バロンの公演あと一日。2011年09月12日 01時41分16秒

★様々な出会いから世界が広がっていく。

 またしても終電で帰ってきた。このところ連日である。浅草で午後11時まで呑んでいれば終電で帰れるだけでも良しとしなければならない。
 
 立川で青梅線の最終電車に今日は余裕で乗れたのだが、自分の住む町の駅に降り立つともはや午前一時である。それから待ちくたびれた犬たちの散歩をお義理で簡単にに済ませて、シャワー浴びて汗流してパソコンに向かうともう2時近い。
 うっかり熱込めてブログに専念すると気がつけば、寝るのは午前3時となって、慢性的な睡眠不足となる。

 一昨日から、台東区の下町演劇祭の一環として組まれたバロンの公演に浅草に通い、会場の窓口でCDを売っている。でもさほど売れはしない。もうそこに来られるファンの方々は既に全員お持ちであるし、その予想もついてはいたので、儲け以前に半ば受け付け要員の補佐としてお手伝いの気持ちで行っている。今日はマチネもあり二回公演で4枚売れた。
 行き帰りの交通費や飲食代など使う経費を考えると、正直なところほとんど儲けなど出ない。実働時間より、移動など拘束される時間を考えれば、出かけずに家でじっとしているか、パソコンで必死に売れる本を検索していたほうが経済的だとも考えるが、モノゴトはそうした利潤や効率だけで判断してはならない。儲かる儲からないではなく、お金で判断できない価値も多くある。

 今日の公演、連日回を重ねた成果が出て、練れてきてキレも良く、おまけに観客もノリが良く、かなり入って最高の出来となった。
 終わって今日の打ち上げとしてホッピー通りの居酒屋露店で、出演者を囲んで皆で呑んだ。お客として来られた旧知のミュージシャン、岡大介らシンガー、それに新劇の役者さん、そしてバロンの友だちの外人も交えて総勢20名近く、閉店時間まで大いに盛り上がった。
 皆、若く才能ある素晴らしい人たちと同席することのできた幸福感をぞんぶんに味わった。そう、この歓びはお金では買えない。

 世間では9.11の脱原発のデモが全国各地で催された日であったが、たまにはこんな愉快な日が自分にもあっても良いだろうと自らを慰謝した。

バロンの浅草公演盛況のうちに終演す。2011年09月12日 20時51分53秒

★舞台公演の楽しさを満喫しました。

 9月も半ばとなるのに連日残暑が続いている。この四日間毎日浅草に出向き公演に立ち会っていたのでさすがに疲れ果てた。昨日は帰ってきてブログ書き始めたらいつしか中途で倒れこむように寝てしまった。そしてそのまま朝慌てて家を出たのだ。

 バロンの浅草見番での公演、今日12日が千秋楽で、マチネ一回だけだったので、終わって片付け少し手伝ったものの打ち上げには出ずに真っ直ぐ帰ってきた。夕刻7時頃には家に着いた。たぶん、今頃バロンたち出演者は浅草でスタッフと呑んでいることと思う。

 連日終電で帰り、昨日今日と昼のマチネの開演前に浅草に行っていたので、寝る時間もなくさすがに今日は朝から睡眠不足で頭痛がしていた。
 しかし、9日夜からの土日は2公演、今日は昼一回の合計全6回のステージは土曜のマチネ以外ほぼ全て立ち会えたので舞台公演の面白さを十二分に満喫し堪能できたかと思う。そのことについてまず記す。

 自分はステージに立つ側でも照明や音響そして設営などの舞台の裏方でもなく、今回もただ受け付けをCD売りながら手伝っただけであったが、こうして舞台を皆で作り上げていく楽しさをぞんぶんに味わうことができた。友人に劇団の役者をやっている人も多くいたが、なるほどこれははまるな、面白くてやめられないな、というのが率直な感想だ。

