さあ、これから、年内残りの二か月、どこまで進められるか、だ。 ― 2022年11月03日 13時25分42秒
★のどかで爽やかな秋晴れの午後に
11月になった。ようやくカラッと晴れて穏やかな秋晴れの日が続くようだ。
昨日、市内に住む友人の計らいで、ウチの子猫、二匹新たな飼い主の元へ貰われていった。
兄妹の猫なのと、その二匹は非常に人馴れしていたので、たぶん寂しくて鳴いて騒いだり、飼い主さんを困らせることはさほどないかと思う。二匹だけでも数は減ったので、本当に嬉しく有難いことである。友人とその飼い主の方へただただ感謝している。
だが、まだ「猫問題」は解決したわけではなく、今もまだ里親募集中というか、新たな飼い主、貰い手を必死で探している。
じっさい、日ごとに大きくなっていく「子猫」がまだ10匹はいて、このまま何の手を打たなければまた近く妊娠出産を繰り返してしまう。
そうならぬためには、貰い手みつけて数を減らすこともだが、まずは喫緊に避妊・去勢の手術をしないとならぬ、と最近関わりを持つことになった動物愛護団体の関係者の方から要請されている。そう、ネコは約半年で成人して繁殖能力を持つのである。
格安で、そうした手術を引き受けてくれる有難い病院も紹介してくれるとのことだが、それでも頭数が多いので金額もかなりかかると思う。
しかし、我としては、父の死という一大事を終えて、次の我の悩みの種である、この「猫問題」を解決しないことには、新たな人生が始められない。
また新たに何かを始め、専念するとしても、猫のことをこれまでのようにほったらかしにしてしまえば、すぐまた家の中で、猫たちは繁殖して増え続けほんとうに「多頭飼育崩壊」し、我は、経済的に破産だけでなく生活自体が「崩壊」してしまう。
今、まさにその瀬戸際、切羽詰まった状況であり、昨日、その関係者の方から電話があり、とりあえずだが、ウチの猫たち全員を手術に連れて行く日程も出た。※むろん、既に手術終えている大人猫もいるが、まだの、メス猫や、成長途中の子猫たちはとうぜん何も手術も病院にもろくに連れて行っていない。いったい総勢何匹になるのであろうか。
知らなかったが、今は成人していない猫でも手術は可能とのことで、そうして「手術済み」の子のほうが貰い手も増えると諭され、個人的には何かかわいそうな気もするが、心を鬼にして同意した。
そう、もはや本当に待ったなしなのだ。なかなか貰い手もないし、先日は、国立でのイベントや駅前で、子猫をケージに連れて行き、お披露目したのだが、そのときは子猫に関心持たれた方が、後で電話します、と言ってくれた人もいたのに、その後連絡はなく、けっきょく貰い手は現れなかった。
もう我としては、今のキモチとして、何十匹ものボーダイな頭数の猫を飼うのはかなり大変かつ面倒なことだが、(手術を終えて)ともかくもうこれからは一切増えないのなら、それも甘んじて受け容れようと思っている。
そう、全ては我の責であり、猫たちは何一つ罪も責任もないのだから。
自分の残りの人生が、あとどのぐらいあるのか、続くのかわからないが、ともかく我が抱えているもの、在るもの全てときちんと向き合い、その全てに感謝して、すべてを活かして無駄なく用いていこうと決意した。
つまるところ、我に在る、関わるモノたちすべてを愛していくということだ。そのためにもこれ以上何事も増やしてはならない。
鎮魂と償い、それだけが我にできるすべきことだと父の死後、天啓を受けた。
そう、亡き人たちへの思いと、我のしてきた愚かさと過ち、その罪の償いに生きていく。
誰もが人それぞれに「うた」がある。唄う人も唄わぬ人も、その内面に個々の「うた」を抱えて生きている。
我にとって、うたとは、鎮魂と償い、そしてこんな我を生かしてくれている方への感謝であるべきだし、そうした「うた」をこれからも作り唄っていきたい。
何であれ、それはできる、きっとかなうと信じてやっていこう。どんなに大変なことでも。
年内、残すは二か月足らず。朝晩はメッキり冷え込んで寒いぐらいで冬はすぐそこまで来ている。さあ、どこまでやるべきことを進められるか、だ。焦り気負い立つ気もしている。
がんばりたい。これがまだ生きているということなのだから。
11月になった。ようやくカラッと晴れて穏やかな秋晴れの日が続くようだ。
昨日、市内に住む友人の計らいで、ウチの子猫、二匹新たな飼い主の元へ貰われていった。
兄妹の猫なのと、その二匹は非常に人馴れしていたので、たぶん寂しくて鳴いて騒いだり、飼い主さんを困らせることはさほどないかと思う。二匹だけでも数は減ったので、本当に嬉しく有難いことである。友人とその飼い主の方へただただ感謝している。
だが、まだ「猫問題」は解決したわけではなく、今もまだ里親募集中というか、新たな飼い主、貰い手を必死で探している。
じっさい、日ごとに大きくなっていく「子猫」がまだ10匹はいて、このまま何の手を打たなければまた近く妊娠出産を繰り返してしまう。
そうならぬためには、貰い手みつけて数を減らすこともだが、まずは喫緊に避妊・去勢の手術をしないとならぬ、と最近関わりを持つことになった動物愛護団体の関係者の方から要請されている。そう、ネコは約半年で成人して繁殖能力を持つのである。
格安で、そうした手術を引き受けてくれる有難い病院も紹介してくれるとのことだが、それでも頭数が多いので金額もかなりかかると思う。
しかし、我としては、父の死という一大事を終えて、次の我の悩みの種である、この「猫問題」を解決しないことには、新たな人生が始められない。
また新たに何かを始め、専念するとしても、猫のことをこれまでのようにほったらかしにしてしまえば、すぐまた家の中で、猫たちは繁殖して増え続けほんとうに「多頭飼育崩壊」し、我は、経済的に破産だけでなく生活自体が「崩壊」してしまう。
今、まさにその瀬戸際、切羽詰まった状況であり、昨日、その関係者の方から電話があり、とりあえずだが、ウチの猫たち全員を手術に連れて行く日程も出た。※むろん、既に手術終えている大人猫もいるが、まだの、メス猫や、成長途中の子猫たちはとうぜん何も手術も病院にもろくに連れて行っていない。いったい総勢何匹になるのであろうか。
知らなかったが、今は成人していない猫でも手術は可能とのことで、そうして「手術済み」の子のほうが貰い手も増えると諭され、個人的には何かかわいそうな気もするが、心を鬼にして同意した。
そう、もはや本当に待ったなしなのだ。なかなか貰い手もないし、先日は、国立でのイベントや駅前で、子猫をケージに連れて行き、お披露目したのだが、そのときは子猫に関心持たれた方が、後で電話します、と言ってくれた人もいたのに、その後連絡はなく、けっきょく貰い手は現れなかった。
