僕だけしかいない街で2024年10月24日 23時33分41秒

★今さらだが、もう一度、1から世界を作り直している。

 『僕だけがいない街』という、傑作SFサスペンス漫画があるが、この一週間、たった一人で、27日のイベントの会場となる、広い食堂ホールや建物内、庭先などを掃除していると、僕だけしかいない街で、という気分になってくる。

 その当日は、何人か我のごく親しい友人知人が、スタッフ要員として短時間でも来て手伝ってくれると思うが、会場設営までの下準備、掃除から宣伝まで実質ほぼ我一人でやらねばならない。
 そしてつくづく思うのは、我には何もない、誰もいない、という現実認識であり、この地に幼少期から住み続けて中学まで学校もこの街だったのに、我には友とか仲間と言うべきか、この事態に際し誰も助けを請う人は皆無だという事実である。
 改めてそのことに気がつきつくづく自分らしいと思えた。

 今回のイベントは、幸いにして音響関係は、地元公園で長く野外音楽イベントを開催しているI氏が、担当・協力してくれるので、我は「フォーク」に関してはお任せでき肩の荷はその分軽くなり大変有難いことだが、実際のところ、他のことは全て、場所の掃除から設営、宣伝、当日の進行、会計、そして後片づけまでほぼ全ては我一人でやらねばならないのだ。
 まあ、辛いとか大変だとか愚痴をこぼしたいわけではないし、我のようなどこでもいつでも嫌われ疎んぜられた者は、どんなに困窮した事態であろうと誰も助けてくれる人は昔からいないのだから、何を今さらである。
 そのI氏から言われたことだが、下準備で疲れ果ててる我を見て、どんなに大変かもしれないが、自らが蒔いた種なんだからしっかり刈り取れ、と諭され、正直なところずっとう~む。そうなのか!?と自問している。・
 そもそも種をまいたという気は毛頭ないし、行きがかり上、常に愚かで何も深く考えない我は、そうした空きスペースを使えて、何かできるのは誰にとっても善いことだと安易に思い、持ち込まれた話を安易に快諾して今に至ってるだけなのだ。
 そして刈り取るも何も、まだ種は芽も出ていないわけで、それを自己責任ということで求められても今は何とも返答もできない。

 ただ、何であれ一回こっきりで終わらせる気はないし、やるからには、何から何まで一人でタイヘンだとしても、せめて一年は続けたいと考えている。むろんそのイベントのスタッフ、関係者の多寡よりも、参加者の数と反応のほうが重要なわけで、いくらお茶お菓子をたくさん用意したとしても誰も来てくれなければ、イベントは失敗というだけのことだ。
 つまるところ撒いた種は芽を出さずにその地に埋もれたということだが、それもまたまったくの無意味だとは我は考えない。

 選挙も同様に、当選することや当選圏に肉薄することだけが価値や意味があるわけではない。
 どんな「泡沫候補」であろうと、その人を見てくれている人、一票を入れてくれる人は必ずいる。ならば我もまた、きっと誰かが来てくれると信じて、このブログもだが、見てくれている人がどこかに必ずいると願い信じてやっていくだけだ。
 誰よりも拙い我だが、今さらながら我のこの小さな世界を新たに作り直したいと考えている。

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