まさしく、昔はものを思わざりけり・続き2017年09月15日 23時58分36秒

★状況はさらに悪化しても「今」のほうがマシだと信じたい。

  「逢い見ての のちの心にくらぶれば 昔はものを 思わざりけり」 とは、日本人ならおそらく誰もが知っているだろう、百人一首にも採られた大昔の人の歌だが、恋愛をじっさいに体験し、恋の甘さ、楽しさだけでなく苦さや辛さも経験した今、昔は、何も考えてなかった、知らなかったなあ、という感慨を綴ったもので現代の人でも深く思い当ろう。
 そうした恋愛事情のことでなくとも、人は過ぎた日々を振り返れば、こうした普遍的感慨に襲われるに違ない。

 このところ夕暮れ時に、我は犬たちとの散歩で近くの公園で、ベンチに座り缶チューハイなど片手に、ただぼんやり、ぼーと過ごすのが唯一の息抜きだと記した。
 特に何か考えるわけでなく、ただ気持ちも身体も弛緩させアルコールの回るのに任せていると、昔のことがとりとめもなく記憶の沼の底からぼこぼことガスのように湧き上がってくる。
 それは、母が生きていた頃のことであったりもするが、それこそもっと大昔の、我が二十代のとき八十年代の頃であったり、この四、五年のことだったりもする。さすがに学生時代のことは出てこない。
 そして、ときに思い出した失態に今もまたこの身が捩れるような、穴があったら入りたい気分になることもあるが、たいていはほろ苦さと共に、あの頃は、本当に何も考えてなかったんだなあ、何もわかってなかったんだ、と、「昔は ものをおもわざりけり」の心境に襲われる。

 我の場合「思い出」とは、楽しいもの、思い出すと唇が緩んでくるようなものは少なく、思い出すのが辛くてふだんは記憶の底に閉じ込めてできるだけ忘れ去ろうとしているものばかりでも、このところようやく過ぎたことは過ぎてしまったこととして、受け容れられるようになってきた。それはそれでそのときは仕方なかったんだと。
 若気の至りという言葉はあるが、若とは、バカさだの同義語だとしても、我の場合は根本的、本質的な部分がとことん愚かで、ダメであり、それは今も少しも変わっていない。
 だから、昔はものを思わざりけり、の心境になっても、昔に比べて今はマシに利口になったとか、状況が良くなったと言いはる気持ちは毛頭ない。 
 何事においても自制心の欠如、衝動性と考えなしは若い頃とまったく変わっていないし、そうした迂闊さ、愚かさがもたらす反社会的立場からの孤立も今もほぼ続いている。我を取り巻く内外の状況は今のほうがさらに悪化している。まさに、にっちもさっちも行かない問題山積の「現在」だ。
 そこに風に吹かれる葦の如く、瑣末な小さなことでもざわざわと揺さぶられる弱く脆い小さな心も相変わらずで、世間一般から見れば取るに足らない瑣末なことでもすぐ囚われては常に大騒ぎし落ち込んだりと実に恥ずかしく情けない限りである。醒めればバカも極まりだと自分でも思うのに。

 しかし、では、昔のほうが良かったとか、あの頃に戻りたいなんて全く思わない。母や愛犬が元気だった頃に戻ってやり直せたらと思わなくもないが、それ以外はすべて昔より今はマシだと思いたい。
 状況は今のほうがはるかに悪くなっている。しかし、今の我はその過ぎて「経験」したことを経て、昔に比べれば、内面的にははるかに深く考えるようになった。
 昔はわからなかったことも少しはわかるようになってきたし、見えなかったものも見えるようになってきた。昔は全てにおいて我は浅薄であったと今にして思う。
 我が本性本質、根本のところのバカとダメの部分は変えようはないし変えられるものではないが、ずいぶん昔とは考え方もキモチも変わった。
 たった一年前にここに書いたことや考えていたことでも今とはずいぶん違っているし、それと比べれば「今」のほうが絶対に正しいという確信がある。むろんまた一年先の自分の考えのほうが今よりもっと正しいと思っているかとも思うが。
 つまるところようやく「人生」というものがどういうものか、ほんの少しだが、見えて来た気がしている。何がいちばん大事なのかも。昔はその肝心のことがわからなかった。気持ちの赴くまま突発的、衝動的に何も考えずに行動していた。まさにその場しのぎだったと気づく。

 我は昔から快楽主義者で、後先のことは何も考えずにいつもそのときどき、目先の楽しみだけで動いていた。しかし、このところやっとわかってきた。娯楽や楽しみ、癒しや快楽は、まず成すべきことを終えてから後にあるべきものであって、それらを第一義、最優先にしてはならなかったのだ。最初から「ごほうび」を神は与えてはくれない。

 そして漱石先生の説く「則天去私」の教えも真理だと思う反面、単に天に全てを委ね任せるだけでなく、天=神の成すことの意味をよく考え、常に問い、語らい仰ぐところに「私」はあるのだと思えてきた。
 そのうえで、起きること、起こったことの全てを赦し受け容れていく。むろん人それぞれ異なるがこの世に生を受け与えられた役割を果たしていく。それが人生の意味であり、そこに価値があるのだと思いたい。
 そうしたことがようやくわかってきた。ならば過去の失態や失敗も意味があろうし、それもまたそのときは仕方なかったのだと。
 そうして相変わらずバカのまま、失態失敗ばかりの人生を続けているけれども、物心ついてから半世紀以上生きて来て、母たちを喪いようやく気がついた。何がいちばん大事なことか、大切なものは何なのかと。

 そんなことを夕暮れどきに傍らに犬たちをはべらせとりとめなく考える。昔は何もわからず何も考えなかったのだ。ならば今のほうがずっと良いではないかと。

人の記憶について思うこと2017年09月16日 15時02分48秒

★人間の頭の中は何と不思議なことか
 
 このところ人間の記憶っていったいどうなっているのかとよく考える。その思考回路、保存のシステムも含めてヒトの頭の中ってどうなっているのであろうか。
 そんなことを思うのは、一つに我が父の呆け、認知症の悪化である。認知症というのが正しく病気の状態を示した名称だと思えないが、ようするに記憶力減退と思考力の低下だと我は考える。
 うんと昔のことは憶えていても、最近のこと、喫緊に近づけば近づくにつれて記憶が続かなくなってしまう。