もう我としては、今のキモチとして、何十匹ものボーダイな頭数の猫を飼うのはかなり大変かつ面倒なことだが、(手術を終えて)ともかくもうこれからは一切増えないのなら、それも甘んじて受け容れようと思っている。
そう、全ては我の責であり、猫たちは何一つ罪も責任もないのだから。
自分の残りの人生が、あとどのぐらいあるのか、続くのかわからないが、ともかく我が抱えているもの、在るもの全てときちんと向き合い、その全てに感謝して、すべてを活かして無駄なく用いていこうと決意した。
つまるところ、我に在る、関わるモノたちすべてを愛していくということだ。そのためにもこれ以上何事も増やしてはならない。
鎮魂と償い、それだけが我にできるすべきことだと父の死後、天啓を受けた。
そう、亡き人たちへの思いと、我のしてきた愚かさと過ち、その罪の償いに生きていく。
誰もが人それぞれに「うた」がある。唄う人も唄わぬ人も、その内面に個々の「うた」を抱えて生きている。
我にとって、うたとは、鎮魂と償い、そしてこんな我を生かしてくれている方への感謝であるべきだし、そうした「うた」をこれからも作り唄っていきたい。
何であれ、それはできる、きっとかなうと信じてやっていこう。どんなに大変なことでも。
年内、残すは二か月足らず。朝晩はメッキり冷え込んで寒いぐらいで冬はすぐそこまで来ている。さあ、どこまでやるべきことを進められるか、だ。焦り気負い立つ気もしている。
がんばりたい。これがまだ生きているということなのだから。
自分はいったいどこにいるのか、どこへ行きたいのか ― 2022年11月04日 21時09分43秒
★残りの人生、行き先を定めないと
やっととりあえず一段落してきた。
今さらだが、父の死と葬儀に関連に関して、多くの友人知人からお悔やみと多々供物や香典も頂いた。いま、とりあえず一段落して、改めて皆さんに厚く御礼申し上げたい。
正直、お寺をはじめ、あちこちの支払いは何とか赤字に至らず収めることが出来ました。
父の死という大きな出来事である我の危機は乗り越えられたと言うべきなのだが、実際の「危機」は、これからであり、今後どう我一人で、亡き親たちに経済的に依存することはもうできない現実で無事生きていけるか、新たな段階、異なる状況が始まる。
正直なところ、少ない父の年金ではあったが、介護保険料や介護施設利用料でほとんどそれらに費やされたとしても、家を維持する必要経費もまあ何とかその中で工面できていた。※実際のところ、九州の妹から時おり補填もしてもらってはいたが。
必要経費とは、さまざまな税金の類、つまり固定資産税や電気や水道、ガス代、電話代など、この家に嫌でもかかる、父の生死とは関係ない支払いの金のことだ。
父の年金は、10月の分までは入ってきたけれど、もうこれからは一円も入らない。恥ずかしい話だが、我の年金は、皆無に等しいものであり、無年金と言ってもいい。
つまり、もうどこからも公的には自然に入ってくる金はないのである。
ならば、我が必死に頑張って、商売でも何でもしっかり働いて稼げばいいわけだが、現時点では、そうした「古本稼業」の収入は、月数万円程度の微々たるもので、とても毎月必ず出ていく出費・経費にはおいつかない。
まあ、近く、父の死亡保険金など少しは入るので、年内は何とかやりくりできると思うし、我はバカだから今はまださほど真剣に悩んではいないが、来年からは、ほんとうに毎月ごとの支払いで金の工面に頭痛め真剣に悩むことになるかと予想している。※その保険金とは百万だと記しておく。
しかし、それもまたその時はそのときであり、幸いにして気持ちはホームレスのようなものでもゴミ屋敷だが幸い住まいとしての家はしっかりあるので、その家さえも手放すことにはならぬよう、極力節約しつつ、まずは自分ができる「商売」に専念していくだけだ。
そう、お金になるもの、お金になることなら何でもやろうと思う。悠々自適の年金生活者ではないのだから、死ぬまで日々日銭を稼いでいかねばならない。
だが、それこそが、我の放擲してきた人生に対する、厳罰、つまり罪と償いであり、まさに分相応の人生ではないかとも思える。望むところだ、という気もしている。判決を粛々として受け容れていく。
嗤われるだろうしおかしな言いだと自分でも思うが、やっとようやくここから、我は我の、本当の人生が始まる気がしている。
つまり親をはじめ、誰にも依存しない、囚われない、たった一人の人生が始まるのだと。
逆にそれは、何も抱える物のない、忖度や気遣いしなくても良いわけで、ある意味、自由ということではなかろうか。
むろん、ウチには多くの動物たちもいて彼らの世話にも追われるわけだが、今のこの猫問題、つまりこれ以上増え続ける状態さえ終われば、事態はごくシンプルになっていくはずだ。
このところ、秋の澄んだ空を見上げて、我のこれからのこと、残りの人生についてぼんやり思う。
せいぜい生きられたとしてあと20年ぐらいだとして、いったい何が、どこまでできるだろうか、と。
若い頃は、誰もと同じく「将来の夢」もなくはなかった。だが、途中でドロップアウトして、世間の流れから外れてしまい、仕事も結婚も続かずできず、全てに困窮し、そうした中でも独自の道で大成する人もいるはずだが、そうもできず、結局親元に帰り、一番安穏とした楽な道に溺れ、ここまで生きてきた。
そしてその我を愛し甘やかし庇護してくれた親たちを失い、まさに一人でいま、慄然と立ち尽くしている。
嗤われるだろう。だが、人生はここからだ、と今始まった気がしている。60代半ばで人生を始める人はまずいないだろうが、本当に我の人生は今始まる気がしている。
自分は今いったいどこにいるのだろう。そしていったいどこへ行きたいのだろう。
すべきことはいくらでもあり、そうしたメモを書き記したリストを見ると頭痛くなるが、では、したいことは何かと考えると、それがすぐには出てこない。
残りの人生、自分が行きつく先はどこなのか、せめてその方向を見つけねばならない。
もう少し若ければ、道に迷うこともゆるされた。だが、もう迷ってる暇も立ち止まる時間もないのである。
どうしたものか。天を仰ぐ。主に問いかけても罪人サウロのように言葉は下されない。
やっととりあえず一段落してきた。
今さらだが、父の死と葬儀に関連に関して、多くの友人知人からお悔やみと多々供物や香典も頂いた。いま、とりあえず一段落して、改めて皆さんに厚く御礼申し上げたい。
正直、お寺をはじめ、あちこちの支払いは何とか赤字に至らず収めることが出来ました。