 どれほど練習を重ねても初日当日は、音響や照明なども含め役者たちの間のとり方などミスが生ずる。観る側も初めての舞台だから緊張してかなか楽しむところまで気持ちがまだいかない。演る側も半ば手探り状態で最初の何回かは試行錯誤しつつ演っている。それがひしひしと伝わってくる。
 だが、回を重ねるごとにその曖昧さや迷いがなくなって型が固まり、話や進行もスムーズになっていく。それが練れてくるということで、出演者たちはどこまで気がついているかわからないが、毎回観ているとその変化が実に面白かった。
 観客もリピーターも多かったこともあるが、回を重ねるごとに安心して楽しめるようになっていった。舞台公演とは、そうして観客も一体となってステージを全員で作っていくものだと今回強く感じた。いや、今頃気づいたというべきか。
 そこが音楽だけのライブコンサートとは違うところで、基本的にライブの場合は、一日、一回こっきりでそのときどきの観客と対峙し真剣勝負のようにして短時間で終わる。だからツアーなど同一メンバーで公演を重ねるとき以外は練れるところまで進まない。舞台セットなどの仕込にも凝れないし一回ごと終わればそれで終わりである。

 料理にたとえれば、音楽のライブは素材勝負の刺身や握り鮨のようなものであり、演劇舞台は仕込みに時間と手間をかける多勢のコックが関わるフランス料理のようなものかと思える。音楽ライブはミュージシャンが主役で彼のものであるが、舞台とはある意味、出演者=役者のものではなく、スタッフを束ねる舞台監督のものである。まあ、バロンは本も担当するミュージシャンなのでそうは完全に言いきれないが。

 それでも一回一回、同一の舞台はありえないし客の入りともあまり関係なく出来不出来もある。それでも生の舞台とは、観客の反応がその場ですぐ返ってきてそれを受けてまた次の舞台に活かしていく。それを繰り返して出演者もスタッフも観客も全員で一つの空間を作り上げていく。そのことが実によく理解できた。

 実は去年のときも東洋館で、同じく台東区したまち演劇祭の一環として、まったく同時期にバロンは世界一周楽団で公演したのだが、そのときは公演自体は楽しんだものの、まだ舞台そのものの味わいまで気がつかなかった。二年目を迎えて、裏方のスタッフとも顔なじみになったこともあったからかようやく皆で作り上げていく演劇舞台の醍醐味を知ったというわけだ。

 さて、その公演自体の内容であるが、事前に想像したとおり、今回のステージは、バロンとジョーダンの二人芝居であり、これまでの世界一周楽団とのステージがクレイジーキャッツをほうふつさせるとしたら、彼らはコント55号的なドリフであった。
 つまり、いかりや長助の役割をバロンが担い、加藤茶や志村などのかき回し役をジョーダンが担当するという分担である。その二人のかけあいだけですいぶん笑わされた。特にジョーダンのボケは最高であり、本物の「へんなガイジン」として存在だけで場をわかし続けた。
 公演当初は正直なところ全コント書き下ろし、音楽もほぼ全て新曲という展開に意欲的だと感心したものの戸惑うばかりであった。果たして面白いのか面白くないのか判断につきかねた。が、回を重ねるごとに練れて締まってきてああこれはドリフ好きのバロンらしいなと納得了解できた。

 個人的には、世界一周楽団が得意とした、クレイジー的超絶音楽ギャグがなくなったのが物足りないが、ある意味バロン&ジョーダンのコンビにスポットが強く当るようになったのだからこのスタイルは人気も高まるに違いない。むろん、今回のステージは、そんな彼らを寡黙に支えた信頼に足るバックミュージシャンのお二人、アコーディオンの田ノ岡三郎とウッドペースの宮坂洋生の存在があったからこそバロンたちの芸が引き立ったことを特筆しておく。お二人ともステージを離れた人柄も真摯かつ魅力的な方であった。出会いは素晴らしい。彼らを知りえたことだけでも収穫であった。

 これでバロンの秋の公演は終わった。彼らと少しでも関われたのは良かった。さあ、これからは自分の人生、自分の芸術に専念していこう。スカイツリーを見上げながらの帰り道決意を新たにした。

疲れ目、かすみ目で一回お休み2011年09月14日 23時34分20秒

疲れが溜まったせいなのか、目が痛くて目を開けていられません。
いったん眠って回復させてから書き直すことにします。
すみません。

生きて今在ることのありがたさよ2011年09月15日 22時20分54秒

★ようやく疲れはとれた。気を取り直して巻き返していく。

 9月も半ばとなった。この三日ほど自分でも呆れるほど時間をみつけてはひたすら眠ってようやく体調は戻った気がしている。

 今日木曜日は、老親たちが朝から二人して一日デイホームに行く日だったので、通常なら親の不在をいいことにギターかき鳴らし歌ったりと音が出せる練習の日なのだが、朝食後から昼飯も食べずに昼寝し続けた。
 午後3時近くやっと起きて、注文本の梱包してそれを持って犬たち乗せて車で多摩川近くのヤマト運輸のベースへ行き発送して川原で少しだけ犬を放して散歩させた。まだ陽があるうちは残暑厳しくて散歩も行けないのだが、今日は特別である。

