老いてますます烈なり・老いとボケについて・前2013年06月27日 21時12分26秒

★この道は自らも行く道ではあるが・・・

 今日は映画塾ならぬ「フォーク講座」、久々に3人参加者が揃った。※もう一人いるはずだが、なぜか一度も現れない。ともかくほっとしている。
 この講座、一人もしくは二人では正直先へ進めずこちらも先の予定というか方向性が立てられない。忸怩たる思いで回を重ねてきた。といっても、今日はまずはギター教室のほうに時間とられてしまい、本篇には時間とれないまま夕刻となってしまい来てくれた方々に申し訳ないキモチでいっぱいだ。

 正直、常時3人でも参加者がいて夜まで残れるならば、映画塾と同じに「懇親会」でだらだら飲み食いしつつ音楽をかけられるのだが、1人、もしくは2人だと自分も含め少人数ではその料理を作るのがめんどくさい。結果、夕飯前に毎回ご帰宅願うことになってしまい自分としても参加者も何か物足りなく不完全燃焼の感があるのではないか。次回からはもう少し皆ゆとりをもって懇親会もやっていきたいと願っている。こちらもどなたでもお気軽にご参加願いたく思う。


 さて、ウチの親父の話をしたい。このところ、ボケが進んでもうその世話に正直うんざりしている。実は、先だっての映画塾の日もコーフンして、夜になっても外に出て徘徊しようとしていたので、いさめるのに四苦八苦であった。その騒ぎは二階の客人たちにも聞こえたかもしれない。本当に恥ずかしく情けないことだ。

 まあ、間もなく90歳にもなる本当の老人なのだから、寝たきりならないだけ有難いと思わねばならないのだが、徘徊系ボケ老人は、うっかり目を離すと大変なことをしでかす。昔からこのオレの親だけにかなり変クツな、社会性を欠いた奇矯な人だったのだが、老いてますます磨きがかかりしかも止めると暴れたり怒りやすくなったのでホント手を焼いている。こちらもキレることが度々あることも告白する。

 もともと六尺男と呼ばれたほどの巨漢で、平均的身長のマス坊より今だって背の高い大男なのである。寝たきりになったらとても介護なんかできやしない。だからフラフラしてても起きて自力で歩けるのは良いことなのだが、問題はオツムなのだ。
 昔から一つのことに囚われ、頭いっぱいになるとそのことしか眼中にない人だったのがこのところは妄想も入ってともかくあれこれ心配事、気にかかることにやたらウルサイ。そして目を離すとその、気にかかったことを自分勝手に始めてしまうのである。夜中でも明け方でも。始終ふらふらヨロヨロのパーキンソン症候群の人がだ。見てても危なくてしょうがない。だから目が離せないし手がかかる。

 しかしことは自分だけの、ウチだけの話ではないと思う。老いて人は皆、老人とは多かれ少なかれこうした傾向を持つ。そして、たぶん、この自分もまたそうなるのだと思う。そのことについてもう少し書いていく。ボケとはどういうものなのか。そこに対策はないものか。明日は我が身だと思いつつ。