無頼庵音楽隊=ぶらいあんずの団員求めます。 ― 2016年03月15日 23時18分07秒
★ようやく「正気」に戻ったと自覚してこれからのことを
今日は久々に七日ぶりに晴れた。先週の水曜9日からずっと雨もよいで、陽射しのない鬱陶しく寒い日が続いていた。
その間、母たちを連れて二度東京~山梨を往復するハードワークとこの寒の戻りもあって先に一度ひいた風邪がぶり返して今もまだ咳が残り本調子とはほど遠い。が、もう峠は越えたので、中央道上り線でいえば、最大の難所笹子峠を越え下りて、今は初狩あたりまで来たというところか。まだ談合坂までも行っていない。※変な喩えで誰もわからんちんやろか。
久々に本格的な風邪らしい風邪をひいた。熱や鼻水は収まったものの、気管支が弱い我はこれからも咳が残り完全に復調するのは月末であろうかと思う。ちょっと話をしていてもすぐ咳が出て止まらなくなるのでしばらくは歌うこともハーモニカも吹けやしない。
さておき、今このところの大騒ぎしていた事態がとりあえず収束して、ようやくコーフン状態というか高ぶっていた気持ちも沈まった。振り返れば、カメラを失くす前から、そう1月の終わり頃から何かずっと地に足がついていないような浮ついた感じであった。
むろん一番は母の抗癌剤投与とその後の再入院騒動があったりしたからだが、そこに責任ある立場で関わるライブイベントなども絡みあって、常に急き立てられているような、熱に浮かされているような緊張と興奮が続いていていったい今年は二千何年なのかすら2015?2016なのかもよくわからない、つまり何も考えられないようなぼうっとした頭の状態が続いていた。今から思うとよく交通事故とか起こさなかったと思う。
まさに心ここに在らずであった。では、いったい心はどこに置き忘れていたのか?どこかに落としてしまったのか。
幸いその失くした心も今は戻って来た。ようやくだが、その心に手綱をつけて自らコントロールできるようになってきた。以前は心はここにあっても自らが制御できず、どうしようもない人恋しさや怒りや焦り、嫉妬のような感情に囚われ振り回されてどうにも抑えることができないでいた。実は好きな人への思いやかなわぬことへの様々な「執着」と「不安」に苛まれ本当に苦しかった。
デジカメを失くしたことで、いったん頭が覚めて、いや、冷めて、頭がおかしかった自分の姿がはっきり見えて来た。いまさらだが、真に我が今ここでできることとなすべきことを自らに問い、その答えもようやっと見えて来た。
むろん、欲深い我は、今も多くを望みあれもこれもしたい、やりたい、欲しいと欲している。が、現実のはなし、もはや金もだが、何をするにも時間が全然ない。自分がやりたいことよりもやらねばならないこと、人として責任上果たさねばならないことが頭上高く山積してしまい、残りの人生かけたってそれを片付けることは不可能に思えて来た。
何しろ生きている限りまたさらにそうした「やるべきこと」は常に追加補充されていくものだから。一回リセットして、昔の邦画のアウトローのように、誰も知らない見知らぬ土地に行き、名前も過去も消して一風来坊として人生をその地で新たにやり直すことができれば幸いだが、手のかかる老親や犬猫たちを抱えている限り、つまり絶対にそれはまさに夢物語でしかない。
ならばその我が残りの人生の中で、いかにいろいろ多くの難題を抱えつつ我ができることでなすべきことを効率よく少しでも多く進めていくかだけの話だと気づく。
このブログという媒体で、自らのこととやってていることを書きだしてもう10年は経つかと思うが、当初は、ほんとに趣味的なこと、つまり本や好きな音楽や観た映画のことなどだけ好き勝手に書いていたはずがいつしか、今では我が関係している音楽企画や催しのことに傾いてしまった。そして当初は聴き手の側だったのが、いつの間にか企画側に、さらには今は唄う側にしだいしだいに移行してしまったのは自分でも不思議でならない。
もちろん今だって、裏方として様々なコンサートを企画したりイベントを仕掛けたりCDやDVDをどんな形態にせよ企画制作などしたいことはいくらでもある。が、人生が残り少なく、しかも今使える時間に限りあるならば嫌でも今いちばんやるべき、やりやすいことにポイントをしぼるしかない。
自問してみると、やはりそれは「音楽活動」で、願望としては以前一時やってたような、バイオリン女史みほこんを中心としたユニットだったのだけれど、それが難しい現在は、まずは我一人ソロで、さらにそれに共にうたやギターで一緒に音楽をやってくれる仲間を求めて不定形のユニットとしてやっていけたらと考えている。