 我が父など、日に何度でも同じ質問を繰り返し、その都度説明してわかったと答えたのに、また少しすると同じことを繰り返し、こちらは呆れ果てうんざりもし返事せず無視してると今度は怒って騒ぎ立てる。
 このところは必ずショートステイに行く前の日になると、いったい何泊泊まるのかと訊いてくるし、二泊三日だと答えたときは、何で二泊しないとならないのか、ワシは一泊でいい、何で二泊しないとならないのか、と不満げな抗議が出る。もう何ヵ月もそのスケジュールで通っていても。
 その都度、お泊りに行ってもらう理由を説明して、ときにケアマネからも諄々と説いてもらうのだが、そのときは、なるほどわかったと理解して素直に頷いたはずでも、しばらくするとまたすっかりその記憶は消え失せて、明日は何泊するのか、何で二泊しないとならないのかという質問が繰り返し必ず飛び出してくる。もううんざりである。

 施設の迎えが来る朝も、何時に迎えが来るのかと何度でも訊いてきてともかくうるさくてたまらない。ときに、施設からクルマが来ることすら忘れたり、もう一年以上通っているNという施設の名前も通っている事実すら記憶から抜け落ちているときがある。
 カレンダーをしげしげ見て、ここに書いてあるNってなんだ?ワシはそこに行ってるのかと真顔で訊かれて絶句したことも何度もある。
 それでも行けば思い出すようで、帰ってくるときはニコニコと温和に、送って来た職員には、毎度お世話になりました、なんてすまし顔で御礼を口にしている。

 いったい彼の頭の中はどうなってしまっているのかと不安にもなるし、これは一種の発狂ではないかとも思うが、記憶は何とか戻ることも多く、通常の生活、これまで続いた日常である「現実」にまだ今は還ってきているのでこの家での生活は続いてる。
 しかし、これが度が進み、介護施設に通っていることも、行かねばならないということも完全に忘れてしまい、行きたくない、嫌だ!と抗い騒ぎたてるように毎回なれば、もう我は面倒みきれない。
 もし、そのまま親子二人、この家で24時間顔突き合わせて暮らしていたら、そんな手のかかる、何もわからなくなった呆け老人に、息子は堪忍袋の緒が切れて早晩殴り殺すか、彼を放棄して山梨へトンズラしてしまうことだろう。

 昔は、まだら呆けと言ったように、ときにはけっこうまともで頭も冴えていて、言ってることもかつての明晰な父に戻っているときもごくたまにはある。しかし、絶対忘れるはずのないと思えることでもぽっかり抜け落ちてしまう「記憶喪失」が度々起こると、この頭の中はどうなっているのかと情けなくもなるし絶望的な気分に陥る。

 先だっての母の命日のことを記す。

この国の立憲主義と平和憲法が終わる日が近づいている。2017年09月18日 23時40分50秒

★日本人は自ら平和憲法を踏みにじり安倍改憲を許すのか

 世間様から見ればどうでもいい瑣末な私事のバカなことに囚われてそのことを書き連ねているうちに、安倍晋三は北朝鮮の危機に乗じて支持率も回復し、再スタートした民進党が敵失的にもたつき、都知事の小池新党も国政進出のための準備が整わないうちにと、近く解散総選挙にうって出ることを決めたと報道されている。
 まあ、我が彼ならばやはりそうしたと思うし、当然予想されたことであったから、やはりそうきたかという程度で驚くに値しない。でも、その選挙の到来を待ち望み、歓迎する気持ちには全然なれないでいる。

 憂鬱に思うのは、現時点での私的予測でも、自民党は多少は減らしたとしてもまた勝利すると思えるし、小池氏の息のかかった新党が伸びたとしてもそれもまた改憲を是とする輩だから、現与党政権が続くだけでなく、改憲への道は確定的となってしまうだろうからだ。
 つまるところどちらに転んでも政治は何も変わらないしますます悪くなっていく。

 これが民進党も加わっての先の国政選挙のような「野党共闘」が成ったならば、一人区の調整を軸に、かなり与党候補の当選を減らすこともできたであろう。
 が、民進党の前原新執行部は、共産党との選挙協力を見直すことを訴えて成立した手前、おそらくそうした調整に応ずる気はないと推測する。となれば野党はバラバラのまま、支持率回復した安倍巨大与党にどう立ち向かっても勝てるはずがない。あたかも巨象に小動物たちが個別に立ち向かうようなものだ。

 これまでも繰り返し書いて来たが、巨大与党を倒すには、弱小野党は結束して候補者を絞って野党統一候補として戦うしかないのである。それでどうにか勝てるかどうか、その目が出てくる。
 それなのに大バカ前原代表は、自らの足元もしっかり固めることもできないくせに、自党単独で自公に挑もうとしている。その結果は先の都議選と同じく、また国政でも歴史的大敗は間違いなくおそらくこれで民進党という政党は解党消滅することだろう。

 この国の不幸は、極悪非道、歴代最悪の安倍自公政権に対して、それに代わる新たな選択肢がないことに尽きる。
 政権交代可能な二大政党をつくるとしてできたはずの民主党があんな体たらくで自らその存在価値を捨て去ってしまった今、また新たに国政レベルでも小池新党ができ、多少は躍進したとしても残念だが、それは維新同様に自公政権の補完勢力でしかなく、政治の流れは何一つ変わらない。
 自公の路線でない政治を望む人たちもかなりたくさんいると我は信ずる。それは、まず改憲でなく護憲であり、原発再稼働阻止、脱原発であり、辺野古の新基地建設反対、在日米軍基地に危険なオスプレイ配備反対であろう。
 しかし、そうしたことを託せて現実のはなし、政権を任せるほどの勢力はどこにもない。かつての左翼にはそれが託せた。政権奪取など現実的でないにせよ我らの訴えはこちらに届き我らの思いが託せた。が、もうこの国には左翼と呼べる政党はごくごく僅かになってしまい、今は一人共産党だけが気を吐くだけだ。そしてその党とは絶対に一緒に組まないという人たち、長島、細野、そして前原たちがいたのが民進党で、何故か出て行かずにその最後まで残った男が、この党に解党の引導を渡すつもりらしい。

