本格的に60代のスタートを前にして ― 2018年08月13日 21時26分24秒
★眠ってばかりはいられない。
今日も日中は暑く、近隣の青梅や八王子では35℃~36℃と昼頃のテレビで報じられていたが、午後から曇り出したと思うとかなり強い本格的な雨が夕方まで降り続いた。
八月も半ばとなり、このところウチの地方ではほぼ連日午後や夜雨が降り、おかげで昼間はともかく夜はだいぶ涼しくなってきた。
先日は、なのに相変わらず裸同然のかっこうで、扇風機つけて眠っていたら風邪ひきそうになったことは記した。何だかんだ言っても記録的猛暑もここらで一段落しあとは少しづつ一雨ごとに季節は秋へと向かっていくのである。
さて、翁長知事亡き後の沖縄のことや終戦記念日も近く、嫌でも戦争や基地のことについてあれこれ思う八月である。
私ごとだが、自分の誕生日とされているのは、終戦記念日の翌日で、いよいよそれで我が六十代が本格的に始まっていく。
しかし、母の死後、戸籍謄本をこまかく調べたりしたら、かねて聞かされていたこととずいぶん異なる「事実」もわかり、我の生まれた場所も聞いたところと違うし、そもそもその誕生日さえも正しいのか怪しくなってきた。
父と母には結婚記念の写真もないし、わけあって式は挙げていないと言っていた。それでも戸籍上は夫婦となっているわけで、我は彼らの長男として記載されているが、何かそこに一本小説ネタになりそうな「いわく」がありそうなのである。
まあ、それで何か新事実がわかったとしても我は我であることに変わりないし、呆けた父はときおり我の死んだ兄だか弟のことをうっかり口すべらすが、問い糾そうとは思わない。もう本当にどうでもいいのである。
今思うのは、過去のことではなく、これから残りの人生のことだけで、残された人生、半分どころか、もう三分の二が過ぎてしまい、さあこれから一人でどう生きていくかということだけだ。
むろんそれは平均寿命まで無事生きられたらの話であり、のみ亭の主人や高田渡のように、60代そこそこ、いや、渡は60にもならずに死んだのだから今日明日の死も大いに考えられる。
まずは父を看取って、父を見送るまでは間違いなく生きているとは思うが、果たしてその先が我にあるのかそれは誰にもわからない。意外とあっけなく我も癌で、父の死後、後を追うようにあっという間に死んでしまうのかもしれない。それもまた神のはからいであるし、それが天命ならば受け容れるしかない。そういう定めの人生だったのだと。
むろん死の宣告を受けたらば大いに取り乱し、大騒ぎするのは間違いないが、まあ、60年も無事に好き勝手に生きて来たのだからずいぶん恵まれた幸せな人生だったと思うしかない。
このところ家に籠って自分の過去とただひたすらとことん向き合って、ようやく人生とは何か、どうすべきかわかってきた。フツーの人、多くの人は、賢いからたぶん親からの躾や自ら仕事や家庭を築くなかで学びつかんでいくことだと思うが、我のように野放図に、何も考えずに半世紀生きてやっとわかってきた。ようやくつかみかけてきた。
繰り返しになるが、それは、当たり前のことを当たり前のようにして、ただやっていけば良い、ということだ。
学校を出たならばどこでもいい就職して社会に出る。そして、気の合う人と出会ったら結婚し家庭を築く。そして子を産み育て上げ、ついでは自分たちの親の面倒を見て死に水をとる。
そして時間と生活に余裕ができたら、夫婦水入らずで旅行とかして趣味やボランティア活動に精出し、動けなくなったら長患いせずに天に召されるという人生である。そうしたごくありふれた変わり映えしない当たり前の人生が送れたらどんなに良かったか。少なくとも金の心配は今みたいにしないで済んだに違いない。
ところが我はそうした勤め人のごとく月並みな人生は最初からバカにして、自分の才能と運を過信し、学校にもろくに行かず定職にもつかず、結果結婚もせず何十年も遊びほうけていたのである。
じっさい若い頃はそれでも何とかなったし、金よりも自由さえあれば他に何もいらなかった。さんざん好き勝手なことを思いつくまましてきて親たちにはずいぶん苦労と心配かけたと今にして気づく。
