10.1浅草木馬亭での岡大介独演会を観て2011年10月02日 01時17分16秒

★岡大介は今難しいところにいる。

 今これを記しているのは10月1日の深夜、正確には2日の午前1時過ぎだ。
 例によって立川から青梅線の終電で何とか帰ってきた、というわけではなく、立川駅には11時半頃着いて、まだ余裕で電車はあったのだけれど、立川から自転車で帰ってきたので遅くなった。実は行きに立川の歯医者に自転車で行って駅前に停めておいたのだ。

 今日は浅草の木馬亭で毎年恒例となった岡大介と盟友小林寛明の独演会があった。今年で三年目となる。

 増坊は日頃から岡さんには何かとお世話になってばかりだし、自分を音楽の世界に導いてくれたのはこの若き親友のおかげだと心から感謝しているので日頃の無沙汰の詫びもかねて久々に彼の大きいライブに行ったのだ。
 その報告をするに当って帰り道ずっとどう書くべきか考え続けていた。
これは何も文字にして万民の目にふれるところに発表する必要もなく、直接彼に話せば良いことだとも考えた。が、帰路、立川の農業試験場の中の森で、花壇の石垣に座ってマクドで持ち帰りにしてもらったコーヒーを飲みながらしばらく悩んでやはり書くことにした。

 今日のコンサート、はっきりいって彼としては不出来なものに思え私的にはかなり失望した。演奏もうたも良かったし、前の席の初見と思われる若い女性の方々は終わったあと感嘆し良かったあと興奮していたから決して一概に悪かったとは言えないのだろう。が彼の実力をよく知る者としては、「彼にしては」不出来であり、エラソーなことを言うが猛省を促したい。それは構成ができていなく全てがクズグズのまま不完全燃焼気味に終わってしまったからだ。

 休憩時間の幕間に、突然今売れっ子の漫才コンビ『ロケット団』の二人が出てきて漫才をしっかり一席繰り広げた。ロケット団はこのところ自分も寄席で何回か観ていて好感を持ち高く買っているコンビであるが、はっきり言って全く場違い畑違いであり、岡大介の独演会のゲストとしては相応しくない。何故彼らが登場したか本当に理解に苦しむ。この日の観客の多くが戸惑ったに違いない。まだバロンとか寒空はだかさんとか立川だんなとか同じ芸人であっても岡と関わりがありこうした音楽に素養がある人でなくては意味をなさない。※これはロケット団の悪口ではない。

 そして最も問題なのは、一部と二部の休憩時間に彼らが出たために観客は席を立てず漫才が終わるのを待っていたらすぐ休みなしに熊坂るっちゃんのソロに続いて二部が始まってしまったことだ。これではトイレに行くことができないではないか。トイレが近い自分は席が立てず困惑した。
 いつもならばきちんと休憩時間を告知し、常に観客には事前に進行を説明してくれている岡大介としては今回いったいどうしてしまったのか。

 そうした構成の失敗も大きいが、曲順も曲目も展開も果たしてこれでよかったのか。せっかくバックに関島さん中尾さんら芸達者な豪華なサポートを招いたのに彼らの持ち味は活かされたか。岡の落ち着かない語りだけが空回りして徒に時間が過ぎてしまい漫才も含めてそうした時間があればもっと沢山うたってほしいと思うのは自分だけか。

 こんなことは言いたくないがあえて言う、とか書きたくはないが書くというのは老人特有の嫌味だと自分でも思う。しかし、今岡大介は非常に微妙なところ、岐路に立っているように思える。

 それは、いったい誰のために歌うのか、どんなシンガーに彼自身がなりたいのかそれがよく見えていないからではないのか。むろんファンは新たに次々増えるだろう。そして彼ら彼女たちに応えるために彼自身妥協もしていく。しかしそのことは昔から彼を応援してきたコアな通なファンにとっては裏切りではないとしても物足りなくも思ってしまう。それは誰もが通る道でありその両者を満足させられたミュージシャンは少ない。しかしそれができない限り、新たにファンは増えてもまた古いファンは離れていく。そのどちらに焦点を絞れといっているのではない。本当に彼自身が何を誰のために歌いたいのか覚悟が決めろということだ。