 政治家のほとんどが、自公とその補完勢力となってしまうのは何故なのだろうか。国民の多くはそれを本心から望んでいるのだろうか。

 日本人は自ら不戦を誓った九条という珠玉の宝のような平和憲法を投げ捨てて、再び戦争が海外でもどこでもでき、原子力発電所までも巻き込んだ核戦争の時代を希望するのであろうか。
 先の大戦で死んだ内外の膨大な人たち、広島長崎での被爆者たちの痛恨の思いは何も報われないのであろうか。

 これから当ブログは再び「政治」のことについて考え書き記していこうと思う。

あの日から2年~今思うこと2017年09月19日 07時15分33秒

★世界は、我は、どう変わったか

 9月19日である。安保法が、国会で徹夜での各党の代表演説の後、採決可決されたとき、我は国会前の大群衆の中にいた。
 夜が開けても、まだ元気にシュプレヒコールを続けているシールズの若者たちの叫び声を背に我は一人家に戻って来た。
 そしてそれから2年が過ぎた。世界はどう変わったのか。安保法ができてこの国はより安全に、世界は平和になったか。我をとりまく状況はどう変わったか。

 反省も自制もなく繰り返される北朝鮮のミサイル発射などの挑発行為はさらに過激さを増し、国際社会はどの国もかの国の対応に頭を痛めている。いくら対話を求めどれほど強い制裁を化そうとも現体制の首領には馬の耳に念仏のように思われる。
 そして米国はトランプ大統領誕生により、軍事行動も含めあらゆる選択肢を排除しないと明言、朝鮮半島はまさに一触即発の戦争寸前の緊張感が高まっている。

 そしてそんな中、安倍改憲へのスケジュールがまた足早に進みだしてきている。今の雰囲気では当初は絶対不可能と思えた2020年の改憲も現実味を帯びて来た。そしてその安倍体制信任のための総選挙が近く行われる。
 民進党の前原代表は、憲法改正をその選挙でマニフェストに盛り込むと報道されていた。共産党たちごく少数の野党を除いて、そうしてどの党も改憲を公約に掲げるのならばそれは争点にもならないだろうに理解に苦しむ。国民の多くが現時点でそれを望み願っているとは我はとても思えない。憲法九条を無効にすれば、北朝鮮の暴挙は鎮まるとでも彼らは考えているのだろうか。

 あれから2年、世界は、日本はますます不自由にそして不安定に、戦争直前の不穏な空気に満ちている。しかし、国民の多くは景気も回復基調にあると、金持層を中心に高額商品こそ売れまくっていると訊く。
じっさい、東京オリンピックが近づき、働き手はどの業種も不足し経済は数字の上では好景気を示している。
 頭の上を繰り返し北のミサイルが飛びこえていこうと日本人はのんびり日々謳歌し、マスコミはつまらぬ芸能人や政治家たちの不倫とか離婚の話題、、まったく我々の生活とは無縁な騒動を奉じるのに夢中になっている。
 世界は、日本は、戦争と原発という滅亡と破滅へとひたすらまっすぐ向かって進んでいるのに。

 我は、というと、去年の年明けから体調崩し始めた母の介護にしだいに追われるようになり、けっきょく再発肥大してきた腹部の癌に屈するようにして寝たきりとなり昨年の9月8日未明に母は死んでしまった。
 そしてそれから一年、残された父の体調はさらに衰えてしまい、もうほとんど歩けなくなってしまった。このところは何とかショートステイに毎週何日か預けることはできているが、家での介護は限界に近づきつつある。夜間の失禁だけでなく、終日大便も含めて垂れ流し状態となってしまい、食事の介助も含めて父が家にいる時はまったく目が離せなくなってしまった。
 そしてそんな状況では我も収入がなく、父の年金だけではとても施設の利用料だけ払うのででいっぱいいっぱいで、この家の生活は貯金を取り崩して何とか回しているのが正直なところだ。いったいどうしたらよいのか。
 そう、この二年のうちに、すべてが大きく変わってしまった。ますます不自由に、身動きとれなくなってしまった。先のことに対する不安と山積した片付けねばならない課題だけが日々肥大していく。

 しかし、だからといってこの先のことはわからないからこそ、諦めも絶望もしたくないし希望は捨てていない。
 実は一昨日は、終日台風襲来の雨で、気温が低かったこともあり我は鼻風邪と腰痛が再発して寝込んでしまっていた。椅子にも座れずブログすら書けないで悶々としていた。
 そして昨日は、朝から台風一過の快晴となり、台風が連れて来た南の陽気のおかげで気温も真夏のように高くなった。
 昨日も国会前では、祝日であったこともあり、大規模な集会があったようだが、父が施設から戻る日であり、今日19日も終日家にいる日なので我はどこへも出かけることはできない。
 しかし、父を抱えつつどこにいようともできることは何かしらあると信するし、我のことだけではなく、世界は今大変なことになっている、と発信することはできるかと思う。

 そう、まだ我は、我々はここに、こちら側にいる。まだ生きている。ならばできることはいくらでもあるし、成すべきことも多々あろう。終わりは誰にもやってくるが、ただそれを待つのでもなく早めるのではなく、その残された時間に精いっぱい成すべきできることを少しでも一つでもやっていくだけだ。
 嘆き絶望して哀しみに鬱々している時間がもったいない。

前代未聞、安倍晋三による安倍晋三のための自分ファースト解散2017年09月22日 20時21分20秒

★大義名分のかけらもない、国民を愚弄した解散劇

 優秀な人材をそろえた仕事人内閣だと、つい先だって内閣改造して胸をはったのはどこの誰であろうか。その仕事人内閣は、何一つ仕事しないままで、国会もきちんと開かないまま突然解散してしまうのである。
 今、慌てて解散のための大義名分を繕うのに必死なようだが、誰が見てもこれは党利党略優先、いや、森友や家計事件など自らの尻にも火がつくいくつもの疑惑に対して解明を放棄したまさに自己中心的理由からの晋三による晋三のための「晋三ファースト解散」である。

