第4回隅田川フォークフェスティバル報告記・後 ― 2014年07月08日 21時26分43秒
★うたの力を信じてここから、さあ、もういっぺんがんばろう! アクセスランキング: 80位
隅田川フェスが催されるのはいつも7月の頭、七夕前後であるが、その頃は梅雨の真っただなかであり天気も悪いだけでなくともかく蒸し暑い。会場となる神社は木造で、社殿の中は広く畳の大広間なのだが、冷房機器などはひとつもない。せいぜい団扇で涼をとるだけだ。
これまでを思い返しても急なゲリラ豪雨に見舞われたときもあったし、雨後の蒸し暑さに苦しんだり雨は降らないときは真夏日の暑さとなり座っているだけで汗が噴き出たこともあった。
幸い今年は晴れたものの曇りがちでさほど暑くはならず、爽やかな風も時おり吹いて今まで一番快適なフェスとなった。まあ、それでも会場は超満席となってたから、お客様は決して快適ではなかっただろう。しかしだれることなく神社の社殿の中という異空間での音楽イベントに最後までお付き合い頂いた。実に有難いことではないか。
さて、中休み後、奉納コンサート第二部は、オールドタイムのバンジョーを二本抱えて石川修次氏がまず登場。半世紀以上にわたるフォークロアセンター主宰の国崎氏との付き合いを振り返って語り、古いながらも芳醇かつ熟成されたバンジョーの素晴らしい音色を次々聞かせてくれた。石川先生の民俗学の講義的なお話もぜひ機会あればゆっくり耳を傾けたいと思えた。
そして人気のくもりなが、今回はバックにホルンやスティールドラム(スティールパン)などサポート楽器隊を従え大人数で登場。ライブは久々とのことだったが、神社の森にボーカルめいりんの澄んだ唄声が響きわたった。くもりなの独特な心地よい揺らぎ、エスニック感はめいりんのインターナショナルな血の存在感からきていることに気づかされた。
一方バンジョーを手に広くライブ活動を続けている北村謙さんが巧みな話術と確かな唄でサービス精神あふれる楽しいステージで場を沸かせてラストの中川五郎へ続くと思ったら、突然、過去にもフェスに出演したこともある真っ黒けボックス大槻がスチールパンをサポートに頼み飛び入りし1曲のみでも強烈なインパクトを観客に与えた。
そして今年の隅田川のトリは、先年国崎氏と連れ立ってピート・シーガーの自宅まで訊ねたこともある、日本のフォークシーンに偉大な足跡を今も刻み続ける中川五郎御大。
体調不良との報もあったが、しっかりとこの時代を見据えたプロテストソングの数々を全身全霊、まさに魂の叫びとしてうたい上げた。今安倍反動政権が暴走のスピードを増していくこの国で、彼と彼のうたに再び脚光が当たるのは当然のことだろう。このままでは、日本人全員が、安倍や石破という愚かな上官に引き連られ泥沼の中で、「腰まで泥まみれ」どころか首まで沈んで溺れ死んでしまう。
そう、戦争に行って死ぬのは高村副総裁や公明党の党首たちではない。若き下っ端自衛隊員たちや徴兵で集められた若者たちなのだ。徴兵忌避した者など石破に言わせれば軍事法廷で「死刑」にすると言っている。
唄はけっしてはっきりとした表立った政治的メッセージは何も言っていない。が今回の隅田川フェスに参加された方々は、たかが「うた」ではあるが、うたを通して様々なことを思い感じ考えたことと信ずる。
今この国が向かっている危険な方向に対して我もまた何かせねば、立ち向かわねば、と新たな決意の機会となったのではないか。
今年の隅田川フェス、歌い手たちが投げたボールは聴衆たちの心にしっかり届いたと思えた。そしてその場に立ち会えた喜びをかみしめ「うた」の力をはっきりと確信した。
※前回に引き続きMCと進行役を担当された川原氏も控えめながらも巧みに流れをつくり今回の成功を導いたことを記しておく。過不足ない巧みな良い進行であった。
やや予定時間をオーバーしたものの今年の隅田川フェスは無事大盛況のうちに終り、社殿の中で簡単な打ち上げ後、後片づけを手伝い、8時頃からのフォークロアセンターに移って懇親会となった。が、自分は他にも要件を抱え家のこともあったし、東京の東から西まで帰らねばならなったので、それは辞去して両国駅へと足早に向かった。しかし同行したのが岡大介とオーツキという親しいお二方であったため、帰るつもりが拉致され先に駅前の店で呑んでいたくもりな一行が待つ店へ合流。めいりんたちとまたかなり呑んでしまい何か最後は意識もうろうとなった。中央線でソウル・ブラザースの面々とも偶然また一緒になり話しながら何とか正気を保ち家まで帰ってきた。
当初はあまり乗り気ではなかった隅田川フェス、しかし会う誰もがこの自分を故郷の家に戻った放蕩息子のようにやさしく暖かく迎えてくれた。故郷に帰ったような気がした。興行的には大失敗に終わった40周年記念コンサートも含めて、これまで自分のやってきたことは間違っていなかった、無駄ではなかったと思っても良いかもと思えた晩であった。
ぜひまた次回の開催に大きな期待を持っている。ようやくこのフェスの向かうべき方向性が確立したのではないか。それはピート・シーガーが遺した「うたの志」を我々が今こそしっかりと継いでいくということであろう。
