これまでのこと、これからへの思い②2024年01月25日 09時08分24秒

★まだここで、このまま死ぬに死ねないからには

 《前回の続き》 母の癌が再発し、手術、入退院を繰り返したあげく、余命宣告を受けて、まさに為すすべなく痩せ衰え衰弱して我が家で看取った年も人生最大の試練、苦難の年だと思ったし、一昨年の父をコロナ関連死で喪った年も見舞いもかなわずにかなり辛かったが、それ以上に昨年こそ苦難・苦境の年であった。
 しかし、この元旦の能登半島地震で、家屋だけでなく家族も全財産を失い、今も住む家も仕事もないまま避難先で暮らす人のことを思えば、我の苦しみなどまさにとるに足らない、笑い話のようなものであろう。
 命だけは助かったものの、これまでの人生全てを失い、これから先の希望も何も見えないのである。しかもこの寒さと雪の中、それでも日々生きて行く人の数はいったいどれほどにのぼるのか。
 彼らの為に何ができるか、何をすべきか我も考えねばならない。

 我には住む家もあり、電気や水道も止められそうになってるが、親たちの遺したいくらかの貯金もまだいくらかあり、当面、まだ少しは何とかなろう。
 が、去年がそうだったように、このまままたさらに何もできないまま、ゴミ屋敷化状態と、生活の放擲が進めば、病に倒れずとも人生はさらに破滅して、間違いなく緩慢に死を迎える。そう、今でも生活は限界なのである。
 全てがとっちらかったゴミ屋敷から失火したり、隣近所との諍いなどで、キレて刃傷沙汰を起こしたり、最後はゴミの中で、野垂れ死にしてしまうだろう。
 自分でもいったいどうしてしまったのか、どうしてこんな事態になったのか、不思議に思う。頭がオカシイのは自分でも認識していたが、それにしても・・・である。

 元より我は対人障害というか、人格的に多々問題があり、それは所謂、脳の発達障害によるものだとやっと近年判明したが、挨拶や他者の気持ちの忖度、連絡対応など社会的に当たり前のことがフツーにできないだけでなく、まず自らのこと、モノの片づけなど、整理整頓的なことが何もできないのである。
 それでも生きてこれたのは、親たちの庇護の元、特に母が様々な社会的手続きや掃除など生活全般をやってくれていたからで、本来、人は成人したら一人で仕事だけでなく生活も何もかもやっていかねばならなかったのだ。我は対社会的な事は何一つ自分ではきちんとできない無能者であった。
 それでも母を亡くした後も、父がまだ生きていたから、訪問看護の意思や看護師、それに介護施設の人たちが常時来ていたので、まだ社会との繋がりがあった。
 定期的に人が来るので嫌でも父のベッドのある部屋や玄関、庭先だけは掃除しないとならなかった。そこにリズムや習慣があった。毎月・毎週のスケジュールが決まっていた。
 それが父がいなくなってしまうと突然すべては消えてしまい、我はまったくの一人になった。もう父関連の人は誰も来ないし、会いに来る友もいない。
 そしたら全てが崩れた。生活を放擲、ネグレクトしようとか、そうした意志以前に、我は自己愛の非常に低い人間なので、自分の為に何かしようという気がまったくないが故、食事も作らないし、掃除もしなくなった。
 一人になって鬱になったのかとも思うが、一人身になって何も外からの要件がなくなると、我は自ら為には何一つしない人間だと気がついた。料理をつくるのが苦手とか嫌いなのではない。人が来たり、人に食べて貰うためなら、いくらでも腕はふるうし、作れる自信もある。
 が、それを食べるのが自分だけならば、何一つ作る気がわかないのだ。
 我は、趣味のことはともかくも、生活全般全てにおいて、自ら為には何一つやらない、したくない人間だったのだ。つまり炊事や掃除、洗濯など、まずどうしてもやらなくてはならなくなるまでは溜めてそのままにしてしまうのだ。
 特に食事に関しては、ご飯さえまず炊かないから、スーパーなどで閉店近くの半額になった弁当やパックの総菜を買って、それをつまんでアルコール呑んで酔っ払って寝てしまう。
 朝は食べないし、昼間は、スナック菓子や菓子パンなど齧る程度で、気がつけば夜まで何も食べていないこともままある。
 では、一人身になって家にいるのなら時間が自由にいっぱいあると思われるだろうが、実のところともかく毎日慌ただしく忙しい。
 それは増えすぎた猫たちの世話に追われて朝晩彼らのために何時間も奪われてしまうからだ。
 毎朝、近くのスーパーにマグロのアラとか猫たちの餌を買いに出て、猫部屋ごとにトイレを掃除したり、ご飯つくって与えて、ホームセンターに重たい猫砂を何袋も買いに行ったりもする。この物価高で、そのための金も倍増した。
 自分のこと、家の掃除や片づけは後回しにしてもともかくまず猫の世話をしないとならない。でないと彼らは、家の中で暴れて、トイレ以外の場所で用を足したり、腹空かせてパンの袋など食べ物を求めて齧ったり悪さを繰り返す。
 ともかく生き物だから、自分のこと以前に、ほったらかしや後回しにできない。けっきょく、自らの失態により増えすぎた猫たちに、我は人生の大部分を奪われてしまったのだ。
 が、ともかく猫たちの世話は、何があろうと最優先でやらねばならない。
 我が父が通所介護施設でのコロナ禍で入院、その後、衰弱が進んで老衰死するまでの間、そちらに気をとられていたことと、死後の様々な継承手続きに追われて、猫たちのことはつい失念し放擲してしまっていた。
 その間に猫たちは、まだ去勢や避妊しなかった子猫が成長し、かかって増えてしまったのだ。まさに我のウカツさによる失態であり、責任もって彼らの面倒をみないとならない。
 そしてまたうっかり当ブログ等でその猫たちのことをあれこれ報告したりすると、それを読んで我を常に監視している動物愛護の方々から、動物虐待、多頭飼い飼育崩壊だと、またまた糾弾され、彼らの介入で我の人生はそれこそ崩壊してしまうだろう。

 そう、どんなに大変でも金も時間もかかろうと猫たちのことは我が身を削っても最優先でしっかり面倒見ている。どうかほっといてもらいたい。
 しかし、我は猫たちを飼育する為にこの世に生を受けたわけではない。本当にもっとやるべきことが必ずあるはずだ。
 このまま、こんな何もできない地獄のような状況下で死ぬわけにはいかない。

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