全ては神の見えざる手の元に2011年10月25日 22時26分05秒

★全てのことはなるようになっていくだろう。

 ちょっとブログ間が空いて申し訳ない。
 今29日に向けての準備に追われていることもあるが、なかなか腰据えてパソコンに向かう時間がとれないでいる。昨晩は気がつくと零時過ぎてしまっていた。※このブログ、日付を遡って後から新規に書き込むことはできないのである。つまりその日の内に投稿すれば後ほど何度でも書き足しもできるが、日付が変われば過ぎた日に新たに投稿できない。

 まず母のことの報告。
 昨日24日、先に撮ったCTの結果を受けて、再度この前の女医先生の診断を仰ぐべく、立川の病院の産婦人科へ母と共に出向いた。
 結果はやはり腫瘍の肥大は更に進んでいて、外科的手術は難しいこともあり抗癌剤投与ということで話は決まり日程も出た。来月第二週の水曜日から二泊三日で入院して、点滴を通して薬を入れていくことになった。
 薬自体は、一日で終わるとのことだが、初日は血液検査とかして翌日薬を時間かけて入れて、さらにもう一日様子を見て異常なければ帰宅となるようだ。それを月に一度半年ほど続けることになる。
 むろん途中途中効果があるか確認とって、また体に負担の程度はどれほどか様子見つつ場合によっては中止となることもあるとのことだった。ただ、よく聞くように三ヶ月ほどで髪の毛は全て抜けてしまうそうだし、投与当日よりも後日しばらくはかなりしんどくだるさや疲労感が続く場合が多々あるとのことで、その薬で不慮の事態はまず起きないとしたとしても癌を殺すためには体自体にもかなりの重荷がかかることは間違いない。
 また女医の話だと薬の効果の程は絶対確実とも言えないそうで、今もこの判断、選択が正しいのか迷う気持ちもなくはない。が、日々肥大していくその「影」に対してそのまま放置することも出来ないなら丸山ワクチンに併用して抗癌剤を投与していくしか道はないのだと覚悟を決めた。ともかく医師も勧めて、他に手はないならまずはそれをやってみるしかない。
 じっさいに入院し投与してみてどう体調に悪影響がでるかはわからないので今はまださほど実感も不安も何もわかないけれど、気持ちは逆にスッキリもしている。ようやく覚悟も決まったということだ。

 そして思ったことは、また今さらであるが、自分は悔い改めて心して生きていこうと誓った。 心して、とは、残りの母とすごせる日々を毎日感謝して丁寧に味わって大切にしていこうということだ。
 愚かで罪深い自分はつい老いた親に対しても彼らが健康なうちはぞんざいに扱い、些細なことで怒り腹を立て、時に怒鳴りつけたり傍から見れば暴力的な対応をすることがしばしばあった。もしこのままずっと元気なままであれば、それは良いことであっても互いにうんざりし憎しみや怒りをぶつけ合う関係になっていたかもしれない。それもまた不幸ではないか。
 今二親は相応に歳をとり、病院通いが日課となってきて、共に暮らす者として大変ではあるが、逆に「その先」が見えてきたことにより今共に生きて在ることの有り難さがようやくわかってきた。どんなものでも沢山あるうちは気がつかないものだが、ようやく残り少なくなってきて初めてその価値、大事さに気づくことは多々あろう。ましてそれが代替のきかないものならば。

 病気や老いというものもそう考えれば悪いことではない。いつまでも永遠に続くものはない。すべてのことには終わりがくる。愚かな考えなしの自分にとって、そのことを気づかせ親の有り難さがわかったことだけでもとても良いことであった。本当にありがたい。全てこの世のことは見えない者の計らいだと思える。ならば何も怖れることはない。
 今はただ全てのことに感謝して一日一日を丁寧に生きていく。朝が来て、一日が過ぎ夜が無事に来るのならそれだけでただ感謝である。