放射能の雨にうたれて2011年03月21日 22時12分46秒

★雨に濡れるとハゲになる神話。

 今日21日は一日しょぼしょぽと冷たい雨が朝から降り続いた。
 今の人はきっと知らない話だろうが、増坊が子どもの頃、それは昭和30年代~40年代にかけての頃だと思うのだが、親たちからよく、雨に濡れないようにしなさい、雨に濡れるとハゲになると言われたことを思い出した。
 そう、今回の大地震と想定外の巨大津波が引き起こした福島原発の事故による放射性物質汚染である。報道では雨に濡れないよう外出時には気をつけなくてはならないとのことだ。ハゲになるとはさすがに言っていないが、まさかまたこんな事態が起きるとは思ってもいなかった。しかも自国の原発事故である。忘れていた昔話を思い出したので書いておくことにする。

 子どもの頃の、雨に濡れると禿るという「伝説」は、東西の冷戦下、米ソの水爆実験が繰り返され、世界中に大量に核物質が飛散し、人々が核戦争の恐怖に怯え、放射能の脅威がごくごく身近であったから広まったようだ。
 じっさいのところ、広島・長崎の原爆投下後の黒い雨でもない限り、空気中にただよう放射性物質を含んだ雨に濡れたとしても頭髪が抜けるほどの傷害など起こるわけはなく、当時だって雨で禿げたという人はいなかったはずだが、何故かそう人口に膾炙し子ども心にも雨は恐怖であった。まあ、今はハゲは怖くも何も身近な話題となったが。

 今回もまた核兵器、核実験でもないのにたぶんまた同じような雨で禿げる伝説が流布していくかもしれない。けっきょく規模は違えど、見えない恐怖、放射能に対しての国民のアレルギーは強く、政府が何度も健康に直ちに被害が出るレベルではないと保証したとしても、いったん放射性物質が外部に漏れ出して農作物などに通常値を超える数値が出てしまえば当分の間、もう茨城、福島県産の食品は食卓に並ぶことは難しくなるかと心配する。
 この国の民は、ふだんはノンキに原発問題にしろ何にせよ政治的なことにはほとんど無反応無関心なのに、いったん事故とかコトが起きるときわめて過剰に反応する。しかしその不安や心配は杞憂では決してないし無意味ではない。食べることは生きること同義なのだから食の安全を本当に考え不安に思うならば、TPPも原発と同様に、政治家たちに人任せにするのではなく、自ら政治的に自分のこととして真剣に考えなくてはならない。

 原発安全神話が完全に崩壊した今こそ、東電や歴代政権の政治家たちに任せっきりにしてきたこの国のエネルギーと食の問題、それに米軍基地問題も含めた安全保障について今こそ国民一人ひとりがどうしたいかどうあるべきかを深く考え直すときが来たと思う。今までは政治家を選ぶことと現実の我々の暮らしに大きな乖離があった。これからは、この大震災と原発の大事故をきっかけに政治的なことは強く意識されていくだろう。政治と暮らしがきちんと結びつく。それは良いことだし、そうでなければ被災者や亡くなった方々は救われない。