 夕方吉祥寺で、友人と受け渡しの用件があり、5時半頃家を出た。
 公園手前のいせや支店で軽く呑み、8時頃別れた。バロンの公演の撮影などいつもあれこれお世話になってばかりいる方だが、今後のことを相談して、改めてここからまた巻き返して行かねばと期するところがあった。そう、ようやく一段落したという思いがある。

 それはバロンの公演が終わったからではなくて、昨年から引きずっていた「去年の失敗」がようやく過去のこととして気持ちの整理がついたということだ。
 去年はほんとに忙しくて無理に無理を重ねて無謀なこと、手に余ることをいくつもしてしまった。身の程知らずとか、最初から無理だったのだからやるべきではなかったとは思わない。が、自分が良かれと思い必死になってしたことが失敗に終わり、そのことについての気持ちの整理、昔で云うところの「総括」がなかなかできなかった。

 そのことは尾をひいて結果として今年の大阪春一番、そして先の三重県津のええかげん祭りにまで気持ちの上でどこかしら暗い影を落としていたようだ。気がつかなかったが今にしてそう思える。
 あの浅草木馬亭から間もなく1年、ようやく気持ちもふっきれた。一時期は浅草に出向くことすら辛くて足が向かなかったのだが、このところバロンの公演で回を重ねてそのアレルギーはようやく癒えた。あれはあれで良かったのだ、仕方なかったのだとようやくこのところ肯定し気持ちの納めどころがみつかった気がする。そう、過ぎたことと「過去」フォルダに入れることができたようだ。

 バロンの公演に来たミュージシャン達と終わったあと呑んで話し、素晴らしい彼らのためにまた何かライブ企画を立てられたらと夢想した。ちょうど公演最中、小野一穂君からも電話があり、こちらも彼を中心に一穂七番勝負のような連続ライブができたらと考えていた矢先だったのですっごく不思議な気がした。誰か見えない人が既に先行きのことを筋道を立ててくれているかのような気さえする。

 聖書では旧約に書かれていたこと、つまり預言者たちがかつて預言したことがことごとくナザレのイエスによって成就したと記されている。自分は預言者ではないし託宣を受けた者ではないが、今生きていることは何かの使命があると信ずる。
 今月は特に出かける予定もない。しばらく篭って去年からの溜まりに溜まったことはここらで片づけ整理処分して、ここからまた新たなステップを踏み出そう。そう、場を作ること、早く「開店」することでもある。

 それにしても情けないのは我が身の体力の無さである。出かけて都心に出るのにも乗り換えで駅の階段の上り下りでさえも息が上がってしまう。これては敬愛する年上の中川五郎さんの半分、いや四分の一も体力、そして気力もない。本当にもっともっと頑張らねばと思う。

 今生きている、そして何でもできるのだ。ありがたいではないか。感謝して頑張らねばバチがあたるぞ。

映画を通して家族のあり方、夫婦について考えた。2011年09月16日 22時05分31秒

★『ブルーバレンタイン』と『キッズ・オールライト』の二本立て。

 風はあるが台風が来ているせいか蒸し暑い。

 増坊はこのところ、自らの病院通いが続いている。といっても歯医者と目医者だが、親たちのも含めると多い週は二日に一回は病院に行く。今日は目医者で新たに作る眼鏡の視力を測ってきた。

 歯もようやく虫歯の治療はほぼ終わり、これから入れ歯を新たに型をとって作り直す。今回何本も神経を抜かれて、歯自体抜かれもしてずいぶん時間と金をとられた。痛い思いもした。まあ、中古車の車検と同じく、これは長年使ってきた体のメンテナンスであり、この数年ガタが一気に来ていたのだが、去年はやたら忙しくて一回も病院に行けず、母の病気と手術などもあったので、結果として今年春頃になって少しは落ち着いて時間ができるようになったので自分の体のことにようやく目が向いたのである。かなり虫歯もあちこち進んでいたのだ。それも仕方ない。

