死に行く人と生きていくこと・22016年05月30日 22時04分24秒

★父は退院の目安も視野に入って来た報告を。

 未知の領域、という言葉がある。人生とは、日々の仕事や家事のように、ルーティンのこと、つまり日々変わりばえしない同じことの積み重ねも多々あるが、同時にまた新たな、まだ知らないことへ進むことに他ならない。
 ただ漫然と、若い時から何も考えずに生きて来た。人生設計も立てることなく、その場その時、臨機応変というよりその場しのぎで楽な方へ楽な方へとやり過ごして来た。
 が、いつまでもそうした生き方が続くはずもなく、我を甘やかしてくれた親たちも老い衰え、我自身も老いのとば口に来て、今また新たな、まだ体験したことのない世界を前にして立ち尽くしている。

 むろんここで、もう人生を降りる、自ら幕を下ろすという選択だってできる。が、この先、何があるのか、どうなっていくのか、その未知の世界を見てみたい気がしている。むろんそれはとてつもなく大変な苦労を伴うことだと予想もつく。特に自分の場合は。

 だいたい歳とって良いことなど何もないのである。カタギの人たちならば、長かった辛い勤め人生活を終えて、子育ても終えれば後は、悠々自適の年金生活が待っているのであろう。
 夫婦で、時間や金の心配もなく、旅行や芸術鑑賞など趣味や道楽に専念できる。それこそが老後の楽しみであり、長年マジメに働いたご褒美なのだと思う。
 我にはそんな日々はこれから先も生涯訪れることはない。無年金の独り者として、死ぬ日まで金の工面と孤独に追いまくられるのであろう。
 世間の人たちは年老いてもそれなりの安全保障はあるようだが、家族も含めそうした一切を放棄してしまった者は、最後の最後まで一人で自らの面倒をみないとならない。

 しかし、それもすべて、原因と結果の法則であり、皆がやっていることを逃れ、好き勝手に楽してきたツケなのだから、今はいっさい後悔の気持ちはない。悔やむとすれば、ならばどうしてもっと自由に、とことん自由に思う存分やりたいことをどうしてしなかったのかだ。
 今、親たち、老いて病み先に死に行く者と暮らしていて、自由を失いつくづく思うのは、もっと親たちが元気な間に、我が人生を存分に堪能し使い尽くせば良かったのに、という悔いである。

 つまるところそれが我の限界、凡人の凡人たる所以で、しょせん何の才能もない怠け者は、どれほど時間があろうともそれを無為にして目先の快楽に溺れるだけなのだと今は認めるしかない。
 真の才能ある者、賢者は、どれほど忙しい最中でも、工夫して時間や金を工面して、自己を信じ、その使命を自覚し、成すべき役割を果たすのである。そして有馬敲氏のように成果を上げていく。

 さておき、ではならばこそ、今親たちのことで身動きとれなく不自由になった者として思うのは、これから先何が待っているかである。
 先にも書いたが、人生とは常に新しいことが待っている。老いは先人を見て知り、頭では理解して覚悟はしていたが、じっさい老人化が始まると、全てが初めての経験であり新たな感覚である。
 目や耳に異常がないときは、それが当たり前だから、見えない聴こえないという感覚は理解も想像もできない。今、歳とってきて、目もかすみ、耳も遠くなってくると、まさに未知の世界に入ってきた気がする。
 恥ずかしい話だが、頻尿や尿の切れまで悪くなってくると、初めてそうしたことに苦労していた老人の大変さが我が事として実感できるし、この先のことが思いやられる。

 しかし、誰にとっても人生とはそうしたものだろうし、いや、個々の人生ではなく、人類の歴史自体が、常にそうした「未知の領域」に入ること、探索を繰りしたことこそが「歴史」だとするならば、それは当然のことであり、ちっとも悪いことではない。

 今日、実に遅くなってだが、やっと父の担当医から、詳しく父の現状と、今後のことについて時間かけて説明を受けた。その方は専門は整形の専門だが、そもそも入院の端緒となった肺炎に至る誤嚥、嚥下障害についても説明された。
 手短かに言えば、足、大腿骨付け根の骨折の方は非常に良好で、今、手術後間もなく一月半となるが、このまま新たな問題事態が起きなければ、遅くとも来月中には退院できるだろうとのことであった。
 来月半ばには、骨折が起きて二か月となるので、その頃には骨も完全にくっつくだろうから、退院の目安も出るはずとのことだった。
 一時期は九十過ぎという年齢もあって、このまま寝たきり、もしくは車椅子の生活になる可能性も高いと宣告受けたが、元々頑健で、年齢のわりに骨も丈夫だったから、再度骨折など新たな事態さえ起きなければまた元の生活にほぼ戻れるように思えて来た。

 が、一方、もう一つの問題の誤嚥性肺炎のほうは、やはり飲みこみの力が高齢のため衰えているから、今は肺炎は収まってはいるが、いままでと同じ食生活だとまた誤嚥して肺炎を引き起こすと宣告である。
 つまり退院してからこそ、家人がよくよく注意して、食事や飲み物もトロミをつけたり小さく柔らかくして調理して誤嚥しないよう促して食べさせないとならない。
 かつてのような食事をしていればまたすぐに肺炎を引き起こして入院となる。そうさせないためにも家人の努力と協力が必要だと退院後のことについて釘を刺された。
 
 母は今台所に立つことすらままならない体調だから、つまりその全ては我の手腕と努力にかかっているのである。
 退院できれば、有難いとこれまではそれだけを考え待ち望んでいたが、今日、医師からの話を聞き、退院後の方が大変なのだと認識を変えさせられた。
 もう、それなら父をどこかの特養に預けてしまうという方策も勧められたが、ともかく我にできる限りのことはやってみるつもりでいる。

 考えてみれば、父の一族で九十過ぎまで生きた人は皆無である。母の母も百歳近くまで長生きしたが、最晩年はあちこちの病院をたらい回しにされて、介護をしていた子や孫はいなかった。
 癌で死んでいく母も含めて、我にとっても当人たちにとっても全てが未知の領域、初めて迎える事態なのだ。すごく大変だと今予想する。しかし同様にすごく楽しみでもある。
 そんな甘いものでないと介護体験者は我を指弾するであろう。が、だからこそ今は、楽しみだとあえて思いたい。
 それもこれもすべては長生きしたツケであり、その親たち面倒を一人でみるのも我の人生のツケなのである。ならばこそ、その先に何が起きるのか、何が待っているのか、その未知の世界を覗いて見たいし、それこそ楽しみに思うべきであろう。

 その報告もできるだけ詳しく記していきたい。むろん、読みたい方だけお読み頂ければと願う。
 何だって大変だと思えば、食べることだって酒飲むことだって歩くことだって大変なのである。とりもなおさず生きることがまず大変なのだ。
 しかし、同様にそこには快楽と呼べなくても楽しみや味わいもあるし、何より登山に等しく、苦難の先の喜びも待っている。
 何よりも全てのことは実際に体験してみないと、やってみないと本当のところは何もわからない。じっさいにやってみて、ああ、こういうものか、こういうことかとはっきりとようやくわかる。

 失敗ばかりの、世間から見れば落ちこぼれの我が人生だけれど、この先にまだ未知の領域が待っているとすれば、それを探索してみたいと強く思う。そのことこそ、我が人生をとことん生きていくことに他ならない。
 そのとき、その日こそ自由になるのだ、と。