覚悟を決めて、ともかく生き続けていく2023年06月20日 22時18分04秒

★人生撤収の作業の流れの中で為すべきこと

 もういつ死んでもいい、すぐにでも、とカクゴを決めたが、かといって、自堕落に、今あるったけの金を湯水のように使い果たして、とことん自堕落に、好き勝手な放蕩の果てに死ぬことはできない。
 じっさい、そんな風に生きて、金を全て使い終えて、ついには泥酔のままどこかで野垂れ死にできたらば、それはそれで素晴らしいことだろうが。

 結局、死ぬためにも、その手順、道順があり、それをある程度は果たさないと、我の係累、それはとりもなおさず、地方にいる我が実妹とその家族、子達のことなのだが――、彼らに多々迷惑がかかるので、人生撤収に向けて、その作業をまず始めないとならない。
 今回、父の死後の書類上の様々な継承・相続等「後片づけ」に手を焼いて、頭悩ましてつくづくそう思った。実にめんどくさいのだ。まさに立つ鳥、後を汚してはならないのである。

 さらに我家には、今も抱えている多々大量のモノもあるし、大量の生き物たちもまだこの家にはいるのだ。
 それらを片付けて、いや、どうするか目途つけないことには、まさに死ぬに死ねないではないか。特に動物たちには何の罪もない。
 自分が急死したらば、閉じ込められた家の中で彼らは餓死してしまうか、何とか逃げ出したとしても路頭に迷い、最終的には殺処分ともなろう。これ以上不幸にしてはならない。
 そう、気軽にはおいそれと死ねないのである。覚悟は決めたとしても。

 また、さらにそこに、我の数少ない友人たちへの恩義のようなものもある。例えて言うと、長年借りていたものを返していく、未だ果たしていない「約束」を果たしていく、ということだ。
 それだけは生きている間に、自分の意識と記憶がはっきりしているうちに返し終えておかないと、我も気になって死後も成仏できないだろう。
 いや、聖書の中の逸話、ラザロと金持ちの喩え話のように、死んでからも地獄で苦しみ、悔いだけが残る。死んでしまえば一切もう手遅れなのだから。
 
 そうしたことをいくつか、備忘録的にここに記していこう。

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