多くを得た者は多くを失う ― 2014年12月28日 22時01分45秒
★名声と早逝は関係しているか。 「ガロ」を思う アクセスランキング: 149位
虎穴に入らずんば虎子を得ず という諺もあるが、何であれ、何かを得るためには何かを失う覚悟、もしくは最低限の対価を支払わねば得ることはまず難しいのは常識であろう。
つまりまったく労せず、棚からぼたもち 的に、得ることはまずありえないということだ。いや、偶然そうしたウマい話で儲けることがあったとしても 悪銭身に付かず という諺もあり、けっきょく対価のないところから得た、利なり成功は実を結ばないのも道理であろう。
昔から、何かを得ようと思うならば何かを失わねばならない とはよく見かける言葉だ。ならば多くを得た者はまたそのぶん多くを失わねばならないのではないか。いや、多くを得た者はまた多くを失っているのかと想像してしまう。
自分が深夜放送を聴きだしたのは、1970年代のはじめ、中学生になった頃からだと記憶するが、当時ラジオで知り、乏しいこずかいで自ら買ったレコードのシングル盤は今も探せば出てくるはずだ。
RC・サクセションの「ぼくの好きな先生」、あがた森魚の「赤色エレジー」、そしてガロの「学生街の喫茶店」などがそのジャケット共にすぐに思い浮かぶ。まさに、擦り切れるほど聴いた懐かしいレコードだ。
その3人というか3グルーブのうち、今も元気なのはあがたさんだけで、清志郎も既に亡く、そして今年はガロのマークの死も先日報じられていた。
今年2014年も多くの著名人たちの訃報がマスコミをにぎわしたが、自分の好きな音楽の世界でも知名度に違いはあってもかなり多くの方々が亡くなられた。
ひがしのひとしさんからジョニー大倉まで好きだった方々の訃報には胸を痛めたが、ガロはこれで三人のメンバーのうち健在なのはボーカルだけとなってしまった。トミーはもうかなり前に自殺していたし、複雑な気持ちである。
その当時、リアルタイムで体験していた者として書き記しておくと、ガロのそのシングル盤こそが日本のフォークシーンをニューミュージックへ、今のJ・ポップへと橋渡しした画期的なものであった。
ガロのことを思うといつもベルボトムのジーンズとおシャレでカッコいい三人組だというイメージがわく。ともかくサウンドから何から何までセンス良かった。長髪でも当時の薄汚い感じのそれとはまったく違っていた。
「学生街の喫茶店」という曲がラジオから流れてきたときそのサウンドの良さにひかれてすぐに駅前のレコード屋に行って手に入れた。その頃は子供だったから「学生街にある喫茶店の、片隅で流れていたボブ・ディラン」のことも全く知らなかった。ディランの名前はこのレコードで知ったのだと思う。
彼らはもともとは、和製CSNとして知られ抜群のコーラスと巧みなギターで一部では人気のフォークグループだったが、この一曲だけで国民的認知度を得た。が、何とこの曲は彼らのオリジナルではなく既成の作家、山上路夫らのペンによる全くの歌謡曲なのであった。
つまるところ、あがた森魚、よしだたくろうらフォークシーンから人気者が出てきてヒット曲も生まれると、既成の歌謡曲の世界でもそのブームに便乗してそうした若者向け楽曲を作り人気あるシンガーに歌わせてヒットを目論む。そうした生まれた大ヒット曲が「学生街の喫茶店」であったのだ。
もともとは「美しすぎて」という曲のB面だったこの曲は、ラジオでかけたらとたんに火がついて途中から両A面扱いとなって増刷されたかと記憶する。今考えるとこの曲があったから荒井由実も出てこれたし、青春を若者自身が懐かしく振り返るという、このコンセプトこそユーミンが後に得意とするニューミュージック特有のパターンの原点ともなった。
カッコいい男性三人組のガロはこれ一曲で超人気者となった。あまりテレビには出なかったがコンサートは女性ファンで満杯であったときく。むろん男でも自分も含めて彼らのファッションやセンスにはずいぶん憧れ影響も受けた。しかしそれらはすべてマスコミ的に作られた虚構のものでもあったのだ。
今はそうした全てがわかる。つまりこれはすべて仕組まれていたことだったのだと。むろんこのシングルは両面含めて実に名曲だと思うし、その頃を思い出すと甘酸っぱいような気分にもなる。実に綺麗なハーモニー、良くできた楽曲だとおもう。昔好きだったものは時を経ても今も変わらず好きだ。
しかしこの「学生街の喫茶店」には中身が何もない。あるのは青春の感傷だけで、内省すらない。その店の中、つまり歌の中では、ディランでさえもはやBGMなのである。うたのフレーズでしかない。何という空虚なうただろうか。今のオレならこう問う「時は流れた? だから何なの、何を言いたいの」と。
そしてそうしたうたをヒットさせて超人気者となったガロも一人はビルから飛び降り自殺し、今年はまた一人早逝した。残されたメンバー・ボーカルこと大野氏は今や、リリーズや伊藤咲子たちとの「夢コンサート同窓会」の常連である。その訃報に頭を浮かんだ言葉が「多くを得た者はまた多くを失う」という言葉であった。
彼らはフォークシンガーとして出てきたのに歌謡曲を歌いヒットさせ世に知られる人気者となった。しかしまた反面多くを失ったのではないのか。