 呆れた。しかし、それもこれも今なら自公は勝てると踏んでの奇策であり、いずれ近いうち任期切れとなるのだから、ならば最も勝てるうちに、と考えるのも想像に難くない。
 というのは、幸いにしてこのところまた支持率も回復基調にあることと、時間が経てば、都知事小池氏の流れを組む「新党」など、対抗勢力が布陣を整えて来るだろうし、どうしようもない野党第一党民進党が、離党者騒動と山尾氏のスキャンダルとで混乱低迷している今のうちに解散してしまえば、たとえ少しは議席を減らしたとしても政権維持は可能と踏んでの彼なりの奇手名案なのである。

 我はこの夏から、おそらく年内中に解散があることは間違いないと予想していた。
 というのは、ウチの近所の、この地区の創価学会の幹部の家の前にやたら自転車が停まって人が集まってることが何度もあって、それは選挙の前はいつもそうだったので、おかしいなと思っていた。
 そして内閣改造後、支持率も回復してきたことで、おそらく年内のうちに、奇策として解散、総選挙に打って出るだろうと予測していた。そのためには、まず今秋予定されていた三つの補欠選挙に全勝してからだと考えていたが、あろうことか近く臨時国会を開いたらそのまま即解散するのだと報じられている。これには呆れ驚いた。何のためについ先日、内閣を改造したのか理解に苦しむ。
 そして言う迄もなくこの解散には大義名分のかけらもないのは誰だってそう思うはずだ。つまり「勝てるうちに」という晋三のご都合だけで、突発的に解散、総選挙をするのだから。

 だが、心底残念だが、おそらく今回も自公は勝利し現政権は揺るがないのではないか。むろん小池氏の息のかかった新党も大慌てで体制を整えて参戦するだろう。しかし、野党が民進党の混迷によりバラバラの今、自公を脅かすほどの対抗軸は何もなく、新党がどれほど伸びようとも先の都議選のような状況まで候補者をそろえること自体難しいはずだ。

 さらにそこに、北朝鮮の問題がある。北が相変わらず挑発的暴走を繰り返す中での総選挙に批判も出てはいる。おそらく選挙中も懲りずに何らかの軍事的行動はまたしでかすはずだ。
 が、そうした「有事」こそが、現政権にとって有利に働き、国民の不安は、自公が敗北して政治的混乱よりも現政権に安定を求める方向に向かってしまうのである。むろんよほど大きな政治的失態があればまた別の話だが。
 かつて政権誕生時には超不人気であったブッシュ大統領は、あの9.11の同時多発テロ以降、正義の報復戦争を唱えて、国民の結束を呼び掛けて支持率は何と八割を超すまで盛り返した。ゆえにあのテロ事件すらも自作自演ではないかと今でも噂されている。

 同様に、北朝鮮と米国との間で軍事衝突でも起きれば、その「有事」に、国民の多くは安倍政治には多々批判はあれども、政治的混乱を避けるためにもまずは現政権を安定させ支持せねば大変だと考えを変えてしまうだろう。
 安倍晋三はそこまで見据えて、どちらしても現時点こそがもっとも勝てると踏んで今回の総選挙を決めたのだ。

 そうした私利私欲、晋三ファーストからの衆院選、今選挙しなければならない大義は何一つないのに、突然の国会解散となる。まさに国民は彼に愚弄されていると我は考えるが、それでも結果としてまたも自公が勝利して信任されたならば、この暴挙を国民は許したこととなり、まさにこの内閣にしてこの国民あり、いや、この国民にしてこの内閣ありだと世界中に示すだけとなろう。物笑いの種でしかなく、日本人として恥ずかしい限りだ。
 ほんとうに恥ずかしい。

 だが、まだ結果は出ていない。とにもかくにも戦後憲政史上最低最悪最凶の安倍政治を一日もまず終わらせねばならない。そして繰り返しになるが、代わって、維新や小池新党のような改憲と原発再稼働容認の議員が増えたとしてもそれでは政治の根本は何一つ変わりはしない。
 今本当に求められているのは、真に自公的ではない、彼らの補完勢力ではない、反戦と護憲を掲げるごくごく当たり前の政治ではないか。そんなごく当たり前のことが、声高に叫べない程に今の日本の政治はおかしくなってしまった。
 そして国民の多くはこれほどまでに安倍晋三になめられバカにされているのに気がつかない。そのことに強く強く憤る。

 カメは甲羅に似せた穴を掘る。ならば、この国民には身勝手卑劣な安倍政権がぴったりということなのかもしれない。願わくばそうでないことを今度の選挙で示せるよう、我は非力ながらも訴え続けていくつもりだ。

我も父も「まだ生かされている」のならば2017年09月23日 07時04分01秒

★またも九死に一生を得て思ったこと

 一昨日から昨日、この21~22日、父を連れて犬たちと山梨の倉庫と化した古民家へ行ってきた。無事帰って来たからこうしてブログを更新できるわけだが、毎度のことながらまたもや危機一髪、薄氷を踏む思いの状況、命を危険にさらす事態が起きた。

 行きの中央道で、車が突然エンストしてしまいギアも動かず制御不能となり、路肩にきちんと寄せることもできず後続車から追突されても仕方ない状況に陥った。しかも二度もエンスト起こした。
 詳しいことは、後ほど記すつもりだが、よく、人が言うように、あわや死ぬかと思った、というわけではない。そのときは必死で、ただ何とか動くよう祈りながら、車内で大騒ぎしていた。

 幸い車は再び動くようになり、韮崎の自動車修理工場でかんたんな点検してもらいオイルだけ足してもらって古民家のある里山へ上り、その晩は一泊して翌日は早々に一般道でゆっくり慎重に帰ってきた。一部高速道路も使ったが。
 無事着いた晩も父とあれこれあってその日のことを振り返って興奮してほとんど眠れなかった。帰宅できた昨晩は疲れ果ててぐっすり深く眠って今こうしてブログを記しているわけだが、冷静になればなるほど本当に危ういとこだったとつくづく思う。追突事故が起きても仕方ない事態であったのだ。
 