 それなりに良いコンサートだった、まあ三回目にしては客は良く入ったしあんなものだろうと言葉を濁すことはたやすい。そうしようかとずっと考えた。しかし日本のフォーク界を背負って立つ期待の星、天性のスーパースター岡大介だからこそあえて苦言を言いたい。

 好漢岡大介、あんなもので満足するな。もっともっと汗をかいて真の実力を見せてくれ。このままだと四回目は行くが期待に応えてくれないとその先はどうなる・・・。

 こんなことを書けばまた友達をなくす。が、このことは一人岡大介だけの問題でもないようにこのところずっと考えている。日本のフォークシンガー固有の問題点でもあるような気がしている。つまり、うたも演奏もそれぞれは良いのにコンサート自体はグズグズになってしまう結果のことを言っている。
 それはきちんとした舞台監督がいないせいもある。だがそれだけではない。機会あればもっと考えて掘り下げて書き進めたい。

老いの記録を記していく。2011年10月02日 11時28分58秒

★誰もが通る道だからこそ

 昨日は、ライブのあとの打ち上げ、気心の知れた岡ファンの仲間たちと楽しい酒であった。公演自体はかなり早く終わったこともあって、時間的に余裕もありけっこう呑んだような気がする。

 でも、意識朦朧なほど酩酊しなかったし、立川から30分かけて自転車で帰ったこともありすっかり酔いも醒めたと思った。ブログでライブの報告を書き上げてフロで温まってから寝床に入った。すぐ眠りに落ちた。
 ところが、数時間もしないまだ真っ暗な時刻に目が覚めて、それからがなかなか眠れず、気持ちはウツウツとして不安感に襲われ悶々としてしまった。

 近年いつの頃からか、ある一定の量を超す酒を呑むと、酔っぱらって眠くなって寝たはずなのに必ずすぐに真夜中に目が覚めてしまう。そしてそのときの気持ちったらない。二日酔いで気持ち悪いとか頭痛するとかでもなくとも、酔って寝て深夜にふと起きたときの絶望感ぐらい辛い気分はないと断言する。
 血中内のアルコール度数がそうさせるのかわからないが、失くし物なく帰ってきたのか、何か忘れてはいないかとあれこれ考えしまう。何だかわからない気持ちに囚われて強い不安感と焦燥感に苛まれる。外がまだ真っ暗なこともある。疲れているはずだし眠たいのになかなか寝付かれず悶々として再び眠りに落ちるまでの時間が本当に辛く苦しい。

 若いときはこんなことはなかった。泥酔しても吐いてもそのまま前後不覚でひたすら眠れた。それがこのところある程度たくさん酒を呑んで寝ると何時に寝ても必ず真っ暗な時刻にすぐに起きる。そして絶望する。それは世界中で生きているのが自分だけのような孤独感であり、理由のわからない不安感と焦る気持ちに押しつぶされそうだ。
 これも老いのしるし、何かの老人的心理の表れ、精神の病の兆候なのだろうか。自分だけの特有なことかそれともある程度一般的な傾向なのか知りたくも思う。

 敬愛した故山口瞳先生は、生涯、その病死の直前まで一回も原稿を休むことなく毎週週刊新潮に「男性自身シリーズ」を書き続けてきた。そこには彼自身が歩んだ老人としての道、つまり体と心理の変化が包み隠さずに記されていた。
 自分は若者の頃からそれを読み続け、歳をとるとふーん、そんな風になるのかと興味深く思ったが、あくまでもそれは他人事でしかなかった。

 そして今自らが彼の歩いた道をなぞって、老化が進むこのところ、ああ、先生が書いていたのはこのことかと深く思い至ることばかりである。
外出し国立の大学通りで急に小便がしたくなったのにトイレがみつからなくて汗かくほどうろたえた話などまさに今や自らのこととなった。

 ということは、自分もまた彼と同じ道を歩むならば、そうしたことを書き記すことは今の若い人たちにとっても全く意味がないとは言えないだろう。彼らもまだ他人事であろうと、老いと死はやがては必ずやってくる。避けられないことであるならば、老人へ向う心理と肉体の変化は書き記しておく価値はあろう。備えあれば憂い無し。いや、憂いはあっても誰もが通る道ならば覚悟もつく。今自分はそんなことを正直に書き残してくれた山口瞳に感謝しているのだから。