父の死という大きな出来事である我の危機は乗り越えられたと言うべきなのだが、実際の「危機」は、これからであり、今後どう我一人で、亡き親たちに経済的に依存することはもうできない現実で無事生きていけるか、新たな段階、異なる状況が始まる。
正直なところ、少ない父の年金ではあったが、介護保険料や介護施設利用料でほとんどそれらに費やされたとしても、家を維持する必要経費もまあ何とかその中で工面できていた。※実際のところ、九州の妹から時おり補填もしてもらってはいたが。
必要経費とは、さまざまな税金の類、つまり固定資産税や電気や水道、ガス代、電話代など、この家に嫌でもかかる、父の生死とは関係ない支払いの金のことだ。
父の年金は、10月の分までは入ってきたけれど、もうこれからは一円も入らない。恥ずかしい話だが、我の年金は、皆無に等しいものであり、無年金と言ってもいい。
つまり、もうどこからも公的には自然に入ってくる金はないのである。
ならば、我が必死に頑張って、商売でも何でもしっかり働いて稼げばいいわけだが、現時点では、そうした「古本稼業」の収入は、月数万円程度の微々たるもので、とても毎月必ず出ていく出費・経費にはおいつかない。
まあ、近く、父の死亡保険金など少しは入るので、年内は何とかやりくりできると思うし、我はバカだから今はまださほど真剣に悩んではいないが、来年からは、ほんとうに毎月ごとの支払いで金の工面に頭痛め真剣に悩むことになるかと予想している。※その保険金とは百万だと記しておく。
しかし、それもまたその時はそのときであり、幸いにして気持ちはホームレスのようなものでもゴミ屋敷だが幸い住まいとしての家はしっかりあるので、その家さえも手放すことにはならぬよう、極力節約しつつ、まずは自分ができる「商売」に専念していくだけだ。
そう、お金になるもの、お金になることなら何でもやろうと思う。悠々自適の年金生活者ではないのだから、死ぬまで日々日銭を稼いでいかねばならない。
だが、それこそが、我の放擲してきた人生に対する、厳罰、つまり罪と償いであり、まさに分相応の人生ではないかとも思える。望むところだ、という気もしている。判決を粛々として受け容れていく。
嗤われるだろうしおかしな言いだと自分でも思うが、やっとようやくここから、我は我の、本当の人生が始まる気がしている。
つまり親をはじめ、誰にも依存しない、囚われない、たった一人の人生が始まるのだと。
逆にそれは、何も抱える物のない、忖度や気遣いしなくても良いわけで、ある意味、自由ということではなかろうか。
むろん、ウチには多くの動物たちもいて彼らの世話にも追われるわけだが、今のこの猫問題、つまりこれ以上増え続ける状態さえ終われば、事態はごくシンプルになっていくはずだ。
このところ、秋の澄んだ空を見上げて、我のこれからのこと、残りの人生についてぼんやり思う。
せいぜい生きられたとしてあと20年ぐらいだとして、いったい何が、どこまでできるだろうか、と。
若い頃は、誰もと同じく「将来の夢」もなくはなかった。だが、途中でドロップアウトして、世間の流れから外れてしまい、仕事も結婚も続かずできず、全てに困窮し、そうした中でも独自の道で大成する人もいるはずだが、そうもできず、結局親元に帰り、一番安穏とした楽な道に溺れ、ここまで生きてきた。
そしてその我を愛し甘やかし庇護してくれた親たちを失い、まさに一人でいま、慄然と立ち尽くしている。
嗤われるだろう。だが、人生はここからだ、と今始まった気がしている。60代半ばで人生を始める人はまずいないだろうが、本当に我の人生は今始まる気がしている。
自分は今いったいどこにいるのだろう。そしていったいどこへ行きたいのだろう。
すべきことはいくらでもあり、そうしたメモを書き記したリストを見ると頭痛くなるが、では、したいことは何かと考えると、それがすぐには出てこない。
残りの人生、自分が行きつく先はどこなのか、せめてその方向を見つけねばならない。
もう少し若ければ、道に迷うこともゆるされた。だが、もう迷ってる暇も立ち止まる時間もないのである。
どうしたものか。天を仰ぐ。主に問いかけても罪人サウロのように言葉は下されない。
やつらに、我らの情報を全面的に明け渡してはならないのではないのか ― 2022年11月06日 22時32分10秒
★SNSの恐ろしさ、不安を記す。
これから書くことは、我の杞憂であり、老婆心のようなものであれば幸いだと思う。が、皆さんあまりにも私企業のコミュニティサイトに、全幅の信頼を置きすぎているのではないか。
我は、いまこうして朝日ネットが運営するブログで、好き勝手に思うことを書き記し世界中に読めるような状態にしている。
むろん無名の一個人だから、読んでくれる人は、友人知人ら仲間内とか、ごく稀にふらっと立ち寄ってくれる物好きな人に限られると思う。
それでも長く続けてきたからか、常時平均すると50位から70位台で、ランキングは推移し、時に40台ということもあるから、多少は読まれてはいるのだと思いたい。
かつては、百番台ということもあったわけで、こんな与太話のようなものでも読み手の方がおられることは本当に有難いと思っている。※ほとんどコメントは届かないが、逆にそれはそれで好き勝手に書けるので善いことかもしれない。
※だが、申し訳ないが、ほんとうに極私的なこと、アシがつきそうなことは書けないこともあることはご理解頂きたい。
しかし、多くの人に読まれる以前、誰でも目にできるということは、逆に恐ろしいことであり、ましてそれが権力側、つまり、我々の敵側に筒抜けにになってしまえば、まさに情報は彼らの手の内のものとなってしまうわけで、それは限りなく危険なことだと我は思っている。
今さらだが、知っている人は少なくないと思うが、我の名、マス坊、マスダというのは、若い時からの物書きとしてのペンネームと商売の屋号であり、全てが本名ではない。
仮に恋ヶ窪三丁目の郵便局の長がいたとして、その人が、郵政省の中で、恋三さん、と呼ばれるのと同じことであり、あくまでも便宜的なものだ。
その名前で、このブログもフェイスブックとか、ネット上のあれこれ長年やってきたわけだが、このところ、すごく不審に思うことに気がついた。
我は、フェイスブックなども、基本的には、我の手掛けるイベント開催のときの宣伝としてしかアップせず、個人的なことや思いなどは書かず、ここの我がブログには書いてもFBには何も記したことはない。
ところが、ご存じのようにフェイスブックは、有難くも、お友達ではありませんか?と、ある程度の共通の、関係ある人たちをこちらに一方的に知らせてくる。
