癌との闘い・母の現況から・後2011年10月15日 07時17分12秒

★癌を抱えながらも残りの余生を楽しく生きていけたら

 外は夜来の雨が音を立てて降っている。眠っていても雨の音が気になり少し早く起きてしまった。こうして一雨ごとにしだいに秋も深まり、狭い庭の木々の葉が落ち丸裸になると本格的に冬になる。
 カーテンの隙間から庭を眺めながらさてどうしたものか、これからどうしようとか呟いてみる。

【昨日の続き】

 手術で癌の原発?部も含めて取り除けるところは取り除いたとしてもまだ体の中には残りの芽は残っていることは当初からわかっていた。だから再発は時間の問題だと覚悟もしてはいた。が、僅か半年でまた目に見えるほどの固まりに新たに成長していたということはやはり当人にも家族にもショックであった。それにしてもそんなに早く大きくなるものなのか。その固まりは本当に癌なのか。患者の勝手な思いとしてはもう少し執行猶予がつくだろうと気楽に考えていたのだ。

 丸山ワクチンは効いていないのかという思いも正直なところあるが、向こうの説明だと効果が出始めるのは始めて三ヶ月後ぐらいからだとのことで、ワクチンの研究所の方に送るこちらの医師の「所見」には、効果の有無の欄に、まだ開始後間もないので判断できないと書いてあった。今の気持ちとしては真に効果が現れることを期待して抗癌剤治療が始まっても併用していくつもりでいる。

 さて、12日の産婦人科の予約、母の夫である父はボケが進んでこうしたときの話に加わるとトンチンカンな質問を繰り出して面倒なので家で留守番をさせて、母の妹など身内の女性陣に遠く立川まで同席を願った。とても母と自分だけではその場にうまく対応できると思えなかったのだ。

 さほど待たされず狭い診察室に通された。
 外科の方からカルテなどが回され、先に手術後にも一度だけ受診したことのあるその産婦人科の女医は、レントゲン写真を指しながら、やや横柄とも思える口調で、一方的にてきぱきと癌はすぐに再発することと、この種の癌は成長が早いので当然だというようなことをまず言った。何事にも弱気なこちらとしては、ははーと下手に出てしまうが身内の女性陣はその医師とは初対面でもありかなりカチンと来たようでもあった。そして我々親子に代わっていろいろ質問を繰り出した。

 この癌に効く抗がん剤は今は良い薬があるからと、一方的にこちらがその治療を承諾したものとまくしたてる女医に、叔母達は、抗がん剤のリスク以前に果たしてその新たな腫瘍は本当に癌に間違いないのかと食い下がった。
 他の癌のように生体検査でつまんでとることはできないかの問いに、女医は、それは体の奥なのでできないこと、そのためにはまた開腹するしかないが、いったん開けて検査して手術したとしても負担が大きいしそれよりは抗癌剤を奨めるとやや言い争いになった。

 結局、その場でもう一度触診・エコーで検査して、やはりその腫瘍は確認され、抗癌剤治療を始めるかは、再度もう一回、来週19日にCTを撮ってみて、その結果さらに肥大が進んでいたら返答することで決着がついた。一応、叔母達も女医もそれで双方納得したようであったが、たぶん自分と母の二人だけの話し合いだったならば、すぐさま抗癌剤投与を承諾し、挙句には医師に言われるまま死後の臓器提供までサインしていたかもしれない。それぐらい増坊親子は唯々諾々の意気地なしなのである。自分でも情けなくなる。

 今回その産婦人科の女医と話してわかった良いことは、新たな腫瘍は大きくはなってはいるが、幸いさほど成長は早くないということと、今の段階ではどうやら他に転移はしていないし、腹水もそう多くないということだそうで、希望はもてた。ならば丸山ワクチンの効果も多少は出てきているのかもしれないと思えてきた。

 そのCTの結果を受けて腫瘍が小さくなっていない限り再度医師と相談してたぶん抗癌剤投与となるかと思う。それは月一回、二泊三日の入院で半年間は続くという。
 副作用は少ないほうなのだそうだが、やはり数回で毛髪は全部抜けるしかなりの疲労感があり、投与後は半病人のような生活にならざるえないようである。果たして八十の老体にそれは耐えられるのか。

 まあ先のことを案じても仕方ない。癌はそうした不安な心に巣食い肉体を蝕んでいく。毎日面白おかしく笑って暮らしていれば人は癌にも病気にもならないはずだ。癌を抱えながらも癌と共存している人もたくさんいる。癌は怖いが必要以上に怖れる必要もない。どうせ人は必ずやがて死ぬのである。だがそう覚悟を決めても不安な気持ちは消えはしないしそれも仕方ないと思える。

 今改めて自ら信じたい。きっと良くなる。必ず良くなる、と。そして神のご加護がありますようにと。それは自分の母だけではなく、広く万人に、まずはこのブログを読んでくれた皆様にも。

10.29の「無頼庵」開店プレイベントまで2週間となった。2011年10月15日 09時50分53秒

★あと二週間、必死に準備を進めていかねば。

 今日は10月15日土曜日である。豪雨と言ってよい強い雨は峠を越したようで外は静かになった。傘さして朝の犬たちの散歩に出たが街は水浸しであった。もちろん犬も人もずぶ濡れとなった。

 このところ病院やら出かける用事が続いたところに親戚も来たりして家の片づけは全然進まなかった。カレンダーに目をやり気がつけばプレイベントの日として人を招く29日までちょうど二週間である。

 その日にすると当ブログで発表したときはまだ一月先の話で、それでもわりと時間はないがまあ、一月あれば何とかなるだろうと見切り発車で決めてしまったのだ。「本番」という先のこともある。プレの段階でいたずらに先延ばしにしていたら更に全てが遅くなる。そう考えて発表したのだから今さら変更はできやしない。
 が、かなりキツイスケジュールとなってしまったので焦る気持ちも出てきた。果たして二週間で準備も含めて人を招くところまで持っていけるのか。ともかく頑張るしかない。幸いお手伝いしてくれるという方も増えたので何とかなるかという気持ちもなくはない。
 いずれにせよ、どれだけ人が来るかわからないが、せっかく遠路お越しいただく客人を失望させてはならないと気を引き締めた。

 さて、プレイベントの詳細については後ほど稿を改め告知するが、提供する料理の仕込み等の関係上、当日突然のご来店もかまわないが、願わくば人数と来られる時間帯をお知らせ願いたい。
 ただ何の計画もなく集まってだらだら呑んだり食べたり歌ったりするのはそれはまたそれでしんどいことだと経験上思えるので、簡単な進行表も立てたい。何時頃何をするかというように。また、どの程度の数のテーブルやイスを用意すべきかこちらは初めてのことであり見当もつかない。

 私のことであるから例によって行き当たりばったりで、不手際と失態の嵐となるかもしれないが、醜態はともかく修羅場にならないよう心して万全の準備を進めていきたい。

 幸い歌ってくれるミュージシャンは有名どころではないが素晴らしい人たちが来てくれることになった。秋の一日、呑んで食べて歌ってまた新たな出会いをこれからの糧として皆で楽しくのんびり過ごしたい。

 増坊とこのブログを読み知る人ならばどなたでもかまわない。絶対楽しいこれまでにないユニークな集いになるかと思う。自分は誰も拒まないし排除もしない。本当の敵は誰か、どこにいるかはわかっている。まずは気の合う、志を同じくする仲間たちを結集したいと願う。そこで記念のスローガンである。

 原発をなくそう。全ての武器を楽器に変えよう。本と音楽でこの国を復興させよう。そして貧困と格差をなくすため今こそ万国の労働者団結せよ!