大昔、URCレコード成立の立役者、バンジョープレイヤーの故岩井宏さんに「サラリーマンをバカにしちゃダメよ」という唄があったと記憶するが、まったくその通りだと思う。
若いとき、聴いたときは辛気臭いことを唄ってるなあと思ったが、当時他の若手たちより年上で、元々堅気だった彼だからこそ、ヒッピーやフーテンに憧れる我々当時の若者(バカモノ)たちに対して、警句として唄ったのだと気づく。
しかし時は戻せない。もう一度あの頃に、映画のように戻れたとしても、昔の我に意見しても聞く耳あるはずもないし、もし、やり直せたとしてもたぶんまた似たようなことをもっと本気でやるに違いない。絶対に堅気のサラリーマンになんてなれるはずもないしこんな人間ができるとは思えない。
今ようやく60年生きて来て、人生とは何か、どうすべきかがようやくわかったのだから、人よりずいぶん時間がかかったけれど、それはそれで仕方ないし、良いのである。そしてこの先、もう人生の残りがないとしても、今やっとわかっただけでも良かったとおもうしかない。我の周りにはまだそのことに気づかないバカもいるのだから。
このところブログもまた間が空いてしまった。書く気がないのではなく、書きたいことは多々あるが、書くからにはきちんと内容ある、読み手にとって少しは益になるようなことを書きたいと思い、短く近況などでお茶濁すことはやめにしたからだ。
だから回数は少なくなるかもしれないが、これからも当たり前のことをきちんと丁寧に書いていきたいと思っている。関心ある方はどうかこれからもお付き合いください。
それにこのところは雷が鳴ることが多く、落雷が怖くてパソコンの電源を落とすことが多い。そこに、やや涼しくなってきたこともあって、昨日は、猛暑の疲れが出たのか、寝坊したのに、昼食後、また夕方まで寝てしまった。
そして今日も雨の音をききながら、午後の仮眠が本格化してしまい、夕方5時の市の報じるチャイムでやっと起きた。
夢の中で、亡き母が我を呼んでる声が聞こえて、思わず寝ながら返事した記憶がある。そう、母のところへ行く日がいつなのかわからないが、その日まで、我が人生、残りの日を、一日一日きちんとスッキリと、当たり前のことをしていくだけだ。
今日も日中は暑く、近隣の青梅や八王子では35℃~36℃と昼頃のテレビで報じられていたが、午後から曇り出したと思うとかなり強い本格的な雨が夕方まで降り続いた。
八月も半ばとなり、このところウチの地方ではほぼ連日午後や夜雨が降り、おかげで昼間はともかく夜はだいぶ涼しくなってきた。
先日は、なのに相変わらず裸同然のかっこうで、扇風機つけて眠っていたら風邪ひきそうになったことは記した。何だかんだ言っても記録的猛暑もここらで一段落しあとは少しづつ一雨ごとに季節は秋へと向かっていくのである。
さて、翁長知事亡き後の沖縄のことや終戦記念日も近く、嫌でも戦争や基地のことについてあれこれ思う八月である。
私ごとだが、自分の誕生日とされているのは、終戦記念日の翌日で、いよいよそれで我が六十代が本格的に始まっていく。
しかし、母の死後、戸籍謄本をこまかく調べたりしたら、かねて聞かされていたこととずいぶん異なる「事実」もわかり、我の生まれた場所も聞いたところと違うし、そもそもその誕生日さえも正しいのか怪しくなってきた。
父と母には結婚記念の写真もないし、わけあって式は挙げていないと言っていた。それでも戸籍上は夫婦となっているわけで、我は彼らの長男として記載されているが、何かそこに一本小説ネタになりそうな「いわく」がありそうなのである。
まあ、それで何か新事実がわかったとしても我は我であることに変わりないし、呆けた父はときおり我の死んだ兄だか弟のことをうっかり口すべらすが、問い糾そうとは思わない。もう本当にどうでもいいのである。
今思うのは、過去のことではなく、これから残りの人生のことだけで、残された人生、半分どころか、もう三分の二が過ぎてしまい、さあこれから一人でどう生きていくかということだけだ。
むろんそれは平均寿命まで無事生きられたらの話であり、のみ亭の主人や高田渡のように、60代そこそこ、いや、渡は60にもならずに死んだのだから今日明日の死も大いに考えられる。