虎穴に入らずんば虎子を得ず という諺もあるが、何であれ、何かを得るためには何かを失う覚悟、もしくは最低限の対価を支払わねば得ることはまず難しいのは常識であろう。
つまりまったく労せず、棚からぼたもち 的に、得ることはまずありえないということだ。いや、偶然そうしたウマい話で儲けることがあったとしても 悪銭身に付かず という諺もあり、けっきょく対価のないところから得た、利なり成功は実を結ばないのも道理であろう。
昔から、何かを得ようと思うならば何かを失わねばならない とはよく見かける言葉だ。ならば多くを得た者はまたそのぶん多くを失わねばならないのではないか。いや、多くを得た者はまた多くを失っているのかと想像してしまう。
自分が深夜放送を聴きだしたのは、1970年代のはじめ、中学生になった頃からだと記憶するが、当時ラジオで知り、乏しいこずかいで自ら買ったレコードのシングル盤は今も探せば出てくるはずだ。
RC・サクセションの「ぼくの好きな先生」、あがた森魚の「赤色エレジー」、そしてガロの「学生街の喫茶店」などがそのジャケット共にすぐに思い浮かぶ。まさに、擦り切れるほど聴いた懐かしいレコードだ。
その3人というか3グルーブのうち、今も元気なのはあがたさんだけで、清志郎も既に亡く、そして今年はガロのマークの死も先日報じられていた。
今年2014年も多くの著名人たちの訃報がマスコミをにぎわしたが、自分の好きな音楽の世界でも知名度に違いはあってもかなり多くの方々が亡くなられた。
ひがしのひとしさんからジョニー大倉まで好きだった方々の訃報には胸を痛めたが、ガロはこれで三人のメンバーのうち健在なのはボーカルだけとなってしまった。トミーはもうかなり前に自殺していたし、複雑な気持ちである。
その当時、リアルタイムで体験していた者として書き記しておくと、ガロのそのシングル盤こそが日本のフォークシーンをニューミュージックへ、今のJ・ポップへと橋渡しした画期的なものであった。
ガロのことを思うといつもベルボトムのジーンズとおシャレでカッコいい三人組だというイメージがわく。ともかくサウンドから何から何までセンス良かった。長髪でも当時の薄汚い感じのそれとはまったく違っていた。
「学生街の喫茶店」という曲がラジオから流れてきたときそのサウンドの良さにひかれてすぐに駅前のレコード屋に行って手に入れた。その頃は子供だったから「学生街にある喫茶店の、片隅で流れていたボブ・ディラン」のことも全く知らなかった。ディランの名前はこのレコードで知ったのだと思う。
彼らはもともとは、和製CSNとして知られ抜群のコーラスと巧みなギターで一部では人気のフォークグループだったが、この一曲だけで国民的認知度を得た。が、何とこの曲は彼らのオリジナルではなく既成の作家、山上路夫らのペンによる全くの歌謡曲なのであった。
つまるところ、あがた森魚、よしだたくろうらフォークシーンから人気者が出てきてヒット曲も生まれると、既成の歌謡曲の世界でもそのブームに便乗してそうした若者向け楽曲を作り人気あるシンガーに歌わせてヒットを目論む。そうした生まれた大ヒット曲が「学生街の喫茶店」であったのだ。
もともとは「美しすぎて」という曲のB面だったこの曲は、ラジオでかけたらとたんに火がついて途中から両A面扱いとなって増刷されたかと記憶する。今考えるとこの曲があったから荒井由実も出てこれたし、青春を若者自身が懐かしく振り返るという、このコンセプトこそユーミンが後に得意とするニューミュージック特有のパターンの原点ともなった。
カッコいい男性三人組のガロはこれ一曲で超人気者となった。あまりテレビには出なかったがコンサートは女性ファンで満杯であったときく。むろん男でも自分も含めて彼らのファッションやセンスにはずいぶん憧れ影響も受けた。しかしそれらはすべてマスコミ的に作られた虚構のものでもあったのだ。
今はそうした全てがわかる。つまりこれはすべて仕組まれていたことだったのだと。むろんこのシングルは両面含めて実に名曲だと思うし、その頃を思い出すと甘酸っぱいような気分にもなる。実に綺麗なハーモニー、良くできた楽曲だとおもう。昔好きだったものは時を経ても今も変わらず好きだ。
しかしこの「学生街の喫茶店」には中身が何もない。あるのは青春の感傷だけで、内省すらない。その店の中、つまり歌の中では、ディランでさえもはやBGMなのである。うたのフレーズでしかない。何という空虚なうただろうか。今のオレならこう問う「時は流れた? だから何なの、何を言いたいの」と。
そしてそうしたうたをヒットさせて超人気者となったガロも一人はビルから飛び降り自殺し、今年はまた一人早逝した。残されたメンバー・ボーカルこと大野氏は今や、リリーズや伊藤咲子たちとの「夢コンサート同窓会」の常連である。その訃報に頭を浮かんだ言葉が「多くを得た者はまた多くを失う」という言葉であった。
彼らはフォークシンガーとして出てきたのに歌謡曲を歌いヒットさせ世に知られる人気者となった。しかしまた反面多くを失ったのではないのか。
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