むろん、それは音楽関係など、共通の、こちらも親しくしている仲間内的な方々も多々いるのはごく当然なのだが、ときに、どうしてこの人との「関係」がFBやインスタグラム運営側に、知られたか不思議に思うことも多々ある。
だって、ほとんどその繋がりは、我だけしか知り得ないようなものであるはずなのに、だ。
以前、我の大学時代の親友で、当人は一切インターネットもSNSもやっていない男の弟が、フェイスブックで、「お友達」では、と登場してきてびっくりした。
その親友は、Tとする。そのTの友人のAとは、いつの間にか「お友達」関係になっていて、その人とはそこでは繋がっている。
しかし、そもそも一切ネット環境にない親友Tとはたまに電話で連絡する以外、ネットではまったく繋がりはない。
ところが、そのTの弟が、FBで頻繁に、お友達ではないか、と出てくるのである。不思議でならなかった。
考えられるのは、共通の友人である、Aが、そのTの弟とも繋がっていて、その線で、我に執拗に関係を迫ってくるのか、と考えていた。
が、どうやらそうではないと最近気がつくことがあった。
父の葬儀に関係して、長年疎遠であった従弟たちと我は電話で連絡を何回かとりあった。ときにショートメールでもやり取りはした。
そしたらば、突然、それまでは一切登場しなかったその従弟たちが、フェイスブックで、以後突然我の「お友達」ではないですか、と一番に出てくるようになった。まさに信じられないことだ。何故なら、半世紀も連絡とらなかった人と、数回電話でやりとりしただけたなのに。※そこには我と彼らを結びつける間の人は皆無なのである。
どうしてこんなことが起きるのか?
これは推測で、正しいかどうかわからない。誰か事情通な方にご教示頂きたいと願うが、つまるところ、何かどこかに巨大な電話も含めたデータの集積所のようなものがあって、フェイスブック社、今は別の名になったのかもしれないが、そうしたSNS業者はアクセス出来、そこで、勝手に電話連絡網も含めて解析して、我らの関係、繋がりを把握しているのではないか。
それ以外、数回電話しかしていないのに、疎遠であった従弟たちが突然我にフェイスブック上で登場し、その関係を知らしめることがあるはずが思いつかない。
つまりどこかに、そうした通信業者が自由にアクセスできるビックデータの集積所的なものが存在していて、彼らはそこを通して、我ら個人の関係を解析して個々の繋がりを確認してくるのだと思える。どうであろうか?
当然、我の本名や出自、つまり学歴や経歴なども我がフェイスブックなどに申告した以上に、そこには網羅されているのだと思って間違いない。 何故なら、我は本名でもないのに、従弟たちとの関係は既に把握されているのである。
これは本当に怖いことではないのか。
思うに、我の周りの活動家の人たちも、何も怖れも隠しもせずに本名で、その人が思い考えたこと、日々の活動状況や会った人たちとのことをフェイスブック上で頻繁かつ克明に記している方が多いが、それは本当に安全なことなのか。
もし、今のロシアや中国で起きているような強権国家体制にこの国が陥ったとき、そうした情報はそのまま逮捕容疑として証拠になりはしないのか。
我は、ほんとうにそうした人たちのノンキさを羨ましくかつ不安に思う。
多少でも歴史を知る者として、かつての大逆事件などを思うとき、こうしてすべてあからさまに、ネットに何でもアップし続けて、ビッグデータに自ら全ての行動と思想、思考をあからさまにアップしてしまえば、それだけで友人知人たち全員皆一斉に芋づる式に逮捕されてしまうのではないのか。
そんなことはおこらないよ、お前は考えすぎた、という声も聞こえるが、ならば、その安全保障の理由を聞かせてもらいたいと思う。
やつら、権力者側は、何だってできる。無実の者でもでっちあげて逮捕拘禁し、死に追いやれる。
そのとき、その理由となるデータをどうして彼らに何の恐れもなく気軽に明け渡せるのか、知られて平気なのかそのことの方が我は不思議に思う。
いつの時代も権力者側は、その力を背景に何だってできるし何だってでっちあげる。
歴史は何も変わらない。百年前も百年先も。我々は迂闊に彼らに全てを明け渡してはならない。
むろんマイナンバーカードも。彼らに全てを曝け出し明け渡してしまえば、汚い話、尻の毛まで数えられてむしり取られる。我ら臣民、国家の飼い犬となる。首輪がつけられ自由に動けなくなる
マイナンバーカード拒絶は、我ら最後の自由と人権の砦、人間の誇りなのだと我は信ずる。
これから書くことは、我の杞憂であり、老婆心のようなものであれば幸いだと思う。が、皆さんあまりにも私企業のコミュニティサイトに、全幅の信頼を置きすぎているのではないか。
我は、いまこうして朝日ネットが運営するブログで、好き勝手に思うことを書き記し世界中に読めるような状態にしている。
むろん無名の一個人だから、読んでくれる人は、友人知人ら仲間内とか、ごく稀にふらっと立ち寄ってくれる物好きな人に限られると思う。
それでも長く続けてきたからか、常時平均すると50位から70位台で、ランキングは推移し、時に40台ということもあるから、多少は読まれてはいるのだと思いたい。
かつては、百番台ということもあったわけで、こんな与太話のようなものでも読み手の方がおられることは本当に有難いと思っている。※ほとんどコメントは届かないが、逆にそれはそれで好き勝手に書けるので善いことかもしれない。
※だが、申し訳ないが、ほんとうに極私的なこと、アシがつきそうなことは書けないこともあることはご理解頂きたい。
しかし、多くの人に読まれる以前、誰でも目にできるということは、逆に恐ろしいことであり、ましてそれが権力側、つまり、我々の敵側に筒抜けにになってしまえば、まさに情報は彼らの手の内のものとなってしまうわけで、それは限りなく危険なことだと我は思っている。
今さらだが、知っている人は少なくないと思うが、我の名、マス坊、マスダというのは、若い時からの物書きとしてのペンネームと商売の屋号であり、全てが本名ではない。
仮に恋ヶ窪三丁目の郵便局の長がいたとして、その人が、郵政省の中で、恋三さん、と呼ばれるのと同じことであり、あくまでも便宜的なものだ。
その名前で、このブログもフェイスブックとか、ネット上のあれこれ長年やってきたわけだが、このところ、すごく不審に思うことに気がついた。
我は、フェイスブックなども、基本的には、我の手掛けるイベント開催のときの宣伝としてしかアップせず、個人的なことや思いなどは書かず、ここの我がブログには書いてもFBには何も記したことはない。
