久々に晴れて秋めいていく2011年09月06日 22時10分36秒

★少しづつ全ては良い方向に進んでいくと信じて。

 今日は久しぶりに朝から晴れた。日本全国に記録的豪雨を降らせ甚大な被害をもたらした大型台風のおかげで、一週間以上も雨や曇りの日が続いていたのだ。いったい何度「記録的」とか「想定外」という言葉が繰り返されるのであろうか。
 といっても多摩地方は明け方までしとしと雨は降っていたし、今日も朝方は晴れたものの曇りがちで夕方には小雨がぱらついた。完全な秋晴れはまだ先と思える。

 それでも今日はカラッとして涼しく、とても気持ちの良い朝だった。そうした日は、生きていて良いんだよ、と見えない誰かに言われているような気がしてうきうきして心が騒ぐ。いろいろ大変なのはお互い様だが、生きていることは生かされていることだとするならば、そのことに感謝して自分の役割を果たしていくしかない。

 人の気持ちというのは意外に単純で、環境、特に気温や天候に大きく左右されるものだと思う。雨の日が好きでじとじとした梅雨時のような高温多湿を好む人はまずいまい。猛暑も辛いが、人が生きていくのに適した温度や湿度というものは確かにあり、しかも晴れて気持ちの良い天気だとそれだけで気分は昂揚して前向きになる。
 だから春と秋はいちばん楽で快適であり、そのどちらも辛い季節を乗り越えた後にようやく訪れるものだからよけいに有り難い。

 私ごとであるが、老人、それも病後の老親を抱えた者として、今年の夏を無事に乗り切れたことに今心から安堵している。今年の猛暑、実感としては去年ほどのではないが、二人とも高齢であり、まして母は手術後の回復途中でもあったので、体力も戻っていないこの夏が山だと考えていた。
 まだ先のことはわからないし気をゆるしてはならないと心するが、ともかく猛暑を今年もまた乗り越えられたのだ。それは本人の努力でもあり家族や隣近所、知人友人そしてヘルパーの人たちの力に負うところもあるが、それだけではないと思える。見えない何かに生かされているのだと感じる。

 今年の俳句甲子園で、被災地岩手の高校生が詠んだ句で、優秀賞に選ばれた『夏雲や生き残るとは生きること』がある。このところこの句を噛み締めている。シンプルにして実感を詠みこんだ名句だと思う。
 沢山の死んでいった者たちと生き残りまだ生きている者。その境い目は何だったのか。そして生き残った者は生きていかねばならない。
 大震災や豪雨に限らず不慮、死んでいった者の無念は余りあると思うが、生き残り生きていく者もまた大変なのだ。でも生かされた命、大切にして一日でも長く生きていかねばならない。

 生きていくことはいろいろ何かと大変だ。しかし全ては良い方向に少しづつでも進んでいく、きっと駆らず良くなっていくと信じて生きていこう。今そのことを自分にも課している。

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