生きて今在ることのありがたさよ2011年09月15日 22時20分54秒

★ようやく疲れはとれた。気を取り直して巻き返していく。

 9月も半ばとなった。この三日ほど自分でも呆れるほど時間をみつけてはひたすら眠ってようやく体調は戻った気がしている。

 今日木曜日は、老親たちが朝から二人して一日デイホームに行く日だったので、通常なら親の不在をいいことにギターかき鳴らし歌ったりと音が出せる練習の日なのだが、朝食後から昼飯も食べずに昼寝し続けた。
 午後3時近くやっと起きて、注文本の梱包してそれを持って犬たち乗せて車で多摩川近くのヤマト運輸のベースへ行き発送して川原で少しだけ犬を放して散歩させた。まだ陽があるうちは残暑厳しくて散歩も行けないのだが、今日は特別である。

 夕方吉祥寺で、友人と受け渡しの用件があり、5時半頃家を出た。
 公園手前のいせや支店で軽く呑み、8時頃別れた。バロンの公演の撮影などいつもあれこれお世話になってばかりいる方だが、今後のことを相談して、改めてここからまた巻き返して行かねばと期するところがあった。そう、ようやく一段落したという思いがある。

 それはバロンの公演が終わったからではなくて、昨年から引きずっていた「去年の失敗」がようやく過去のこととして気持ちの整理がついたということだ。
 去年はほんとに忙しくて無理に無理を重ねて無謀なこと、手に余ることをいくつもしてしまった。身の程知らずとか、最初から無理だったのだからやるべきではなかったとは思わない。が、自分が良かれと思い必死になってしたことが失敗に終わり、そのことについての気持ちの整理、昔で云うところの「総括」がなかなかできなかった。

 そのことは尾をひいて結果として今年の大阪春一番、そして先の三重県津のええかげん祭りにまで気持ちの上でどこかしら暗い影を落としていたようだ。気がつかなかったが今にしてそう思える。
 あの浅草木馬亭から間もなく1年、ようやく気持ちもふっきれた。一時期は浅草に出向くことすら辛くて足が向かなかったのだが、このところバロンの公演で回を重ねてそのアレルギーはようやく癒えた。あれはあれで良かったのだ、仕方なかったのだとようやくこのところ肯定し気持ちの納めどころがみつかった気がする。そう、過ぎたことと「過去」フォルダに入れることができたようだ。

 バロンの公演に来たミュージシャン達と終わったあと呑んで話し、素晴らしい彼らのためにまた何かライブ企画を立てられたらと夢想した。ちょうど公演最中、小野一穂君からも電話があり、こちらも彼を中心に一穂七番勝負のような連続ライブができたらと考えていた矢先だったのですっごく不思議な気がした。誰か見えない人が既に先行きのことを筋道を立ててくれているかのような気さえする。

 聖書では旧約に書かれていたこと、つまり預言者たちがかつて預言したことがことごとくナザレのイエスによって成就したと記されている。自分は預言者ではないし託宣を受けた者ではないが、今生きていることは何かの使命があると信ずる。
 今月は特に出かける予定もない。しばらく篭って去年からの溜まりに溜まったことはここらで片づけ整理処分して、ここからまた新たなステップを踏み出そう。そう、場を作ること、早く「開店」することでもある。

 それにしても情けないのは我が身の体力の無さである。出かけて都心に出るのにも乗り換えで駅の階段の上り下りでさえも息が上がってしまう。これては敬愛する年上の中川五郎さんの半分、いや四分の一も体力、そして気力もない。本当にもっともっと頑張らねばと思う。

 今生きている、そして何でもできるのだ。ありがたいではないか。感謝して頑張らねばバチがあたるぞ。

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