ところが、ご存じのようにフェイスブックは、有難くも、お友達ではありませんか?と、ある程度の共通の、関係ある人たちをこちらに一方的に知らせてくる。
むろん、それは音楽関係など、共通の、こちらも親しくしている仲間内的な方々も多々いるのはごく当然なのだが、ときに、どうしてこの人との「関係」がFBやインスタグラム運営側に、知られたか不思議に思うことも多々ある。
だって、ほとんどその繋がりは、我だけしか知り得ないようなものであるはずなのに、だ。
以前、我の大学時代の親友で、当人は一切インターネットもSNSもやっていない男の弟が、フェイスブックで、「お友達」では、と登場してきてびっくりした。
その親友は、Tとする。そのTの友人のAとは、いつの間にか「お友達」関係になっていて、その人とはそこでは繋がっている。
しかし、そもそも一切ネット環境にない親友Tとはたまに電話で連絡する以外、ネットではまったく繋がりはない。
ところが、そのTの弟が、FBで頻繁に、お友達ではないか、と出てくるのである。不思議でならなかった。
考えられるのは、共通の友人である、Aが、そのTの弟とも繋がっていて、その線で、我に執拗に関係を迫ってくるのか、と考えていた。
が、どうやらそうではないと最近気がつくことがあった。
父の葬儀に関係して、長年疎遠であった従弟たちと我は電話で連絡を何回かとりあった。ときにショートメールでもやり取りはした。
そしたらば、突然、それまでは一切登場しなかったその従弟たちが、フェイスブックで、以後突然我の「お友達」ではないですか、と一番に出てくるようになった。まさに信じられないことだ。何故なら、半世紀も連絡とらなかった人と、数回電話でやりとりしただけたなのに。※そこには我と彼らを結びつける間の人は皆無なのである。
どうしてこんなことが起きるのか?
これは推測で、正しいかどうかわからない。誰か事情通な方にご教示頂きたいと願うが、つまるところ、何かどこかに巨大な電話も含めたデータの集積所のようなものがあって、フェイスブック社、今は別の名になったのかもしれないが、そうしたSNS業者はアクセス出来、そこで、勝手に電話連絡網も含めて解析して、我らの関係、繋がりを把握しているのではないか。
それ以外、数回電話しかしていないのに、疎遠であった従弟たちが突然我にフェイスブック上で登場し、その関係を知らしめることがあるはずが思いつかない。
つまりどこかに、そうした通信業者が自由にアクセスできるビックデータの集積所的なものが存在していて、彼らはそこを通して、我ら個人の関係を解析して個々の繋がりを確認してくるのだと思える。どうであろうか?
当然、我の本名や出自、つまり学歴や経歴なども我がフェイスブックなどに申告した以上に、そこには網羅されているのだと思って間違いない。 何故なら、我は本名でもないのに、従弟たちとの関係は既に把握されているのである。
これは本当に怖いことではないのか。
思うに、我の周りの活動家の人たちも、何も怖れも隠しもせずに本名で、その人が思い考えたこと、日々の活動状況や会った人たちとのことをフェイスブック上で頻繁かつ克明に記している方が多いが、それは本当に安全なことなのか。
もし、今のロシアや中国で起きているような強権国家体制にこの国が陥ったとき、そうした情報はそのまま逮捕容疑として証拠になりはしないのか。
我は、ほんとうにそうした人たちのノンキさを羨ましくかつ不安に思う。
多少でも歴史を知る者として、かつての大逆事件などを思うとき、こうしてすべてあからさまに、ネットに何でもアップし続けて、ビッグデータに自ら全ての行動と思想、思考をあからさまにアップしてしまえば、それだけで友人知人たち全員皆一斉に芋づる式に逮捕されてしまうのではないのか。
そんなことはおこらないよ、お前は考えすぎた、という声も聞こえるが、ならば、その安全保障の理由を聞かせてもらいたいと思う。
やつら、権力者側は、何だってできる。無実の者でもでっちあげて逮捕拘禁し、死に追いやれる。
そのとき、その理由となるデータをどうして彼らに何の恐れもなく気軽に明け渡せるのか、知られて平気なのかそのことの方が我は不思議に思う。
いつの時代も権力者側は、その力を背景に何だってできるし何だってでっちあげる。
歴史は何も変わらない。百年前も百年先も。我々は迂闊に彼らに全てを明け渡してはならない。
むろんマイナンバーカードも。彼らに全てを曝け出し明け渡してしまえば、汚い話、尻の毛まで数えられてむしり取られる。我ら臣民、国家の飼い犬となる。首輪がつけられ自由に動けなくなる
マイナンバーカード拒絶は、我ら最後の自由と人権の砦、人間の誇りなのだと我は信ずる。
木の葉舞い散る晩秋の公園で、 ― 2022年11月09日 13時34分50秒
★半年ぶりにギターを手にして1曲唄った
この秋は、何か天気がすっきりせず雨や曇りの日が多かった気がするが、11月に入ったらようやくカラッと晴れた秋晴れが続くようになった。
立冬も過ぎ、そんな小春日和の爽やかな秋の日の午前中、近くの公園で、友人が企画するオープンマイクの集いがあり、誘われたこともあり顔出して、久方ぶりについ1曲だけだが唄う機会を得た。
その集いは、日本野鳥の会ならぬ、日本野音の会、という名の月一イベントで、毎月第二火曜の午前に開催してとのことだった。
音楽のイベントは、今春4月に、谷保かけこみ亭での、我自らが企画したウクライナ支援の反戦コンサート以来であり、請われて友人のギターを借りて実に半年ぶりにギターを手にしてみた。むろん声出して唄うのもそれ以来である。
何というか、風で舞い落ちる公園の樹々の落ち葉を見ながら、久しぶりに生での音楽を聴いて、ただただ感慨深いという思いしかなかった。
我にとって、この半年、音楽は身の周りにも心の中にも一切なかったのである。
世の中には、常に周りに音楽がある人とそうした環境もあるだろう。我が時おり行く、個人経営の八百屋では、いつでもCDなのだろうが、80年代の日本のポップスが必ずかなり音量で流れていて、よくまあ飽きないものだと感心する。
それは中森明菜とかプリンセスプリンセス、安全地帯などで、つまるところそうした音楽を若い頃によく聴いていた世代の夫婦が、今は中年となり、かつて好きだったそうした音楽を店を開けている間、ほぼエンドレスで流しているのである。
この我も好きな音楽はとうぜんあるし、かつては家では仕事の合間にFMと交互に好きな洋楽のCDをよく流したこともあった。
が、近年は、父の介護や様々な状況からかかってくる電話を待つことも多くなって、そのときすぐに電話の呼び出し音が聞こえるよう、身の回りは常に「無音」で過ごすのが日常となってしまった。