 これからそうした老人への道の途中のことを、現在初老の男性の心理と肉体について不定期にでも書き残していきたい。

老い行く男の生理2011年10月03日 23時08分45秒

★一般的にハメマラと聞いているが・・・

 男の老化について書いている。

 まあ、こんな事書いていても楽しくはないし、書かないで済むならどれほど良いかとも思うが、かなり同世代の男性から反響があった。それは自分もやはりそうだという共感であり、老いていく悩みは増坊だけの特異な現象ではないのだと励まされる思いがした。確かに歳とれば眠るのにも体力がいるのである。
 そう、いずこも同じ秋の夕暮れ、なのだ。

 人は誰もが老いていくわけだが、もちろん個人差はある。それは高田渡と中川五郎ほどの個体差が出るわけで、二人は同い年の親友でも50代半ばで70歳代以上に見られたほど老人化が進んで還暦前に逝ってしまった渡氏と今60過ぎてもバリバリでライブツアーに大活躍している五郎さんの差はいったい何によるものなのか。共に大酒呑みなのは同じだからアルコールが原因だとは断定できない。渡氏のお兄さんは髪も黒く今も若々しい方だからはたまた遺伝的なものとも決められない。

 まあ、傍からは元気そうに見える方でもやはりそれなりに老化した部分は抱えているはずだし、若いときからまったくどこも衰えず何も変わらない人がいたら化け物かよほど見えないところで鍛錬しているのであろう。芸能人にはいますよね、石田純一とか布施明とか。

 俗に、昔から男はハメマラと言われている。歯・目・マラの順で男は歳とるとダメになっていくのだと聞く。つまり、老化の順番としてまず歯が、ついで目が、さらにマラ(男性器)が衰えていくと若いとき誰かから聞かされた。
 今50代半ばの自分に照らし合わせてみると、まあ、当っているかとも思えるが、歯は若いときから脆くさんざん悩まされてきたから今さらという気もするし、確かに目は40代に入ってから徐々に悪くなって、近年老眼が一気に進んだのでそれは個別ではなく複合的な衰えだと思える。
 マラに関しては、おそらく性生活上の問題で衰えにより、機能がダメになることを指しているのだと想像するが、そもそも結婚もせずセフレなる相手もいない者にはそうした悩みは最初から関係ない。しかし、生殖機能以前に、生物学的な部分、つまり排尿に関しては近年大きな問題を抱えている。

 これも自分だけではないと信ずるが、ともかく小便が近く外で呑んだり、映画を観たり、コンサートの間などは本当に難儀している。一人何度も席を立ちトイレを往復するので恥ずかしくてたまらない。頻尿ということになるわけだが、幸いにして不思議にもまだ夜は何回もトイレに起きるまでには至らない。なぜか日中、それも外にいるときに限り、小便がやたら近くなる。一時期本当にひどくてしかもしたくなるとガマンできなくて、街中のトイレまで間に合わず植え込みにしたり、お漏らししたことすらある。
 が、最近はやや体質改善されたのか、最悪の時期より堪えがきくようになった。小便が近いのは相変わらずではあるが、多分に精神的な要因もあるようで、過活動膀胱という病気だったのかもしれない。したいと感ずるともうガマンできないのはやはりどこか病的なものがある。ウチの親父も当然それがひどく、いきなりしたくなってしまいトイレまで持たないときが多々ある。夜中に何度も数時間おきに小便で目覚めるし、小便を常にちびり洗濯が大変だ。自分もやがてはそうなるのかと暗澹たる気がする。

 男の場合、頻尿には前立腺も関係しているようで、50歳を過ぎるとほぼ誰もが前立腺肥大により尿の出が悪くなるとされている。じっさい、自分もトイレで小便器の前に立ってもしたいのになかなか出るまでに時間がかかるし、出始めても何か勢いが弱弱しい。
 女の人にはわからない話だろうが、男の場合、小便器が並んでいるところに同時に立ち、用を済ます機会が常にある。また後に並ばれることも多々ある。そんなとき本当に情けなくまた後の人には申し訳なく感ずる。まず尿が出るまでやたら時間がかかるし、出てもまた時間がだらだらと長くかかる。たいてい隣の人はさっと済ませて、時に3~4人ぐらい両隣の顔ぶれが変わってようやくこちらは終わるほどだ。恥ずかしい告白だが事実である。

