さあ、これから、年内残りの二か月、どこまで進められるか、だ。 ― 2022年11月03日 13時25分42秒
★のどかで爽やかな秋晴れの午後に
11月になった。ようやくカラッと晴れて穏やかな秋晴れの日が続くようだ。
昨日、市内に住む友人の計らいで、ウチの子猫、二匹新たな飼い主の元へ貰われていった。
兄妹の猫なのと、その二匹は非常に人馴れしていたので、たぶん寂しくて鳴いて騒いだり、飼い主さんを困らせることはさほどないかと思う。二匹だけでも数は減ったので、本当に嬉しく有難いことである。友人とその飼い主の方へただただ感謝している。
だが、まだ「猫問題」は解決したわけではなく、今もまだ里親募集中というか、新たな飼い主、貰い手を必死で探している。
じっさい、日ごとに大きくなっていく「子猫」がまだ10匹はいて、このまま何の手を打たなければまた近く妊娠出産を繰り返してしまう。
そうならぬためには、貰い手みつけて数を減らすこともだが、まずは喫緊に避妊・去勢の手術をしないとならぬ、と最近関わりを持つことになった動物愛護団体の関係者の方から要請されている。そう、ネコは約半年で成人して繁殖能力を持つのである。
格安で、そうした手術を引き受けてくれる有難い病院も紹介してくれるとのことだが、それでも頭数が多いので金額もかなりかかると思う。
しかし、我としては、父の死という一大事を終えて、次の我の悩みの種である、この「猫問題」を解決しないことには、新たな人生が始められない。
また新たに何かを始め、専念するとしても、猫のことをこれまでのようにほったらかしにしてしまえば、すぐまた家の中で、猫たちは繁殖して増え続けほんとうに「多頭飼育崩壊」し、我は、経済的に破産だけでなく生活自体が「崩壊」してしまう。
今、まさにその瀬戸際、切羽詰まった状況であり、昨日、その関係者の方から電話があり、とりあえずだが、ウチの猫たち全員を手術に連れて行く日程も出た。※むろん、既に手術終えている大人猫もいるが、まだの、メス猫や、成長途中の子猫たちはとうぜん何も手術も病院にもろくに連れて行っていない。いったい総勢何匹になるのであろうか。
知らなかったが、今は成人していない猫でも手術は可能とのことで、そうして「手術済み」の子のほうが貰い手も増えると諭され、個人的には何かかわいそうな気もするが、心を鬼にして同意した。
そう、もはや本当に待ったなしなのだ。なかなか貰い手もないし、先日は、国立でのイベントや駅前で、子猫をケージに連れて行き、お披露目したのだが、そのときは子猫に関心持たれた方が、後で電話します、と言ってくれた人もいたのに、その後連絡はなく、けっきょく貰い手は現れなかった。
もう我としては、今のキモチとして、何十匹ものボーダイな頭数の猫を飼うのはかなり大変かつ面倒なことだが、(手術を終えて)ともかくもうこれからは一切増えないのなら、それも甘んじて受け容れようと思っている。
そう、全ては我の責であり、猫たちは何一つ罪も責任もないのだから。
自分の残りの人生が、あとどのぐらいあるのか、続くのかわからないが、ともかく我が抱えているもの、在るもの全てときちんと向き合い、その全てに感謝して、すべてを活かして無駄なく用いていこうと決意した。
つまるところ、我に在る、関わるモノたちすべてを愛していくということだ。そのためにもこれ以上何事も増やしてはならない。
鎮魂と償い、それだけが我にできるすべきことだと父の死後、天啓を受けた。
そう、亡き人たちへの思いと、我のしてきた愚かさと過ち、その罪の償いに生きていく。
誰もが人それぞれに「うた」がある。唄う人も唄わぬ人も、その内面に個々の「うた」を抱えて生きている。
我にとって、うたとは、鎮魂と償い、そしてこんな我を生かしてくれている方への感謝であるべきだし、そうした「うた」をこれからも作り唄っていきたい。
何であれ、それはできる、きっとかなうと信じてやっていこう。どんなに大変なことでも。
年内、残すは二か月足らず。朝晩はメッキり冷え込んで寒いぐらいで冬はすぐそこまで来ている。さあ、どこまでやるべきことを進められるか、だ。焦り気負い立つ気もしている。
がんばりたい。これがまだ生きているということなのだから。
