努力の先にあるものを信じて ― 2016年05月05日 14時59分36秒
★空白の四月を乗り越えて
今年のゴールデンウィークも今日で実質終わる。よほど暇な会社や余裕ある人は明日も休みにして8日の日曜まで連休とするかもしれないが、現今の情勢ではそんな悠長な人はまずいないと思う。
皆さまどうお過ごしのことだろうか。熊本の被災地までボランティアに出向かれた方もいるかもしれない。
数年前までは、ご存知のように我は、大阪での春一番コンサートに毎年この季節は大型連休の間まるまる出かけていた。ついでに大阪のみならず堺や京都まで寄って、その地の友人知人たちとも久闊を叙していた。
だからときに、一週間以上も家を空けることになり、その頃もだいぶ親たちが衰えてきてもいたので、毎回出かけることに迷い、しかしどうしても行きたくて、けっきょく無理して決めて行き、果たして留守の間は家のほうは大丈夫であったかと不安な気持ちで戻って来ていた。コンサートの楽しみもだが、向うで年に一度会いたい人たちがたくさんいたのである。
幸い長い留守しても犬たちの世話も含めて、老いて来た親たちは何とか頑張って家のことは二人で無事にこなしてくれていた。
しかし、主宰者風太の相方、阿部ちゃんが亡くなってからの春一は、管理と規制がやたら厳しくなってしまい、すっかり雰囲気が一変してしまった。我は向うでも彼らとすったもんだあって、けっきょく無理して行くこともないと悟ってもう今は完全に関係を断った。今思えばちょうど頃合いであり、いずれにせよもう老親に託して一週間も家は空けられなくなって来ていたその時期であったのだ。
今こういう状況になって、かつては、ほんの数年前の話なのだけれど、そんな風に自由に、何日も家のことを親たちに任せて遊び歩けたのは夢のような気さえする。
そんな風にできたのは良いことだったし、そんなゴールデンウィークを何年も何回も過ごせたのだから懐かしい思い出だ。もし、また時間が許すようになればまたそんな風に、春一番が続いているならば訪れてみたいとも思うが、それはコンサートそのものではなく、あの場所、吹田の「緑地公園」という駅から会場までの新緑いっぱいの公園を抜けていく道筋であり、御堂筋線での天王寺からのじゃんじゃん横丁や西成のドヤを改装した格安バックパッカー向けホテルだったり、そうした東京にはないディープな思い出の場所の数々だ。
いつかまたこの爽やかな良い季節に、関西の地で、向うの友人たちとぼんやりのんびりと昼間から缶ビールなど片手に語らう日が来るだろうか。
さて、今月のその大型連休は、我はひたすら時間許す限り眠り続けた。
季節の変わり目ということもあるのだろうが、それだけ疲れが溜まって来たのであろう。今は立川の病院へ父を見舞いに行くのは一日に一回にしてもらったが、それと家にいる母や犬猫たちの世話、食事つくったりあれこれ何やら家事を終わらすだけでもうくたくたで、夜は遅くまで起きていられない。
朝も犬たちが騒ぐので前は午前5時乃至6時前には起きて散歩済ませてそれから母が起きて来るまでブログ書いたりパソコンに向かう自分の時間があった。
が、それだと夕方になると疲労で頭痛がひどくふらふらになって起きてられない。仕方なく朝は一度そんな時間に目が覚めたとしても、また寝直したり、このところは犬たちがどんなに吠えようともう体が動かず8時頃までも無理続けてしまう。
また、連休の間は本の発送も猶予されていたので、昼食後も夕方まで深く昼寝したり、ともかくひたすら眠ってばかりいた。
で、夜はそれで夜更かしできれば良いのだが、夕飯を食べ夜の犬の散歩を済ますともう倦怠感で目も開けていられず、いつも零時頃には寝てしまう。
そんなでブログすら書けずに、今頃になって、少し書きかけたものの寝てしまい中途のままで更新できなかった分のを書き足している。
けっきょく、先月四月は、親たちの騒動で全く何一つ自分のことはできなかった。家のことも我が事も含めてまるまる空白の一か月であった。
今月はそうであってはならないと今心しているし、最悪の時期はとりあえず乗り切ったとも思えるので、これから少しづつでも親たちのこと、介助しつつ我が事も進めていく。まずは今できるすべきことからだ。
じっさいのところ、今のこの状況、我当人としてはちっとも辛くも大変でもない。かなり疲労感は溜まってはいるが、無理せずじかんみつけては横になったり眠っては癒している。苦しいのは、自分が関係している音楽のことが進められずその関連の人たちとも会えないことで、親たちを思うと時間が過ぎていくのは良しとしえどもそれを理由に不誠実であるのはそろそろ限界の気持ちになってきている。
大型連休も終わる。そろそろ何とかこの態勢を整えて、この状況、このライフスタイルの中でも少しでもやるべきこと、今できることをやっていくことだろう。
今は苦難の時でも苦労でも艱難辛苦でも何でもない。大事なことはとにもかくにも精いっぱい「努力」していくだけだ。その努力の先に待っているものは勝利だとは限らない。が、努力の先にはきっとそれに報いる何かがあると信じて自らを鼓舞してやっていこうと思う。