 その目も老眼が進んだところにドライアイで、やたらすぐ疲れやすくどうしたものかと悩む。こうしてパソコンのモニターに長時間向うのがいちばん目に悪いのはわかってはいるが、仕事であり書くことは生き甲斐であり、耳と声だけでは自分の表現はできないのだからさらに厄介だ。

 それでも今日は金曜日で、会員となっている飯田橋の映画館ギンレイに目医者が終わってそのまま足を伸ばして行って来た。今かかっている映画は今日が最終日であったから。
 映画は米国の今日的な夫婦の姿を描いた『ブルーバレンタイン』と『キッズ・オールライト』の二本立てであった。ここギンレイの特色というか上映方針は決まっていて、似た傾向、テーマの作品をあえて同時上映する。たしかに観客の嗜好としてはそのほうが入るのかもしれないが、個人的にはそれは良いことか常々疑問に思う。何故なら似た話だと内容が混濁してしまい個々の作品の印象が薄れてしまうこともよくあるからだ。その点、同じ二番館でも早稲田松竹のほうがはるかに意欲的で工夫されていると思えるのだが・・・。

 それはともかく今回の米国夫婦もの二本立ては、シリアスとコメディだったので、テイストも異なりそれはそれで味わいが違い楽しめた。
 ただ、今若手でもっとも注目しているライアン・ゴズリングが出た『ブルーバレンタイン』は期待はずれでうんざりした。幼い娘がいながらケンカが絶えない若い夫婦の関係をその出会いから決裂までを時間軸をごっちゃに混ぜこぜにしながら追っていく。構成は意欲的であったが、男と女のエゴのぶつかりあいは全世界いつの時代も不変のもので、何一つそこに新しさも救いも無い。役者が巧いぶんだけ我が身にこたえた。

 つまりそんなありきたりの救いのない話を金とられて見せられるほうがたまらない。映画もまた娯楽の一つなのだから、どこかでラスト一瞬でも救いや希望がなくてはならないと我は考える。悲惨な話や悲劇は簡単に撮れるし作れる。難しいのはそこからどう立ち直れるかその希望の光を描けるかではないのか。うんざりした現実なら身近に、それこそ吐き捨てるぐらい山積みになっているのだから。

 もう一方の『キッズ・オールライト』は、やはり芸達者の女優二人組、アネット・ベニングとジュリアン・ムーアが同性愛夫婦、つまりレズビアンのゲイカップルを演ずるというもので、コメディタッチながら夫婦仲の機微を巧く描いてなかなか考えさせられた。
 彼女達はそれぞれ精子ドナーの提供を受けて妊娠して男女のティーンエイジャーの子どもたちまでもいる家庭を築いていた。しかし、あるとき子が父親について関心を持ち、その男と連絡をとったため遺伝子上の「父」がその家庭に参入し始める。その男の登場によって振り回される同性夫婦とその子どもたち一家の騒動を描いている。

 同性であろうが異性であろうが、長年生活を共にし、人生に倦みつかれた二人の関係は以外に脆く崩れやすい。危機の時は必ず訪れるしそのときをいかにうまく乗り切れるかであろう。人は誰もが身勝手な自らのことばかり考えてしまうエゴの固まりであり、愛も実はその延長線上にある。自分はそうした家庭は築けなかった者として、夫婦とは、家族とはそうした危機を常に修復して、関係を回復させて続けていくものなのだと想像するしかない。

 どんな映画からもそれなりに何か新たに得るものは必ずある。映画は見知らぬ世界の窓であり、その窓からは自分の知らない体験しない人生が垣間見れる。

 一つだけ気になったのは、『キッズ・オールライト』では、ゲイカップルの一人が迂闊にも異性の男と性関係を持ってしまう。そしてそのことにより浮気がバレて「夫婦」の危機が起こるのだが、これはちょっとヘンである。というのは知る限りのゲイ、つまりホモでもレズビアンでも、「夫婦」にまでなれば、他のゲイと浮気することはあっても異性と寝ることは絶対にありえないと思う。むろんバイの人はいよう。しかし年期の入ったゲイならば異性とはそのときが来たとしてもコトはできないはずなのだ。まあ、そんなことはたかが映画なのだからどうでもいいことだが、何よーあの映画、オカマの風上に置けないわよねーと怒るオネエがいそうなので代わりに記しておく。