11月になった。ようやくカラッと晴れて穏やかな秋晴れの日が続くようだ。
昨日、市内に住む友人の計らいで、ウチの子猫、二匹新たな飼い主の元へ貰われていった。
兄妹の猫なのと、その二匹は非常に人馴れしていたので、たぶん寂しくて鳴いて騒いだり、飼い主さんを困らせることはさほどないかと思う。二匹だけでも数は減ったので、本当に嬉しく有難いことである。友人とその飼い主の方へただただ感謝している。
だが、まだ「猫問題」は解決したわけではなく、今もまだ里親募集中というか、新たな飼い主、貰い手を必死で探している。
じっさい、日ごとに大きくなっていく「子猫」がまだ10匹はいて、このまま何の手を打たなければまた近く妊娠出産を繰り返してしまう。
そうならぬためには、貰い手みつけて数を減らすこともだが、まずは喫緊に避妊・去勢の手術をしないとならぬ、と最近関わりを持つことになった動物愛護団体の関係者の方から要請されている。そう、ネコは約半年で成人して繁殖能力を持つのである。
格安で、そうした手術を引き受けてくれる有難い病院も紹介してくれるとのことだが、それでも頭数が多いので金額もかなりかかると思う。
しかし、我としては、父の死という一大事を終えて、次の我の悩みの種である、この「猫問題」を解決しないことには、新たな人生が始められない。
また新たに何かを始め、専念するとしても、猫のことをこれまでのようにほったらかしにしてしまえば、すぐまた家の中で、猫たちは繁殖して増え続けほんとうに「多頭飼育崩壊」し、我は、経済的に破産だけでなく生活自体が「崩壊」してしまう。
今、まさにその瀬戸際、切羽詰まった状況であり、昨日、その関係者の方から電話があり、とりあえずだが、ウチの猫たち全員を手術に連れて行く日程も出た。※むろん、既に手術終えている大人猫もいるが、まだの、メス猫や、成長途中の子猫たちはとうぜん何も手術も病院にもろくに連れて行っていない。いったい総勢何匹になるのであろうか。
知らなかったが、今は成人していない猫でも手術は可能とのことで、そうして「手術済み」の子のほうが貰い手も増えると諭され、個人的には何かかわいそうな気もするが、心を鬼にして同意した。
そう、もはや本当に待ったなしなのだ。なかなか貰い手もないし、先日は、国立でのイベントや駅前で、子猫をケージに連れて行き、お披露目したのだが、そのときは子猫に関心持たれた方が、後で電話します、と言ってくれた人もいたのに、その後連絡はなく、けっきょく貰い手は現れなかった。
もう我としては、今のキモチとして、何十匹ものボーダイな頭数の猫を飼うのはかなり大変かつ面倒なことだが、(手術を終えて)ともかくもうこれからは一切増えないのなら、それも甘んじて受け容れようと思っている。
そう、全ては我の責であり、猫たちは何一つ罪も責任もないのだから。
自分の残りの人生が、あとどのぐらいあるのか、続くのかわからないが、ともかく我が抱えているもの、在るもの全てときちんと向き合い、その全てに感謝して、すべてを活かして無駄なく用いていこうと決意した。
つまるところ、我に在る、関わるモノたちすべてを愛していくということだ。そのためにもこれ以上何事も増やしてはならない。
鎮魂と償い、それだけが我にできるすべきことだと父の死後、天啓を受けた。
そう、亡き人たちへの思いと、我のしてきた愚かさと過ち、その罪の償いに生きていく。
誰もが人それぞれに「うた」がある。唄う人も唄わぬ人も、その内面に個々の「うた」を抱えて生きている。
我にとって、うたとは、鎮魂と償い、そしてこんな我を生かしてくれている方への感謝であるべきだし、そうした「うた」をこれからも作り唄っていきたい。
何であれ、それはできる、きっとかなうと信じてやっていこう。どんなに大変なことでも。
年内、残すは二か月足らず。朝晩はメッキり冷え込んで寒いぐらいで冬はすぐそこまで来ている。さあ、どこまでやるべきことを進められるか、だ。焦り気負い立つ気もしている。
がんばりたい。これがまだ生きているということなのだから。
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