 運が良いとか強運だとか我はよく人から言われる。我は二年前の両国のでフォークイベントでも酔っぱらって、会場となっていた神社の回廊の座っていた手すりから頭から落下して、2mも高さあったのに、幸い入院することもなく後遺症も出ないですんだ。そのときは一時的に記憶喪失とはなったが。脳挫傷などで死ぬか障害が残ってもちっともおかしくはなかった。まあ、その晩は帰路何回も転んで頭も含めて身体じゅう擦り傷で血だらけで帰って来て翌日は一日寝込んだが。
 そして昨年、母を数か月在宅での看病の後、見送って思ったのは、その両国の事件でも我は奇跡的に何ともなかったのは、母を看取るという「使命」があったからだと思い至った。
 つまり果たすべき役割がまだあったから、天の計らい?によって守られ、死なずにすんだのである。そのことは確信がある。

 そして今回も、後から冷静になって振り返れば、高速道路内で父と犬共々、我らは走って来た車に追突されて投げ出され死んでいたかもしれないと気づく。エンジン停止中なのだからエアーバックも起動しなかっただろう。今頃になって冷汗三斗である。
 そうならずに無事またこうして自宅に帰れたのだから、確かに運が良かったわけだが、それだけですまして良いのだろうか。

 人は皆誰もが、自分で、自らの意思で考え動き選択し生きている。我もそう思っていた。が、実はそれは大間違いで、人は自ら生きているのではなく、常に「生かされている」のだと今はっきり強く感じる。
 生かしてくれているのは誰かそれは誰であろうか。

 我は、今回もまた生かされた。ならばその意味をもう一度深くじっくり考えてこれからの再び「与えられた」人生を有意義に使わねばならない。それは父もまた同様に、すべてのことには意味があるのだから。

 これからのこといろいろ悩み考え問題山積ではあるけれど、今回これで死んでしまっていたらそれらもまさに山積みのまま、手つかずにして我はあの世へとトンズラしてしまっていたわけで、唯一の肉親、妹が全人生を費やしてその後始末、兄や父たちの「実家」の後片付けに苦しむはめとなっただろう。
 幸いそうした事態に至らずにすんで良かった。こんなことで死んでなるものか。
 
 これからのこと、今さらながら真剣に考えて何を最優先にしてやっていくべきか考えなおしたい。
 繰り返す。生かされている意味は何なのか、何を成すためにまだ生きているのか。今さらだが自らにじっくり問い直すときが来た。

起こることには全て意味があるとしたら2017年09月24日 18時24分43秒

★人はその「答え」を見つけなればならない。

 昨日、今日と本来は出かける用事もあった。拙ブログで書き記したこともだったが、一昨日21日の「危機一髪」の一件が気持ちに尾を引いて、どうにも身動き取れず出かける気分にはとてもなれなかった。
 今日は午前、立川の教会に行くつもりもあったが、神と語らう以前にまず我が心に問いたいことがあり、その答えが未だ出ない以上、やはり外出は控えるしかなかった。

 高速道路内で車両故障を起こしても無事帰ってこれたのだからそれで良かったではないか。しかし、運が良かった、幸いだったでカンタンに済ませてしまうわけにはもういかない気がしている。
 無事であったからこそ我が人生の根本の部分、存在の意味そのものが問われている気がする。それはあたかも悲惨な原発事故の検証と終息、そして住民の帰還と復興も終わらないのにまた再稼働に走る現政権のようなものだ。次に何か起きた時はもう国家の致命的事態になる可能性が高い。
 同様に我にとっても今回の一件の検証をきちんと済ませ、より慎重に丁寧に運転を心がけるのは当然として、生かされた者はその意味、答えを、そして「使命」を今さらだが深く認識せねばならないと思う。


 実は、我が車はこのところエンジンの調子が悪かった。中古で買ってからもう10年となる、スバルのサンバー、軽だが後部の荷台の広い商用車である。ともかく本や雑誌がたくさん積めるので迷うことなくこの機種を選んだ。
 以前はせいぜい我が住む多摩地区とたまに都心まで走る程度だったが、この数年、山梨県北杜市に縁あって倉庫として古民家を手に入れてからは、八王子インターから入って、韮崎か須玉まで中央高速を利用するようになった。だいたい片道で100キロちょっとという距離だ。※癌を病んだ母を向うの温泉に連れて行くという目的も兼ね備えてのこともあった。そして昨年秋に母が逝き、このところは、月に一度行く程度だったが。
 
 山梨通いするようになって、当然走行距離は一気に増えた。まだ10万キロには及ばないが、我が運転が荒いこともあって、ずいぶん車体は傷つき、荷重に本を積んで走っているので、ずいぶんオンボロ感は強くなってきて、そろそろ買い替え時かという気持ちにもなってきていた。
 しかし、我家は父の介護で我もろくに働いていないことと、父が通う介護サービスに金を吸い取られているので、とても今はそんな余裕はない。しかたなくオンボロ車を騙しだましなだめすかして乗っていたのであった。

 街中を普通に走っているときは何も不具合は起きない。が、高速道内で、山梨へ行った帰り道になると、何故か走行中、エンジンの調子がおかしくなってきて、ガソリンがうまく気化しないようで、老人が食事時にゴホゴホむせるように、アクセルを踏み込んでもエンジンの回転数は上がらず、プスッ、プスッとしだいに減速してしまい仕方なく路肩に寄せて停めて休ませたこともあった。停まって少し休んでエンジンかけ直せば「回復」したのである。
 それは毎回ではないし、起こるのは必ず高速内のしかも東京へ向かう上りの路線で、笛吹市の辺りなのである。それが起こる場所もほぼ同じで実に不思議でならなかった。
 停めないでもそんなでゆっくり走っていればしだいに「回復」することもあって、知り合いの修理工場の人に相談もしたが、原因がわからないのと、常に起こる不具合でもないため、そのままにしてしまっていたのだ。むろん近く車検も近づくので、そのときにきちんと見てもらうつもりでもいた。