 映画で見る限り、夫婦とは家族とはなかなか面白く興味深い。どんなに大変でも面倒でも一人孤独を抱えるより素晴らしいもののようである。

これは男の更年期なのか。2011年09月18日 21時48分02秒

★男にだって「更年期」はある。

 今日18日も晴れて猛烈に暑かった。
 9月も半ば過ぎて、日もだいぶ短くなり朝晩はずいぶん涼しくなってきたのに陽射しだけは朝から焼けつくようにギラついて呆れかえるほどだ。空は青く高く鰯雲がたなびく秋の空なのに陽射しだけは真夏のまま。オゾン層が薄くなったからなのか何か他に原因があるのか。

 増坊が人より汗かきだということは以前にも書いた。夏など食事しただけで汗かく始末だし、辛いものなど食べれば滝のような汗が滴り落ちる。まあ、それも健康のしるしかと思っていたけれど、このところ外気温はさほど高くはないのに、室内でじっとしていてもヘンな汗をだらだらかく。
 9月に入っても残暑が続いて家ではまだほぼ裸同然で暮らしているのだが、裸でも首筋から汗が垂れるし座ると尻にも汗をかきパンツさえも濡れてきて気持ち悪く座っていられない。
 連日浅草に出かけていた疲れは癒えたと思うのだが、パソコンに向かっていてもそうしたヘンな汗をかき地震かと思う軽い揺れ感もあって、メマイもしているような気もする。これは噂の男の更年期障害ではないのか。

 じっさいのところ他の方は知らないが、50過ぎてから自分でも体質が変わって来たと強く感じる。体力気力が衰え無理できなくなったことに加えて食欲が落ちてきたこともだが、自分の体臭さえも変わったように思えやたら気になる。発汗などの自律神経も狂ってきているようだ。だから変にほてり、ヘンな汗かいたり夜などなぜか興奮してなかなか寝付かれないこともある。
 女性の方のそうした更年期の話はあちこちで見聞きするが男だって同じでやはりホルモンのバランスが崩れてきているのだろう。今までは青年期から続いていた若者の延長線上にあった肉体が、これからは老年期、つまり老人のそれに移行していく。その狭間で、肉体自身が戸惑っている。新陳代謝も減るしもう前みたいにバカ食いもできない。食べすぎ呑みすぎは長くもたれる。疲れも回復が遅れるしダメージも長引く。

 気持ちだけは若いときから何も変わらず、バカさは相変わらずでも体は正直に経年相応の老化が如実になっていく。まあ、それは誰もが通る道であり、程度の差はあれ自分だけの問題でないし死と同じく避けられない。気にしても仕方ないのはわかっている。が、体がそうなると気持ちも戸惑い不安になる。この不定愁訴感はいつまで続くのか。

 男も女もここを乗り切れば本格的な本物の老人になれるのだと思う。老親たちを見ていると人は老人になってしまえば気楽に思える。つまりボケも入ってきて若いときのようにあれこれ悩み考えないでお気楽に生きられる。親しい友が、兄弟が死のうが、そのときは嘆き哀しんでもすぐに忘れて?あっけらかんのカーでヘラヘラまた面白おかしく生きている。くよくよしない。気持ちを引きずらない。それはそれでなかなか素晴らしい。何でもすぐ忘れてしまうというのは理想的な生き方であろう。楽しいことだけに関心が向う貪欲な生き方はちっとも悪いことではない。

 だが、自分はこのままただ老いぼれてそうした老人になりたくはない。何しろ結婚も子育ても家庭をきづくことも就職さえも何一つやっていないのだ。今さらそれをしたいとか願いはしないが、年金さえもないのだからそうした安定した一般的老人には自分は絶対になれない。

 若いときから世間から落ちこぼれてドロップアウトしてしまった不良少年はやがては不良中年に、そしてその先には不良老人になるしかない。
 老いた先に「安定」は待っていないのだから悠々自適な老後などありえない。妻も子もなく金もなく誰にも頼れないのだからならばこそ自らを鍛えていかねばならないのだ。

 そう、信じられるのはこの自分の体だけだ。頼むにあまりに頼りないが今ここで泣き言いってはいられない。自分で自分を信じてやっていくしかない。歳をとることは悪いことではちっともないし抗うことよりも受け入れていくしかないのだから。

