世界がこちら側にあるうちに2015年01月29日 13時05分01秒

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 今年は戦後70年であるのと同時にポーランドにあるアウシュビッツ解放70年でもある。
 先日、記念式典が催され、ソ連軍に解放された今や高齢となった生存者の方々も式に参列されていた。マイクを握り人類史上最大の戦争犯罪について二度と繰り返してはならないと語っていた。百数十万人がそこで殺されてしまったのである。

 そして今、シリアの「イスラム国」なる狂信的過激派組織に囚われ殺害を予告されているジャーナリスト後藤さんのことを思った。このところ毎日ずっと彼ら日本人人質のことについて頭がいっぱいで無事に解放されることを祈り続けている。じっさい心配で夜もおちおち眠れない。
 おそらく多くの心ある人たち、日本人に限らず誰であろうと今回のテロ組織が起こした非道卑劣な人質事件については胸を痛めどうしたらよいかと悩み考え先が見えずに苦しい気持ちでいるかと思う。そんな長い夜にコルベ神父様のことを思い出した。

 カトリックの作家遠藤周作は、アウシュビッツで自ら志願して人質となり死を選んだコルベ神父のことについて折にふれて書き記している。自分は彼の小説で詳しく知った。
 ネットでもいくらでも彼について項目はあるので今さら書くべきでないかもしれないが、簡単に。

 日本の長崎でも布教に来られよく知られていたコルベ神父は、ナチスドイツを批判したとされ囚われ収容所に入れられた。
 そこでは弱い者たち、子どもや病人、老人はすぐさまガス室に送られ殺され、体力ある者たちは強制労働につかされる。

 あるとき収容所から脱走者が出たことで、無作為に選ばれる10人が餓死刑に処せられることになった。囚人たちは番号で呼ばれていったが、あるポーランド人軍曹が「私には妻子がいる」と泣き叫びだした。この声を聞いたとき、そこにいたコルベは「私が彼の身代わりになります、私はカトリック司祭で妻も子もいませんから」と申し出た。
 責任者であったルドルフ・ヘスは、この申し出を許可した。コルベと9人の囚人が地下牢の餓死室に押し込められた。
 そして彼は、他の囚人を励ましつつ餓死に耐え二週間後、まだ息があったため最後は薬物を注射され死んだのだと記録されている。
 そして彼が身代わりとなって生き延びた男性は、奇跡的に助かり94歳で天寿を全うするまでアウシュビッツという地獄の中で出会った「奇跡」とコルベ神父について生涯かけて語り継いだ。


 戦後70年、今またそのナチスドイツと同様に狂気に駆られた集団がまさに非道な人間として絶対に許されない行為を繰り返している。かつてのオウム真理教も同様であったが狂った誤った信仰や思想のために人が人を無作為に誰彼構わず虫けらのように平然と殺すのである。
 むろんナチスの人たちだって愛する家族妻子はいた。それが強制収容所で民間人を平然と百万単位で殺してしまった。そしておそらく今のイスラム国なる組織の者でも仲間や同朋だけではなく妻子もいるのであろう。だのに、平気で罪なき人たちの首をはね、心配する残された家族たちの思いを弄び卑劣にも踏みにじるのである。これが人間のすることなのか。
 これは戦争がもたらす狂気ではない。人間がそもそも持っている「狂気」なのではないのか。オウムもそうであったが人間というのはあるきっかけでとことん狂信的に、苦も無く人を殺せるほど平然と残虐になれるのである。

 それでも問う「イスラム国」。人間とはここまで残虐に卑劣かつ非道になれるものなのだろうか。そしてナチスドイツの行った過ちから人類はこの70年いったい何を学んだのであろうか。そもそも日本人ですら先の大戦から何を学んだのか。
 
 ただその悲惨な歴史の中で、コルベ神父や「命のパスポート」の在リトアニア日本大使館領事代理だった杉原千畝氏らの行為は、まさに闇夜の一灯のように今も人間の良心というものを示すものとして永遠に光り輝いている。勇気ある彼らの無償の行為は今でも誰の心を打つ。
 いつの時代でも世界にはまだ善良なもの、人間の「良心」は残っていると信じたい。

 イスラム国を憎み復讐を誓い彼らを皆殺しにしようと思う者もいよう。自分も彼らが憎い。しかし、憎しみの報復の先にはまた「狂気」と「破滅」しか残っていないのではないか。ブッシュのしかけた9.11後の「正義の戦争」がイラク、シリアも含めた今日の中東情勢を作りあげたのである。
 そして今その地ですぐれた日本人ジャーナリストがテロ組織に囚われ交渉の材料とされ今また首をはねられようとしている。
 
 イスラムとはアラビア語で、平和を意味する「サラーム」から来ている。本来のイスラムの教えには外国人であろうと人を殺すことは許されない。そして殺人から「平和」など生まれないことはどんな宗教であれ知っている。イスラムを名乗るならば、真の教えに学ぶしかない。狂信者たちが過ちに気づくことをただ祈るだけだ。

 追記:なぜコルベ神父のことを書いたかというと、後にローマ法王より聖人に加えられたコルベは、依存症やジャーナリストの守護聖人となったからだ。

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