はヘンでバカだと思う。これで何本目のギターなのか。また中古ギターを買ってしまった。高い買い物ではないがこれで良かったのかと自問している。確かなことは今日立川の歯医者に行かなければギターは買わなかったことは間違いない。

 古本屋の端くれであると同時に自称フォークシンガーの端くれでもある(はずと思っている)増坊は、実はギターコレクターでもある。といっても故藤村直樹氏のようにヴィンテージの旧いマーチンを集めるとかクラプトン氏のようにツアーの行き先々で様々なギターを買い求めるという類ではなく、ともかくいろんなギターと出会うと弾いてみたくて安いとすぐに買ってしまうのだ。まあこれは多分に病的なものかとも思う。

 というのは、一つのギターを買って何ヶ月、ときに何年かするとしだいに新しいギターが欲しくてたまらなくなる。それは連続殺人鬼が定期的に殺人をいてもたっても繰り返せざるえないようなもので、今あるギターに飽いてしまうとまた次の別なギターが欲しくなる。断っておくが今あるギターは弾かなくなったり処分するわけではない。

 本来なら絶対的理想とする運命のギター、満足できるギターを誰もが持っているはずだし、自分にも一応のそれはある。が、それとは別としてまた別な違うギターが欲しくてたまらなくなる。音が良いとか弾きやすいとかいう次元の話ではなく、今持っている最高のギターより劣るものでもまた違う音色、弾き心地のものならそれもまた欲しくなる。
 普通のフォークシンガーならば究極の一台さえあれば他のギターなどに心奪われることはないはずなのだが・・・。あるいはまだ本当に満足できるギターに出会わないからこうして迷いがあるのかもしれない。

 ただ、マーチンにせよギブソンにせよギルドにせよ、自分には分不相応だと思っているし、そうした高価な素晴らしいギターを持つよりせいぜい今手元にあるK・ヤイリの国内バージョン程度で十二分に満足している。上を見たらキリがない。
 そしてその上で、もっと安くて良く鳴り弾きやすいギターをずっと探し求めて普段使いとして何本も使っているのだ。おかしな話、それぞれ個性があり、癖があろうとそのどれもが好ましい。皆違ってみんな良いとおもっている。自分はきっとアコーステックギターの音そのものが好きなんだと思う。
 そうして集まってきた安物の、拾ってきたりもらったりしてきた世間的にはクズギターを沢山持っているわけなのだが、それで満足かと言うと時が少したつと新しいギターがまた欲しくなる。そもそもそこが病気だと思う。

 ただ、そこに至るにはまた原因もあり、医者にかかって治療中の過食症患者がとあるきっかけでバカ食いしてしまうように、ふだんは自ら律していたのにある原因により買わずにいられなくなってしまう。それは、何かの転機になるような日であり特別な出来事があるときだったりする。

 数年前オベーションのエレアコを買ったのは、自分が仕出かした交通事故で八王子の地裁に召喚くらったときで、行きにその楽器屋により、そのギターを見て心魅かれたところに、地裁から解放された帰り、その整理のつかない行き場の無い気持ちを抱えてまた楽器屋に寄って発作的に買ってしまった。むろん分割ローンであるのはいうまでもない。
 また京都でも、藤村さんの生前最後のライブを観て、やはり何かもやもやした気持ちでどうしてもギターを買うしかなくなってしまった。自分でもヘンであると思う。

 むろん、何十万もするギターではない。分割で払うとしてももともと5~6万程度のギターであり、自分のギターには10万円するものは一つもない。そうしたローンが終わる頃になるとまたギター心が疼き出し、また楽器屋通いが始まる。そしてごくたまに運命的なギターと出会うとまた買ってしまう。といっても今は金がなくもはや買えるのはせいぜい1万円前後のものとなってしまったが。

 今日、歯医者で麻酔を何本も打たれ前歯の根っこを抜かれて、むしゃくしゃして実はこのころずっと気になっていて迷っていた安いギターを買ってしまった。それは立川駅前の質屋にあったカナダ製の小型ギターで一万円もしない。それでも金欠の身には高価な買い物で、別にそれがないと何一つ困るわけでもないし、絶対それが必要なわけでもない。何回も店の前を通るたび見てはどうしようか迷っていた。

 でもこんなギターには二度と出会うことはないと思えたし、このところカナダ製のギターにはまっていたこともあって、今日は思い切ってまた発作的に買ってしまった。すべて歯医者のせいにした。そうこの世の全ては出会いであり一期一会なのだ。

 前歯を抜かれた記念のギターとしてこれから大事に使っていこう。小ぶりで使い勝手もよさそうだ。