起こることには全て意味があるとしたら2017年09月24日 18時24分43秒

★人はその「答え」を見つけなればならない。

 昨日、今日と本来は出かける用事もあった。拙ブログで書き記したこともだったが、一昨日21日の「危機一髪」の一件が気持ちに尾を引いて、どうにも身動き取れず出かける気分にはとてもなれなかった。
 今日は午前、立川の教会に行くつもりもあったが、神と語らう以前にまず我が心に問いたいことがあり、その答えが未だ出ない以上、やはり外出は控えるしかなかった。

 高速道路内で車両故障を起こしても無事帰ってこれたのだからそれで良かったではないか。しかし、運が良かった、幸いだったでカンタンに済ませてしまうわけにはもういかない気がしている。
 無事であったからこそ我が人生の根本の部分、存在の意味そのものが問われている気がする。それはあたかも悲惨な原発事故の検証と終息、そして住民の帰還と復興も終わらないのにまた再稼働に走る現政権のようなものだ。次に何か起きた時はもう国家の致命的事態になる可能性が高い。
 同様に我にとっても今回の一件の検証をきちんと済ませ、より慎重に丁寧に運転を心がけるのは当然として、生かされた者はその意味、答えを、そして「使命」を今さらだが深く認識せねばならないと思う。


 実は、我が車はこのところエンジンの調子が悪かった。中古で買ってからもう10年となる、スバルのサンバー、軽だが後部の荷台の広い商用車である。ともかく本や雑誌がたくさん積めるので迷うことなくこの機種を選んだ。
 以前はせいぜい我が住む多摩地区とたまに都心まで走る程度だったが、この数年、山梨県北杜市に縁あって倉庫として古民家を手に入れてからは、八王子インターから入って、韮崎か須玉まで中央高速を利用するようになった。だいたい片道で100キロちょっとという距離だ。※癌を病んだ母を向うの温泉に連れて行くという目的も兼ね備えてのこともあった。そして昨年秋に母が逝き、このところは、月に一度行く程度だったが。
 
 山梨通いするようになって、当然走行距離は一気に増えた。まだ10万キロには及ばないが、我が運転が荒いこともあって、ずいぶん車体は傷つき、荷重に本を積んで走っているので、ずいぶんオンボロ感は強くなってきて、そろそろ買い替え時かという気持ちにもなってきていた。
 しかし、我家は父の介護で我もろくに働いていないことと、父が通う介護サービスに金を吸い取られているので、とても今はそんな余裕はない。しかたなくオンボロ車を騙しだましなだめすかして乗っていたのであった。

 街中を普通に走っているときは何も不具合は起きない。が、高速道内で、山梨へ行った帰り道になると、何故か走行中、エンジンの調子がおかしくなってきて、ガソリンがうまく気化しないようで、老人が食事時にゴホゴホむせるように、アクセルを踏み込んでもエンジンの回転数は上がらず、プスッ、プスッとしだいに減速してしまい仕方なく路肩に寄せて停めて休ませたこともあった。停まって少し休んでエンジンかけ直せば「回復」したのである。
 それは毎回ではないし、起こるのは必ず高速内のしかも東京へ向かう上りの路線で、笛吹市の辺りなのである。それが起こる場所もほぼ同じで実に不思議でならなかった。
 停めないでもそんなでゆっくり走っていればしだいに「回復」することもあって、知り合いの修理工場の人に相談もしたが、原因がわからないのと、常に起こる不具合でもないため、そのままにしてしまっていたのだ。むろん近く車検も近づくので、そのときにきちんと見てもらうつもりでもいた。

 そして今回。八王子からではなく圏央道でサマーランドの横の秋川から入り、八王子ジャンクションに合流して中央道へ。朝から出ようと思っていたが、父が朝方またベッドに大寝小便をしたため、シーツやパジャマを洗濯してそれを干してそのままにして出たので11時半頃となってしまったのだ。
 今回は荷物も少なく、父と犬だけなので車体も軽く快適に走っていたのだが、談合坂を過ぎたあたりからしだいにまたエンジンに不具合が起きだした。行きのコースでは初めてのことだ。プスップスッと鳴り出しアクセル踏んでもちっともスピードが出ない。
 まいったなあと思い、それでも様子見ながら走り続けていたら減速は続き、とうとう車はエンスト状態で停まってしまった。かろうじて走行車線を一番左側に寄せたが、完全に路肩に着いてはいない。斜めになって後部が車線に飛び出していたかと思う。
 いったんギアをPに入れて、エンジンをかけなおした。ところがエンジンはかかっても今度はギアがロックされてしまい、押しても引いても固くて動かない。これでは車の位置も直せない。いったい何が起きてしまったのだろうか。

