政治家とはいったいどんな人種か2012年11月15日 22時03分11秒

★沈む船から逃げ出すネズミの行き先は

 もうとことん呆れ果てた。
 首相の解散宣言から一夜明け、民主党からは続々離党者続出中である。あたかもその姿は沈む船からネズミが逃げ出す様を思わせる。皆、今さら考え方が違う、一緒にやっていけない等とか言って中には自民党に入れてもらうことを願う奴もいる。また、維新政党など第三極に擦り寄るやからも多くいるようだ。こうした奴らは要するに今までは野田首相を選び消費税増税など悪法に常に賛成もしてきたのに、突然の解散宣言に、もう今の民主党ではとても自分は当選できないと見限るやすぐに踵を返して他の追い風が吹きそうなところに鞍替えを望むのである。

 まあ日本史の中の関が原の戦いでもそうしてギリギリまで様子見を決め込み、徳川方が勝ちそうだと見るや豊臣を見捨て徳川に加勢した大名も多かったようだからそれが人智の冴えと見ることもできなくはない。
 しかし、ことは国政を担う国会議員である。もし最初からその政党に不満があるならばそこから出馬することも党籍があること自体おかしな話で、自らの考えと異なると気づけば当選してからでもいち早く離党するか議員辞職をすべきであろうが。それか今の今まで小沢一郎たちがいち早く離党したときも行動を別にしたはずなのにようやく今日になって「考え方が違う、一緒にやれない」とは笑止千番なにものでもない。

 こうした人間はそもそも最初から基本的政治理念など何一つなく頭にあるのは自らの議員になりたい、議席を守りたいということだけなのである。ゆえに当選できれば民主党でなくとも自民党でも良いし太陽の党だか維新政党だとかどこだって全く関係ないのである。

 思えば、民主党結党じたいが自民党から脱落した、いわば権力闘争の落ちこぼれ的な人たちが支持を失った旧社会党的な人たちと共に作った寄り合い所帯であって党の綱領すらなかった。ともかく選挙を戦い政権を目指すことだけが目的で共に集まった輩であった。そして自民党の敵失的勝利でようやく政権交代なってから今までの迷走と背任、公約違反の数々はいかにそのマニフェストすら政権奪取のための絵空事、絵に描いた餅であったか如実に示していよう。

 そして挙句に今民主党は完全に国民から愛想つかされ、野田首相の下で選挙は戦えないとはっきりすると他の政党に大慌てで擦り寄っていく。こうした奴らはどこにいてもまた同じことを繰り返す。その党が政権を握れば党の方針には唯々諾々と従い、その党の人気が落ち支持率も下がればまた次の居場所を求めてより当選できそうなところへ移っていく。そこには政治信念など何一つない。頭にあるのは保身だけである。国民のことなどまったく念頭にない。せいぜい支持者の顔色を伺う程度だ。

 そして今、そうした政治家ゴロの受け皿として第三極なる新勢力が脚光を浴びている。慎太郎、橋下、渡辺、河村各氏が一つの党にまとまればじっさい政権獲得もありえるかもしれない。しかしそれはまた第二の民主党政権であり、今は政権奪取のため大同小異で結びついてもまたすぐ権力闘争を党内で仕出かし負けた者は党を割って出る。そして民主党政権と同様の不手際と公約違反が続出していく。それは単に数合わせの政権獲得目的だけで集った野合そのものであるからだ。

 第二民主党と言うことは第三自民党でもあるわけで、いくら彼らが政治的に新しさを売り物にしても基本的には旧来そのままの保守反動であるのは変わらないし、民主党よりもより自民党に近いタカ派、右翼集団であることは言うまでもない。原発存続、TPP推進、安保条約の堅持と深化、憲法改定なのだからどこに新しさがあろうか。その道はいつか来た道、である。

 マスコミはまた面白おかしくこの戦の勝者は誰かと大騒ぎするだろう。しかし自民にしろ民主にしろ維新にせよ誰が勝とうと政治はまた何一つ変わらない。何故なら彼らはそもそも国民のことなど考えていないからだ。権力をいかに自らの手に入れるかだけが彼らの目的なのだから。
 戦国時代を舞台にした歴史小説ならばそうした武将たちの誰が戦に勝ってこの国の主となるかがテーマであろう。その主役は信長や家康などの武将たちであるのは仕方ない。当時も民衆はいたけれど歴史の表舞台に出ることはありえなかった。

 しかし今の時代は、そうしたどの政党のどのボスが国政を手に入れるかが興味の対象であってはならないはずだ。彼らを政治ゲームの主人公としてマスコミは持てはやすなかれ。今さら使い古された言葉だがあえて書く、もし政治の主役は誰かと問われれば「国民こそが主人公」なのである。その国民、大衆にとって誰がより良い安心の出来る暮らしを実現できるかがテーマであり、今度こそ間違いのないように誰に一票を投ずるか、選挙の争点とはそこにあることをマスコミは見失ってはならない。

  そうしたマスコミに踊らされないよう自戒を込めて有権者は賢くならねばならない。自民、民主、維新、三党のどこが勝とうが負けようが最終的には全く関係ない。数さえ集まれば彼らは大同小異、基本的に保守・右翼の一点で一致し憲法改定のため大政翼賛会を築く。そのときこそ国民はまたもや騙されたと気付くがもう遅いのだ。