まずは父を看取って、父を見送るまでは間違いなく生きているとは思うが、果たしてその先が我にあるのかそれは誰にもわからない。意外とあっけなく我も癌で、父の死後、後を追うようにあっという間に死んでしまうのかもしれない。それもまた神のはからいであるし、それが天命ならば受け容れるしかない。そういう定めの人生だったのだと。
むろん死の宣告を受けたらば大いに取り乱し、大騒ぎするのは間違いないが、まあ、60年も無事に好き勝手に生きて来たのだからずいぶん恵まれた幸せな人生だったと思うしかない。
このところ家に籠って自分の過去とただひたすらとことん向き合って、ようやく人生とは何か、どうすべきかわかってきた。フツーの人、多くの人は、賢いからたぶん親からの躾や自ら仕事や家庭を築くなかで学びつかんでいくことだと思うが、我のように野放図に、何も考えずに半世紀生きてやっとわかってきた。ようやくつかみかけてきた。
繰り返しになるが、それは、当たり前のことを当たり前のようにして、ただやっていけば良い、ということだ。
学校を出たならばどこでもいい就職して社会に出る。そして、気の合う人と出会ったら結婚し家庭を築く。そして子を産み育て上げ、ついでは自分たちの親の面倒を見て死に水をとる。
そして時間と生活に余裕ができたら、夫婦水入らずで旅行とかして趣味やボランティア活動に精出し、動けなくなったら長患いせずに天に召されるという人生である。そうしたごくありふれた変わり映えしない当たり前の人生が送れたらどんなに良かったか。少なくとも金の心配は今みたいにしないで済んだに違いない。
ところが我はそうした勤め人のごとく月並みな人生は最初からバカにして、自分の才能と運を過信し、学校にもろくに行かず定職にもつかず、結果結婚もせず何十年も遊びほうけていたのである。
じっさい若い頃はそれでも何とかなったし、金よりも自由さえあれば他に何もいらなかった。さんざん好き勝手なことを思いつくまましてきて親たちにはずいぶん苦労と心配かけたと今にして気づく。
大昔、URCレコード成立の立役者、バンジョープレイヤーの故岩井宏さんに「サラリーマンをバカにしちゃダメよ」という唄があったと記憶するが、まったくその通りだと思う。
若いとき、聴いたときは辛気臭いことを唄ってるなあと思ったが、当時他の若手たちより年上で、元々堅気だった彼だからこそ、ヒッピーやフーテンに憧れる我々当時の若者(バカモノ)たちに対して、警句として唄ったのだと気づく。
しかし時は戻せない。もう一度あの頃に、映画のように戻れたとしても、昔の我に意見しても聞く耳あるはずもないし、もし、やり直せたとしてもたぶんまた似たようなことをもっと本気でやるに違いない。絶対に堅気のサラリーマンになんてなれるはずもないしこんな人間ができるとは思えない。
今ようやく60年生きて来て、人生とは何か、どうすべきかがようやくわかったのだから、人よりずいぶん時間がかかったけれど、それはそれで仕方ないし、良いのである。そしてこの先、もう人生の残りがないとしても、今やっとわかっただけでも良かったとおもうしかない。我の周りにはまだそのことに気づかないバカもいるのだから。
このところブログもまた間が空いてしまった。書く気がないのではなく、書きたいことは多々あるが、書くからにはきちんと内容ある、読み手にとって少しは益になるようなことを書きたいと思い、短く近況などでお茶濁すことはやめにしたからだ。
だから回数は少なくなるかもしれないが、これからも当たり前のことをきちんと丁寧に書いていきたいと思っている。関心ある方はどうかこれからもお付き合いください。
それにこのところは雷が鳴ることが多く、落雷が怖くてパソコンの電源を落とすことが多い。そこに、やや涼しくなってきたこともあって、昨日は、猛暑の疲れが出たのか、寝坊したのに、昼食後、また夕方まで寝てしまった。
そして今日も雨の音をききながら、午後の仮眠が本格化してしまい、夕方5時の市の報じるチャイムでやっと起きた。
夢の中で、亡き母が我を呼んでる声が聞こえて、思わず寝ながら返事した記憶がある。そう、母のところへ行く日がいつなのかわからないが、その日まで、我が人生、残りの日を、一日一日きちんとスッキリと、当たり前のことをしていくだけだ。
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