 そして今回。八王子からではなく圏央道でサマーランドの横の秋川から入り、八王子ジャンクションに合流して中央道へ。朝から出ようと思っていたが、父が朝方またベッドに大寝小便をしたため、シーツやパジャマを洗濯してそれを干してそのままにして出たので11時半頃となってしまったのだ。
 今回は荷物も少なく、父と犬だけなので車体も軽く快適に走っていたのだが、談合坂を過ぎたあたりからしだいにまたエンジンに不具合が起きだした。行きのコースでは初めてのことだ。プスップスッと鳴り出しアクセル踏んでもちっともスピードが出ない。
 まいったなあと思い、それでも様子見ながら走り続けていたら減速は続き、とうとう車はエンスト状態で停まってしまった。かろうじて走行車線を一番左側に寄せたが、完全に路肩に着いてはいない。斜めになって後部が車線に飛び出していたかと思う。
 いったんギアをPに入れて、エンジンをかけなおした。ところがエンジンはかかっても今度はギアがロックされてしまい、押しても引いても固くて動かない。これでは車の位置も直せない。いったい何が起きてしまったのだろうか。

 時刻は、昼過ぎであったかと思う。jまずは車を休ませつつともかく早くこの場所から動かさねば危険だと焦り慌てた。しかしギアがロック?されて全く動かずDに入らないのだ。それでは車はエンジンはかかっても動かせない。何故にギアは動かないのか。
 助手席でぼうっとしていた父は、かつては車の整備も手掛けたことがあり、昔は車の仕組みにも詳しいはずなのだが、この状況にただ手をこまねいてる。しかしこのままだと通報してレッカー車を呼ぶしかない。携帯は持ってきていたが、さあ、どうするか。
 車内で父に運転席に代わってもらい、我は助手席側から外に出ようかと考えた。が、父を運転席に座らせて、エンジンをかけてギアをいじっていたら突然ギアは動いて下におりてNに入った。すると道は上り坂だったのか、ゆっくりずるずると車は下がり始めてしまい父に慌てて「ブレーキを踏んで!」と叫び止めるように命じた。
 が、あろうことか呆けている父はアクセルのペダルを踏み込んでしまい、けっきょく下がったまま縁石だかにガツンとぶつかり車は停まった。走行車線側に出ないで幸いであったと今にして思う。

 ほっとしたのも束の間、後ろからクラクションが鳴らされ、振り返って見たらすぐそばに後続車が停止している。追突寸前のところ停まってくれたのか。その車は、他の車の流れを見てから車線を変えて走り去り、我も父と席を変わり慌ててギアをDに変えて、何とか車は走らせその場所から離れることができた。
 ほっとしたと思ったが、少し走っていたら同様の事態がまたもや起きてしまい再びエンスト状態となって減速、仕方なく今度は早めに自ら路肩側に寄せて停まった。幸いその場所は、いちばん左側の車線は、工事だか作業中だったのか規制されていて通行禁止となってカラーコーンが置かれていたのでその中に入って停めた。

 それを見て、すぐ前方にいた作業員の方が、こちらに慌てて走って近づいて来て、理由を説明したらもっと路肩に寄せろ、危険だからすぐに皆さん車から外に出てと促す。
 いったん停めたもののエンジンをかけたら今度はギアも下りてDに入ったので、ちょうど初狩のSAがもう近くだったこともあり、ともかくそこまで走って停めますからと伝えてすぐにまた走り出した。
 幸いもうエンストは起きず、初狩のサービスステーションまでたどり着くことはかなった。さて、ではそれからどうするべきか。

 本来は、こういう状態になるのならできるだけ早めに高速道を降りて、修理工場に駆け込むベきであった。しかし、高速道路は逆走は出来ず、この先下りるには、まずは甲府方面まで走らないと高速から出られない。
 そしてそのためにはまずこの先にある笹子トンネルを通らないとならないのである。そう、中央道でも1、2を争う長さで知られ、先年天井板が剥がれ落ちて大事故を起こした魔の笹子トンネルが待ち受けていたのだ。果たして、そのトンネルの中でまたもやエンストが起きたらどうなるのか。二度ある事は三度あると言うではないか。

 迷いに迷った。胃が痛くなる思いであった。犬たちを散歩させてしばらく休憩してどうしたものかと考えた。ここでレッカー車なり呼ぶべきか。今回は現金は少しは持って来たが、カード類など何もなかった。第一、我はこうしたときのロードサービス、JAFの会員にもなっていないのである。エンスト起こして通報したらばいくら金がかかるのだろうか。

 笹子トンネルに一番近いここ初狩のSAにはあの大事故の犠牲者を弔うため小さな献花台の小屋が置いてある。
 我は、その献花台で無事を願い、何とかエンストを起こさずに全長4.7キロもある長いトンネルを抜けられるよう頭を垂れただひたすら祈り続けた。

【長くなったのでもう一回書き足します】

「国難」を招いたのはいったい誰なのか2017年09月25日 21時10分40秒

★国民を顧みない対米従属と大企業・金持ち優遇の政治こそ国難の元凶ではないのか。

 安倍首相が今夕、臨時国会冒頭に国会を解散することを正式に表明した。そして解散総選挙となるわけでその解散理由を「国難突破解散」だとした。北朝鮮問題と少子高齢化社会を念頭においてだと言う。
 近く10%に上げる消費税の増税分の使い道も「子育て」支援に用いるのだと突然決めてその信を問うのだとも。
 
 この男には毎度毎度心底呆れさせられるが、もし今のこの国の状況が「国難」だとすれば、その国難を招いたのはいったい誰なのであろうか。
 安倍晋三個人だとは言わないが、少なくとも歴代がやってきた自民党政治こそ、少子高齢化社会を作り上げたのだと断言する。
 つまるところ、若者がなかなか結婚できず、結婚しても子どもを作らないのは、それだけ生活に余裕がないからで、母親が保育所に子どもを預けて働きたいと願うことすら保育所の数が絶対的に不足していているからに他ならない。
 それを「解散」の理由にすること自体ちゃんちゃらおかしいし、税の使い道を変えるのも含めて国会できちんと議論すれば良いだけの話であろう。何しろ現政権は絶対安定多数の議席を持っているのだから、戦争法や共謀罪をはじめ様々な悪法を粛々と確実に成立させたように、どうにでも好き勝手に決められるのだから。
 派遣社員ばかりでなく、誰もがきちんと安定安心して働ける雇用と、過労死など絶対にない真の「働き方改革」を実現しない限り、今のこの「国難」は解決しない。