隅田川フェスが催されるのはいつも7月の頭、七夕前後であるが、その頃は梅雨の真っただなかであり天気も悪いだけでなくともかく蒸し暑い。会場となる神社は木造で、社殿の中は広く畳の大広間なのだが、冷房機器などはひとつもない。せいぜい団扇で涼をとるだけだ。
これまでを思い返しても急なゲリラ豪雨に見舞われたときもあったし、雨後の蒸し暑さに苦しんだり雨は降らないときは真夏日の暑さとなり座っているだけで汗が噴き出たこともあった。
幸い今年は晴れたものの曇りがちでさほど暑くはならず、爽やかな風も時おり吹いて今まで一番快適なフェスとなった。まあ、それでも会場は超満席となってたから、お客様は決して快適ではなかっただろう。しかしだれることなく神社の社殿の中という異空間での音楽イベントに最後までお付き合い頂いた。実に有難いことではないか。
さて、中休み後、奉納コンサート第二部は、オールドタイムのバンジョーを二本抱えて石川修次氏がまず登場。半世紀以上にわたるフォークロアセンター主宰の国崎氏との付き合いを振り返って語り、古いながらも芳醇かつ熟成されたバンジョーの素晴らしい音色を次々聞かせてくれた。石川先生の民俗学の講義的なお話もぜひ機会あればゆっくり耳を傾けたいと思えた。
そして人気のくもりなが、今回はバックにホルンやスティールドラム(スティールパン)などサポート楽器隊を従え大人数で登場。ライブは久々とのことだったが、神社の森にボーカルめいりんの澄んだ唄声が響きわたった。くもりなの独特な心地よい揺らぎ、エスニック感はめいりんのインターナショナルな血の存在感からきていることに気づかされた。
一方バンジョーを手に広くライブ活動を続けている北村謙さんが巧みな話術と確かな唄でサービス精神あふれる楽しいステージで場を沸かせてラストの中川五郎へ続くと思ったら、突然、過去にもフェスに出演したこともある真っ黒けボックス大槻がスチールパンをサポートに頼み飛び入りし1曲のみでも強烈なインパクトを観客に与えた。
そして今年の隅田川のトリは、先年国崎氏と連れ立ってピート・シーガーの自宅まで訊ねたこともある、日本のフォークシーンに偉大な足跡を今も刻み続ける中川五郎御大。
体調不良との報もあったが、しっかりとこの時代を見据えたプロテストソングの数々を全身全霊、まさに魂の叫びとしてうたい上げた。今安倍反動政権が暴走のスピードを増していくこの国で、彼と彼のうたに再び脚光が当たるのは当然のことだろう。このままでは、日本人全員が、安倍や石破という愚かな上官に引き連られ泥沼の中で、「腰まで泥まみれ」どころか首まで沈んで溺れ死んでしまう。
そう、戦争に行って死ぬのは高村副総裁や公明党の党首たちではない。若き下っ端自衛隊員たちや徴兵で集められた若者たちなのだ。徴兵忌避した者など石破に言わせれば軍事法廷で「死刑」にすると言っている。
唄はけっしてはっきりとした表立った政治的メッセージは何も言っていない。が今回の隅田川フェスに参加された方々は、たかが「うた」ではあるが、うたを通して様々なことを思い感じ考えたことと信ずる。
今この国が向かっている危険な方向に対して我もまた何かせねば、立ち向かわねば、と新たな決意の機会となったのではないか。
今年の隅田川フェス、歌い手たちが投げたボールは聴衆たちの心にしっかり届いたと思えた。そしてその場に立ち会えた喜びをかみしめ「うた」の力をはっきりと確信した。
※前回に引き続きMCと進行役を担当された川原氏も控えめながらも巧みに流れをつくり今回の成功を導いたことを記しておく。過不足ない巧みな良い進行であった。
やや予定時間をオーバーしたものの今年の隅田川フェスは無事大盛況のうちに終り、社殿の中で簡単な打ち上げ後、後片づけを手伝い、8時頃からのフォークロアセンターに移って懇親会となった。が、自分は他にも要件を抱え家のこともあったし、東京の東から西まで帰らねばならなったので、それは辞去して両国駅へと足早に向かった。しかし同行したのが岡大介とオーツキという親しいお二方であったため、帰るつもりが拉致され先に駅前の店で呑んでいたくもりな一行が待つ店へ合流。めいりんたちとまたかなり呑んでしまい何か最後は意識もうろうとなった。中央線でソウル・ブラザースの面々とも偶然また一緒になり話しながら何とか正気を保ち家まで帰ってきた。
当初はあまり乗り気ではなかった隅田川フェス、しかし会う誰もがこの自分を故郷の家に戻った放蕩息子のようにやさしく暖かく迎えてくれた。故郷に帰ったような気がした。興行的には大失敗に終わった40周年記念コンサートも含めて、これまで自分のやってきたことは間違っていなかった、無駄ではなかったと思っても良いかもと思えた晩であった。
ぜひまた次回の開催に大きな期待を持っている。ようやくこのフェスの向かうべき方向性が確立したのではないか。それはピート・シーガーが遺した「うたの志」を我々が今こそしっかりと継いでいくということであろう。
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