 時刻は、昼過ぎであったかと思う。jまずは車を休ませつつともかく早くこの場所から動かさねば危険だと焦り慌てた。しかしギアがロック?されて全く動かずDに入らないのだ。それでは車はエンジンはかかっても動かせない。何故にギアは動かないのか。
 助手席でぼうっとしていた父は、かつては車の整備も手掛けたことがあり、昔は車の仕組みにも詳しいはずなのだが、この状況にただ手をこまねいてる。しかしこのままだと通報してレッカー車を呼ぶしかない。携帯は持ってきていたが、さあ、どうするか。
 車内で父に運転席に代わってもらい、我は助手席側から外に出ようかと考えた。が、父を運転席に座らせて、エンジンをかけてギアをいじっていたら突然ギアは動いて下におりてNに入った。すると道は上り坂だったのか、ゆっくりずるずると車は下がり始めてしまい父に慌てて「ブレーキを踏んで!」と叫び止めるように命じた。
 が、あろうことか呆けている父はアクセルのペダルを踏み込んでしまい、けっきょく下がったまま縁石だかにガツンとぶつかり車は停まった。走行車線側に出ないで幸いであったと今にして思う。

 ほっとしたのも束の間、後ろからクラクションが鳴らされ、振り返って見たらすぐそばに後続車が停止している。追突寸前のところ停まってくれたのか。その車は、他の車の流れを見てから車線を変えて走り去り、我も父と席を変わり慌ててギアをDに変えて、何とか車は走らせその場所から離れることができた。
 ほっとしたと思ったが、少し走っていたら同様の事態がまたもや起きてしまい再びエンスト状態となって減速、仕方なく今度は早めに自ら路肩側に寄せて停まった。幸いその場所は、いちばん左側の車線は、工事だか作業中だったのか規制されていて通行禁止となってカラーコーンが置かれていたのでその中に入って停めた。

 それを見て、すぐ前方にいた作業員の方が、こちらに慌てて走って近づいて来て、理由を説明したらもっと路肩に寄せろ、危険だからすぐに皆さん車から外に出てと促す。
 いったん停めたもののエンジンをかけたら今度はギアも下りてDに入ったので、ちょうど初狩のSAがもう近くだったこともあり、ともかくそこまで走って停めますからと伝えてすぐにまた走り出した。
 幸いもうエンストは起きず、初狩のサービスステーションまでたどり着くことはかなった。さて、ではそれからどうするべきか。

 本来は、こういう状態になるのならできるだけ早めに高速道を降りて、修理工場に駆け込むベきであった。しかし、高速道路は逆走は出来ず、この先下りるには、まずは甲府方面まで走らないと高速から出られない。
 そしてそのためにはまずこの先にある笹子トンネルを通らないとならないのである。そう、中央道でも1、2を争う長さで知られ、先年天井板が剥がれ落ちて大事故を起こした魔の笹子トンネルが待ち受けていたのだ。果たして、そのトンネルの中でまたもやエンストが起きたらどうなるのか。二度ある事は三度あると言うではないか。

 迷いに迷った。胃が痛くなる思いであった。犬たちを散歩させてしばらく休憩してどうしたものかと考えた。ここでレッカー車なり呼ぶべきか。今回は現金は少しは持って来たが、カード類など何もなかった。第一、我はこうしたときのロードサービス、JAFの会員にもなっていないのである。エンスト起こして通報したらばいくら金がかかるのだろうか。

 笹子トンネルに一番近いここ初狩のSAにはあの大事故の犠牲者を弔うため小さな献花台の小屋が置いてある。
 我は、その献花台で無事を願い、何とかエンストを起こさずに全長4.7キロもある長いトンネルを抜けられるよう頭を垂れただひたすら祈り続けた。

【長くなったのでもう一回書き足します】

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