 また、北の脅威もまた安倍首相が無条件にトランプ氏を支持すると表明したから、日本までとばっちりを受けているのである。
 軍事的行動も含めてあらゆる選択肢を排除しないとするトランプ政権の一味としてかの国は日本を捉えてミサイルを飛ばしたり挑発を繰り返すのだ。
 日本こそ有事の際には被害を被る立場にあるのだから、米朝の諍いは、本来我が国こそ間に立って対話の場を設けるなど率先して調停に努めねばならないのではないか。
 それを一切せずに傍観者的に、ひたすらアメリカにすり寄るこの政権は北をますます怒らせる。少なくとも軍事的選択を支持することは絶対にあってはならないはずだ。

 改めて言う。国難を作って来たのはいったい誰なのか。「仕事人内閣」もそうだが次々と繰り出す空疎なまた新たなキャッチフレーズはもううんざりだ。問われるべきは安倍政権と歴代自民党政治なのである。
 
 まずは問う、安倍政治はこれまで何をやってきたのか。我は絶対に安倍政治を許さない。

起こることには全て意味があるとしたら・続き2017年09月26日 16時43分41秒

★それは予め予期されていたことだった。

 毎度のことながらまたもしでかした我が失態、失敗について書いている。呆れ果てたかと思うがその続きを顛末まで記す。お付き合い頂けたら幸いだ。

 先日21日のこと、我の車は中央道の中で車の調子がおかしくなってしまい二回エンストを起こし動かなくなってしまった。
 幸いそれでも何とか初狩のSAまで走らせて、これからどうすべきか迷い考えた。いつまた走ってるうちに動かなくなるかわからない。ならば、できるだけ早く高速道路から下りて、どこでもいいから修理工場へ行くしかない。
 そのためにはまず目前の長く狭くて老朽化した笹子トンネルを抜けねばならない。先年大事故が起きたいわくアリの長いトンネルである。
 トンネル内でいつまたエンスト起こすかもしれない。路肩など車を寄せるスペースはないのである。停まったら追突される可能性はさらに高くなる。

 迷いに迷ったが、もう覚悟を決めてエンジンをかけ、トンネルに向かって下り車線に合流した。初狩で30分ほど休んでエンジンを冷やしたせいか特に異常もなく快適に走り出すことができた。
 そして5分ほどしてトンネルの入り口に着き、我はともかく慎重に、制限速度に抑えてゆっくりと、アクセルを踏み込むことなくただひたすら前方を見つめ出口を求め見据えてハンドルを固く握りしめながら走り続けた。
 今までこのトンネルは何度も通り抜けたが、この日のこと、このときの気持ちは生涯忘れないだろう。

 幸いにして、神のご加護があったのか、車は一度も不調にならず長い長いトンネルを抜け出て甲府盆地に下って行った。一番近い出口から出るべきであろうか。
 が、車は快走していたし、下りてもその辺りは市街から離れているのですぐに自動車修理工事がみつかるとも思えず、ともかくもう少し走らせてと考えなおした。出るとしたら「甲府昭和」のインターが一番繁華だと知っている。
 ただそれより、いつも利用している韮崎には、出口近くに我が町にもありよく利用しているチェーン店、オートバックスがあることを思い出した。そこに持ち込めばと決めて、下りるのは我慢した。

 結局、車は、またもや韮崎の手前、双葉JCの辺りで、またしても怖れていたエンジン不調が起き出したものの、そのときは程度は軽くて、エンストにはいたらず少し走っているうちに「回復」した。
 韮崎のインターを出て、握りしめていたハンドルから手を解き、ようやく助かった、救われたという思いがした。
 さっそく、予定していた韮崎のオートバックスに行き、状況を説明し見てもらうことにした。一時間ほど待たされるというので、父と犬たちも車から出して、一番近くの台湾料理店まで歩いて行きそこで遅くなったが昼食をとって修理を待つことにした。が、父はもうほとんど歩けなくなっていて、約100m先のその店まで辿りつくだけで何度も転んだりして一苦労したが。店に入ったのはもう2時半をだいぶ過ぎていた。

 修理工場で、エンジニアに不具合を見てもらったわけだが、荷台に荷物も載せてあったため、開けてエンジンを確認もできず、エンジンオイルがかなり漏れていることぐらいしかわからず、けっきょくオイルだけ足してもらい、本格的確認、修理は東京に戻ってからということにしてもらった。
 本格的修理となれば、時間もかかり持ち合わせもなかったので、ある意味それはそれで助かった。
 ということで、またもエンスト起こす可能性はあったわけだが、まずは古民家まで上ることにして途中も休み休みゆっくり走っていった。そう、街中ではこれまでも走ってる最中、エンストも不具合は一度も起きたことがないのである。ならば、帰りも高速道は使わず一般道で帰れば問題なく帰れるだろうと考えた。
 ようやくのこと、北杜市須玉の古民家に着いたのは、もう夕方5時近くであった。昼前に出て、まさに命からがら何とか無事に辿りつけたのだった。

 その晩は、荷物下ろしてから近くの温泉施設に父を連れて行き汗流してから寝かしつけたが、我は明け方まで興奮冷めやらず?なかなか寝付けないでいた。
 そして翌日も午前中から、古民家のある里山を下りて一般道で韮崎に下り、さらに20号線甲州街道で甲府市内を抜けて、途中で何度も道の駅などで休み食事もしたりして、ちんたら時間かけて我が家に戻れたのは夕方4時であった。途中、高速は、大月から八王子間だけ利用したが、異変は何も起きなかった。

 というわけで、この一件の顛末を記しているわけだが、まあ、ともかく無事に戻ってこれたのだから良かったじゃないかと思われる方もあろう。
 じっさいその通りではある。しかし、今は怖くてとても高速道使って山梨へ行く気にはなれないし、思い出しても今も冷汗が出る。
 笹子トンネルの中を走っているとき、まさに薄氷を踏む思いだった。何でいつまでもいい歳してこんなことをしでかすのか、こんな目に遭うのかと、その晩はずっと考え続けた。

 気学易学という学問がある。若い人はあまり関心ないだろうし、占朴の一種だと考えている方もあろう。そんなのは迷信だと一笑される方も多かろう。
 嗤われるかもしれないが、我はそれを盲信はしないものの、もう何年も前から専門のサイトを開いては一応参考にしてきていて、カレンダーに毎月、日破と暗剣殺の日だけは印をつけていた。