そう、夜だって、下の部屋で寝ている父の物音に耳を澄ますためにも音楽などかけることは全くなかった。
夜は、テレビなどは音を出して見聞きしているが、それだって父が在宅の時は別として、できるだけ音量は低くしていた。
そうした「無音」の習慣が今も常態化しているわけだが、父亡きあとは、考えてみればもはや何も無音にする必要も耳を澄まして待つことも不要なのである。
ただ、早朝に目覚める習慣もだが、人は一度決めた日常習慣はなかなか改めたり終わりにすることは難しいものだ。
この半年、父がコロナに罹り、入院している間も、いつ病院から急な電話連絡があるかと思い、携帯を身近に置いて一切音楽も外の音も断ち切っていたので、父の死後もそれが続いていた。
昨日、久しぶりに、ギターを手にして、そうか、もう、音楽に再び向き合っても良いのだ、ギター弾いたり、CDを流したり、身近に音を出して良いのだと当たり前のことに思い至った。
世の中には、つねに音が、音楽がないと息苦しかったり、心身に不調をきたす人もいるかと思う。ギターや楽器だって、本当に好きで頻繁に弾かないと自らも調子がくるってしまう人もいよう。
我は違う。音楽は外側に在るものではなく、我が内、つまり身の裡、脳内にあるものだから、外にそれがなくてもちっとも困らない。
たまに、街に出て、入った店などで流れていた音楽でも、聴けば内に反響して、焼き肉の臭いでご飯が食べられる?ように、その音楽が脳内に反響して、しばらく鳴り響く。
しかし、それがくだらない、我の好きではない今時の騒がしい忌む音楽だと、またそれは辛く苦しい時もよくあることだが。
さておき、ならばもうこれからは、自分の好きな、今も昔も好きな音楽にとことん耳を傾けられるのである。
ギターももう一度、練習し直して、好きなだけかき鳴らし唄うことだってできるのだ。
そして自分なりの「うた」だって作れる。
そうか、また音楽を始めれば良いのだ。また再開できるのだ。やっとそのことに気づかされた。
さあ、また音楽を、ギターを、うたを始めよう。やっとその時がきた。
『終わり 始まる』とは、某シンガーのアルバムのタイトルだったと記憶するが、一つのことが、終わり、そして、始まっていくのだ。
この秋は、何か天気がすっきりせず雨や曇りの日が多かった気がするが、11月に入ったらようやくカラッと晴れた秋晴れが続くようになった。
立冬も過ぎ、そんな小春日和の爽やかな秋の日の午前中、近くの公園で、友人が企画するオープンマイクの集いがあり、誘われたこともあり顔出して、久方ぶりについ1曲だけだが唄う機会を得た。
その集いは、日本野鳥の会ならぬ、日本野音の会、という名の月一イベントで、毎月第二火曜の午前に開催してとのことだった。
音楽のイベントは、今春4月に、谷保かけこみ亭での、我自らが企画したウクライナ支援の反戦コンサート以来であり、請われて友人のギターを借りて実に半年ぶりにギターを手にしてみた。むろん声出して唄うのもそれ以来である。
何というか、風で舞い落ちる公園の樹々の落ち葉を見ながら、久しぶりに生での音楽を聴いて、ただただ感慨深いという思いしかなかった。
我にとって、この半年、音楽は身の周りにも心の中にも一切なかったのである。
世の中には、常に周りに音楽がある人とそうした環境もあるだろう。我が時おり行く、個人経営の八百屋では、いつでもCDなのだろうが、80年代の日本のポップスが必ずかなり音量で流れていて、よくまあ飽きないものだと感心する。
それは中森明菜とかプリンセスプリンセス、安全地帯などで、つまるところそうした音楽を若い頃によく聴いていた世代の夫婦が、今は中年となり、かつて好きだったそうした音楽を店を開けている間、ほぼエンドレスで流しているのである。
この我も好きな音楽はとうぜんあるし、かつては家では仕事の合間にFMと交互に好きな洋楽のCDをよく流したこともあった。
が、近年は、父の介護や様々な状況からかかってくる電話を待つことも多くなって、そのときすぐに電話の呼び出し音が聞こえるよう、身の回りは常に「無音」で過ごすのが日常となってしまった。
そう、夜だって、下の部屋で寝ている父の物音に耳を澄ますためにも音楽などかけることは全くなかった。
夜は、テレビなどは音を出して見聞きしているが、それだって父が在宅の時は別として、できるだけ音量は低くしていた。
そうした「無音」の習慣が今も常態化しているわけだが、父亡きあとは、考えてみればもはや何も無音にする必要も耳を澄まして待つことも不要なのである。
ただ、早朝に目覚める習慣もだが、人は一度決めた日常習慣はなかなか改めたり終わりにすることは難しいものだ。
この半年、父がコロナに罹り、入院している間も、いつ病院から急な電話連絡があるかと思い、携帯を身近に置いて一切音楽も外の音も断ち切っていたので、父の死後もそれが続いていた。
昨日、久しぶりに、ギターを手にして、そうか、もう、音楽に再び向き合っても良いのだ、ギター弾いたり、CDを流したり、身近に音を出して良いのだと当たり前のことに思い至った。
世の中には、つねに音が、音楽がないと息苦しかったり、心身に不調をきたす人もいるかと思う。ギターや楽器だって、本当に好きで頻繁に弾かないと自らも調子がくるってしまう人もいよう。
我は違う。音楽は外側に在るものではなく、我が内、つまり身の裡、脳内にあるものだから、外にそれがなくてもちっとも困らない。
たまに、街に出て、入った店などで流れていた音楽でも、聴けば内に反響して、焼き肉の臭いでご飯が食べられる?ように、その音楽が脳内に反響して、しばらく鳴り響く。
しかし、それがくだらない、我の好きではない今時の騒がしい忌む音楽だと、またそれは辛く苦しい時もよくあることだが。
さておき、ならばもうこれからは、自分の好きな、今も昔も好きな音楽にとことん耳を傾けられるのである。
ギターももう一度、練習し直して、好きなだけかき鳴らし唄うことだってできるのだ。
そして自分なりの「うた」だって作れる。
そうか、また音楽を始めれば良いのだ。また再開できるのだ。やっとそのことに気づかされた。
さあ、また音楽を、ギターを、うたを始めよう。やっとその時がきた。
『終わり 始まる』とは、某シンガーのアルバムのタイトルだったと記憶するが、一つのことが、終わり、そして、始まっていくのだ。
神は、未だ我を見捨てじ、と思いたいが・・・ ― 2022年11月11日 09時39分54秒
★人生はいよいよ行き詰ってきて
父の死後、ようやくだが、我の人生の再構築に迫られている。
