大変な国難、天災ではあるが「天罰」ではない2011年03月18日 22時47分31秒

★天罰を受けるべきは慎太郎であろう。

 大震災から今日18日でちょうど一週間。ようやく被災地にも鉄道が動き出し陸路も再開されてきたようで、復旧が今日にして本格化し始めた。今までは支援物資も途中で滞ってほとんど届いていなかったようだ。それだけ旧来の常識や想定を超えたあまりに巨大な大地震と大津波だったということだが、「大地震」が起きたそのことに対しこちらも対応に日々慌しくて書こうと思いつつ書けなかったことを書きたい。それは石原慎太郎都知事の大震災は「天罰」発言についてである。

 その前に、今日18日の東京多摩地区の現況報告。
 
 ウチの近くのガソリンスタンドでは、ガソリンがなくなって休業している店も多いが、やっていればどこもスタンドの周りは入れるのを待つ車の長蛇の列が出来て、警官さえ出てるところもある。幸い増坊の車はまだ半分程度は残っているし、今は立川の病院に親父も乗せて行くときだけしか使わないので、週明けまではまだもつし、来週にはこの不足状態も改善されるかと考えている。もう基本は一人の時は常に自転車移動である。

 スーパーなどは日に一度はかならずどこかへ入り確認しているのだが、現在どこの店でも棚に全くないものを並べると・・・

 ・パン、牛乳、豆腐、納豆などの生鮮食品
 ・カップ麺、インスタントラーメン、米(もち米以外)の保存食
・ティッシュ、トイレットペーパー類

 パン類などは原材料が地震後不足して製造できないとのことで理解もできるが、わからないのが、インスタントラーメンや米であり、ティッシュも含めて要するに今後の不測の事態に対する不安から備えるべく、買い置き、買い溜めして不足しているものと考えられる。それが庶民感情なのかと思うし、原発事故の今後の推移いかんでは、屋内退避を命じられるかもしれないわけで、避難のための移動にもガソリンは不可欠だから普段車に乗らない人もとりあえず満タンにしたいと焦っているのかもしれない。それ以前に、やっているガソリンスタンドも少ないが。

 計画停電の今後も含めて、いったいこの困った状態がいつまで続くのかまた追跡して報告したい。

 
 さて、石原都知事は、今度の都知事選にまたまた出る。4年前の再選時、もう今期で最後だと公言し、今度も当初は出馬しないと周囲に匂わせていた。拙ブログでは前回の当選後、絶対にこの男は懲りずにまた出馬すると断言しそう書き記したが、まさに予想は的中しやはり今回もまた出ると突然出馬会見しその最中に東北、関東大地震が起きた。

 そしてご存知かと思うが、この地震の直後、14日、慎太郎都知事は東日本大震災への国民の対応について記者団に問われ、「我欲で縛られた政治もポピュリズムでやっている。それを一気に押し流す。津波をうまく利用して、我欲をやっぱり一回洗い落とす必要がある。積年にたまった日本人のあかをね。やっぱり天罰だと思う。被災者の方々はかわいそうですよ」と述べた、と報じられている。

 また、知事は一連の発言の前に、持論を展開して「日本人のアイデンティティーは我欲になっちゃった。アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等だ。日本はそんなもんない。我欲だよ。物欲、金銭欲」と語っていた。

 同日、この後に開いた記者会見で「天罰」の意味について「日本に対する天罰だ」と釈明。「大きな反省の一つのよすがになるんじゃないか。それしなかったら犠牲者たちは浮かばれない」と話した。※以上はMSN産経ニュースから引用。

 そして、この発言は報じられると大きな抗議と批判の声を当然巻き起こした。当初は抗議を受けても発言撤回しないと開き直っていたようだが、15日の記者会見で、謝罪し撤回したとのこと。

 発言を撤回したから、なかったことに当人はしたいだろうが、これは失言以前に彼の本心、慎太郎という男の本質をズバリ世に知らしめている。慎太郎とはここまで非情かつ高慢な、被災地の人たちを思いやる気持ちが欠落した人として最低の人間なのである。

 これまでも数々の放言、暴言を口にしては何度となく抗議の嵐を巻き起こし、しかもほとんど謝罪もせず、問題化するとその場その場で開き直ったり、あれは他人の発言だとか逃げまくっていた無責任このうえない小心かつ身勝手なこの男であるが、呆れ果てる以前に今回の大震災を「天罰」と言い放ったことだけは絶対に赦すことはできない。

 まだ震災の被害程度も全貌もわからず、混乱の最中被災地では何万人もの人々が逃げまどい救助を求め苦しんでいる一番大変な大事な時期に、よりによって、「やっぱり天罰だと思う」と口にできる人間はこの世にいない。被災地の人たちがそれを聞いていったいどう思うか。何故、無辜の民である彼らに天罰が下らねばならないのか。

 いや、個人として勝手にそう思うことはかまわないとしても、それを一国の首相に準ずる東京都の知事が公式の場で問われて口にすることは絶対に許されない。国政の政治家ならばそれだけで職を辞すことは間違いない。だのに何故か慎太郎というだけで、マスコミも都民の多くも不問に付し、ああまたかと思う程度で済ましてしまう。それがずっと不思議でならない。

 彼の発言は常に不快であり、抗議を巻き起こすが、特にこの「天罰」発言が問題であるのは、我欲で縛られた日本人に神?が天罰を下したとしたとして、彼慎太郎はその中に自らを入れていないということだ。上から目線という言葉が今流行であるが、彼は常にいつも自らを高みに置き、自分は天罰を受けない側だと信じている。自分だけは常に正しく、我欲などないと勝手にも思い込んでいる。それがこの発言から誰だって読み取れる。

 もし、もし仮に、この大震災が「日本人に対する天罰だ」としても「大きな反省」をまずすべきは慎太郎本人だと声を大にして言ってやりたい。我欲に縛られたポピュリズムこそ彼の政治そのものであり、弟裕次郎人気だか作家人気なのかわからないが、大衆の人気に胡坐をかいて好き勝手な放言暴言をしまくってきた。権力の座にしがみつき離そうとしない。この男はずっと傲慢であり思いあがってきた。
 人の痛みや苦しみがわからず、人を見下し、自らだけが正しいと己惚れ傲慢かつ奢り昂ぶった慎太郎にこそ天罰が下るべきであろう。神はいると信ずるし、ヨブ記ならばともかくも三陸の民に天罰など下すことは絶対にない。天罰が下るとすれば裸の王様慎太郎自らである。