 その「九星気学」によると、今年2017年の我が運勢は、月運は9月が最悪で、運気が一年で一番低い。そして日々、株価の上下のように、毎月ごとに日々の運勢の良い日と悪い日がグラフで示されてバロメーターとなっているのを見ると、今月の21日は、「暗剣殺」にあたり、一年で最悪の月の最悪の日にあたっていたのだ。
 ちなみにそのサイトでは暗剣殺についてこう説明されている。

★※暗剣殺(あんけんさつ)とは
【突然の災い】が起こってきます。仕事も、人間関係も突然に崩れるとか、突然の病、突然の事故、など突然の災いが降りかかってくるようになります。とにかく落ち着いて冷静に判断して実行にうつすことです。

 今月はそれが四日あり、その日、暗剣殺の日は、急がず焦らず物事をすすめること。運勢が良くても「日破・暗剣殺」の日は普通の暮らしをする、ことが肝要とされているのであった。
 
 以前は月初めに、カレンダーにその日破と暗剣殺の日だけは、×と△で印をつけていた。が、このところずっこけて、忙しさにかまけてその気学のサイトすら見ないでいたのである。
 そして今回、その21日の一件が過ぎてから、ふとその九星気学のサイトを開いてみて愕然としてしまった。しっかりその日には「突然の事故、など突然の災いが降りかかってくるようにな」ると警告されていたではないか。
 もし、事前にこれを確認していたら、我はおそらく21日は避けて、山梨へ出かけていたはずだと今は思う。じっさい予定では前日から出るつもりでいた。
 
 こんなのは迷信だと嗤う方も多々いよう。しかし、母が急死した日も後で確認したら「暗剣殺」だったし、愛犬ブラ彦が逝った日もそれにあたっていたから、我はそのときは事前に確認してその日に彼は逝くと予想していてじっさいにその通りになった。
 こんなのは迷信かもしれない。単なる偶然かもしれない。しかし、そうしたメッセージ、警告ははっきり出ていたとするのならば、外れれば幸いなわけで、人は先のことがわからないからこそ、その「警告」に耳を傾けるべきではないのか。

 我は今回の件で、エンストが二度も起きて困惑し苦労したことよりも、事前にそうしたメッセージが発せられていたのに、見逃していたという、我が身の毎度の迂闊さと愚かさにこそ打ちのめされた。

 ほんとうの罪、悪とは、じっさいに犯したそれよりも、そのことに気づくことのないことや、天が示してくれた警告を無視することだと我は今思っている。
 人は己一人で生きている、生きていけるなんて思ってはならない。生かされているということを思い知り、ならばこそ天の声と我が内なる声にきちんと耳を傾けねばならないのだと今心からそう思う。

安倍に国難は突破できないし都知事に国政の希望は託せない。2017年09月27日 23時50分53秒

★都知事が国政政党を率いる異常!そして行きたい人は希望の党から出ても良しとする民進前原代表の異常!

 解散風を受けて日本の政治はめまぐるしく大きく動き出した。
 小池都知事は突然、新党の代表に名乗り出、所属議員と改憲、いや会見に臨んだことには誰もが驚かされたかと思う。党名は希望の党だと言う。
 しかしかの慎太郎でさえも国政に進出するときは潔く都知事を辞めたのに、この女は都知事も続けつつ希望の党の代表もやるのだという。
 まだ都知事として何の実績も残していないと我は考えるに、いったい何がやりたいのだろうか。彼女の上昇志向には毎度ながら呆れ果てる。
 東京都とは、国連加盟の中小の国家が束になっても足元に及ばないほどの世界有数の国家レベルの巨大都市なのは誰でも認識している。その都知事が、国政にも関わり片手間で知事職が務まると思っているのだろうか。ものすごく多忙になることは想像に難くない。
 慎太郎のように、ろくに都庁にも顔出さなくなればまた都の官僚たちが実験を握り、都政は停滞するかもしれない。いや、配下の都民ファーストの議員が多数いるから何も心配ないということか。彼らは都知事の子飼い、イエスマンだから。

 そこに輪をかけて、民進党を率いる前原氏は、希望の党と連携を深めたいと願い、勝手にも所属議員に「希望から出たい人は行っても良い」と発言したと報じられている。つまり、もう民進党は存在価値がないと代表自らが投げ出したということだろう。
 しかし政策も理念も投げ捨てて改憲と安保法制容認の新党との合流を目指すのは政治家として、ヒトとして国民の理解が得られると思っているのか。そんな無定見、無責任な輩に政治は任せられない。
 これもまた呆れ果てた。理解に苦しむ。

 政治家は落ちたらただの市井の人だから、何としても当選したいと願うのは理解できる。しかし、この解散に大義がないように、都知事が率いる政党が勢いがあるとしても、何の理念も見えず公約合意もないまますぐさま「合流」はありえない。そこに大義はまったくない。
 政治とは、政党とは志を同じくする者たちの集団ではないのか。それがウルトラ右翼政党まで擁する第二自民党「希望の党」に、丸投げ的に移るのはこれもまた支持者を、有権者をバカにしている。

 晋三といい、都知事といい前原といい、バカは仕方ないが、そのバカたちは国民をなめてバカにしているとしか思えない。
 こんな政治家たちに任せていたら国難は脱することもできないしこの国に希望もない。
 第一、何がリセットなのか。保守から保守へ、議員の流れが変わったとしてもそれはリセットとは言えない。自民党を出た人と自民党に行きたかったが入れてもらえなかった人たちが集った政党が政権交代果たしたとしてもどう自民党と違う政治ができると言うのか。
 彼らがいう「原発ゼロ」もかつての民主党のマニフェスト同様に政権獲得後は反故にされる可能性が高い。

 もし今、国難を言うならば、今の日本の政治家こそ、真に国難の元凶なのだと思う。どこそかの太った三代目は我が国の混乱を眺めてほくそ笑んでることであろう。選挙戦の最中、何発ミサイルを飛ばして日本を揺さぶるか思案中かと思う。

 政治に真のリセットを望む者は安倍政権は元より、希望の党などという胡散臭い理念なき集団に希望を持ってはならない。こうした自らの当選と権力維持しか念頭にない党利党略私利私欲の政治家たちは全員落選してもらいたい。