情けない話、父の年金収入は断たれたので、今後は、我一人で稼いで、生活のみならず何とかこの家を維持していかねばならない。
そのときに、いちばんの足枷というか、問題は増えすぎた猫問題である。
友人たちの協力もあって、地道に貰い手探す活動を続けて、先日は子猫二匹は減ったのだが、まだまだ数は多く、しかもその子猫たちも日増しに成長して、今や子猫と呼べる大きさではなくなってきている。
ヒトの集まるイベントなどで、貰い手を呼びかけようと考えていたのだが、どうやら昨今、そうした行為自体が、問題視されてきているようで、今再考を迫られている。
さて、どうしたものか。外は今日も晴れて爽やかな晩秋の朝であるが、気分は憂鬱気味である。
今は、ともかくさらにこれから増えぬよう、順次去勢と避妊手術を近隣の動物病院で進めているのだが、増えなくなったとしても問題は頭数である。
餌代や猫砂代など、このところの物価高で、一気に値上がりもしたし、それ以前に、彼らの世話にかかる時間である。
いま、屋内数か所の部屋に別けて、猫たちは生活しているのだが、それぞれ日に最低でも二回は、餌を拵えて与えねばならない。もちろんトイレの掃除や交換も。
それだけで毎日数時間は総計取られている気がする。
つまり我は一人で、動物園の飼育員をやっているようなもので、そうしたお仕事の方は、それで収入が入るから、仕事として成り立つわけだが、我は金は減るばかりで、稼ぐ時間も奪われて本当に困るしかない。
動物愛護団体との方とも関わったのだが、貰い手探す以前に、相手方がこちらに求める諸条件が厳しく、対応困難に思えてそちらも今距離置いて思案中である。
すべては、我の愚かさと迂闊さ、つまるところ人間的欠陥、だらしなさが起こしたわけであり、その責を負わねばならぬことは強く認識している。
無責任であったから、こうした事態を生じさせたわけであり、これからもこのまま無責任であっては絶対にならないのである。
結果として貰い手がなく成人化した猫たちもこの家で、我が責任もって飼育していかねばならないのである。それも許容しよう。どんな生き物の命もとてつもなく大切なのだから。
ただ、いちばんの問題は、そうした猫沢山の様々な制約がある、この状況下で、何とか自らもどうやって金を稼いでいくか、ということだ。
外に出て、パートやアルバイト的にも仕事することは動物の世話を思うとき、難しい。結果として、自営業、つまり我の家業である稼業、ネット古本屋に精出すしかない。
あるいは猫カフェ経営か。猫と古本のカフェ「無頼庵」として再出発することも考えているけど、問題は猫たちにとって、本は、かっこうの爪とぎなのである。
猫たちの生活部屋で、そこに積み上げていた本がどれだけ倒され崩され、最終的には爪研ぎにされて、いったいどれだけの数の、金になる本が失われたことだろうか。まあ、それが 猫という動物の習性なのだから仕方ない。
まあ、先のことはともかく、我にできることは、もう人間には誰も何も頼れないとしたら、ただひたすら神に祈り神と語らい、心静めて目を開き耳を澄ませて、姿はともかく、その呼びかけと我に示されたものを待ち望み、従うだけだ。
いま一番の苦難のときかもしれないが、神はどんなときでも我を見捨てじ、と思い信じたい。
神よ、我らに哀れみを!!
父の死後、ようやくだが、我の人生の再構築に迫られている。
情けない話、父の年金収入は断たれたので、今後は、我一人で稼いで、生活のみならず何とかこの家を維持していかねばならない。
そのときに、いちばんの足枷というか、問題は増えすぎた猫問題である。
友人たちの協力もあって、地道に貰い手探す活動を続けて、先日は子猫二匹は減ったのだが、まだまだ数は多く、しかもその子猫たちも日増しに成長して、今や子猫と呼べる大きさではなくなってきている。
ヒトの集まるイベントなどで、貰い手を呼びかけようと考えていたのだが、どうやら昨今、そうした行為自体が、問題視されてきているようで、今再考を迫られている。
さて、どうしたものか。外は今日も晴れて爽やかな晩秋の朝であるが、気分は憂鬱気味である。
今は、ともかくさらにこれから増えぬよう、順次去勢と避妊手術を近隣の動物病院で進めているのだが、増えなくなったとしても問題は頭数である。
餌代や猫砂代など、このところの物価高で、一気に値上がりもしたし、それ以前に、彼らの世話にかかる時間である。
いま、屋内数か所の部屋に別けて、猫たちは生活しているのだが、それぞれ日に最低でも二回は、餌を拵えて与えねばならない。もちろんトイレの掃除や交換も。
それだけで毎日数時間は総計取られている気がする。
つまり我は一人で、動物園の飼育員をやっているようなもので、そうしたお仕事の方は、それで収入が入るから、仕事として成り立つわけだが、我は金は減るばかりで、稼ぐ時間も奪われて本当に困るしかない。
動物愛護団体との方とも関わったのだが、貰い手探す以前に、相手方がこちらに求める諸条件が厳しく、対応困難に思えてそちらも今距離置いて思案中である。
すべては、我の愚かさと迂闊さ、つまるところ人間的欠陥、だらしなさが起こしたわけであり、その責を負わねばならぬことは強く認識している。
無責任であったから、こうした事態を生じさせたわけであり、これからもこのまま無責任であっては絶対にならないのである。
結果として貰い手がなく成人化した猫たちもこの家で、我が責任もって飼育していかねばならないのである。それも許容しよう。どんな生き物の命もとてつもなく大切なのだから。
ただ、いちばんの問題は、そうした猫沢山の様々な制約がある、この状況下で、何とか自らもどうやって金を稼いでいくか、ということだ。
外に出て、パートやアルバイト的にも仕事することは動物の世話を思うとき、難しい。結果として、自営業、つまり我の家業である稼業、ネット古本屋に精出すしかない。
あるいは猫カフェ経営か。猫と古本のカフェ「無頼庵」として再出発することも考えているけど、問題は猫たちにとって、本は、かっこうの爪とぎなのである。
猫たちの生活部屋で、そこに積み上げていた本がどれだけ倒され崩され、最終的には爪研ぎにされて、いったいどれだけの数の、金になる本が失われたことだろうか。まあ、それが 猫という動物の習性なのだから仕方ない。
まあ、先のことはともかく、我にできることは、もう人間には誰も何も頼れないとしたら、ただひたすら神に祈り神と語らい、心静めて目を開き耳を澄ませて、姿はともかく、その呼びかけと我に示されたものを待ち望み、従うだけだ。
いま一番の苦難のときかもしれないが、神はどんなときでも我を見捨てじ、と思い信じたい。
神よ、我らに哀れみを!!
