明日は、亡き高坂一潮を偲んで集う会が2016年03月26日 18時52分01秒

★朝まで泣いてた。恋する乙女になりたかったのさ。

 高坂一潮さんの命日、3月29日が近づく。それにしてもこの世は不思議な縁で繋がっているものだとあらためて思う。

 繰り返し書いたが、我は一潮さんとは一度しか会ったことがない。高田渡が死んだ年の翌年だったか、やはり今の季節に、ここかけこみ亭でほぼ同様のメンバーが集い、渡氏を追悼するライブを催した。
 そのときに、フィナーレでメインボーカルをとり、仕切りをやっていたのが、一潮さんで、初めて彼の名と顔を知り、うたを聴いた。思ったのは、こんな達者な人がどこにいたんだろうという驚きであり、アマチュアとは思わなかったが有名ミュージシャンに伍して出てきたことを訝しくも思った。むろんのこと、彼の名と音楽はそのとき一番深く心に残った。
 その後の打ち上げで言葉を交わしたかもしれないが、正直何を話したのかよく覚えてはいない。

 それから、中川五郎氏を通してだと思うが、その一潮さんが上京した折に倒れてずっと意識が戻らないこと、そして彼の回復を祈って「だびよんの鳥」を五郎氏が唄い続けていることで、その人のことを再び思い出しずっと気になっていた。
 その曲、だびよんの鳥は、五郎バージョンでも真に名曲であり、キャチなメロディーに関わらず、その内容は深くしかも細密なペン画のような味わいと哀愁があり、こんなことをうたにした人が今までいただろうかと今もずっと感心している。
 いろんなことは歌にされ、どんなことでも歌にして託すことは可能だろう。だが、フォークシンガーそのものをうたの題材にして、それを聴き手、ファンの側から描いた作品は日本のフォークシーンにはまずないのではないか。野沢亨司のことを唄った斉藤哲夫のそれがあるぐらいで、他はちょっと今思い浮かばない。
 向うの楽曲に、ミスター・ボージャングルという、伝説のタップダンサーについての良く知られるうたがあるが、ある意味「だびよん」はそれにいちばん味わいが似ているかもしれない。その人への敬愛と人生そのもの苦さと深さが巧みに織り込まれ、そしてそのことを肯定するしかない淋しさとして結晶させてできた宝石のような佳曲である。まさに天才の仕事だと思う。彼の遺したうたはそのどれも実にクオリティが高いし他の誰にも似ていない。誰もが歌にしていなかったが、当たり前の本当のことをすぱっと鋭利な刃物で切り取ったような胸打つものばかりだ。

 ただ残念なことは、一潮さんは長く生活者として青森の地で仕事を持ちながらの音楽活動であったことと、結果としていよいよ油が乗り切りうたの活動に本腰を入れ始めた矢先に倒れてしまいまさに志半ばで早すぎる死を迎えてしまったことだ。不世出のシンガーという言葉がまずすぐに思い浮かぶ。
 ただ天才は天才を知るとの言葉どおり、西岡恭蔵、どんと、高田渡らが辺境にいた彼に早くから注目し、認めたことは当然すぎることではあるけれど幸福なことであった。そして奇しくもその彼らを追うように、一潮さんもまた駆け足で天国へと旅立ってしまったのである。
 すべてはそう決まっていた宿命とか、運命なのかとも思う。それにしてもCDアルバムを四枚残しただけで、もう彼の歌声が聴けないことは今でも返す返すも残念でならない。まったくもって日本のフォークシーン、音楽界にとって損失だと悔やまれる。

 その一潮さんが東京に来たときライブをやっていた場の一つ、国立市谷保のかけこみ亭では、先の渡氏のそれに倣い、毎年3月末には、一潮さん追悼の企画を続けて来た。縁あるミュージシャンが来た時もあるし、ファンが集い、しみじみと店主と思い出を語り合うだけの時もあったが、今年はかなり豪華な面々が集ってのコンサートとなった。

 我も当ブログで一潮さんのことを記したことから、いつしか縁の人たちと懇意になったこともあり、当初はお手伝いとして今回の企画に関わり始めたが、気がつけば現場責任者的な立場になってしまい、正直戸惑うところも大きかった。
 何しろそんなに生前の彼とはほとんど面識もなく彼のことは知らないのである。しかし、亡き人のためにその素晴らしさを世にもっと知らしめる復権の機会となるならばその与えられた役割は光栄に思わねばならないだろう。
 今回のライブは、一潮さんの友人知人たちが集まってバスを借り切って墓参りに行くようなものだったはずだ。その話が出た時に、我も席が空いているなら末席に加えてほしいと願い出た。ところが気がつけば、バスの運転手もしくはツアーコンダクターのような立場になっていて自分でもびっくりぽんである。

 とにもかくにも、彼の人生は決して不幸ではなかったと信ずるが、不遇かつ不世出の青森が生んだ天才フォークシンガーのために、今さらだが何かできることがあるならば、我は我で与えられた役割を全力でがんばるしかない。
 それはまずコンサートとして盛況とさせ無事に終わらせることであろう。死んだ人はもう戻らない。だが、彼を知る者たちから亡き人の姿を浮かび上がらせ偲ぶことは可能かと思える。

 高坂一潮という素晴らしい男のことを知る機会は残念ながらこれから先もっと少なくなる。どうか彼を知る人もまだの人もこの機会にご来場のうえ、かつてそんな素晴らしいシンガーがいたことをよく知ってもらいたい。