様々な多くの「終わり」と別れの年の最後に ― 2022年12月31日 07時53分52秒
★終わり、始まる~善き人たちと再び「はじめる」ために
すべてのことには、終わりがあるわけだが、今年、2022年こそ、実に多くの終わりと別れがあった。
そして、この拙ブログについても「終わり」のときが来るとは思ってもいなかった。
先に、今秋の父死去の件もあり、しばらく心身を整理してから「再開」するようなことを書いたが、今の気持ちを正直に書くと、もうこのブログは、今のような形式では続けられない、終わりにするしかないということをきちんとお伝えしたい。
我の気持ちとしては、これまで10年以上も断続的に、まさに徒然なるままに日々の出来事や考えたこと、したこと、やりたいこと等を筆の走るまま書き連ねてきたわけで、それは今も全く変わらず、書きたい、続けたい気持ちは同じで衰えやしない。
だが、我を取り巻く諸事情があり、このブログに迂闊かつ気軽に、こちらの「近況」など書けなくなってしまったというのが、当ブログ終わりの最大の理由だと告げざるえない。
詳しいことは、今は書けないが、一つは、このところ増えすぎた我が家の猫たちのことについて、多少の誇張を交えてオモシロおかしく?自嘲的に書いてきたことが、読まれた動物愛護の方たちの一部に、多頭飼育崩壊、動物虐待の状態なのではないか? とのご心配と疑念を与えてしまったことと、もう一つ、最大の理由は、我家の近所の誰かが読んでいたようで、我のケイタイに非表示で嫌がらせの電話などかけてくるようになったからだ。
その誰かはわからないが(おおよその見当はついている)、ウチのご近所内に、当ブログを読むことのできる、悪意ある誰かがいるならば、今までのように気軽に内心のこと、我の個人的近況を包み隠さずネット上に「公開」するのは危険極まりないと思い立ったからだ。
すべてのことには、終わりがあるわけだが、今年、2022年こそ、実に多くの終わりと別れがあった。
そして、この拙ブログについても「終わり」のときが来るとは思ってもいなかった。
先に、今秋の父死去の件もあり、しばらく心身を整理してから「再開」するようなことを書いたが、今の気持ちを正直に書くと、もうこのブログは、今のような形式では続けられない、終わりにするしかないということをきちんとお伝えしたい。
我の気持ちとしては、これまで10年以上も断続的に、まさに徒然なるままに日々の出来事や考えたこと、したこと、やりたいこと等を筆の走るまま書き連ねてきたわけで、それは今も全く変わらず、書きたい、続けたい気持ちは同じで衰えやしない。
だが、我を取り巻く諸事情があり、このブログに迂闊かつ気軽に、こちらの「近況」など書けなくなってしまったというのが、当ブログ終わりの最大の理由だと告げざるえない。
詳しいことは、今は書けないが、一つは、このところ増えすぎた我が家の猫たちのことについて、多少の誇張を交えてオモシロおかしく?自嘲的に書いてきたことが、読まれた動物愛護の方たちの一部に、多頭飼育崩壊、動物虐待の状態なのではないか? とのご心配と疑念を与えてしまったことと、もう一つ、最大の理由は、我家の近所の誰かが読んでいたようで、我のケイタイに非表示で嫌がらせの電話などかけてくるようになったからだ。
その誰かはわからないが(おおよその見当はついている)、ウチのご近所内に、当ブログを読むことのできる、悪意ある誰かがいるならば、今までのように気軽に内心のこと、我の個人的近況を包み隠さずネット上に「公開」するのは危険極まりないと思い立ったからだ。
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