実際の話、このところ卓越したマンドリン奏者であり語り歌の館野公一氏とたびたびセッション的に勝手にハーモニカなどでご一緒させて頂き、ライブ音楽の深さと楽しさを学ばせてもらい、ともかくどなたとでも、もし拒まられないのならばご一緒に音楽を共に、即興的にどこででもやっていけたらと夢想するようになった。
むろんまだ我がテクニックや才能などは下下下の(ゲゲゲの)下手郎(ヘタレ)なわけでもっともっと不断の努力が必要なのは自覚しているが、とにもかくにもあちこちのライブに臨み、誰とでもセッションを重ねて腕と度胸を磨いていくしかない。その覚悟はできている。実のところそれこそが今一番したいことでもあるのだ。
そしてまずはそのためにも仲間をつくって、練習できる時は練習してゆる~いユニットとして、バンド活動を開始していけたらと望む。「バンドメンバー募集」というと、常に練習日にはメンバー全員顔揃えてどこそこのスタジオに集まって地道に汗かき練習を積み重ねていくというイメージがある。※おそらく定年後の年金生活で金と暇溢れる老後の趣味としてのオヤジバンドならそれも可能だが、我は無年金、生涯あくせくと小金を稼いでいかねばならないのである。
だから今の状況ではとてもそんな時間的余裕はこれからも我自身つくれるか自信がない。せいぜい曲目は決めておいて、コードとキーだけ自宅で確認して各々で練習してみて本番当日ちょっとでも合わせられれば良い方で、ぶっつけ本番でもかまわないとまで思えて来た。
それでも例えば、どこそこでこれこれのイベントがあるから出ないかと誘われたとき、来れる我が仲間たちで、ユニットで音楽がやれたらどんなに楽しいであろうか。そこにコーラスだけの参加でもかまわないし、ギターの他に、マンドリンやフィドロ、バンジョー、さらにはアコーディオンなどもあればもっと素敵だ。
畏友大槻氏の真黒毛ぼっくすのステージを観るたびしだいに、ああ、いいなぁこうしたユルイスーパー楽団は、と心から羨ましくなった。それで我もあんなにハイテンションの素晴らしい楽団でなくてかまわないから我が音楽活動において、楽団、音楽隊をつくりたくなったのだ。
まあ、イメージとしては、オリジナルの「武蔵野たんぽぽ団」が一番近いだろうか。シバの話だと正式なメンバーは実はきちんと決まっていたとのことだが、周囲からするとそれ以外にも常に雑多なメンバーがあの頃は入れ替わり立ち替わり出入りしていたような自由気ままなイメージがある。
ならばこそそんなふうに、より不定形なフリーな形態で、ある程度事前の打ち合わせだけはしたり、むろん練習できるときは練習や音合わせはして、仮の名前として「ぶらいあんず」として皆で共に音楽活動をやっていければと夢想している。人数に制限はもうけない。
理想はもちろん、ニッティ・グリッティであるし、ニュー・ロスト・シティでもいい。いろんな楽器が入り人数も多ければ音楽はもっと楽しくなっていく。出入り自由だから、スケジュールが空いているとき、予定があう時だけの参加でちっともかまわない。
幸いにして、一人だけまずは男性メンバーが決まっている。その方とは国会前の行動で知り合った。以後懇意にして頂いている。これからは彼と、かつての我が過去のユニット時代より付き合いのある女性ボーカルの三人がメンバーとなるかと思うが、館野さんが近くにいたら嫌がったとしても彼も加えて、じよじょに増殖していきたいと目論んでいる。
もしこれを読んでちょこっとでも関心持たれた方ならばご参加ください。うたが下手でも楽器ができなくてもかまいません。我マスダと一緒に音楽活動をやってみたいというだけで歓迎します。まあ、楽団にほしい楽器担当として本音言えば、一番はバイオリン、そしてバンジョー、さらにはアコーディオンやキーボードだろうか。むろんのこと打楽器類、ウッドベース、そしてサックスやブラス類も。
はっきり言えば、音楽や歌では世界は、政治は変わりません。しかし、人の心の奥底の何か大事なものを必ず変えていきます。そしてそのことで、人は少しづつ変わってゆき、やがてはJ・レノンや清志郎が夢想したような世界がやってくると信じます。
あれこれ慌ただしく苦難に満ちた大変な時代に生きている我々ですが、だからこそうたが、音楽が求められ、人と人を繋ぎ、結びつける力になるのだと私は確信しています。どうかどなたでもいっしょに唄いましょう!