スミマセンが、当ブログは、しばらく休止、もしくは終わりに。 ― 2022年11月14日 09時20分58秒
★人生再建に向けて
誠に勝手ながら、父の死という節目を終えて、我が自らの残りの人生にいろいろ思うところもあり、いったんすべてを白紙に戻すというか、リセットするためにも当ブログは、終わりにさせてもらいたいと思います。
※それに至るきっかけは、実はあるのですが、申し訳ありませんが、今この場では書けません。書くとまた自らの首を絞めるので。いつか、事態がすべて落ち着いたら、きちんと書き記しておきたいとは思いますが。
むろん何らかの目途、目安なりついて、また再びこの人生が拙いなりに動き出したときは、必ず再開させますが、今はちょっとこの「書く」、そして誰が読むかわからない空間に向けて「発信」するというのも苦痛に、少し怖ろしく思えてきました。
昔から自分にはこの世界に居場所がない、どこにも自分はいない、という思いに囚われて、学校でも職場でも社会でもつねにそれを痛感して、それでも何とか臆面なく生きてきました。
むろん、これからも、だとしても生きていかねばならぬのは覚悟しておりますし、精一杯がんばるつもりでいますが、今は、その居場所がない 世界に関わるのはちょっと控えよう、距離を置こうと強く思ってます。
居場所がないのならば、自らが望む、最適最良の場所を自分で作ればいい話だけのことで、そのためにも腰据えて、自分が今できる、すべきことに本当に真剣に取り組みたいと思います。まだできると信じて。
居場所がないのに、その世界と関わろうとしてきたことがそもそも無理があり、トラブルの原因だったのだと気づきます。そこに我の愚かさ、ウカツさ、だらしなさが拍車掛けました。
自分の存在意義というか、世に在る理由は、世間の真っ当な人たちをただ苛立たせ、怒らせ、不快な思いや迷惑をかけるだけだと思い至りました。
それを自覚、自戒して生きていく人生というのは、正直な気持ち、本当に辛いです。そしてそれは「少しはマシになるかもしれないが、決してなおりはしない」ものなのです。
でもそれでもまだ生きていかねばならないし、何とか人生を再建させて、世界との関わりは最小限に収めて、残りの人生は、亡き人たちへの鎮魂と、まだ生きている者ものたちへの償いにあてたいと思います。
長い間、ほんとうに有難うございました。
善き人たち、仲間たちと再び再会のときまで、そして拙ブログ再開のときまで、皆さまもご自愛ください。
お元気で。誰にも神のご加護がありますように。そしてこの世界が少しでも平和になりますように。
争いや諍いはもうまっぴらだ。
さようなら! 再見!!
誠に勝手ながら、父の死という節目を終えて、我が自らの残りの人生にいろいろ思うところもあり、いったんすべてを白紙に戻すというか、リセットするためにも当ブログは、終わりにさせてもらいたいと思います。
※それに至るきっかけは、実はあるのですが、申し訳ありませんが、今この場では書けません。書くとまた自らの首を絞めるので。いつか、事態がすべて落ち着いたら、きちんと書き記しておきたいとは思いますが。
むろん何らかの目途、目安なりついて、また再びこの人生が拙いなりに動き出したときは、必ず再開させますが、今はちょっとこの「書く」、そして誰が読むかわからない空間に向けて「発信」するというのも苦痛に、少し怖ろしく思えてきました。
昔から自分にはこの世界に居場所がない、どこにも自分はいない、という思いに囚われて、学校でも職場でも社会でもつねにそれを痛感して、それでも何とか臆面なく生きてきました。
むろん、これからも、だとしても生きていかねばならぬのは覚悟しておりますし、精一杯がんばるつもりでいますが、今は、その居場所がない 世界に関わるのはちょっと控えよう、距離を置こうと強く思ってます。
居場所がないのならば、自らが望む、最適最良の場所を自分で作ればいい話だけのことで、そのためにも腰据えて、自分が今できる、すべきことに本当に真剣に取り組みたいと思います。まだできると信じて。
居場所がないのに、その世界と関わろうとしてきたことがそもそも無理があり、トラブルの原因だったのだと気づきます。そこに我の愚かさ、ウカツさ、だらしなさが拍車掛けました。
自分の存在意義というか、世に在る理由は、世間の真っ当な人たちをただ苛立たせ、怒らせ、不快な思いや迷惑をかけるだけだと思い至りました。
それを自覚、自戒して生きていく人生というのは、正直な気持ち、本当に辛いです。そしてそれは「少しはマシになるかもしれないが、決してなおりはしない」ものなのです。
でもそれでもまだ生きていかねばならないし、何とか人生を再建させて、世界との関わりは最小限に収めて、残りの人生は、亡き人たちへの鎮魂と、まだ生きている者ものたちへの償いにあてたいと思います。
長い間、ほんとうに有難うございました。
善き人たち、仲間たちと再び再会のときまで、そして拙ブログ再開のときまで、皆さまもご自愛ください。
お元気で。誰にも神のご加護がありますように。そしてこの世界が少しでも平和になりますように。
争いや諍いはもうまっぴらだ。
さようなら! 再見!!
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