原発を停めるための市民の集会、デモ行進。2011年09月19日 21時22分09秒

★明治公園の6万人集会に参加して。

 今日は友人に誘われ9.19『さようなら原発5万人集会』のある明治公園に行ってきた。その報告を少し。

 じっさいのところものすごい人であった。主催者発表6万人というのはあながち誇張では絶対にない。
 会場となった明治公園はごく小さな空間でしかないので、千駄ヶ谷から歩いていくと途中から会場周辺にはプラカードや幟り旗を掲げた人の群れで身動き取れないほど。皆中に入れず周辺の路上でで待機している。空には報道のヘリコプターが何期も行き交い騒然としている。
 警察の規制を抜けて何とか公園にたどり着き、まさに立錐の余地のない集会の一員となることができた。

 こうした集会は初めてではないが、何より感心したのはその参加者の多さと雑多な顔ぶれである。それぞれの立場やイデオロギーを超えて反原発、原発をなくそう、原発はいらないとう一点だけの思いで全国各地から参加してきている。革マルから各労働組合、各地の生協組合、そして民主団体、福島など被災地から参加された一群、全国各地で反原発運動に関わってきた人たち、さらにはまったく無所属の市民まで、それぞれ居てもたってもいられない思いでそれぞれ手作りのプラカードを持って参加してきている。幼い子どもも車椅子の人や杖をついている老人もさらには外国人までも。。自分は60年安保の世代ではないが、あの頃の熱気はかくや、それに近いのではないかと胸が高まる思いがした。立ち並ぶ上り旗、手作りのプラカードを見ているだけで圧巻、壮観、胸が痛くなる。

 あまりの人出に、主催側のスピーカーの音もほとんど聴こえない。沢山の人が同じ思いを抱えてただそこに集まってきているだけ。その統制のとれなさ、段取りの悪さこそが誰かがあらかじめ仕組んだお仕着せの集会でないという証であり、ものすごくリアルであった。そう、これで良いのだ。
 原発はこの国からいらない、なくしたいというその思い一点だけでこれほど多くの人たちが自発的に集まってきている。自分はこの国の有り方とこの国民についてはずっと懐疑的な目で見ていたのだけれど、もしかしたらこの国は変わるのではないかと思え熱いものがこみ上げてきた。

 ただそこに居ても何か始まるわけでもないし、デモ行進も既に始まっていたので、新宿方面に向う列に混じって移動した。そこはクラブ生協の列であったが、総武線の高架を抜けて新宿御苑の周りを囲むように新宿駅東口へと歩いた。むろん、原発をなくそうとのシュプレヒコールを上げながら。
 感動したのは、集会には参加していなかったと思われる街道沿いに住む住民も手を振ったり、さらには手作りのプラカードを掲げて声援を送ってくれたことだ。延々続くデモ行進にそうして街道から賛同してくれた人たちがかなりいた。

 もしかしたらこの国は変わる。いや、きっと変わる。政権はバカたちがたらい回しにして新総理も相変わらず原発推進して行くことこそ国益にかなうなどと妄言を口にしているが、市民レベルではとっくに全ての原発は廃炉にすることへ意識は向っている。あとはいかにその思いがじっさいの政治に反映させていくかであろう。

 もう原発推進派の人たち、民主、自民、そして公明党らは政治の舞台から撤退してもらいたい。改めて言う。政治家たちは自らの保身のためでもかまわない。国民の意思をしかと受け止めよ。

 この国難はこの国が真に変わる最後のチャンスなのだ。ここを逃せば日本の未来はどこにもない。この国、地球はは破滅絶滅へと向う。脱原発と核兵器廃絶は世界の流れなのである。今日はその思いを新たにした。

 世界は変わる。きっと変えられる。必ず変わっていく。もしきみが真剣にそう望むならば。
 
 ぼくも私も市民一人一人がささやかでもアクションを起こそう。今日は帰り道ずっとジョン・レノンの『イマジン』が鳴り響いていた。
 
 そう、夢見ているって言われるけど僕だけじゃないんだ。世界中の皆が手を取りあえば思いはきっとかなう、と。

季節は一気に本格的に秋へと~決断の時は今。2011年09月20日 20時49分47秒

★そのとき歴史は動くのか。

 昨日は曇りがちで爽やかな風もあって過ごしやすくまさに野外集会日和であったが、一夜明けた今日は台風からの雨も降り気温も一気に下がり急に涼しくなった。長かった残暑もようやく終わった。今日は10月半ばの気温とのこと。

