よもやの老父母W入院2016年04月11日 22時44分09秒

★あまりの事態にもはや笑うしかない。

 もう親たちのことは書かないと記したのに、昨日付のブログに我が父のことを書いたのがいけなかったのか。あろうことかその父も本日、母の入っている立川の病院に緊急入院してしまった。今帰って来て、帰り道に買ってきたホカ弁食べ終えてこれを書いている。まいったまいったとしか言うしかない。まったく人生はどうなるかわからない。

 内田百閒だったか色川武大だったか、昔読んだ本に書いていたが、人はあまりに大変な事態、それも予期しないような出来事に出くわすと嘆き悲しむのではなく思わず笑ってしまうとあったと記憶するが、まさにその通りだと我が身で知った。
 まさか我が両親、夫婦そろって入院するとはまったく考えもしないことで、想定外なんてもんじゃない。これで我も倒れれば、皆で入れる我家のため専用に個室病室を頼めるかもしれない。じっさいたぶん父のことだから、婆さんと夫婦一緒の部屋にしてくれとしつこく看護婦さんに頼んでうんざりさせていることであろう。

 父はこの数日ずっとゴホンゴホンと妙な咳をしていた。いちおう朝起きた時や食事時など体温計で熱を測ってみると、熱は全然なく、気にはなっていたが、母のこともあったので、ほったらかしにしていた。
 が、昨晩は、夜中も何度も咳が彼の寝ている部屋から2階まで聞こえて何か気になってこちらまで深く眠れなかった。今日、月曜は、父はデイサービスに午後から半日行く日である。
 朝が来て、自らは起きてこない人なので、声かけて起こしたところ、風邪ひいたから今日は休む、電話してくれと、布団の中から小学生のような返事が返って来た。
 そのままベッドにいてもしょうがないと無理やり起こして、熱を測ると、37度はないが、それに近く、いつもは35度台しかない冷血動物の父としてはやや高い。
 で、まず葛根湯を飲ませてパンで軽く朝食をとらせて、風邪薬も飲ませて昼まで寝かせることにした。それで体調戻れば午後からのデイサービスには行かせるつもりでいた。さすれば、父を送り出してから我は母の入院している立川の病院にゆっくり行けると。

 が、昨晩も良く眠れないところに、風邪薬を飲ませれば普通は深く眠り込むはずなのに、父の咳は収まらずまだゴホンゴホンとベッドから咳しているのが聞こえたので、これはデイサービスは無理だと電話かけて休むことを伝えた。
 それから我も一時間ばかし昼まで横になって、午後1時近く父を起こした。で、体温を確認するとやはりやや高いものの平熱の範囲であったが、父はどうにもスッキリしないと不調を訴えている。
 風邪だと当人も言い、咳も続いているが熱はないのでどうしたものかと迷ったが、近くの病院で診察受ける時間はなく、母の見舞いにも行く時間となってしまったので、父もその立川の病院で診てもらおうと考えて、家で寝ていれば大丈夫だと言い張る父を着替えさせ保険証とか病院通いのセット持たせて車に乗せて一緒に立川へ連れて行った。
 実は家を出る前に、なかなかベッドのほうで何やらやって来ないと思ったら、目を離した隙に失禁し、一人であたふた着替えていたのた。

 それでも午後3時半過ぎには病院に着いた。受付の手続きをして診察の順番が来るまでの間、道路を挟んだ向かいの入院及び緊急外来の棟にいる母のところへ行った。ようやく薄い粥状のご飯も出るようになったものの、下痢が続いて少し食べるとすぐ便意を催して大変だとこぼしていたが、まあ先日に比べればだいぶ意識もしっかりしてきて元気に思えた。父のことを話して、母の話もそこそこに切り上げてまた父のいる棟に慌てて戻った。

 やや待たされたものの、まず内科医の診察を受けて、念のためにレントゲンを撮って、それが上がってから医師が見て再度受診ということになった。
 立川で父は血圧を測ったり、体温を検診したところ、家ではなかったのに、37度半ばまで上がってきて、当人も寒気がすると言いだし、咳も続いて困ったなあと思っていたら、突然立ち上がったかと思うと気持ちが悪いらしく、慌ててトイレに連れて行こうとしたが、その待合室でドバっと吐いてしまった。看護師たちを呼んだが既に遅く、衣類や靴下まで床一面に反吐を撒き散らしてしまった。
 それで、処置室の奥のベッドに横にしたが、それからも吐き気は断続的にやってきて、いちおうポリ袋は渡されていたが、昼も大して食べていないのに胃液を何度も繰り返し吐いてこちらもまいった。
 最初は、父を責めて、気持ち悪いなら早めに何で言わないのかと叱ってしまった。が、苦しいらしく反応もほとんどなく、そうこうしているうちに、看護師が来て点滴で吐き気止めを入れると、右腕からまず血液も採って、点滴で水分補給しながらそのベッドに二時間寝かされることになった。幸い薬が効いて来たのか、父の吐き気は収まり、呼吸も静かになった。

