何があろうと人は自死することなかれ2013年05月13日 22時34分11秒

★牧伸二の自殺に思う。

 ウクレレ漫談の牧伸二が、多摩川に飛び込んで自殺したのは先日のこと。今出ている「週刊新潮」では、その死をめぐってスクープとして、かなり大きく彼の私生活を暴露してみせた。

 死者に鞭打つ、という言葉があるが、まさにこれがそうだと立ち読みして暗澹たる気持ちになった。ただ、自殺してしまった者には、もはや抗弁も説明もできやしない。周りの人たちに大きなショックを与え悲しませ、さらには深い心の傷をもたらしてしまう。何があろうと自殺だけは絶対にしてはならない。
 棺覆いて評価定まるという言葉どおりだとするならば、稀代の芸人、牧伸二は彼の輝かしい芸人人生じたいを自ら踏みにじってしまったようなものだ。いや、(川に)投げ出してしまった。子供の頃からNET(現テレビ朝日)の「大正テレビ寄席」で深く親しみ、自分にとっては、テレビで知った大好きな芸人ビッグ3の一人(他は藤山寛美、大宮敏光=デン助)だっただけに本当に残念でならない。

 今名前を上げるべきではないが、知人に彼の甥子にあたる芸人さんがいる。なのでこのところ青山クロコダイルにて月一で、彼らがやっているライブに誘われていたし近く顔出すつもりで日程を調整していた矢先だった。たぶん紹介されてお話する機会もあったかと思うと、複雑な思いがわいてくる。大好きな牧伸二、ついに会うことはかなわなかった。

 週刊新潮の記事は、要するに彼には長い付き合いの芸者上がりの愛人がいて、子供までいて、火宅の二重生活をずっと続けていたとか芸人および芸能人なら何一つ驚くに値しないありふれた話でしかない。また、彼が会長を務める芸人組織の金を使い込んだ疑惑があり、その説明を迫られての悩んだ挙句の自殺という書き方をしているが、それだって憶測でしかない。刑事事件にもなっていないし当人は遺書も残していないのだから真相は藪の中でしかないはずだ。

 なのに自殺してしまったためが故、こんな低俗な「暴露」記事が出る。情けない限りだ。自分の中では、牧伸二とは、トニー谷や東京ぼん太に並ぶ、ピン芸人の鏡であり、子供心にもなんて下劣かつハチャメチャでしかもきちんと面白い芸人だといつも感心していた。今思うと、トニー谷は、神経症的エキセントリック、ぼん太は田舎者の屈託、そして牧伸二こそ東京者のアナーキー、無頼さを体現していたのだと思える。
 大阪にはもっと下品、低俗をウリにした芸人がたくさんいる。牧伸二はやはり東京人として、かなりお下劣ではあったけれど、常に崩すことなくきちんとした漫談芸を見せてくれていた。そして特筆すべきはそれは必ず批評性があり独創的でいつも面白かったということだ。さすが牧野周一の弟子から出た人だった。

 ピン芸人の孤独、という言葉がある。じっさい自殺する芸人はかなりいるが、大辻伺朗もポール牧もみなピンの芸人であった。これが落語の世界では、自殺者は存外少ない。なぜなら落語は一門であり、上下の弟子関係で永劫深く結ばれているから基本孤独ではない。
 一人芸の芸人こそ、基本も常に一人であって、おそらく付き人もいなかったであろう彼に、死は常に傍らに寄り添っていたのかもしれない。ただ脳梗塞からも立ち直って復活し、まだまだこれからもあの独創的なウクレレ漫談を聞かせてくれると期待していただけに本当に心から残念でならない。
 生きるのが「やんなっちゃった」としても死は間もなくまちがいなく来るのである。それを自ら死に急ぐ必要はないではないか。

 このやるせない気持ち、死者を悼むならばあえてこう歌おう、♪あ~あ~やんなっちゃった、ああーんがあんがあんが驚いた!と。牧伸二、何で自ら死んだんだ。

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