 涼しくなったので久々に深く熟睡できた。心地良く眠れた。昨日の反原発大集会の6万人の一人となれたことが嬉しく光栄に思え自らを肯定できたからかもしれない。

 人には誰でも思いあたるように「決断」のときがある。出処進退の判断を迫られるときが来る。
 それは就職や退職、あるいは結婚、そして離婚のように今後の人生の岐路に立ちどう選ぶか選択を自らすべきときがある。
 国、つまり国家というのもまた同じで、『そのとき歴史が動いた』ではないが、その時どきの判断が結果として国家の命運を左右していく。
 例えばそれはノモンハン事件であり、1941年12月の米国ハワイ島真珠湾奇襲攻撃であり、その判断が結果としてその後の国の明暗を分けた。この国は引き返せない破滅の道を選んでしまった。

 歴史にもしはないし、仮定の話を想像して描く歴史小説は近年大流行でも現実には過去は過去でしかなくやり直しはできない。だからこそその判断を迫られるとき、国家はより慎重に百年の計どころか、子々孫々孫子の先までの世代のことまで考え後顧の憂いなきよう決断せねばならない。

 今この国はフクシマの原発事故をうけて、安全性を高めた上で今後とも原発を推進していくか段階的にせよ廃炉へ、撤退させて原発をなくすか選択のときを迎えている。それは二つに一つしかない道であり、その真ん中、折衷案はありえない。原発はYESかNOか。今この国は今後の国策として選ばなくてはならない。
 国民投票がある国ならばおそらく今それを国民に問えば間違いなく日本人は原発はいらない、撤退せよと答えるであろう。しかしもう何年も前、自民党から民主党に政権交代を望んだとき以来、政治家たちは同じ顔ぶれである。※そのときの選挙では原発はまったく争点にならなかった。
 ゆえに新首相がまたも生まれても相変わらずの原発推進派ばかりの国会では新首相自らが原発稼動再開の舵取り役を自認している。これではまだダメ菅の前首相の方が数段良心的、人間的まっとうな考えを示していた。
 このまま国民が今の政治家たちにその判断を委ねてしまえば原発はなくなるどころか再稼動が増えまた新たな建設さえ進んでいく。数年先遅くとも数十年先のうちに先の東日本大震災級の大地震が各地で予測されている日本。そしてその先にあるのはどのような事態であろうか。

 科学には絶対安全ということはありえないしその妄信が今回の想定外の津波による事故を起こした。ならばまた懲りずに今度こそ「絶対安全」だと行政や御用学者が保証しあの腐り果てた電力会社に任せて原発を稼動させていけば次の事故のときはその地域だけではなく国家の破滅であろう。
 その後も日本という国家が残っていれば幸いだが、そのときにきっと生き残った人たちはこう呟くに違いない。「あのフクシマの事故の時が判断の時、国家の生と死を分ける分岐点だったんだ。その教訓から学ばずに政府を信じて原子力に頼る暮らしを選んだ。そしてだからこんなことがまた起こってしまった・・・」と。

 決断のときは今。判断を誤ってはならない。新首相達が国民の声に耳を傾けないならば早く国会を解散させて原発推進派の政治家たちを落として脱原発・反原発の代理人を国会に送るしかない。そのためにもまず声を上げよう。意思を表示しよう。原発はNO!と叫ぼう。

 わからないとかどちらでもいいという中間の答えはこの選択にはありえない。自分の未来、子々孫々の未来を考えて進退を決めるときが来たのだ。
 命こそ宝。その命を人任せにしてはならない。

台風襲来の最中に2011年09月21日 15時43分00秒

★久々に東京に台風が近づいている。

 今これを記すのは21日水曜日の夕刻4時近く。外は雨風がものすごく傘さして歩くことすらできない。窓ガラスを滝のような雨が流れ落ちている。

 自然災害の多い年で、大震災以後も全国各地で大雨洪水など続いていたが幸いにして首都圏はこれまで大した被害はなかった。だがついに台風直撃である。

 台風は昼過ぎに静岡県浜松辺りに上陸しそのまま本州を直進し関東に向っているようだ。これまで雨だけ降り続いていたのに昼からは突然暴風も吹き荒れ雨音と相俟ってゴーゴーと外は騒然としてうるさい。

