平成最後の夏に、亡きひばりさんの「1本の鉛筆」を聴いて2018年08月28日 20時03分28秒

★当たり前のことを当たり前のこととして唄い訴えていく

 八月も終わりになろうとしているのにいつまでもまだまだ蒸し暑い日が続く。
 そして今日も頭上を、オスプレイや軍用輸送機がひっきりなしに飛び交う横田の空である。米朝接近はどうやらここでは夢物語のようだ。

 また、少しブログ更新が空いてしまった。じつは、土曜日から久しぶりに山梨の倉庫兼古民家に行って、二泊して昨日夕方帰って来たところだ。
 標高の高い向うはさすがに涼しく、夜などは窓開け放していたら寒いほどで、季節は一月も二月も進んでいた。
 今、山梨は葡萄が出盛りで、これから梨や林檎など果樹が最盛期となる。しかしそれも10月いっぱいの話で、冬の訪れも早いから、秋の味覚が堪能できるのは実に短い。
 後は春まで乾ききった八ヶ岳下ろしが吹く無味乾燥の雪もないただ寒いだけの季節がやってくる。
 だから避暑をかねて山梨へ早く行きたかったのだが、体調やら諸般の事情で一か月以上も間が空いてしまった。ようやく今月はじめて、八月も終わりの土日月でやっと行けた。あろうことか行きも帰りも中央道は渋滞に見舞われたけれど。
 
 ご心配頂いている腰の具合は・・・というと、だいぶ良くなって来てはいるが、まだ完治には程遠く、車の運転など同じ姿勢を続けていると、その後はしばらく固まったまま痛くて歩けずまさにへっぴり腰となってしまう。
 それでも今回行ったのは、湯治もかねて少しはのんびりと心身に休息を与えられたらと願ってのことだ。が、情けない話、土曜日の夜と日曜の夕方、向うの温泉施設には行けたものの、向うは向うでやることがいっぱいあって慌ただしく大してのんびりできなかった。真夜中に必ず泣き叫ぶ老犬を連れて行ったこともある。
 しかも詳しくは書けないが、向うでもあったが戻ったらまたいろいろトラブルも発生していて、その処理対応に追われて疲れが癒えるどころか旅の疲れに面倒な事態の片付けが重なりさらに疲労困憊、父の世話も重なって昨晩はゆっくり眠る時間もとれなかった。
 今朝、父をまたショートステイに送り出し、今回の短い旅の後片付けを終えて、今ようやく少しだけのんびりして缶チューハイを片手にブログに向かっている次第。

 帰って来て改めて思ったが、やはり下界はいつまでもじっとり暑いという現実であった。しかもひっきりなしに夜になっても横田基地目指して米軍機は飛び交っている。煩くてとても気が休まらない。
 その古民家、山梨に縁できてから、もう向うに住まいを移して、この家は売っぱらないまでも貸家として賃貸収入の手段として使おうかと考えもしたが、今は改めてオスプレイが横田に配備され来るようになったからこそ、この場所で、変わらずに住んで平和を訴えていこう、亡き翁長知事の「沖縄の思い」を共有せねばと決意した。
 逃げることはたやすい。しかし、だからこそここから逃げずに、逃げることのできない沖縄の人たちの思いに、思いをはせねばならないのではないか。
 「この場所」で、この場所だからこそ訴え続けていくことがあるし、それこそそれをしなければ平和は絶対に棚ボタ式にやってはこない。

 今回、山梨では小さい庭に鬱蒼と茂った雑草を抜くのだけで手いっぱいで、中の片付けまで何もできなかったが、休憩の合間、ずっと流していたラジオの地域コミュニティFMの番組から突然流れて来た、美空ひばりが唄う「1本の鉛筆」に、不覚にも涙が出て止まらなかった。
 そのことについて書きたい。長くなるので稿改めて。