♪広く高く大きく 人間のやさしさをうたえうたえ うたえうたえうたえ
今日は久々に七日ぶりに晴れた。先週の水曜9日からずっと雨もよいで、陽射しのない鬱陶しく寒い日が続いていた。
その間、母たちを連れて二度東京~山梨を往復するハードワークとこの寒の戻りもあって先に一度ひいた風邪がぶり返して今もまだ咳が残り本調子とはほど遠い。が、もう峠は越えたので、中央道上り線でいえば、最大の難所笹子峠を越え下りて、今は初狩あたりまで来たというところか。まだ談合坂までも行っていない。※変な喩えで誰もわからんちんやろか。
久々に本格的な風邪らしい風邪をひいた。熱や鼻水は収まったものの、気管支が弱い我はこれからも咳が残り完全に復調するのは月末であろうかと思う。ちょっと話をしていてもすぐ咳が出て止まらなくなるのでしばらくは歌うこともハーモニカも吹けやしない。
さておき、今このところの大騒ぎしていた事態がとりあえず収束して、ようやくコーフン状態というか高ぶっていた気持ちも沈まった。振り返れば、カメラを失くす前から、そう1月の終わり頃から何かずっと地に足がついていないような浮ついた感じであった。
むろん一番は母の抗癌剤投与とその後の再入院騒動があったりしたからだが、そこに責任ある立場で関わるライブイベントなども絡みあって、常に急き立てられているような、熱に浮かされているような緊張と興奮が続いていていったい今年は二千何年なのかすら2015?2016なのかもよくわからない、つまり何も考えられないようなぼうっとした頭の状態が続いていた。今から思うとよく交通事故とか起こさなかったと思う。
まさに心ここに在らずであった。では、いったい心はどこに置き忘れていたのか?どこかに落としてしまったのか。
幸いその失くした心も今は戻って来た。ようやくだが、その心に手綱をつけて自らコントロールできるようになってきた。以前は心はここにあっても自らが制御できず、どうしようもない人恋しさや怒りや焦り、嫉妬のような感情に囚われ振り回されてどうにも抑えることができないでいた。実は好きな人への思いやかなわぬことへの様々な「執着」と「不安」に苛まれ本当に苦しかった。
デジカメを失くしたことで、いったん頭が覚めて、いや、冷めて、頭がおかしかった自分の姿がはっきり見えて来た。いまさらだが、真に我が今ここでできることとなすべきことを自らに問い、その答えもようやっと見えて来た。
むろん、欲深い我は、今も多くを望みあれもこれもしたい、やりたい、欲しいと欲している。が、現実のはなし、もはや金もだが、何をするにも時間が全然ない。自分がやりたいことよりもやらねばならないこと、人として責任上果たさねばならないことが頭上高く山積してしまい、残りの人生かけたってそれを片付けることは不可能に思えて来た。
何しろ生きている限りまたさらにそうした「やるべきこと」は常に追加補充されていくものだから。一回リセットして、昔の邦画のアウトローのように、誰も知らない見知らぬ土地に行き、名前も過去も消して一風来坊として人生をその地で新たにやり直すことができれば幸いだが、手のかかる老親や犬猫たちを抱えている限り、つまり絶対にそれはまさに夢物語でしかない。
ならばその我が残りの人生の中で、いかにいろいろ多くの難題を抱えつつ我ができることでなすべきことを効率よく少しでも多く進めていくかだけの話だと気づく。
このブログという媒体で、自らのこととやってていることを書きだしてもう10年は経つかと思うが、当初は、ほんとに趣味的なこと、つまり本や好きな音楽や観た映画のことなどだけ好き勝手に書いていたはずがいつしか、今では我が関係している音楽企画や催しのことに傾いてしまった。そして当初は聴き手の側だったのが、いつの間にか企画側に、さらには今は唄う側にしだいしだいに移行してしまったのは自分でも不思議でならない。
もちろん今だって、裏方として様々なコンサートを企画したりイベントを仕掛けたりCDやDVDをどんな形態にせよ企画制作などしたいことはいくらでもある。が、人生が残り少なく、しかも今使える時間に限りあるならば嫌でも今いちばんやるべき、やりやすいことにポイントをしぼるしかない。
自問してみると、やはりそれは「音楽活動」で、願望としては以前一時やってたような、バイオリン女史みほこんを中心としたユニットだったのだけれど、それが難しい現在は、まずは我一人ソロで、さらにそれに共にうたやギターで一緒に音楽をやってくれる仲間を求めて不定形のユニットとしてやっていけたらと考えている。