 今日はそんなで出かけられないし今さら外に出て何か備える作業もできやしない。ならば家のなかで片付けとかパソコンに向かい溜まった用事に専念すればよいのだがどうにも不安で作業に集中できない。
 居ても立ってもいられないという言葉通り激しい風雨の音で落ち着かず何も手に付かない。動物園の檻の中の動物のようにただうろうろ部屋の中を行ったりきたりしている。

 増坊宅は、新築となってから窓を大きく幾つもつけたがその窓には雨戸は一枚もない。ペアガラスが入っているだけで、もし強風で瓦とかが飛んできたらば一たまりも無い。
 地震には強いことははからずとも今年の3.11のとき実証されたが、もう一つ台風などの襲来については全く対策を立てていなかった。もう何年も東京には台風は来ていなかったし、その危険性についても忘れかけていた。
 今こうして豪雨と暴風に見舞われて、不安ではあるけれどこれもまた起こるべくして起こることであってついに来るべきものが来たという気がしている。今までが運が良かったのだ。

 ウチは川沿いでも低い土地でもないので、水害の被害はないと信ずるが、もう雨漏りはしないとしてもやはりこうして台風が来るからには東側の窓には木製雨戸を取り付けるなどこれからまた新たな対策を練らねばならない。
 人はけっきょくのところ常に災害に遭遇してから初めて真剣に対策を立てるのである。起こるべきこと、来るべきことだと頭ではわかっていてもじっさいその時が来ない限り重い腰は上げないものなのだ。人の思いは常に後手後手の対応に終わる。

 まあこんな日も来る。これが日本であり、ここに生きているということなんだと受け入れていくしかない。
 ともかく早く通り過ぎてほしい。ただじっと待つのみである。
 ………………………………………………
★追記

 台風15号は、東京辺りではブログを書き上げた5時頃が最も雨風共に強かった。おっかなくて窓際に近寄れないほどだったが、猛スピードで通りすぎたようで6時頃には外はしだいに静かになってきた。7時前には雨もやんだので外に出て室内に取り込んでいた犬達と散歩へ出た。

 庭の鉢植えは全部なぎ倒され横倒し。庭木から折れ落ちた小枝や葉が散乱し道もどこかしこもすごい有様である。まだ風は残っているので片づけるのは明日にするとして、おかげさまで大した被害はなかったことをまずは報告しておく。何でもそのときやその前には大変だとあれこれ案ずるが過ぎてしまえば意外に大したことなく終わってしまうものだ。

 ただ、前回のような超大型台風がゆっくりと襲来していたら果たしてどんな被害があったかそれは想像せねばならない。大したことなかった結果は僥倖でありそれが当たり前だと過信しないことだ。

 人の運、不運、幸福、不幸も含めて先のことは神のみぞ知る。いたずらに怖れてはらないが常にそのときに備えておこう。その上で何が起きても良いよう覚悟をしておくことだ。

 良寛和尚も言っている。災難に遭うときは遭うが良いと。

増坊も行くライブ情報2011年09月22日 21時44分22秒

9月24日(土) 青梅 Live House ルシール/Lucille

WASABEE RECORDS Present's 2nd

青梅・春一番

小作ルシールの巻 VOL.1

出 演 : 中川 五郎/シバ/村上 律/西島 寛二/境橋 宏/緑山 涼

日 時 2011年9月24日(土)

開 場 19:00  開演 19:30 (2部制)

料 金 \2000(1ドリンク付)

★春一番とは、70年代初頭、大阪で生まれた野外コンサートで、ゴールデンウィークに、このコン サートの為にだけ集まる有志スタッフとプロデューサー福岡風太氏と故・阿部登氏による手作り イベントである。

 1971年に生まれ、1979年で一旦幕を閉じ、1995年に復活し、現在まで毎年開催されている。

 日本語のフォーク&ロックの黎明期を創った音楽シーンの一つである。

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LIVE HOUSE ルシール

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JR青梅線 小作駅東口 徒歩3分『小作駅北』交差点角 地下1階

〒198-0024 東京都青梅市新町3-3-13 沖ビルB1