 先日もスーパーのトイレで、こちらが小用をしていたらあとから隣に小学生ぐらいの男の子が入ってきてあっと言う間に小便を済ませてハヤテのように出ていった。その勢いも素晴らしい。ああ、自分もかつて若いときはあんな風だったんだと思い出して感じ入るものがあった。
 老いるとはこうしたものである。しかしまだだらだらでも自ら出るうちはマシであろう。山口瞳先生には深夜に尿閉塞になり救急を呼んだ話もあったと記憶する。この先何が待っているのか。

 しかしそれもまた生きていることであり、老いていくことも含めてすべて仕方なく、肯定するしかない。昔、サラリーマンを馬鹿にしてはダメよ、といううたがあったが、若者よ、老人を馬鹿にしてはダメよと言いたい。そう、明日は我が身、誰もが必ず通る道なのだから。

 みんな違ってみんな良い、ではなくみんな違ってみんなダメなのである。やがてみんなどこもかしこもダメになっていく。いずこも同じ秋の夕暮れならば何も思うところはない。ならばこんなこと書かなけりゃよかった。

まずはプレオープニングイベント、10月29日に。2011年10月04日 21時28分40秒

★誠に勝手ながら今月末の土曜日29日に。

 いつにするか、いろいろ思い悩んで、できるだけ皆さんが来やすい日にとカクサクしていたのですが、諸般の事情で先延ばしにするとどうなるか見通しが立たない事態が出来てしまい、急な話で勝手ながら今月末、10月29日にプレ・オープニングイベントをやることに決めました。

 まあ、本番である真の開店記念のライブなどのイベントは年内12月にはできるよう出演者と調整中ですので、今回の「プレイベント」に参加難しい人もそのときまたお越し願いたいのですが、それはそれとしてご都合があいましたらぜひどなたでもお気軽にお越し下さい。

 くわしい時間や場所、その他もろもろについては後ほどお知らせしますが、ご来場される方は、拙ブログにコメント、もしくはマスダのメルアドに人数とご氏名をお知らせ下さい。
 繰り返しますが、ミュージシャン、アーチスト、障碍のある方は無料。それ以外の一般客は、何か一品食べ物もしくは飲み物をご持参下さい。ミュージシャンの方は演奏もしくはうたをご披露されてもかまいません。何もない方は、勝手ながら千円参加費を頂きます。千円以上の飲み食いフリーを確約いたします。