 ようやくこれで落ち着いたかと安心したとたん、目が覚めた父はトイレ行きたいと騒ぎ出し、看護師に伝えたところ、尿瓶を持ってくるからとひと騒動に。しかし、当人は自分でやると言い張り、ベッドの上で体を横にしてやっていたが、尿瓶はカラのままで返されおしっこは出ないと言う。
 看護師が行った後、父の下着を直そうとよく見たら、ベッドはびっしょりと黒くなっている。出ないのも当たり前で、既にその前に寝小便をたっぷりベッドの上でした後だったのだ。また看護師を呼んで着替えさせてもらい、父は大人用オムツに履き替えさせられた。ズボンも濡れたので病院の貸パジャマに替えてもらう。
 そんな合間に母の病室に行ったりしていたら、先に診察受けた医師がレントゲンを確認したとやって来て、肺炎の疑いもあると告げ、今いるこの棟は外来専門なので、急患扱いがある向いの別棟に移動してくれと頼まれ車椅子に乗せられ、母も入っている向いの病棟へと移動した。

 そこで、今日の当直医にまた診察を受け、血液検査の結果も出て、やはり肺炎の疑い濃厚だから、入院するかCT撮ってみてどうするか決めることになった。そして点滴室で座って点滴を入れていたら父は突然またトイレに行きたいと立ち上がったらしく、チューブを引っ張ったのか見た瞬間、腕に刺した点滴のチューブが外れて、辺り一面血がポタポタ垂れている。椅子からパジャマまで血まみれである。
 むろん看護師たちが駆けつけてすぐ処置したから大事には至らなかったが、待合室での嘔吐、処置室での失禁、さらには点滴のチューブを外すという重なるトラブルに、我はもう何だか思わずニコニコして来てしまった。
 本当は情けないやら呆れるやらで悲しくなるはずかと思う。しかし、こんなに予期しない事態が続けて起こると、個々は負の出来事のはずが、何か楽しい面白いイベントみたいに思えて来た。さあ、次に何が来るか、何が来てももう驚かないぞという気持ちになった。

 で、医師からはけっきょく、肺炎に加え一部肺気腫もあると診断うけ、約二週間ぐらい入院したほうが安心だと言われた。当初は抗生剤出すから家で様子見ますかと言われていたが、もうこのまま病院に入れておいたほうが安心だと思え、迷うことなく、入院お願いしますと大声で答えていた。

 幸いベッドも空いていたからだが、少し支度までいろいろ手続きで待たされ、用意された病室に案内されたのは、夜の9時であった。
 もう今度は点滴の管を絶対に抜かないようにと我からも看護婦さんたちからも何度も言い渡されたが、果たして彼は理解したのかどうにも心許ない反応であった。
 帰る間際に、もう一度同じ棟の三階の母の病室に行き、今日の経緯と父は5階に入院したことを伝えた。そしたらば、母も自分の点滴を下げながら父のところに行くと言い、また二人で父の病室に行った。
 母が来たよ、と言うと、父は開口一番、「久しぶりにやっと会えた!お前元気か!」 という反応であった。まあ、母と会えて喜んでホッとしたことは間違いないわけで、階や科は違えど同じ病院で良かったと我もつくづく思った。これで今晩は安心してやっと深く眠れるに違いない。

 帰り道いろいろ考えた。やはり父を今日の午後、立川の母の入っている病院に連れて行ったのは良かった。もし、これで近くの病院でレントゲン検査程度で、風邪ではないかとざっと診断され咳止め薬だけ出されて帰ってきてしまえば、肺炎はもっと悪化していたかもしれないし、父が熱で?突然吐いたことにより、症状は深刻だと血液検査やCTまでとることになったわけで、さんざんトラブルはしでかしたが、結果としていち早く入院という手が打てたわけで、適切かつ幸甚ではなかったのか。
 もし、今晩でも家で、今日のような異変が急に起きてしまえば、救急車を呼ぶしかなく、そうなれば近くの緊急病院に運ばれてしまい、我はその父の病院と母の立川と二つを交互に毎日行く羽目となるところであった。

 むろん先のことはどうなるか誰もわかりはしない。こうしてブログに記せばきっと皆さん心痛め我のことをもご心配されるであろう。マス坊こそ大丈夫なのかと。しかし、先ほども書いたが、あまりの予期せぬ事態に今はもうにやにや笑うしかない。じっさい今は何一つ不安な気持ちはない。何か遠足など大きなイベントの前の日のような、不安よりもワクワクするような高揚感に今はある。
 むろん今も無事を、二人の一日でも早い退院と家への復帰を心から祈っている。が、全ては神の計らい、御心のままに、という気持ちでいる。

 不思議なことに、一昨日からベッドサイドで、偶然出て来た本、森有正の「アブラハムの生涯」を読みだしていたところだ。その本はもう何年も前に読み終えた。が、偶然ふいっとまたどこからか出て来て、手に取って寝る前や、早く目覚めてまだ起きだすには時間のある早朝など少しづつ読み進めている。
 そして以前読んだ時にはまったくわからなかったこと、気づかずに読み落としていたことが、今ははっきりとそういうことなのかとひしひしとわかってきている。
 著者は信仰の祖、旧約聖書の義人アブラハムという個人を通して、信仰を持たない万人にとっても同様に、約束の地を求めることとそうしたものを希求するときが誰にも必ず来ることを説いている。

 その本と相俟って、今日の予期せぬ出来事は我にとって天啓のように思えた。考えてみれば老いて病む老人たちなのだ。夫婦二人して同時に入院することだって別に特異な話ではなかったのだ。
 そして、そうした父や母のしでかす失態やトラブルさえも子としてではなく、我は人として赦し受け入れて行かねばならなかったのだ。そしてそのことを神はまた我に「経験」として示してくれたのだと。有難いことではないか。ならば何を怖れる必要があろうか。
 すべては神の御心のままに。すべてを受け入れていく。