これまでのこと、これからへの思い③2024年01月26日 12時11分10秒

★ほんとうのバカになってしまったが

 《前回の続き》しかし、いくら猫の世話に時間とられ忙しいとしたとしても、我は今は、常時家にずっといるのだ。
 仕事に通うわけでもないし、昔のようにライブ鑑賞であちこち出向くことももう今はしない。家で、古本稼業にたまの注文が入れば、梱包・発送作業がある程度で、基本時間はいくらでもあるし、すべて自分の自由に使える。
 だが、片づけは遅々として進まない。むろん片づけは少しづつでも進めている。本を読んだり音楽を聴いたり、ギター弾いたり、自分の趣味の時間などまったくなくして、ともかく家の内外の掃除、片づけをコマ鼠のようにうろちょろやっている。
 が、かたづけは進まないどころか、ゴミ屋敷化は日々増していくように思える。
 ウチに来られた方はご存じだろうが、我家はともかくモノがたくさん元々あって、父母健在の頃から、何でもモッタイナイと捨てない性分の家系だったから、広い家があってもモノでスペースは埋め尽くされていた。
 またそこに我は、古本稼業ゆえに、常時多量の本や雑誌が入ってくる。それをきちんと分別して、右から左に捌いて、売れ残りの本は棚下ろしし、処分していけば増えてもたまることはないはずだが、そのための時間がない。
 たまった本は場所もないので、ともかくあちこち平積みにして積み上げてあるのだが、それを猫たちが崩し、雪崩のように二階から階下へ階段から落ちてきたりもする。むろん階段すら本が積み上げてある。
 昔の四文字熟語に『汗牛充棟』という言葉がある。語源は、いまちょっと思い出せないが、書物がものすごくいっぱいあるときの喩えの表現で、その本の束を荷車で運ぶのに、引く牛が汗をかくほどの多さで、積み上げると棟木、つまり天井まで届くほどいっぱいの量の書物の山なのである。いま、まさにウチはそうなってしまった。牛はいないけど。

 我は、ネットで古本を売る稼業を始めて、気がつけば早や20年は経ったかと思う。
 その間、数千冊の本を売ったとは思うが、もちろん売れ残りの在庫や未だ出品できない本もその何倍もある。
 先にも書いたが、どこかできちんと今在る本の全てを棚卸して、一冊づつ値を検索して、まず間違いなく売れない本、売れるとしても値がつかない本は即処分するしかなかった。
 が、母の病や父の介護などもあって、ともかく慌ただしいまま時が過ぎて、まさに本は溜まるに溜まって、汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)状態となってしまったのである。
 いや、それよりもギリシャ神話の中の、ヘラクレスの牛小屋の掃除のほうが的確かもしれない。いくら掃除したとしてもキリがないのだ。
 そうして積み上げた本の山を何度でも猫たちが乗っては崩すのである。高く売れそうな価値ある大正期の本などもそうして崩され落ちてバラバラになったことか。
 また我自身も崩れた本の上を仕方なく踏みながら歩くしかないこともままあるのだ。古本屋としてあるまじきだが、まさに足の踏み場がない。
 ともかく歩く場所からつくらないと、と、一冊づつ検索する前にともかく積み上げる。すると少しすると猫が崩して、本は落ちて散乱し、また我は積み上げる。また猫がそれを崩して落とす。
 賽の河原の石積みは、苦労して積み上げた石を鬼が崩すのだが、ウチは小鬼のようなバカ猫たちが積み上げては来て崩すのである。
 
 しかし、それは現実の現象に過ぎない。問題はもっと深刻で、我自身の体調も去年はおかしくなってしまった。
 何よりも問題は、頭がバカになってしまい記憶が続かず、何もかもわからなく出来なくなってしまったのだ。

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