 秋の夜長、うたったり食べたり呑んだり話したり、ゆるゆると音楽を聴きながらだらだらのんびりしてください。

プレ・オープニングイベント開催と現況報告・前2011年10月05日 22時50分29秒

★家作りには完成も終わりもないものであるが・・・

 とにもかくにもまず今月末の土曜日、29日の土曜に客人を広く招いて我が家のお披露目も兼ねてオープニングイベントをやることとなった。

 急な話のような気もしないわけではないが、本当の「本番」である“開店記念ライブ”に繋げるためにもリハーサル的にもまず「プレ」をやらないことには始まらない。その日を決めて成功させて本番があるのである。
 が、正直に今の状況を告白すると、まだ会場となる大広間には本の山が厳然と人の背丈以上に立ち尽くしているし、その日までに手を加えなくてはならない部分がまだかなりある。実のところこの家はまだ「完成」に至っていないのだ。
 このところつくづく思うが、家を新しくしてそこに住むようになってからほぼ半年以上過ぎたものの、家作りに真の「完成」、つまり終わりなどはないのである。
 むろん、普通の建築方法、つまり一から何もないところにまっさらな新築を建てたなら、おそらく大工から引き渡され、建て主がそこに転居してきた日が「完成」と言えるのであろう。しかしこの家は、前の旧い住居をベースに古材を活かした造りであり、しかも部分的には施主自身が施工を担当する箇所もかなりある。
 今年の正月があけて、しだいしだいに大工が来なくなって、一応の職人に頼る大工仕事がなくなった日が「完成」したといえなくもないが、そこに住まいを移して生活するようになっても増坊自ら床や柱、壁ににペンキを塗ったりする作業が続いた。それはあの3.11の日もそうであり、友人に手伝ってもらってこれから使うことになる台所の床にニスを塗っていた。
 そしてそれから半年が過ぎて、今その台所は何だかすごくうす汚くなってしまった。というのは白木の床材に水をはじかない塗料を塗ったので、調理や皿洗いの水仕事で垂れた水分がシミとなって黒ずんできたし、天井には蜘蛛が巣を張ったりと生活臭が強く漂う。
 それは使っていれば当然そうなることもわかってはいても、実のところまだ天井も白木のまま剥き出しだし、壁もベニヤを貼り付けたまま何一つ塗っていないのだからそのまま小汚くなって良いわけがない。
 恥ずかしい話、きちんと手を加えて「完成」させるところまで行かないうちに、生活の部分がどんどん浸食してきて、その時間もないままに家は薄汚れてしまった。
 まあそもそも今回この家自体が古い古材があちこちにある経年の趣がある増改築であったわけだから、新築の家が十代でデビューの新人アイドルだとすれば、中年デビューの演歌歌手のようなものであった。あるいは元横綱輪島のプロレスラー転向のようなものだろうか。そうデビューしたときからロートルであった。つまり最初からかなり年季の入った建物だったところに、きちんと手を加えるヒマもなくそこでの日常生活が始まってしまったものだから何か薄汚くなっていくのもいたしかたない。

 しかし、そんなことを言っていたら、永遠に「完成」記念のお披露目はできやしないし、真の完成はできなくても完成に近づくところまでもいかない。そんなこんなでさすがに焦るところがあった。今年ももたもたしていたら残すは三ヶ月弱となってしまったのだ。

 もう少し先延ばしにしようかとも考えたが、何事も早いに越したことはない。先のことはまたそこでどうなるかわからないのだから、まずその日を決めて無理してでもそこに向けてあらゆる準備を進めていくしかない。
 家作りには尾張も完成もないとつくづく思う。が、ともかく一応「完成」したとして人様に見てもらわねば、そういう日を作らなければいつまでたっても完成しないまま家は朽ちていくだけだ。

プレ・オープニングイベント開催と現況報告・後2011年10月06日 23時29分42秒

★家もまた住む人と共に生きて老いていくもの

茨城方面ミニ旅行へ2011年10月07日 08時51分44秒

★一泊だけ良い季節に出かけてます。

 ようやく朝からカラッと晴れて明るい日差しとひんやりとした爽やかな風が吹いている。空はどこまでも高く青い。絶好の行楽日和である。

 急な話であるが、友人達と車で、これから茨城県笠間のほうへ行ってくる。たぶん向こうで泊まって戻るのは明日の夕刻になるかと思う。詳しいことはまたそれから。皆様も良い週末と連休を。

一泊二日の茨城県友部旅行2011年10月08日 23時32分08秒

「どんぐり」へ向かう道すがらの風景
★二日間で往復400キロを走り回って

 向こうを昼の1時半に出て、ウチに戻ったのが夜7時過ぎ。車のメーターは393キロを示している。昨日の朝、近くのガソリンスタンドで給油してゼロに戻して出発したのだからこの二日間の移動で往復400キロ近く走ったというわけだ。

 何はともあれ無事に事故もなく還ってこれて良かった。ほっとしている。陳腐な言い草だが自分で自分を誉めてやりたいし大したものだと思う。何しろカーナビもなく、古い道路地図と標識だけを頼りに土地勘のないところを走り続けたのから。
 じっさい車線を変えるときなどかなりヒヤヒヤしたし、後ろから何度もクラクションを鳴らされた。ほとんど普段は自宅近辺、せいぜい多摩地区だけを走るだけの自分が高速道に入り、見知らぬ土地のかなりスピードが出ている幹線道路を人を乗せて飛ばしたのだ。それは相当のプレッシャーであり、このところ生活に倦み疲れてだらけ弛緩していた心と身体にかなりの負荷を与えることとなった。結果、脳内からアドレナリンだか何かが出て、すごく今はコーフンしてやる気が充溢している。

