映画を通して家族のあり方、夫婦について考えた。2011年09月16日 22時05分31秒

★『ブルーバレンタイン』と『キッズ・オールライト』の二本立て。

 風はあるが台風が来ているせいか蒸し暑い。

 増坊はこのところ、自らの病院通いが続いている。といっても歯医者と目医者だが、親たちのも含めると多い週は二日に一回は病院に行く。今日は目医者で新たに作る眼鏡の視力を測ってきた。

 歯もようやく虫歯の治療はほぼ終わり、これから入れ歯を新たに型をとって作り直す。今回何本も神経を抜かれて、歯自体抜かれもしてずいぶん時間と金をとられた。痛い思いもした。まあ、中古車の車検と同じく、これは長年使ってきた体のメンテナンスであり、この数年ガタが一気に来ていたのだが、去年はやたら忙しくて一回も病院に行けず、母の病気と手術などもあったので、結果として今年春頃になって少しは落ち着いて時間ができるようになったので自分の体のことにようやく目が向いたのである。かなり虫歯もあちこち進んでいたのだ。それも仕方ない。

 その目も老眼が進んだところにドライアイで、やたらすぐ疲れやすくどうしたものかと悩む。こうしてパソコンのモニターに長時間向うのがいちばん目に悪いのはわかってはいるが、仕事であり書くことは生き甲斐であり、耳と声だけでは自分の表現はできないのだからさらに厄介だ。

 それでも今日は金曜日で、会員となっている飯田橋の映画館ギンレイに目医者が終わってそのまま足を伸ばして行って来た。今かかっている映画は今日が最終日であったから。
 映画は米国の今日的な夫婦の姿を描いた『ブルーバレンタイン』と『キッズ・オールライト』の二本立てであった。ここギンレイの特色というか上映方針は決まっていて、似た傾向、テーマの作品をあえて同時上映する。たしかに観客の嗜好としてはそのほうが入るのかもしれないが、個人的にはそれは良いことか常々疑問に思う。何故なら似た話だと内容が混濁してしまい個々の作品の印象が薄れてしまうこともよくあるからだ。その点、同じ二番館でも早稲田松竹のほうがはるかに意欲的で工夫されていると思えるのだが・・・。

 それはともかく今回の米国夫婦もの二本立ては、シリアスとコメディだったので、テイストも異なりそれはそれで味わいが違い楽しめた。
 ただ、今若手でもっとも注目しているライアン・ゴズリングが出た『ブルーバレンタイン』は期待はずれでうんざりした。幼い娘がいながらケンカが絶えない若い夫婦の関係をその出会いから決裂までを時間軸をごっちゃに混ぜこぜにしながら追っていく。構成は意欲的であったが、男と女のエゴのぶつかりあいは全世界いつの時代も不変のもので、何一つそこに新しさも救いも無い。役者が巧いぶんだけ我が身にこたえた。

 つまりそんなありきたりの救いのない話を金とられて見せられるほうがたまらない。映画もまた娯楽の一つなのだから、どこかでラスト一瞬でも救いや希望がなくてはならないと我は考える。悲惨な話や悲劇は簡単に撮れるし作れる。難しいのはそこからどう立ち直れるかその希望の光を描けるかではないのか。うんざりした現実なら身近に、それこそ吐き捨てるぐらい山積みになっているのだから。

 もう一方の『キッズ・オールライト』は、やはり芸達者の女優二人組、アネット・ベニングとジュリアン・ムーアが同性愛夫婦、つまりレズビアンのゲイカップルを演ずるというもので、コメディタッチながら夫婦仲の機微を巧く描いてなかなか考えさせられた。
 彼女達はそれぞれ精子ドナーの提供を受けて妊娠して男女のティーンエイジャーの子どもたちまでもいる家庭を築いていた。しかし、あるとき子が父親について関心を持ち、その男と連絡をとったため遺伝子上の「父」がその家庭に参入し始める。その男の登場によって振り回される同性夫婦とその子どもたち一家の騒動を描いている。

 同性であろうが異性であろうが、長年生活を共にし、人生に倦みつかれた二人の関係は以外に脆く崩れやすい。危機の時は必ず訪れるしそのときをいかにうまく乗り切れるかであろう。人は誰もが身勝手な自らのことばかり考えてしまうエゴの固まりであり、愛も実はその延長線上にある。自分はそうした家庭は築けなかった者として、夫婦とは、家族とはそうした危機を常に修復して、関係を回復させて続けていくものなのだと想像するしかない。

 どんな映画からもそれなりに何か新たに得るものは必ずある。映画は見知らぬ世界の窓であり、その窓からは自分の知らない体験しない人生が垣間見れる。

 一つだけ気になったのは、『キッズ・オールライト』では、ゲイカップルの一人が迂闊にも異性の男と性関係を持ってしまう。そしてそのことにより浮気がバレて「夫婦」の危機が起こるのだが、これはちょっとヘンである。というのは知る限りのゲイ、つまりホモでもレズビアンでも、「夫婦」にまでなれば、他のゲイと浮気することはあっても異性と寝ることは絶対にありえないと思う。むろんバイの人はいよう。しかし年期の入ったゲイならば異性とはそのときが来たとしてもコトはできないはずなのだ。まあ、そんなことはたかが映画なのだからどうでもいいことだが、何よーあの映画、オカマの風上に置けないわよねーと怒るオネエがいそうなので代わりに記しておく。

 映画で見る限り、夫婦とは家族とはなかなか面白く興味深い。どんなに大変でも面倒でも一人孤独を抱えるより素晴らしいもののようである。

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