実際の話、このところ卓越したマンドリン奏者であり語り歌の館野公一氏とたびたびセッション的に勝手にハーモニカなどでご一緒させて頂き、ライブ音楽の深さと楽しさを学ばせてもらい、ともかくどなたとでも、もし拒まられないのならばご一緒に音楽を共に、即興的にどこででもやっていけたらと夢想するようになった。
むろんまだ我がテクニックや才能などは下下下の(ゲゲゲの)下手郎(ヘタレ)なわけでもっともっと不断の努力が必要なのは自覚しているが、とにもかくにもあちこちのライブに臨み、誰とでもセッションを重ねて腕と度胸を磨いていくしかない。その覚悟はできている。実のところそれこそが今一番したいことでもあるのだ。
そしてまずはそのためにも仲間をつくって、練習できる時は練習してゆる~いユニットとして、バンド活動を開始していけたらと望む。「バンドメンバー募集」というと、常に練習日にはメンバー全員顔揃えてどこそこのスタジオに集まって地道に汗かき練習を積み重ねていくというイメージがある。※おそらく定年後の年金生活で金と暇溢れる老後の趣味としてのオヤジバンドならそれも可能だが、我は無年金、生涯あくせくと小金を稼いでいかねばならないのである。
だから今の状況ではとてもそんな時間的余裕はこれからも我自身つくれるか自信がない。せいぜい曲目は決めておいて、コードとキーだけ自宅で確認して各々で練習してみて本番当日ちょっとでも合わせられれば良い方で、ぶっつけ本番でもかまわないとまで思えて来た。
それでも例えば、どこそこでこれこれのイベントがあるから出ないかと誘われたとき、来れる我が仲間たちで、ユニットで音楽がやれたらどんなに楽しいであろうか。そこにコーラスだけの参加でもかまわないし、ギターの他に、マンドリンやフィドロ、バンジョー、さらにはアコーディオンなどもあればもっと素敵だ。
畏友大槻氏の真黒毛ぼっくすのステージを観るたびしだいに、ああ、いいなぁこうしたユルイスーパー楽団は、と心から羨ましくなった。それで我もあんなにハイテンションの素晴らしい楽団でなくてかまわないから我が音楽活動において、楽団、音楽隊をつくりたくなったのだ。
まあ、イメージとしては、オリジナルの「武蔵野たんぽぽ団」が一番近いだろうか。シバの話だと正式なメンバーは実はきちんと決まっていたとのことだが、周囲からするとそれ以外にも常に雑多なメンバーがあの頃は入れ替わり立ち替わり出入りしていたような自由気ままなイメージがある。
ならばこそそんなふうに、より不定形なフリーな形態で、ある程度事前の打ち合わせだけはしたり、むろん練習できるときは練習や音合わせはして、仮の名前として「ぶらいあんず」として皆で共に音楽活動をやっていければと夢想している。人数に制限はもうけない。
理想はもちろん、ニッティ・グリッティであるし、ニュー・ロスト・シティでもいい。いろんな楽器が入り人数も多ければ音楽はもっと楽しくなっていく。出入り自由だから、スケジュールが空いているとき、予定があう時だけの参加でちっともかまわない。
幸いにして、一人だけまずは男性メンバーが決まっている。その方とは国会前の行動で知り合った。以後懇意にして頂いている。これからは彼と、かつての我が過去のユニット時代より付き合いのある女性ボーカルの三人がメンバーとなるかと思うが、館野さんが近くにいたら嫌がったとしても彼も加えて、じよじょに増殖していきたいと目論んでいる。
もしこれを読んでちょこっとでも関心持たれた方ならばご参加ください。うたが下手でも楽器ができなくてもかまいません。我マスダと一緒に音楽活動をやってみたいというだけで歓迎します。まあ、楽団にほしい楽器担当として本音言えば、一番はバイオリン、そしてバンジョー、さらにはアコーディオンやキーボードだろうか。むろんのこと打楽器類、ウッドベース、そしてサックスやブラス類も。
はっきり言えば、音楽や歌では世界は、政治は変わりません。しかし、人の心の奥底の何か大事なものを必ず変えていきます。そしてそのことで、人は少しづつ変わってゆき、やがてはJ・レノンや清志郎が夢想したような世界がやってくると信じます。
あれこれ慌ただしく苦難に満ちた大変な時代に生きている我々ですが、だからこそうたが、音楽が求められ、人と人を繋ぎ、結びつける力になるのだと私は確信しています。どうかどなたでもいっしょに唄いましょう!
♪広く高く大きく 人間のやさしさをうたえうたえ うたえうたえうたえ
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