祖父母の地を訪ねて~渡良瀬遊水地と旧谷中村・12016年05月15日 22時05分18秒

★我のルーツを求めて

 この土日、14日~15日は、栃木県栃木市藤岡町へ母連れて行っていた。ラムサール条約登録で知られる渡良瀬遊水地の中にある、谷中村である。そこは、母方の先祖代々の地である。
 足尾銅山がもたらした鉱毒で、明治政府により村民全員が強制的に移転させられ「廃村」にさせられた。「谷中村」は義人田中正造の名と共に、日本の公害闘争の原点としても知られている。
 2011年の3.11大震災による原発事故で、放射能という毒で、生活の場を奪われ故郷を追われた町民たちが今もたくさんいるという「現実」を思うとき、この地とそこに住んでいた者たちの無念の思いに今一度スポットをあてるべきではないかとも思う。

 今日はその遊水地の近くの藤岡の公民館で、「谷中村の遺跡を守る会」の総会があり、谷中村の旧住民の子孫の一人として、母を講演会のパネラーとして出席させるべく連れて行ったのだ。
 母は病み上がりとかいう以前に、退院してまだ2日しか経っていない。以前よりこのイベントに参加できるか何度も打診があった。が、癌を患い体調がはっきりしないこともあって、行くのはまず無理だろうと連絡してきた。
 しかも、今月に入ってから一週間またしても入院していたばかりであり、体力も戻らず本来はまだ家で静養に努めなければならないはずである。しかし、母の強い希望で、生きているうちにもう一度親たちの生まれ育った地、母のルーツと言える谷中村の地に立ちたいという願いをかなえるため無理を承知で連れて行ったのだ。

 先だって、圏央道も東北道に繋がり、行くのに所要時間も大幅に短縮されたことと、向うで親戚や多くの知人方に再会できたこともあり、母は幸いなことにすこぶる元気で体調も良く、皆に嬉しい驚きを与えることができた。
 今回急に泊めて頂いた藤岡町の「遺跡を守る会」の前会長宅を夕方出て、約2時間で無事帰宅できたが、今もまだ母はコーフン冷めやらぬ上機嫌である。
 正直なところ、果たして今の体調で行けるか、行けたとしても向うで容体悪くしてご迷惑かけるのでは、と金曜日の夜まであれこれ案じて、迷っていたが、結果として行って大正解、大成功であった。こんなに元気な母は久しぶりに見た。

 今は、母より我の方が、疲労困憊と睡眠不足でもう限界なので、後ほど画像を交えて何回かに分けて、今回の母との我が一族を辿る度について記しておきたい。※ちなみに父は立川の病院に今も入院中で、この二日、見舞いに顔出せなかった。いちおう、出かけることは前日の金曜に伝えたが、明日行って理解しているだろうか。