人は死しても「思い出」の中で生き続ける2019年07月07日 23時48分28秒

★西荻「のみ亭」やっちゃんの三回忌とお墓参りへ

 昨日は広い関東平野を、多摩の西の端から東は茨城県牛久沼まで片道122キロ、往復で約250キロ走り通してきた。ガソリン代は別として往復で高速代約5000円。
 いろいろ反対運動もした圏央道だが、やはりこれが出来たおかげで、都心を走らず常磐道までぐるっと直で行けるのは実に便利だと痛感した。

 のみ亭主人、高杉やっちゃんが亡くなられて早や2年が経とうとしている。病気治療中だとわかっていたが、突然の訃報が駆け回ったのは、ちょうど今の季節だった。享年61歳。
 彼は我よりほんの少しだけ歳上だったから、今、自分が彼の死んだ歳になって、ちょっと不思議な気持ちになる。そして我はこれからも生きていけば、彼は年下となっていくのだから。
 そう、死んだ人はいつまでも変わらない。永久にその歳でそのままの姿でとどまっている。生き続けられれば我らはさらに老いさらばえ変わってとまうが、記憶の中の彼らは若い姿のまま変わらず生き続けていく。生者と死者との間にはそうした大きな溝がある。溜息のような深い感慨がわく。