 また田舎の良さも今回再認識した。田圃や畑、森や小川は東京の田舎に住む増坊にとってちっとも珍しくない風景だが、古民家と開けた視界に古民家がぽつんと建ち、そこに柿がたわわになっている里山の風景はそもそも行き交う人の数がほとんどないこともあって「生活」に飽き疲れた心を癒してくれた。田舎の良さとは何より人が少ないということだと気づかされた。
 増坊の住むところは多摩の田舎といえど東京都の一部なので今では駅前から高層マンションと建売戸建、アパートがびっしり立ち並んでいる。隣近所と隣接し日々顔を突き合わせての暮らしは息が詰まる。まして我が家は何かと問題の家と目されているのでいつ近隣から何かにつけ文句言われるか臆しながら暮らしている。老親たちの面倒や気苦労もある。そうした疲れた心は今回の短い旅で十分に癒された。

 今回の旅の目的も含めて詳しい報告はおいおい書き進めていく。何はともあれ行って無事に還ってこれただけでも本当に良かった。里山には人を再生させる力が確かにある。
 自分にもし老後というようなものがあるとしたら、こんな気ぜわしい街ではなく、どこか地方の人の少ない里山で古民家暮らしをしたいものだとこのところぼんやり考えている。そこで一人で生きる自分が食べるだけの米と野菜を作り犬や猫や鳥を飼う。
 まあ、昔の岡林信康のうたではないが、田舎には田舎のまた面倒なうんざりするような現実が待っているのだろうが。

笠間市南友部の隠れ家的焼鳥屋「どんぐり」へ行って2011年10月09日 21時23分00秒

★短い旅でも気分も変わり奮起のきっかけになった。

 画像などでの報告は後回しにするとして。
 昨晩は自宅に戻ったこともあり泥のように眠って気がついたら朝だった。実は今回やや迷うところもあったのだが、やはり出かけて良かった。たったの一泊二日の旅であろうと良い気分転換となったし、何よりもよし、自分も頑張ろう、頑張らねばと大いに奮起するきっかけとなった。
 というのは、今回、友人を通して知り合った焼き鳥屋的カフェ?「どんぐり」を訪れて、地理的条件は最悪といっても良いところなのに、しっかり凝った本格的な店構えとそこで店をやろうというその心意気に魅せられたからだ。
 自分も店を始めるならば彼らを見習わねばならないと気づかされたしどんなことでも本気にならない限り道は切り開かれないと啓示を授かった。
 
 人間関係は複雑で細かく説明していると長くなるので簡単に記すと、増坊のブログによく登場する、ウチの唯一の「社員」でもある学生時代からの友人がいる。いつも我が家の片付けやら本の移動、ペンキ塗りなど作業を手伝ってもらっているのだが、その彼の実家、茨城県笠間市の里山の中に「どんぐり」という名の焼鳥屋ができ、今月頭に開店したのだ。
 その店は、元々は都内で数年前までじっさいに繁盛店の焼鳥屋をやっていた店主が区画整理で廃業を余儀なくされ、妻の実家笠間市南友部に引っ越したことに端を発する。その家を改装した際、その地で再び店を始めようと決意しその準備をしていたことは友人からよく聞いていた。
 というのもその店主の妻の兄は陶芸家で、ウチの「社員」の幼馴染でもあり、そんな深い付き合いのある一族的な関係もあって、開店の話には深い関心を持っていたのである。
 しかし場所は、公道から何キロも奥の、田畑の中、車一台通れるかどうかの農道でしか行けないほぼ山里の一軒家である。都会では、このところ隠れ家レストランとか言って、細い路地の奥にある、知る人しか行けない店が話題であるが、それ以前にそこは偶然にしろ訪れる人は皆無の、言わば秘境の宿ならぬ「秘境の焼鳥屋」なのだ。果たしてそんなところで商売は成り立つのであろうか。