今年のゴールデンウィークも今日で実質終わる。よほど暇な会社や余裕ある人は明日も休みにして8日の日曜まで連休とするかもしれないが、現今の情勢ではそんな悠長な人はまずいないと思う。
皆さまどうお過ごしのことだろうか。熊本の被災地までボランティアに出向かれた方もいるかもしれない。
数年前までは、ご存知のように我は、大阪での春一番コンサートに毎年この季節は大型連休の間まるまる出かけていた。ついでに大阪のみならず堺や京都まで寄って、その地の友人知人たちとも久闊を叙していた。
だからときに、一週間以上も家を空けることになり、その頃もだいぶ親たちが衰えてきてもいたので、毎回出かけることに迷い、しかしどうしても行きたくて、けっきょく無理して決めて行き、果たして留守の間は家のほうは大丈夫であったかと不安な気持ちで戻って来ていた。コンサートの楽しみもだが、向うで年に一度会いたい人たちがたくさんいたのである。
幸い長い留守しても犬たちの世話も含めて、老いて来た親たちは何とか頑張って家のことは二人で無事にこなしてくれていた。
しかし、主宰者風太の相方、阿部ちゃんが亡くなってからの春一は、管理と規制がやたら厳しくなってしまい、すっかり雰囲気が一変してしまった。我は向うでも彼らとすったもんだあって、けっきょく無理して行くこともないと悟ってもう今は完全に関係を断った。今思えばちょうど頃合いであり、いずれにせよもう老親に託して一週間も家は空けられなくなって来ていたその時期であったのだ。
今こういう状況になって、かつては、ほんの数年前の話なのだけれど、そんな風に自由に、何日も家のことを親たちに任せて遊び歩けたのは夢のような気さえする。
そんな風にできたのは良いことだったし、そんなゴールデンウィークを何年も何回も過ごせたのだから懐かしい思い出だ。もし、また時間が許すようになればまたそんな風に、春一番が続いているならば訪れてみたいとも思うが、それはコンサートそのものではなく、あの場所、吹田の「緑地公園」という駅から会場までの新緑いっぱいの公園を抜けていく道筋であり、御堂筋線での天王寺からのじゃんじゃん横丁や西成のドヤを改装した格安バックパッカー向けホテルだったり、そうした東京にはないディープな思い出の場所の数々だ。
いつかまたこの爽やかな良い季節に、関西の地で、向うの友人たちとぼんやりのんびりと昼間から缶ビールなど片手に語らう日が来るだろうか。
さて、今月のその大型連休は、我はひたすら時間許す限り眠り続けた。
季節の変わり目ということもあるのだろうが、それだけ疲れが溜まって来たのであろう。今は立川の病院へ父を見舞いに行くのは一日に一回にしてもらったが、それと家にいる母や犬猫たちの世話、食事つくったりあれこれ何やら家事を終わらすだけでもうくたくたで、夜は遅くまで起きていられない。
朝も犬たちが騒ぐので前は午前5時乃至6時前には起きて散歩済ませてそれから母が起きて来るまでブログ書いたりパソコンに向かう自分の時間があった。
が、それだと夕方になると疲労で頭痛がひどくふらふらになって起きてられない。仕方なく朝は一度そんな時間に目が覚めたとしても、また寝直したり、このところは犬たちがどんなに吠えようともう体が動かず8時頃までも無理続けてしまう。
また、連休の間は本の発送も猶予されていたので、昼食後も夕方まで深く昼寝したり、ともかくひたすら眠ってばかりいた。
で、夜はそれで夜更かしできれば良いのだが、夕飯を食べ夜の犬の散歩を済ますともう倦怠感で目も開けていられず、いつも零時頃には寝てしまう。
そんなでブログすら書けずに、今頃になって、少し書きかけたものの寝てしまい中途のままで更新できなかった分のを書き足している。
けっきょく、先月四月は、親たちの騒動で全く何一つ自分のことはできなかった。家のことも我が事も含めてまるまる空白の一か月であった。
今月はそうであってはならないと今心しているし、最悪の時期はとりあえず乗り切ったとも思えるので、これから少しづつでも親たちのこと、介助しつつ我が事も進めていく。まずは今できるすべきことからだ。
じっさいのところ、今のこの状況、我当人としてはちっとも辛くも大変でもない。かなり疲労感は溜まってはいるが、無理せずじかんみつけては横になったり眠っては癒している。苦しいのは、自分が関係している音楽のことが進められずその関連の人たちとも会えないことで、親たちを思うと時間が過ぎていくのは良しとしえどもそれを理由に不誠実であるのはそろそろ限界の気持ちになってきている。
大型連休も終わる。そろそろ何とかこの態勢を整えて、この状況、このライフスタイルの中でも少しでもやるべきこと、今できることをやっていくことだろう。
今は苦難の時でも苦労でも艱難辛苦でも何でもない。大事なことはとにもかくにも精いっぱい「努力」していくだけだ。その努力の先に待っているものは勝利だとは限らない。が、努力の先にはきっとそれに報いる何かがあると信じて自らを鼓舞してやっていこうと思う。
最近のコメント