 「社員」から開店に向け準備しているという話を聞き、彼も実家に戻ったときは手伝いに行っていたようであったが、今回ついに開店の運びとなり、お祝いと冷やかしも兼ねて「社員」の案内で東京からもう一人友人を誘って増坊の運転で出向いたのである。

 話には聞いていたが想像以上に奥地にその店はあった。車が行き交う公道からでも歩くと数十分はかかる。しかし店自体はかなり大きく立派で、ウッドデッキもあってペンションかコテージ、洋風のカフェレストランといった趣がある。そこに幟が立ち、赤提灯がぶら下がっているので遠めにも目立つ。
 今だから告白すると、想像の中のその店は、普通の家、民家の玄関先を改造し焼鳥のコンロを据え手前に出し、軒下に値札をぶら下げたりした店主がパタパタと内輪で炭火を仰いでいるようなごく簡単かつ安直な「店」であった。だからしっかり本格的な店舗だったので予想を裏切られ本当に驚かされてしまった。

 中も吹き抜けの高い天井に薪ストーブ、木のテーブルが並び、まさにお洒落なカフェのようだ。天気の良い日は外のデッキで目の前の田圃を眺めながら飲む珈琲はさぞやおいしいであろう。そんな店の外に焼鳥のコンロがあり、店主は寒い中、外で注文のレバーとかつくねを焼いている。かねてから聞いていた噂の繁盛店の店主の仕込みなので確かに旨い。居心地のよい素敵な空間で美味しい焼鳥や煮込みをツマミに焼酎お湯割を何杯も呑んでしまった。

 聞くと開店以来、友人知人たちがまあまあ訪れてかなり忙しい日もあったそうだ。問題は、やはり足の便で、車無しでは来れない場所で飲み屋をやることは条件的にかなり難しい。だから夜の酔客はあてにできず昼のランチに力を入れているようであった。
 今回、そのランチは食べなかったが素敵かつ快適な空間に美味しい料理があり、それに魅力的な店主夫妻がいるのだから訪れた客はリピータとなることは間違いない。ただ、まずはそのためには客を招かねばならない。ともかくそんな不便な場所に素敵な店「どんぐり」があることを世間に知ってもらわねばならない。

 商売が軌道に乗るまでかなり難しいかと想像するが、素晴らしい店なのだから続けていけば必ず常連客がつくと信ずる。人混みの喧騒を離れ自然の中で、のんびりと静かに珈琲や酒を呑みたいときにはこの店は最適だ。

 そう、どんなことでも確信を持って本気で取り組むことなのだ。やるからには手を抜かず真剣にやらねば何事も始まらないし動かない。ぜひ笠間市南友部の「どんぐり」に足を運んでいただきたい。また近日機会あれば、増坊はその店へ行く。ぜひご一緒に行く人たちを募りたい。その店はライブも十分やれる空間である。天井も高く教会の中のように良い反響するだろう。
 夢は次々沢山膨らんでいく。自分も頑張らねばならない。

プレ・オープニングパーティどなたでもお気軽に。2011年10月11日 18時13分35秒

この本の山をどかさないと客人を招くことはできないのだ。どうする?どうなる。
★今、精力的に片づけを進めて客お迎えの準備中

 私ごとであるが、実はこのところ老親たちの体調がちょっと良くなく、気持ちはそちらにとられてやや屈託していた。ご心配頂くほどのことはないかと信ずるが、悪い兆しでなければと案じている。今日は父が、明日は母を病院に連れて行きこれからのことを医師と相談する。

 親たちをおいて一泊二日で家を空けてしまったから調子が悪くなったというわけでもないと思うが、季節の変わり目でもあるし、手術後半年が過ぎそろそろまた新たな段階に入っていく。
 気がつけば、3.11大震災から今日で7ヶ月。多くの人々の人生を奪い多くの日本人の考え方を変えてしまったあの日がしだいに遠のいていく。月日が過ぎていくことは救いであろうか。幸いか。なにごとも「過去」にしてしまうことはたやすいが、それでは思いを残して亡くなった方々は浮かばれまい。死んでいった人々に報いるためにも生きている我々が襟を正し前向きに生きていかねばならない。しかしそうはわかっていても人はなかなか改められず忙しさにかまけてすべきことを後回しにし、再びまた束の間の享楽にとらわれてしまう。まず自らを律したいと改めて心した。

 さて、拙ブログ、以前のエキサイトブログからこちらに移転してきて間もなく一年となる。
 ここでは、アクセスランキングのようなシステムをとっていて、日ごとの読者数の順位が示される。こちらは基本的には誰が読もうと読むまいとあまり関心もなかったのだが、やはり高いランクのときは嬉しいし、下がるばかりのときはうーむという気持ちにもなる。
 ランクは100位台から200位までの間を常に上がったり下がったりで、一番高かったのは計画停電のとき、東電の悪口書いたら、ベストテン内にも入れたことがある。まあ、あまり多くの人に読まれると、文句言いに何癖つけられ「炎上」することもあるそうなので迂闊なことは書けなくなるので、今ぐらいの位置が良いのかもしれない。今日は160位ぐらいだったか。

 しかし、そんな順位が出ようと元よりいったいどれほどの人が読んでくれているのかこちらとしてはまったくわからない。コメント欄の方も基本的には顔見知りの常連さんだし、読み手がいるとしてそれは多くが友人知人の方々だと考えていた。まあ、彼らに向けての「近況報告」「業務連絡」を兼ねて書いていた。
 だから気持ちとしてはどうせ大して読まれていないのだから、と達観もしているわけで、ブックカフェのイベントを書こうが反響などあるものかと高を括っていた。今回まったく知らない方から、読者であるとコメントを頂き、プレ・オープニングパーティーに参加したいとのお申し出は嬉しい驚きであった。ぜひぜひお越しください。

 その方がどこにお住まいで何歳なのか何をされているのか全くわからない。しかし、ともかくこんな拙いブログを偶然お読み頂き、こちらに関心を持たれその日に来てくれるならばこんな光栄なことはない。へんな言い草だがブログ冥利に尽きるではないか。

 自分はブログも含めてミクシィとかパソコンによるコミュニケーションには基本的には懐疑的なものを持っていた。しかし、考えてみるとブログという全世界に開かれた「窓」を通して外の世界とかろうじてつながっていたのだ。パソコンを使ったインターネットという手段がなければ多くの人と出会わなかっただろうし、顔さえも知らなくてもお付き合い頂いている方々もかなりできた。コメントがなくてもそうした声なき読者もきっとたくさんいるのかもしれない。

 先日も島根県から新米が届いた。それは、以前のブログに書き、取り上げた雑誌をきっかけに自店舗のお客になられた方で、以降、ブログも常に読んで頂いているようで、毎年この季節になるとそのお宅の田で穫れたお米などを頂いている。初物である新米を食べると長生きすると言われているように、ウチの老親たちが長命でいるのはそのお米のおかげだと毎年感謝している。
 また、千葉に住む自分の親友と思えるフォークシンガーも偶然拙ブログの読者になって連絡があり縁ができたわけで、ブログのおかげで自分の人生はずいぶん豊かになったし、彼らからずいぶん助けられた。その有難さをつい忘れていたがまさにインターネット様様である。

 スティーブ・ジョブズがその世界の発展にどれだけ功績があったのか自分はよく知らない。が、今自分が生きながらえ今あるのは、ネットを通して関わりのできた顔も本名も知らない友人知人たちの励ましのおかげでもある。ならば若くして死んだ先人に感謝と哀悼の意を示さないとならない。世界を本当に彼が変えてくれた。それは人類の歴史の必然でもあったのだ。

 ネットの世界は見知らぬ人と人を結びつけてくれる。まずは書き手と読み手として、次はメール相手として。願わくば、さらにその先にある人間同士の関係にまで進んでもかまわないのではないか。
 人と人は面倒なものでもある。関わりを持たない方が楽な場合も少なくない。しかし、だからこそ人は人であり、まずは出会うことから始まればそれは「必然」である。そしてそこからまた何か新しいきっと素晴らしいことが始まるに違いない。

 ★どなたでもまずプレイベントパーティーお気軽にご参加願いたい。性別年齢一切不問。コメント欄にメルアドなど連絡先をお知らせ下されば詳細など返信しますので。※もちろん非表示にしておくのでご安心下さい。